やった…やった!
ついに私は脱出したのだ!
周りを歩くのは明らかに一般人。
出てから気づいたが規格外に大きかったゾルディック家ももう見えない。
何故なら私はゾルディック家があるククルーマウンテンどころかパドキア共和国からも出ているのだから!
完全勝利だ!
「ごめんナマエ、今回の仕事には連れていけないんだよね」
そうイルミに言われたのは先日のこと。
もう大分この世界の言葉が分かってきた私はイルミのその言葉に、嬉しさやら悲しさやらを感じて複雑な表情で問うた。
「なぜ」
「今回の仕事は長いし、何より会わせたくない奴がいるんだよね」
嬉しいのは、毎度毎度希望をもたされ飛行船に乗せられても結局は外に出られないという仕打ちを受けずに済むため。
悲しいのは、けれどやはり外に出る機会がある方が逃げられる確率も上がるため。
けどイルミが数日は帰ってこないということはチャンスだった。
そして私はそれを確実に生かし、脱出したのだ。
ゾルディック家の敷地が広かったため、使えるようになった異世界での技を使い自身の重力に作用すると空を飛んで脱出したのだがーー本当に、天にも昇る気持ちだった。
だがお菓子の家作戦を練られていたとはいえ、衣食住や念能力について世話になっていたことは確か。
恩を返さないのは気が引けた(し、こわかった)が、念能力の恩を返すとなればそれは彼ら一家
が望んでいた、強く成長した私と戦うこと、をしなければならない。
しかしそれはどうあっても遠慮願いたいので、衣食住の恩は必ず返すということを『かねはかならずかえす』という置き手紙で伝えておいた。
『さがさないでくれ』という希望の言葉と共に。
これからは世界を超える機械をつくるための旅だ。
異世界に関する物がこの世界にあれば、私はそれに惹かれ、その感覚に導かれるように歩みを進める。
そうして辿りついた美術館の中、一枚の絵画の前で私は歩みを止めた。
惹かれ合っているような馴染み深い感覚に、この絵画が異世界に関するものだと確信する。
しかし……私は眉を寄せると腕を組んだ。
異世界の情報が、読み取れない。
通常こういったものは、他人にはそもそも理解出来ない暗号文のようなものになっているか、またはいたって普通の絵、文であるが見る者が見て読む者が読めば情報が分かる、といった形を取っている。
だがこの絵画からは何も読み取れない。
しかし惹き合うこの感覚に間違いはない。
裏に何かある……重なっているのか…?
「随分と熱心に見てるね」
すると後ろから声をかけられた。
振り返れば、額に包帯を巻いている黒髪の男が笑顔を浮かべたまま私を見ている。
「驚かせちゃったかな。俺もこの美術館は何度か来たことあるんだけど、その絵に長く足を止めた人を見たのは君が初めてだったからさ」
まだ所々しか言葉が聞きとれず理解出来ないためどうしたものかと戸惑っていると、男は私の隣に立って瞳を覗いてくる。
「欲しいの?この絵」
理解出来た私は反応し頷くーーほしい、と。
すると男は、ふぅん……とその丸く黒い瞳でじっと見つめてきたためどこか感じる居心地の悪さを内に秘め見返せば、目が合った途端にまたパッと笑う。
「ならさ、奪っちゃえば?」
「うばっちゃ、えば…?」
「そう、奪うんだよ」
「うばう……」
知らない言葉に口の中でそれを反復すれば、彼は絵に向かって手を伸ばす。
もちろん、距離があるので触れはしないがその動作から、絵を取る、という意味だと推測する。
「うばうことは、いいことか?」
警備員もいるがこの世界では絵を勝手に持っていっても構わないのかどうかが知りたくて問えば、男はプッと吹き出し笑い始めた。
「アハハハ!…ハァ、ごめんごめん。ねえ君、変わってるって言われない?」
「かわってる……?いや、きおくにない」
「へえ?そうなんだ」
何が楽しいのか笑みを絶やさない男はそのまま真っ直ぐに私の目を見てくる。
「じゃあ逆に聞くけどーー奪うことは、駄目なことなのか?」
…いや分からなかったから聞いたんだけど……哲学者みたいだなこの男。
・
・
・
深夜、再び美術館へと来る。
結局あの男には「分からない」と素直に告げるとそのまま分かれたが、気になったので直ぐには絵を『奪う』ことはせずに一旦美術館を出た。
そうして『奪う』の意味を調べたのだが……美術館に展示されている絵を『奪う』ことは一般的に悪いことだった。
あの男、私がこわかっただろうな……欲しいと言った絵の前で「奪うことは良いことか?」と確認する女…笑っていたけどあれはもしかして恐怖を振り払おうとしていたのかもしれない。
笑うことの原型は獣の威嚇だという話を聞いたことがあるし。
だから直ぐに駄目なことだと伝えずに、私に自覚してもらうよう「駄目なことなのか?」と問うたんだろう。
結局私はその問いに「分からない」と答えてしまったわけだけれど……完全に危険人物じゃないか。
いやーーと私は例の絵に手をかける。
夜中、警備員がいない時を狙って忍び込んでいる時点で既に一般人からしたら危険人物だ。
そんな私がゾルディック家のような人達をこわがることは自分のことを棚に上げていることになるのかと考えたこともあるけれど…こわいものは、こわいのだ。
だから別世界で話を聞いた世紀の大怪盗のように犯行予告を出して派手に盗む、なんてことはしないし、今夜も盗みはせずにその場で情報を記憶する予定だ。
額縁から外せば予想通り重なっていた絵。
表からは見えなかったその至って普通の花畑の絵を見ればやはり、上から下までびっしりと敷きつめられた情報が読み取れる。
そうして半分ほどまで目を通した時ーー気配を三つ感じた。
一人は出入り口辺りで止まっているが、残り二人は館内に入ってくる。
隠しもせずに堂々と入ってくることからして恐らく警備員だろう。
…おかしいな、確か調べた情報ではこの美術館に夜の警備は無かったのに……。
表の絵だけを額縁に戻し展示させ、裏の絵を持ちながら『関係者以外立ち入り禁止』という紙が貼られた部屋のドアを開けその中に入る。
そうして気配を絶ち情報収集を続けて、ハッと私は息をのんだ。
まさか、昼間のあの男…!
泥棒が入るかもしれないと警戒して(実際に入ってるが)通報したのか…!
これは不味い…のんびりしていられないぞ。
「あれ?おかしいな」
「どうしたシャル」
展示室の方で聞こえた声に、それをかき消すくらいに自分の心臓がうるさく鳴る。
この世界であの機械をつくるために必要な材料や手順を尋常でないスピードで読みとっていく。
「この絵の裏に、もう一枚絵があったはずなんだけど…」
「必要なのか?」
「団長がこの美術館の中で一番欲しがってたものがそれだからね。ちょっと俺、中の方見てくるからウヴォーは適当に袋に詰めててよ」
ーー読み終えた!そう内心で歓喜した瞬間、この部屋へと向かってくる一人の気配にギクリと体を揺らす。
世辞にも広いとは言えないこの部屋に隠れる場所なんてなく鉢合わせてしまうことは必須。
選択肢その一、隠れるーー場所がない。
その二、謝るーー夜中に忍び込みはしたがもう用はないので返す、許してくれーーるわけがない。
その三、相手と戦っーー無理だ。
逃げよう。
自分の中で最も穏便かつ望ましい結果に終わる方法を考えた私は絵を壁に立てかけると足の裏に力を集中させる。
そして警備員がドアに手をかけ引いた瞬間ーードアにタックルするようにして部屋から出た。
ドアと共に人の重みを感じたのも一瞬、相手が咄嗟に飛び退いたことから手練れだと判断する。
とても驚いた様子の男は見た目好青年で、成る程確かに警備員とは安全を維持する職業だものな、と思うと同時に少しの罪悪感も感じるが、私の場合それよりも恐怖心の方が勝る。
「すまない」
彼にそう告げると、部屋から出た勢いそのままに外へ繋がる道を探して走り出す。
「ウヴォー!気をつけて!俺らの他に、かなりの使い手の侵入者がいる!」
すると後ろの男が何か言いながら私の後を追ってきた。
しかしこのままのスピードならば追いつかれる心配はない。
なので次の問題は、廊下の曲がり角から目を丸くしながら姿を現した大男だ。
見た目通りならば完全にパワータイプだが…と考えていたところ、大男が好戦的な笑みを浮かべながら右拳を振りかぶったのを見て確信を得る。
「突っ込んでくるか!イイ度胸だ!」
まるで獣が吠えるようにして言った男に、私も右拳を振りかぶる。
そうして、お互いの拳の先をぶつけ合った。
もちろん、パワータイプでない私がこの男と真っ向の力勝負をして勝てるとは思っていないので、異世界の技を発動済み。
私と男の拳は触れてはおらず、その間には男の拳の威力が溜まっている。
グググ…と今にも破裂しそうな空気の揺れに男が目を見開いたその瞬間、私は拳を一気に広げる。
重力に作用する技の内の一つで相手の威力をそのまま返すものなので、弱い力はそのまま弱く、強い力はより強く相手に返るのだけれど……
「ウヴォー……」
いくらか後ろで仲間の男が呆然としたように呟いた。
何度も呼んでいるため恐らく名前なのだろう、ウヴォーという男(仮)は自身の威力に吹き飛ばされると壁を何個もぶち破りながら外まで吹っ飛んでいた。
ウヴォー(仮)、力強すぎるだろ……!
あの拳をもしも自分が受けていたら……。
この世界の警備員はここまで強いものなのか!?
ゾルディック家にいた時、ここより危険な場所はこの世界にはないだろうと思っていたけど……やっぱりこの世界自体から早く脱出しよう。
つまり捕まるわけにはいかないので、私は後ろの男が足を止めたのをいいことに再び走り出すと大男が破った壁を抜けて外に出て、同じく呆然と倒れているウヴォー(仮)に「すまない」と謝罪を伝えると空を飛んで逃げたのだった。
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