ゾンビまみれの世界で拾われた燭台切の話 | ナノ

最終話


 ――あれだけ人間と共に在ることを望んでいた彼女に、人間ではない自分が今何を言えるのだろうか。燭台切は俯いて掛けるべき言葉を必死に探す。人でなくてもいいだろうと言うべきなのか、それとも……。
 女は身体を後退させてゆっくりと立ち上がり、ふらつく足取りで燭台切から距離を置こうとした。それに気がついて女の手を取ろうとした次の瞬間、通路のほうから数本の腕が伸びていることに気がついた。

「あっ――」

 燭台切が声を上げ手を伸ばす。その反応で何かが背後にいることに今しがた気がついたのか、女は振り返ろうとする――しかしそれよりも前に、女の首元と腕に死者が噛み付いた。

「あっ、え?」

 女は短く声を上げた後、己の状況を数秒掛けて確認して――そして、必死に腕をばたつかせた。

「あっ、痛っ、痛いいたいやめて、やだっあっ、が、う゛ぅーーー! やめ、やめてぇ!」

 女が渾身の力でまとわりついた死者を振りほどき、頭を壁に叩きつける。燭台切は急いで女の傍に寄ろうとしたが、思いの外出血していたせいか身体がぐらついて転倒してしまった。
 女は銃で死者の頭を打ち抜き、必死になって己の傷を確認する――腕の肉は千切れ、血が止まる気配はない。首はまだ浅いが、確実に噛まれてしまっている。その事実がじわじわと女を蝕んで、半狂乱になって叫び泣きわめく。

「や、やだ! う、腕、斬ってもらえればまだ間に合うかもしれない、ゾンビにならないかも、光忠さんおねがい斬ってください斬ってよ!」
「ッ、落ち着いて……!」

 女が燭台切のほうに近寄ろうとした瞬間、その身体がぐらりと後ろに倒れ込む。更に入り込んでいた死者が、女の服を掴んで転倒させたのだ。

「えっ、何……あ、あ゛あっ!? ぎゃ、放しっああああああいだいいだいいだい! やめっ、じんじゃう、やだやだやめてやめ、ああーーー!」

 燭台切は女の絶叫を聞き一気に全身から血の気が引く感覚を覚えながら、、必死の形相で急いで部屋を出る。
 部屋から引きずり出された女はすでに数体の死者が群がられていた。狭い廊下で数体を即座に斬り伏せて、覆いかぶさっていた死骸を乱暴にその辺りに投げ捨てて女の状態を確認する。彼女は、生きて――

「あ……」

 そして、燭台切は絶句した。女は苦痛から目を見開いていたが片方の眼球がなく、四肢と首には何箇所もの歯型が残り、赤い血が滲み流れ出て、四肢は肉が見え骨と思しきものまでむき出しになっていたのだ。もう、息をしていないように見えた。
 燭台切はその場に崩れ落ちる。守れなかった。たった一人の人間すらも、己は最期まで守ることができなかったのだ。
 呆然と女の遺体を見つめていると、やがて、彼女の残っている指がぴくりと動いた。

「あ……君、」

 燭台切は思わず声を漏らし、手を伸ばした。彼女は燭台切が触れるより前に、全身血まみれの身体を動かして、腕を床について上半身をゆっくりと起こす。起き上がった身体はがくんと揺れたがやがて安定した。残った方の眼球が動き、その視線が燭台切に向いた。
 先程まで隣にいた彼女はもう何も言葉を発さない。燭台切は変わり果てた姿で起き上がった女の死体を直視できなかったが、やがて意を決して見つめた。
 これを斬ってやることが手向けになるのだろう、と燭台切が刀を構えると、目の前の死者が唇を動かした。

「――み」

 今しがた家に侵入し襲ってきた死者たちとは違う、濁った唸り声ではない、明瞭に聞き取れる声。燭台切の全身は硬直した。それからほんの少しの間を置いて、死者が――女が、震える声で言った。

「みつただ、さん、私は、まだ、生きていますか?」

 言葉を発しながら、その口からどろりと血が流れる。燭台切は息を呑んだ。
 どう考えても死んでから起き上がったはずの彼女が、こうして喋っている。普通の死者は話せないはずなのに、途切れ途切れとはいえ彼女は自我を保ったまま意味のある言葉を発した。この温泉街で見たあの男性のように、彼女はまだ意識がある――。

「わたし、どうなって、生きて――……」

 女は困惑がちに呟いて腕を持ち上げ、手で顔を覆おうとした。しかしその手は指が数本取れており、片目には眼球がない。女の指が、がらんどうになった眼窩にずぶ、と刺さる。

「あ……」

 ――目がない。女はそのことに気づいてから、残った片目で全身を見やる。千切れてずたぼろになった皮膚と肉、むき出しになった骨、どう見ても普通に起き上がって喋ることができない身体がそこにあった。
 それを見て、彼女は自嘲気味に笑う。

「バチが、当たったんだ……諦めなければちゃんと生きていけるかもしれなかったのに、光忠さんは人間じゃなくても私と生きていってくれるかもしれなかったのに、諦めてしまったから……」

 女は一度言葉を切って、大量の血を吐き出した。それから大きく息をして、燭台切の方に視線を戻す。

「そんな、違う、違うよ……罰なんかじゃ……」

 燭台切は女の前に膝をついて首を横に振る。こうなってしまった彼女に掛ける言葉など何も見つからない。まだ自我があるのなら死んでいないのか、どうしたらいいのか、脳裏には様々な考えが駆け巡っては全て抜けていった。どうしようもないことは、燭台切自身わかっていた。

「喋ったら、だめだ、手当てをすればこのままでも動けるようになるのかもしれないよ、だから……」

 燭台切が女のほうに手を伸ばし、先程女が己にしたように血が流れ続けている手をぎゅっと握る。それでも血は止まること無く、温かい血がどんどん冷えていく感覚が手袋越しに伝わってきた。

「……脳に靄がかかったみたい、私が、消える……」

 女は消え入りそうな声で呟く。それから首を動かして、燭台切、そして己の身体を見やった後に再び言葉を発した。

「でも……まだ、喋れるし、思考ができる。最後のチャンスをくれたんだろうな、かみさまかな……」

 女はふっと力なく笑って、残った片目で何度か瞬きをした後に燭台切の瞳を見つめて言った。

「光忠さん、私のこと殺してください」

 その言葉に、燭台切は目を見開き、息を呑んだ。そのまま女を片腕で抱き、何度も何度も首を横に振る。

「まだ……まだ、人間かもしれない今のうちに、光忠さんに殺してほしい。ただの歩く屍になんて、なりたくありません……」
「ッ、でもこうして話せているだろう、君は他の死者とは違うかもしれないじゃないか」
「そんなことない、絶対にそのうち、ああなります。それに、もう目、ないし……」

 燭台切はあまりのことに目を強く瞑って女を抱きしめる。もう彼女がどうにもならないことはわかりきっている。それでも、本人から懇願されることがこんなに辛いものだとわからなかったのだ。こんなことなら、そのまま死者になっている彼女を斬るほうがどれほよかったことか――。
 躊躇っている燭台切に、女が笑いかける。

「……変ですね、そんな風に迷ってるの、光忠さんのほうが私よりよっぽど人間らしいかも、なんて思っちゃう……」

 そして女は何回か深呼吸をして、燭台切の瞳をじっと見据える。

「光忠さん、お願いです。その刃で、私を見送ってください。私のこと、人間に戻してください」

 ふたりの間に、沈黙が訪れる。燭台切は片頬に濡れる感覚を覚えて、それを乱雑に拭って、女の唇に口づけを落とした。

「……苦しまないように、するよ」

 燭台切は、女を抱いたまま己の本体を構えた。

「あっはは、最後にこんなやさしい殺し方をしてもらえて、よかったな……」

 女が嬉しそうに笑い、燭台切の目を見つめたまま言った。

「さようなら、ありがとう、最期に会えたのがあなたでよかったです。先に行って待ってますからね」
「――僕の方こそ、ありがとう。君に拾ってもらえて、よかったよ」

 そして、燭台切の切っ先が女の首元をとらえて――終わりは、あっけないものだった。



 辺りには夜の帳が下りていて、廃屋の中も女の身体も闇に飲まれている。燭台切は抜き身の本体を片手に持ったまま、その場に立ち尽くしていた。
 ――やがて、燭台切の背後から光が差し込んでくる。どれくらいそうしていたのだろうか、何時間も経過して、日が昇ったのだ。
 燭台切は女の遺体を窓ガラスのある部屋まで運んで、そっと横たえる。このままでは死者に生者と間違われて食われてしまう可能性がある、このままではいけない、と燭台切は廃屋の中をゆっくりと歩いて探索する。二階には大きな箱がいくつか並んでおり、これならば人が一人くらい入るのではないかと気がつく。よく見ればそれは棺桶に見えて、一つ持って階下へ運ぶ。
 中に遺体を入れると、残ったままだった血はすっかり乾き、彼女が持っていた熱もなくなってしまっている事に気がついた。その横に座り込み、燭台切はぼんやりと部屋の天井を見上げた。
 ――これで、よかったのだろうか。望まれた死を彼女に与えられたことは、せめてもの救いといえたのだろうか?
 体から力が抜けてきて、燭台切はその場から動けなくなる。座り込んだまま、彼女の横で一晩を明かした。
 また日が昇り、割れた窓ガラスから光が差し込んでくる。あれだけいた死者はどこへ行ったのか、襲ってくる様子もない。
 静かな世界で、もう残っているのは己だけ、そんな気がして、燭台切は立ち上がった。鞘だけを己の保管されていた桐箱の中に入れ、そのまま彼女の棺桶の上に置く。
 棺桶の横にもう一度座り、一度蓋を開けて中を覗き込む。閉じられた片方のまぶたと頬を一度撫でて再度蓋を閉じると、燭台切は抜き身の本体をゆっくりと持ち上げ、己の首元に刃を添えた。

「……大丈夫だよ、傍にいるからね」

 そのまま、腕と全身に力を入れて、己の頸動脈を掻っ切った。手入れをしてもらったおかげか、己の刃は思いの外鋭く、驚くほど簡単に皮膚と血管を切り裂いていく。熱い液体が流れ落ちて首から下を濡らしていった。首元は焼けるように痛いが、人間よりも頑丈な身体はこれでも死に至るのかわからない。燭台切は震える腕を目一杯を伸ばし、己の切っ先を心臓のあたりに向け、最後の力を振り絞り思い切り突き刺した。
 意識が遠のく中で、ぱきり、と己の本体が音を立てたのがわかった。



 ◆



 ――無人の温泉街に、こつ、こつ、と足音が響く。

「このあたりにはもう歩く屍はすっかりいないんだな」

 二人の刀剣男士のうちの片割れ、山姥切長義が静かに呟いた。
 非常に陰惨な大事件が起きた歴史に調査に来たとある本丸の一部隊の刀剣たちは、その歴史にある一つの温泉街を調査していた。いくつもの本丸で手分けして様々な場所を調査しているが、この街の調査は初めてのことだった。

「あっちのほうも、もう骨しか残ってなかったからね。もう動ける死者は、流石にいないんだろうね」

 燭台切光忠は、長義の言葉に頷きながら返事をする。到底信じられないが、この歴史では屍が起き上がって人を喰らっていたのだという。白骨化した遺体が何万体も発見されており、元は人間だが死んでから肉が全て腐り落ちるまで動いていたという事実が確認されているらしかった。

「当たり前だけど、人間の生存者もいないな」
「いたとしてもここはなかったことにされてしまう歴史なわけだし、どうしようもないのかもね……」

 光忠が無念そうに言葉を返す。長義は少し間を置いてから、路傍に落ちている骨を見つめて淡々と言った。

「この世界で死んだ人間はどこへ行くのだろう」

 長義の言葉に光忠は一瞬そちらへ視線を向け、周りを見渡しながら返事をした。

「ヒトの魂みたいなものの話かな?」
「そうだね、魂というものがあって、死した後、それが巡るのなら……この歴史にあった魂はどうなるのだろう、と思ってね」

 光忠は彼の言葉を聞きながら、長義のような刀でもこの放棄される歴史について深く考えることもあるのだな、と意外に思った。聚楽第の調査における監査官を務めていた過去のある彼は、もっと淡々と任務をこなすものだと思っていたのだ。

「長義くんがそういう話をするのはなんだか珍しいね」
「まあ、昔よりも思考の幅が広くなったといったところかな。単なる興味とも言える」

 その返答を聞きながら、光忠は先程の長義の独り言のような問いに己なりの答えを返した。

「――どうだろうね。もしかしたら、生まれ変わることもあるのかもしれないよ」
「放棄された歴史に閉じ込められた人間でも?」
「うーん、難しい話だね……ただ、ここからどこへも行けないのは、なんだか救いがなさすぎる気がして」

 光忠の言葉を受けて、長義はゆっくりと瞬きをしてから空を見上げてぽつりと呟く。

「まあ、どこかで出会うことは……あるのかもしれない、かな。別の空の下で」
「……そうだね」

 自分たちも知らない間に、この世界で死んでしまった人間とすれ違うかもしれないし、もしかしたら主になることだってあるのかもしれない。そんな考えを巡らせながら、二振りは調査を続行する。

「それにしてもこの温泉街、広いから調査も大変だな。六振りじゃ足りないんじゃないのか?」

 長義が独りごちて、光忠が困ったように笑い、通信を受け取ってそれを確認する。

「そうだね……あっちの美術館がある宿は堀川くんと肥前くんが行ったし、大通りは鶴さんと南泉くんからもう大丈夫そうだって連絡が来たよ。見える範囲には、もうどこにも人がいないみたいだから」
「へえ。となると、まだ何かが潜んでいる可能性があるとしたら美術館かな」

 長義の言葉に、光忠は頷きながら言葉を返す。

「そうだろうね、通路が狭そうだったから脇差の二振りに頼んだとはいえ、いざという時には駆けつけられるようにこのあたりは手早く見ておきたいところだね」
「ああ。にしても、遡行軍や検非違使がいる気配すらないな……」

 長義はそう言いながら状況を送っておこうか、と同部隊の鶴丸に連絡を取っている。街中の廃屋を確認する担当になった二振りは、そのうち一つの家へと足を踏み入れた。
 廊下には夥しい出血量だったことがわかる血痕が広がっており、長義は思わず顔をしかめた。光忠はそれを見て「明らかに何かあった家だね」と苦笑し、一室一室確認していく。
 一階の奥まった部屋に入ると、大きなガラス窓が目に入る。割れていてところどころに血痕が残っており、ここから死者に侵入されたのだろうと推察できた。
 しかし、それよりも目を引く異質なものがそこにはあった。

「これは……箱? というか、棺桶かな」
「それと……刀?」

 二振りは棺桶らしき箱とその傍で折れている刀に近寄り、それに触れる。

「一体何だろう、これは。折れた刀……刀剣男士のものに見えるな」

 長義がじっくりと観察しながら言葉を零す。その横で光忠は部屋全体と棺桶を確認していった。

「放棄された歴史として残っていた世界だが……先行して調査に来ていた刀剣男士でもいたのかな?」
「でも、僕らが初めて来たはずだよね、この街は」
「ああ。それに、この世界が観測されてから回収された刀は……路地裏で見つかった、あの山姥切国広だけだと思うけど」

 長義は外に視線を向け、非常に複雑そうな面持ちで言う。光忠もそれに同意しながら、小さく首を傾げた。

「そのはずだよね。誰かがこっそりここへ来て、政府に連絡をとれないまま折れたりした……とか?」

 二振りは顔を合わせて不審がる。これは要報告だな、と長義が言い、部屋の状態を送るために映像記録を開始した。

「にしてもこの劣化具合、何年かは経過している気がするね。いつ折れたんだろう……」

 光忠はしゃがみ込み、血痕を調べるために手袋をはめた指で乾ききった血に触れてざりざりと指の腹でこすった。折れたまま落ちている刀を確認し「あれ?」と声を上げる。

「どうかしたのかな?」
「いや……これ、見てくれるかい」

 光忠が驚愕の表情を浮かべながら長義を見上げ、折れている刀を指差した。長義もまた刀を確認して、そしてあっとした顔を見せてから眉を顰める。

「……これは、君に似ている気がするけど」
「そうだよね? なんでこんなところで折れて……」

 光忠は己の折れた刀を拾い上げじっと見つめ、長義に向かって問いかけた。

「……この世界、過去に僕たちが出陣した記録もなかったはずだよね? さっき行ったとおり、ここへ来たのは、何であろうと僕たちが初めて……」
「観測されている限りでは、の話だけどね。この歴史でも政府が遡行軍を討つために審神者や刀剣男士を励起させて使っていた記録があるとしたら話は別、かな。今は政府が存在していないから確認はできないし、確かなことは言えないが……」

 長義の言葉を聞いて、光忠は思考する。となると、その時から残っていた刀を政府が見逃してしまって、回収ができなかったのかもしれない。
 同じようなことを考えていたのか、長義が結論づける一言を口にした。

「これは不運な生き残りの刀だろうね」

 光忠は納得し、そのまま隣の棺桶を見やる。長義も同じく棺桶を見つめて、記録を取りながら口を開いた。

「この世界に残って誰かを守っていたのか、看取ったのか、介錯したのか……かな?」
「その可能性はあるね。お供をしたのかもしれない」
「中も確認しておこうか」
「そうだね、一応……」

 二振りは言葉を交わし、光忠のほうが棺桶の蓋を取り外した。それは固定されていなかったせいか、あっさりと開くことができる。
 中には、白骨化した死体が、骨が何本か折れた状態で入っていた。すでに虫すら湧いていない状況で、変な話、綺麗な状態に見えた。

「……やっぱりここで誰かが眠りについたんだね」
「それでおそらくこの燭台切光忠らしき刀が守っていたか、たまたまここで折れたか――か」
「何があったんだろう……」

 光忠が静かに呟くと、長義がため息交じりに言う。

「それを知る手立てが、もう今の俺たちにはないのが歯がゆいところだね……この世界の歴史ももう無くなるし、誰も何も知ることはないんだろう」
「もう少し早く気づけていたら違ったのかな」

 光忠は言葉を返しながら棺桶の蓋を戻そうとして、それから一つ思いつき、足元に落ちている別の燭台切光忠の本体の破片を拾い上げた。

「このままなのは、なんだか寂しいね」

 そして刀の残骸を棺桶に一緒に入れていく。途中でこのまま現場を残しておいたほうがいいのかと長義に問うたが、「記録は終わったし、どうせここは消えてしまうし、いいんじゃないかな」と言葉が返ってきたので、安心して刀を棺桶に納める。そのまま棺桶の蓋を閉めようとしたが、閉め切らずに少しだけずらしておいた。
 廃屋の二階の調査も終えて、二振りは外へ出た。その直後、光忠は棺桶のあった部屋を振り返る。

「どうかしたのかな?」
「あ……先に行っても大丈夫だよ、すぐに戻るから」

 光忠は申し訳無さそうに長義に言って、辺りをきょろきょろと見渡す。近くに綺麗に咲いていた百合を見つけ、ごめんね、と言いながら数輪摘んだ。その行動を見守っていた長義は「一応一緒にいたほうがいいから」と言って、その行為を見守っている。
 光忠は再び廃屋の中へ足を踏み入れると、開いたままだった棺桶の上に百合を添えた。それから小さく手を合わせて、数秒後に顔を上げる。

「こんなところかな」
「もういいのかな」
「ああ。時間を取らせてごめんね」

 二振りは今度こそ家を出ようとする。光忠は最後にもう一度棺桶のほうを振り返って、落ち着いた声色で言った。

「じゃあ、行こうか」

 廃屋の扉が静かに閉められる。二振りの背中はだんだんと遠ざかり、やがて見えなくなった。



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