ゾンビまみれの世界で拾われた燭台切の話 | ナノ

二十二話


 締め切っていなかった障子の隙間から強い光が差し込んできて、女は目を覚ました。すでに覚醒していたらしい燭台切が隣で布団を畳んでおり、女が起きたことに気がついて「おはよう」と微笑む。

「わざわざ畳むのえらいですね、おはようございます」
「敷きっぱなしはちょっと……ほら、君も起きて。顔を洗っておいで」
「は〜い……」

 女はのそのそとした動きで布団から這い出ると、部屋の中に備え付けられている洗面所に向かっていき、ばしゃばしゃと顔を洗った。そしてすぐに戻ってきてぼうっと部屋の中を眺めてから、大きくあくびをして独り言をつぶやく。

「……なんで水道も無事なんだ? ここ……」
「こうもライフラインが無事だと、かえって不気味だね」

 ガスも使えるみたいだから、と言う燭台切に女はうんうんと頷いている。

「ほんと、それです……ああ〜まだ眠いなあ」

 女は何度も大きなあくびをして、座布団の上に座り込んだ。浴衣がはだけてずるりと袖が落ち、燭台切は少し目をそらす。

「……着替えたほうがいいね、洗濯もしようか?」
「あ、そっか洗濯もできるのか。すごいですねここ。いつまで無事かはわからないですけど」
「うん……僕も着替えてくるよ、隣の部屋にいるね。終わったら下で朝餉の準備をしよう、着替え終わったら出ておいで」
「ん〜、わかりました」

 寝ぼけ眼を擦りながら女が片手を上げて返事をし、燭台切は部屋を出て隣の客室を開く。――もし中にまた死者がいたらと一瞬考えて少し緊張しながら扉を開いたが、中は当たり前のように無人だった。
 それから何故か売店に置いてあったワイシャツとスラックスに着替え部屋を出る。燭台切が扉を開いたと同時に女も着替え終わったのか、未だに眠たそうな顔でのっそりと姿を現した。

「じゃあ行こうか」
「はい。今日はお手伝いしますね」

 と短く会話を交わして階段を降りていく。ロビーは静寂に満ちており、改めてこの宿には今燭台切と女のふたりしかいないのだと再認識させられた。
 ふたりは厨房に入り調理を始める。女が米を炊きながら食器の準備をしつつ、燭台切がおかずを作る。今日は冷凍庫から見つけた鯵の味醂干しを主菜に添えて、あとは味噌汁を作り漬物を添える程度の簡単な朝食にすることにした――簡単と言っても、今まで食べてきたものに比べればずいぶんと豪華でしっかりとした朝食といえた。
 昨日と同じ用にレストラン机に座り、ふたりは手を合わせる。いただきます、と挨拶をして、穏やかな朝食の時間が始まった。

「まさかこの鯵をまた味わえるとは……! あっ、鯵だけにとか意識してないですよ」
「今自分で言わなければ気がつかなかったのに……」
「忘れてください今のことは……ああ、本当においしいなあ!」

 女は顔を綻ばせて鯵を口にしている。この宿に来る前に言っていた名物の一つなのだろう、確かに非常に美味だ、と燭台切も思わず頬を緩めた。
 味噌汁の最後の一口飲んで、ほぉ、と恍惚のため息を吐いてから女は手を合わせた。

「お味噌汁っていいなあ。ごちそうさまでした」
「お粗末様でした」

 燭台切も同じように食べ終わり、にこやかに返事をする。女はありがとうございます、と礼を口にしてから、視線を落としてぽつりと呟いた。

「……こんなご飯、あと何回食べられるんだろう」

 空になった茶碗を見つめながら、女は困ったように笑った。

「一ヶ月以上食べていなかったのに……贅沢を知ってしまうと、もう戻れなくなりそうですね」
「……お野菜なら、近くで育てられるかもしれないよ。来るまでに畑も見かけたし、少し時間ができたら行ってみよう」
「そう、ですね。まあ、とりあえず今日は美術館を見に行きましょう」

 女ははぐらかすように話題を変えて、食器を重ねながら立ち上がる。その姿を見て燭台切も後片付けのために立ち上がり、洗い場に持っていきながら考えた。
 ――彼女は、いずれ死にたいということを考えているのだろうが、ここへ来てからはそういったことをあまり口にしていない。思ったよりもこの宿で暮らせそうなことに、逆に戸惑っているのかもしれない。ここが無事なうちは、ここで暮らしていってもいいのではないか。
 燭台切は小さく息を吐いた。そうは言っても、生き延びることは簡単でない。今は長旅の疲れを癒やすためにここに滞在しているが、いつ死者が大挙して押し寄せてくるかもわからないのだから、ここは完全なる安全地帯というわけではない。
 そんな燭台切を見て、女は不思議そうに首を傾げながら皿を洗った。
 ――後片付けを終え、食休みを取ってから洗濯を終え、ふたりは美術館の入口に立っていた。

「昨日ちょっと見たとはいえ、じっくり見ていないですから……楽しみですね」
「ああ。何か、あるといいんだけど……これがパンフレットかな?」

 女の言う通り、昨日のうちに死者が潜んでいないかを確認するためにざっと確認してはいるものの、展示はまだ見ていない。入口の小さなカウンターには簡単なつくりのパンフレットが残っており、ふたりはそれを手にして開いた。
 この展示は現代刀中心のようで、明治時代以降に打たれた刀の展示もあるが、今回は特に近年のうちに打たれた刀が多く展示されているようだった。現代の刀鍛冶の名前がずらりと並んでおり、燭台切にとってはあまり覚えの無い刀――まだ付喪神として顕現するには若い刀たちばかりだった――が多かった。目玉の展示として、数振りは燭台切と同じ時代か比較的近い年代に打たれた刀や名物の展示も予定されていたらしいが、その中に顔なじみの刀はいないようだ。
 女はふんふん、と頷きながらパンフレットの文字を追っていたが、そこまでピンと来てはいないのか顔を上げて燭台切に笑いかける。

「へえ。もしかして、ここに光忠さんの持っている刀も展示できたりして?」
「はは、どうだろうね」

 燭台切が笑い返し、ガラスの扉を開く。中は空調が切られているはずなのにも関わらず、妙に心地の良い温度に保たれており、ひんやりとした静謐な空気に満ちていた。

「こういう展示って、空調大事なはずですよね? 大丈夫なんですかね、ここの刀たち」
「電源がどこかわかれば、つけたほうがいいかもしれないね。壊れていなければいいけど……」

 ふたりは声を潜め会話をする。この空間だけ空気が澄んでいるようにも感じられて、女は小さく深呼吸をして言った。

「綺麗ですね、刀。なんだか、ここだけ時間が止まっていたみたい」

 刀たちは静かに並んでいる。電源が切られているせいで照明がなく、その輝きの真髄はわからないが、女はガラスケース越しにその美しさを眺めた。

「すぐ現実逃避しちゃいますね、ダメだなあ」
「そんなことはないよ。確かに、ここはいい意味で時が止まっているような気がするね」

 控えめな声量で会話を交わしながら、ふたりはゆっくりと展示を回っていく。順路を半分ほど進んだところで、入口付近には見られなかったものがいくつか発見された。

「あ、ここらへんはちょっと血痕がありますね……? 聖域とはいかなかったんだろうなあ。残念」

 女の言う通り、館内には血痕が、それもやや不自然な形で残されていた。その血痕はただ歩いて垂れたもののようには見えず、壁や床に飛び散っている。
 燭台切は顔を少し強張らせる。己の目に映っているこれは、ガソリンスタンドで見た跡と似ているような気がしてならない。まるで誰かが死者を斬りつけた後に血振るいをしたかのような細かい飛沫がいくつか目につく――つまりここには誰かが、刀剣男士がいて斬っているのでは、そう考えてしまう。
 しかし確信できるほどの痕跡ではなく、またそれを女に言うのは憚られた。燭台切は黙ったまま、ふたりで展示を見て回る。刀を見ては綺麗、強そう、と短く感想を漏らす女に対して、燭台切も短く言葉を帰した。

「そうだね、だいぶ若いね」
「若い……? ああ、刀として……?」

 女は少し首を傾げたがすぐに納得をして、次の展示を見ている。あまりよくない言い回しだったのだろうか、と燭台切は思わず肩をすくめた。
 いくつかの血痕を見つけたが、他には何も気になる痕跡が見当たらない。女はそのうち純粋に展示を楽しむようになったのか、楽しげに微笑み口を開いた。

「十年から五十年、百年から数百年前……そんな違う時代に作られた刀がここに一緒に揃っているなんて、なんだか不思議な気分ですね。刀って、この世界に歴史があった証拠なんだなーって」
「本当にね。人が作った、歴史そのものだと僕は思うよ……」

 燭台切は己よりもずっと後の年代に打たれた刀を見てしみじみと呟いた。女がその隣で悲しげに目を伏せる。

「その歴史が今まさに壊れつつあるんだと思うと、とても虚しいですね」
「……そう、だね」

 歴史を守るために顕現させられたはずの存在であるのに、今この世界に対して何も出来ない己を歯がゆく思い、燭台切は悔しげに俯いた。一振りの刀ではどうにもできないのだろうか。せめて、隣に一人残っている人間くらいは、最後まで守り通せればいいのに、現状それすらも危うい。これから、一体どうすべきなのだろう――。
 燭台切が何か考えていることに気が付いているのかいないのか、女はその隣で静かに刀を見つめていた。



 そうして館内を一通り回り展示を見終えたふたりは、入口付近に戻ってきていた。女は口角を上げて言う。

「兄が来たかったところに来れて、結構満足しました。まだちょっと見ていたいですけど……私は一度、外に出ますね」
「ああ、じゃあ僕も一緒に出るよ」

 そう言ってドアを開けようとした燭台切に、女は慌てたように手を振って否定をした。

「……あ、その、ごめんなさい。本当に身勝手なんですけど、今……ちょっとだけ一人でいてもいいですか?」

 女は少し気まずそうに視線をそらした。燭台切は何度か目を瞬いて、それからはっとしてドアに掛けていた手を戻しながら言う。

「……ごめん、僕が無神経だったね」
「いやいや、こんな状況で一人にしてくれーなんて死亡フラグ立てる私のほうがありえないですからね!?」

 女は明るく茶化しつつ、視線を落として己の両手を絡ませながら言う。

「……ただ、今だけはちょっと、一人で。大丈夫です、私光忠さんが来るまで一人でゾンビをぶっ壊してた人間なので、もし襲撃されてもそれなりにやれますよ」

 一度言葉を切って女は続ける。

「そもそもこの美術館内、今まで一体も遭遇してないですし、やっぱりもう何にもいないですよ。万が一新しく入ってきたらきついので、入口にあったベンチに座って外を見張ってますね」
「わかったよ。何かあったらすぐに呼んでね」
「はい、全力で叫びます」

 そう言って、女は申し訳無さそうに頭を下げてドアを押して出ていった。
 燭台切は一つ息をつき、彼女のことを心配しながらももう一度展示を見て回ることにした。
 この中に、刀剣男士として顕現しそうな刀はいない。ではこの血痕はなんなのだろうか、ただの人間が刀を奮って撃退した跡なのかもしれない。人間の中にも達人がここへ逃げ込んで入れば、彼らを使って斬ることくらいはできるだろう。
 そんなことを考えながらゆっくりと歩みを進めていると、燭台切の視界に先程は気づかなかった違和感が現れた。
 関係者以外立入禁止、と書かれている、裏側へ続く扉が僅かに空いていることに気がついたのだ。ここは昨日開かなかったはずの扉である。施錠されている上に頑丈な扉だったのか、押しても引いてもびくともしなかったのだ。ここまで微動だにしないのならば中に何者かがいても入ってこられないだろう、死者は基本的に鍵を開けられないのだ――とは女の談で、少し不安に思いつつも放置していた扉だった。
 先程、あの扉は開いていただろうか? いや、そんなはずはない、昨日から開かずの扉と化していたはずなのだ。
 燭台切は腰に差した己の本体に手をかけつつ、警戒しながらその扉の中にそっと近づき忍び込む。中は無骨なコンクリートやパイプ、空調操作のパネルなどが設置されており、それなりに広い空間が広がっていた。表に残してきた女のことが気になりつつ、ここを放置するわけにもいかない――と進んでいくと、そこには死者の姿は見当たらない。
 では何故開いていたのだろう、と注意深く辺りを見回すと、通路の端に白い布――薄い血痕がいくつも残っている――が落ちていた。誰かが落としていったのだろうか、とそれを拾い上げて確認する。それは、なんとなく見覚えのある布だった。今は更に襤褸布と化しているが、この白い布は、かつての仲間が被っていたものに似ているような――。
 もしかしたら、と顔を上げた瞬間、燭台切の背後からこつ、と足音が響いた。


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