ゾンビまみれの世界で拾われた燭台切の話 | ナノ

九話


 おそらく時間にして二十分ほど経過しただろうか。燭台切は帰り道も襲撃に遭うこともなく、無事に物資を背負って元来た道を辿る。
 ――数分歩いた後に、燭台切は無事元の地点へと戻ってきた。いつでも発進できるように向きを変えられた車と、運転席に座ったままの女の後頭部がガラス越しにうっすらと見えた。
 燭台切は周囲を警戒しつつも、駆け足で車へと戻る。助手席の窓をこんこんと叩いて、戻ったことを合図した。うつむいていた中の女が、肩を跳ねさせてひどく驚いているのが見えた。それに申し訳ない気持ちになりながら、燭台切は声を掛ける。

「ご、ごめんね。今戻ったよ」
「あ……っと」

 女が呆けた表情で燭台切を見ている。彼女の手元と膝上には分解してある銃――あまり見覚えがないものだったのでおそらくこれは予備の銃なのだろう――と手入れのための道具がいくつか散らばっており、どうやら手入れをしていることが窺えた。
 女は車のドアの鍵を開けながら、ぱくぱくと口を動かして声を発した。

「お、」

 そこで一度言葉を発せなくなり、ごくり、と唾を飲み込んでいるのが見える。それから少し間を置いて、女はもう一度言い直した。

「おかえり、なさい……」
「ただいま。僕がいない間、誰も来なかったかい?」
「ええ、ええ、大丈夫でしたよ。生きてる人も死んでるあいつらの影も形もないって感じで……はい……」

 女が少し挙動不審気味に答えるので、燭台切は眉をひそめる。しかし先に成果の報告をしてしまおうかと、持ってきた物資を車中で広げた。

「い、いっぱいあったんですね? 期待以上の戦果って感じです」
「ありがたいことに誰も荒らしていなかったみたいだったよ。まあ、僕が荒らしてしまったんだけどね」

 燭台切が申し訳無さそうな表情をすると、女は首と手をぎこちなく振りながら口を開く。

「や、お願いしたのは私でもあるので。共犯ですよ」
「……そう、だね。それで、いただいてきたものなんだけど……」

 燭台切は持ってきたものを手に取りつつ口を開いた。非常用の白米をはじめとするそれなりに種類が豊富な非常食、缶詰、まだ賞味期限の来ていない菓子類。他にも飲み水、清涼飲料水等もあった。その他、居間にあった救急箱や市販薬、持ってこられそうなモノはなんでも詰め込んできたことを説明する。

「ちょうど食料品を取り扱っているお店みたいでね、色々あったからいただいてきたんだ。火事場泥棒、という感じで気が引けたけど……」
「ありがとうございます、あと三日分くらいしかなかったからすごいありがたいですね。あ、それは……」

 女は燭台切と目を合わせないまま、持ってきた非常用持ち出し袋を指差した。燭台切は袋を開けながら答える。

「逃げ遅れた人のものかな、二つ揃っていたからこれもいただいてきたんだ。……もう、逃げるべき人が、いないようだったから」

 少し言いづらそうに言う燭台切の言葉とその表情で察したのか、女は視線を落とす。

「非常用持ち出し袋、ですね。だいたいのものが一式揃ってる、ありがたい……」

 それから少しうつむいて、そっと両手を合わせた。燭台切も同じ用に手を合わせ、僅かな時間黙祷をする。
 やがてふたりとも顔を上げ、燭台切と女は自然と目が合った。それから女がどこか気まずそうに視線を逸らすので、燭台切は少し考えてから口を開く。

「やっぱり、何かあったのかい?」
「べ、別に。何も、ないですよ、ほんとに」

 その割には、行く前と帰ってきた後では態度が違いすぎる。言葉に詰まりがちなことといい燭台切と目を合わさないことといい、流石におかしいと言わざるを得ない。このぎこちなさには必ず理由があるだろう。
 燭台切は身を屈め彼女に視線を合わせて言った。

「――本当に? なんとなく、不安そうに見えるけれど……」

 その問いに、女は言葉を詰まらせた。それから目を逸らすと、聞き取りにくい声量でぽつりと漏らした。

「光忠さん、本当に帰ってきたな、と思って……」

 答えを聞いて、燭台切は軽く目を見開く。それから、できるだけ優しい声色を意識して問い返した。

「そりゃあ、帰ってくるよ。約束しただろう? どうしてそんなことを――」
「もしかして見捨てられたのかな、と考えてたんです」

 女は食い気味に、燭台切の言葉に被せて答える。それを聞いて更に驚愕の表情を作りながら、燭台切は口を開いた。

「……そんなことはしないよ。さっきも、戻ってきたらまた話そう、って言っただろう?」
「いや、その場ではどうとでも言えるじゃないですか。こんなデッドオアダイみたいな世界で非力な女がくっついてると、すごく足手まといになるかな? なーんて思ったりして……いくら銃があるとはいえ、扱いは素人ですから」

 女は少し遠い目をして、「光忠さんお強いですし、一人でも生きていけるんじゃないかって」と付け足した。それから、燭台切の返答を待たずに、手元の銃を組み立てながら続ける。

「だから、もしこれで二時間くらい帰ってこなかったらまた一人で行こうかなあって思ったりしてたんですよ。でも、戻ってきてくれたので……」
「……僕が見捨てられるところだったね」
「じょ、冗談ですけどね!」

 燭台切が大げさに肩をすくめて見せると、女は慌てて笑顔を作った。
 それから、申し訳無さそうな表情を作って謝罪を口にする。

「その、光忠さんのことは、いい人だと思います。でもやっぱり、こんな世の中なのでまだ信じきれていない部分があったのかも。ごめんなさい、失礼なことを考えてしまいました」
「……仕方がないと思うよ。きっと、今までに騙されてしまったこともあるんだろう?」
「それは、まあ」

 女はどこかバツが悪そうに顔を逸らしたが、すぐに燭台切に向き直って続ける。

「でも、光忠さんのことは信じられそう……いや、信じられます。よければ、私が死ぬか私に飽きるまでは一緒に旅してください!」
「……うん。ご一緒させてもらうよ」

 どこか陰のある笑みを浮かべた女に、燭台切は複雑な気分になりながら頷いた。それを見て、女ははっとした素振りを見せると、少し間を置いて両手で口元を覆った。

「……ん? やだこれって告白みたいじゃないですか! それも命を賭けた一生に一度のって感じ!」
「ふふ、あまり間違っていないかもしれないよ?」

 燭台切が思わず顔を緩めて笑うと、女は目をぱちくりと瞬かせて燭台切を見つめている。

「どうかしたのかい?」
「……光忠さん、そんなやわらかい笑顔もするんですねえ。かわいいです」
「か、かわいい?」

 燭台切の反応が面白かったのか、女もゆるい笑みを浮かべて楽しげに言った。

「この数日間は、やっぱり気が張った感じの顔ばっかりだったので。光忠さんも人間なんだなーって感じの笑顔を見れてよかったです。あはあ、よかった、ちゃんと笑える人で!」

 女は今までで一番嬉しそうに笑いながら続ける。

「笑ってる人を見るとちゃんと生きている人間に出会えたんだ、と安心できます!」

 燭台切は思わず笑みを作ったまま固まった。
 元は存在しないはずのヒトとしての心臓が痛みを訴えた気がした。正確には臓器ではなく、心が痛いと言うのだろう。前の主のもとでも何度か経験した痛みだが、未だに慣れることはない。感情を持ちそれに左右される人間は生きることが難儀だとすら思う。
 燭台切は思わず心の中で嘆く。
 ――彼女はきっと、己が人間ではないだなんて考えすらしないだろう。人と同じ言葉を操って人のような考えをして動いていても、元は無機物であり、ただ人のかたちをとっている刀の付喪神であるということを知ったら――。
 今までの言葉からしても、彼女はおそらく“人間の”生き残りを求めていて、決して何が何でも生き延びたいという考えは持っておらず、いずれ死ぬときに誰かと一緒にいたいと考えているのだろう。一人きりの旅路に絶望し心が折れる寸前に、刀の付喪神に出会ってしまったのだろう。
 では、それを知ってしまったとき、どういう反応をするのだろう。自分が縋ったものがヒトではないと知った時、彼女は――。
 燭台切は静かに深呼吸をした。脳に酸素を送り込んで、再び思考する。
 ――彼女は審神者ではない、己の主ではない。しかし己を拾った人間ではあることは確かで、こんな世界で必死に生きている。ならば、手を貸してあげたいと思う。彼女がこの世界で一人生き残っているヒトなのだとしたら、それを看取ってやるのが、己が起きた理由なのかもしれない。
 己はきっと、この惨い状況に置かれた哀れなヒトの子の結末を見届けてやる運命の元にあるのだ。これもまた一振りの刀としての刃生ともいえる、と、今は納得できる。
 燭台切は微笑んだ。この人間が生き延びていることに感謝をした。人間が死滅してしまった後の世界で顕現することにならなかったことが、ひどく嬉しい。
 己は人間に作られ、人間に振るわれる武器なのだ。それがどんな人間でも、いずれ死にゆく結末が目に見えているとしても、共に在れることが大事なのだから。

「……光忠さん? どうかしました? 嬉しいことでもありました?」

 微笑む燭台切を見て、女は頭上に疑問符を飛ばしている。

「こんな腐りきった世の中で嬉しいこと……というと、好物の缶詰でも残ってました? あ、腐りきったって物理的な意味ですよ」
「……なんでもないよ。これからは、ちゃんと君を守れたらいいなと思っただけ」
「え!? 告白ですか!?」

 女が素っ頓狂な声を上げて大げさに驚く。その頬は少し赤くなっていたが、それからすぐにいつものゆるい笑顔を作って、状況に似合わない妙に明るい声で言った。

「こんな終末みたいな世界でも恋できるかもって思うと素晴らしいですね! 世界は希望に満ちています!」
「はは、そうかもしれないね」
「あれ、やっぱり答えが適当では? ……まあいいや」

 女は手をひらひらと振って、地図を広げながら口を開く。死ばかりが溢れている世界には似つかわしくない、驚くほど穏やかな笑みを浮かべていた。

「さて、お次はガソリンスタンドですよ! どうも近場にあるようなので、ちゃっちゃと補給してショッピングモールに行きましょう! えーっと、経路は……あれ? どこでしたっけ」
「このあたりじゃなかったかな? この、広い道を進んでいくんだよね」
「あーっ、そうです。光忠さん、地図も読めなさそうだったのに意外と覚えてらっしゃるんですね」
「もしかして馬鹿にしているのかい?」
「いやあ、決してそんなことは」

 燭台切がわざとらしく言うと、女は地図を広げながら楽しげに笑った。その姿はまるでどこかへ遊びに行く前の幼子のような顔だった。
 ――どうか、彼女に訪れる死が、少しでも安らかなものでありますように。
 燭台切は祈りながら、女との打ち合わせを再開した。


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