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「#学園」のBL小説を読む
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落ちた意識の中で私は夢を見ていた。


幼い私が、顔がぼやけた二人の男女と囲炉裏を囲んでいる。
二人は私の両親だ。
幼い頃に別れ、それから会っていない人間などいくらでもいるのに、実の両親の顔だけが曖昧で思い出せない。

幼い私は不思議そうな顔をして首を傾げては、次いで反対に首を傾けている。
母親が私に何事かを問うた。
その存在は曖昧に揺らいでいるのに、恐らくは微笑ましそうな顔をして訊いているのだろうと分かる。
注がれる慈愛の眼差しは、しかし私が言葉を発した途端に闇に呑まれて断ち切られてしまった。


林の中で、私は一人の天人と対峙している。
男は哄笑し、理解者が持つ知識の素晴らしさを高らかに語った。
だが私に知識を教えろと迫ったその瞬間−−聖域に土足で足を踏み入れようとした瞬間に、男は闇に呑まれて世界から消えた。


−−闇は全てを呑み込んでしまう。


人間が征することのできるものは少ない。
人々は研究を重ね知を深め、やがてはそれらを操ろうとすることで文明は発達してきた。
だが異界に関することについて人間が知ろうとすることは禁忌であり、聖域に足を踏み入れることは一歩たりとも許されない−−少なくとも私が元いた世界ではそうだった。
その中で唯一、その言葉を口にし境界線を越えることを許された存在、それが私たち理解者だ。
だから欲深く罪深い人間たちは理解者を求める。
私たちは闇を創り出さず、そして呑み込まれないから。


だが私は、闇を創り出した理解者を二人見たことがある。
一方は意図して創り出し、もう一方は意図せず創り出してしまったが。
つまりは不幸なことに理解者であっても闇を創り出してしまうことがあり−−幸いなことに理解者であっても闇を創り出すことができるのだ。






多数の走る足音が聞こえ、はっとすると私は目を覚ました。
視界を大勢の人が悲鳴を上げながら走っていく。
室内を見回した私はそこに展示された絵画を見つけ、米花町で行われていた記念会に来ていたことを思い出した。
自分が気絶していたことが分かり、意識を失うに至った経緯を思い出して陰鬱な気分になる。


(しかし、いったい何があったんだ?)


パーティーが始まる前の穏やかで華やいだ雰囲気と、いまのこの状況とが繋がらない。
人々が走っていく先を見やれば、客たちはエレベーターに殺到していた。
開いたドアに我先にというように駆け込んで、何度も操作ボタンを叩いている。


「落ち着いて!」


エレベーター前に集まった人混みの向こうから聞き慣れた声がした。
姿はここからでは見えないが、いまのはコナン君の声だった。


「爆弾が爆発するまで、まだ時間はあるから大丈夫だよ!焦って行動すれば二次災害を引き起こす可能性がある。不安だと思うけど落ち着いて避難するんだ!」
「−−爆弾」


ぽつりと呟けば「あーっ!」という声がした。
振り返れば歩美ちゃんたちが駆けてくる。


「名前お姉さん、目が覚めたんだね!」
「体の具合は大丈夫ですか?」
「本当は寝かせられるところに運ぼうとしてたんだけどよ、ちょうど事件が起こっちまったんだ!」
「いや、私の方こそ突然すまなかったね。−−それで今のこの状況はいったい?事件って?」
「主催者の男が客と心中を図ろうとしたのよ」
「心中を?」


目を丸くすれば、哀ちゃんは続けて、


「何でもこのビル、設計者である彼自身にとっては 歴代最高傑作の出来だったらしいけど、評論家たちからは酷評を受け、それは散々な叩かれ方をしたそうよ」
「へえ。でも、それがどうして心中に?」
「ビルと運命を共にすることで永遠になりたいそうよ。記念会を開き客を集め道連れにしようとしたのは、より多くの観客が必要だったから、らしいわ」
「それは……随分と訳が分からず、はた迷惑な話だね」


呆れて首を振った私は、そうして再び室内を見回した。


「まあでも避難を始めているということは、犯人の狙いを止められたんだね?とは言っても、いくつかは、といったところかな。どう見ても状況は良くないし」
「あと十分位で爆弾が爆発しちゃうの!」
「警察を呼ぼうにも、何か妨害電波のようなものが出されているらしく電話が使えないんです!」
「だから早く避難しなきゃならねえのに、もう一つのエレベーターは壊されてたしよ!」
「そして残るエレベーターは急ごうにも操作が効かない、か。犯人も一応、失敗したときのことを考えていたみたいだね。なるべく多くの客を道連れにしようとしている」


私は言うと、次いで「階段は?」と問うた。


「ここは五十階だから女性や子供には少し大変かもしれないけれど−−ああ、それに残り時間を考えたらやっぱり厳しいか」
「時間の問題じゃないわ。非常階段にはガソリンが撒かれ、火がつけられているのよ」
「消火器も全部なくなってたしよ!」
「それはそれは……しかし五十階建てのビルを崩壊させられるだけの爆弾を、本当に犯人は用意できたのかな。きっとかなりの量になるはずだよね」
「それについてはコナン君も言っていました。確かに犯人は設計業に携わっているけれど火薬類を取り扱うことのできる資格の保有者ではないので、伝手を使って大量の爆弾を集めようとすれば不審がられていたはずだ、って。それにこのビルを貸し切りにしたのは昨日の夜からなので、いくら夜通し掛けて爆弾を設置したところで一日じゃ間に合わないだろう、とも」
「つまり五十階建てのビルを崩壊させるだけの爆弾を仕掛けたというのは誇張であり脅しだった、というわけだね。良かった。こんなビル群で崩壊なんて起きていたら被害がどうなっていたか知れないよ」


哀ちゃんが、でも、と会場を見回した。


「少なくとも数階分を吹き飛ばすだけの爆弾が仕掛けられていることは事実よ。テーブルの下やカーテンの後ろに隠されていたのを発見したわ」
「なるほど。それじゃあ、どうあっても五十階からは避難しなければいけないということか。だから皆あんなにも殺気立っているんだね」


私はエレベーター前で押し合いをしている客たちに目を向けると、続けて、


「ビル自体は崩壊しないのだから階段を必死に下りれば助かるけれど、その階段は火の海で消す手段はない。エレベーターで一先ず安全な階まで降りようとも操作が効かず、時間がないというのに一階と五十階とを往復するしか道がない。先にエレベーターに乗ることが身の安全に直結しているのか」


言い合う金切り声や子供の泣き叫ぶ声に耳を塞ぎたくなりながら、ああ、と呟く。


「入場者が女子供に限定されていたのは抵抗を排除するとき楽だからか。なんだ、てっきり男嫌いの主催者なのかと思っていたよ」
「はい、多分それが狙いだったんだと思います。でもそれを抜きにしても犯人の男、とても強かったんですよ。蘭さんと互角の戦いをしていましたから」
「蘭と互角?それは確かに強いね」


目を丸くした私は室内を見回す。


「そういえば蘭の姿が見えないね」
「蘭お姉さんなら、あそこよ」


そう言って歩美ちゃんが指差した先にいたのは、会場の隅で窓に背を預け座っている蘭の姿。
傍にいる園子が肩を揺すり呼びかけているが目を覚ます様子はない。


「爆弾は時限装置付きのものなんですが、犯人は起爆スイッチを持っていたんです。もし一人でも逃げようとしたら、その瞬間に爆弾を爆発させるって僕たちを脅して。それで蘭さんとコナン君が隙を見て阻止しようとしたんですが、蘭さんが犯人と相打ちになってしまったんです」
「そうか……それは大変だったね」


蘭を先に避難させてあげたいけれど−−と私は蘭と客たちを見比べた。


「ああも落ち着きを失った人たちを残しておく方が危険かな」


溜め息混じりにそう言うと私は立ち上がり、展示物の方へ歩いていくと手を掛けた。
右往左往していた従業員の女性が近づいてきて狼狽えたように「あの、何を……?」と問うてくる。
私は作品を取り外しながら言った。


「これらも避難させようと思ってね。作品に罪はないのだから爆発に巻き込まれるのは止めたい。身勝手な主催者を持って大変だと思うけれど、よければ君も手伝ってくれないかな」
「そ、そうですね!分かりました!一階で避難誘導している従業員がおりますので、その者たちに受け取ってもらうよう連絡しておきます!」


無線で指示を伝えながら別の展示物へ向かっていく彼女に次いで、着いてきていた子供たちが声を上げる。


「歩美たちも!」
「手伝います!」
「皆でやった方が早いからな!」
「そうね、手分けして取り外しましょう」


駆けていく少年探偵団を優しい眼差しで見送ると、私は手早く展示物を外し下ろす。
作品を手に抱えエレベーターの前まで向かえば、重量オーバーなのかブザーが鳴り、乗ろうとしていた女性が突き飛ばされていた。
私は蹈鞴を踏んだ彼女を抱き留めると無事を問い、怪我がないことを確認すると、そうしてエレベーター内の壁に作品を立て掛けた。


「ちょっと、この非常時に何してんのよ!」


すると言った一人の女性を私は見返す。


「何って、作品を避難させようと思ってね。人はもう乗れないようだけど絵画くらいなら平気でしょう?」


言った通りブザーは鳴らず、そうしてエレベーターのドアが閉まっていく。
私は、よろしくね、と微笑み彼女たちを見送った。
コナン君が駆けてくる。


「名前さん、目が覚めたんだね。大丈夫?」
「大丈夫だよ。気絶していなければ役に立てたこともあっただろうに、悪いことをしたね」


言えばコナン君は首を横に振り、それより、と不安そうに私を見上げた。


「まだ顔が少し青いよ。次戻ってきたのに乗った方が良い」
「いや、落ち着いてはいるから問題ないよ。私より、動転している他の客たちを先に避難させた方が良い。私は作品の回収と、そして蘭を連れてくるよ。そろそろ避難も終わり頃だろうから」


コナン君は見定めるような視線を注いだ後「分かった。お願いするね」と言った。
私は頷き、そうして会場に戻ろうとして視界の隅に映った主催者の男に目を止めた。
蘭と相打ちになったという彼は、会場の隅で縛られ転がされている。
私は歩み寄っていくと、その傍らに膝を折った。
後ろ手に縛られている両の手首には、それぞれ一つの腕時計が巻かれている。


−−あれは日本用と米国用、二つの国の時刻に合わせた時計をそれぞれしてるのよ。


盤面を見やって眉を顰めた。
二国の時刻に合わせているというそれは、しかし僅か数分程しか違わない。
自分の腕時計と比較してみれば、犯人の右手首に巻かれた方の時計が二分だけ進んでいた。
その時計では夜の九時まで後五分、私の時計や彼の左手首の時計では後七分がある。


私は立ち上がると窓に向かって歩いていき、カーテンを捲ると爆弾を確認した。
設置されたタイマーに表示された残る時間は爆発まで後七分だ。


私はエレベーターの方を振り返った。
人波もだいぶ減り展示物も順調になくなり、残るは私たち一行と従業員たちといったところだ。
あれだけの人数を二次災害を引き起こさずに避難させられたのはコナン君の功績によるものだろう。
そして恐らくは彼も、二つの時計の違和感に気づいている。
蘭は犯人と相打ちになり気絶してしまったのだから、彼を縛り上げたのは恐らくコナン君だろう。
そしてあの小さな探偵さんが手掛かりを見落としているはずがない。


私は蘭を抱えようと四苦八苦している園子の元へ走り寄った。


「あっ、名前お姉さま!良かった!目が覚めたんですね!」
「うん。迷惑を掛けたね」


詫びて、私は蘭の前に膝を折ると背を向ける。


「園子、蘭を私の背に乗せて欲しい」
「分かりました!」


園子の手を借り蘭を背負った私は、立ち上がるとエレベーター前まで歩いていく。
戻ってきた箱に蘭を乗せ、腕時計を確認すれば九時まで残り五分となっていた。
犯人の体を動かそうとしている子供たちに声を掛ける。


「私が運ぶから、皆は先に乗って」


最後の展示物を運ぶ従業員の人たちにも、そのまま乗っているよう伝え、素直に従ってくれた子供たちと入れ替わるようにして箱を出る。
犯人の男の両脇の下に背中側から腕を入れ、引きずるようにしてエレベーターまで運べば、しかし上半身が入ったところでブザーが鳴った。
私は目を丸くさせると、犯人と二人エレベーターの外へ戻る。


「くそっ!ここまで来て重量オーバーか……!」


時計を見ながら苦々しげに吐き捨てたコナン君に、歩美ちゃんが不安そうな表情を浮かべる。


「で、でも後五分あるし、まだ間に合うよね?」
「ああ。爆弾のタイマーが本当に正確なものならな」
「そ、それってどういう意味だよ、コナン!」


興奮状態の群集を抑える必要がなくなったため、自らもエレベーターに乗り込むと操作盤のカバーを外し操作を効かせようと悪戦苦闘するコナン君を、私は呼んだ。


「コナン君、そのまま行くと良い」


はっとすると顔を上げた彼に、私は微笑んで頷く。
だが小さな探偵さんはエレベーターを飛び出すと窓まで走っていって外を見下ろした。
どうしたのかと見守っていれば、次いで子供たちもエレベーターから出ようとしたので、私はそれを制す。


「君たちが降りる必要はないよ」
「でも歩美、名前お姉さんと犯人を二人きりで残しちゃうの心配だよ……」
「犯人には罪を償ってもらわなければならないですから、もうそろそろ下まで運びましょう!」
「あと一回くらいならエレベーターも間に合うんだよな?だったら俺たちが代わりに降りるぜ!」


言った子供たちを、私は好意を込めた眼差しで見詰めた。


「その正義感は本当に素晴らしいと思うよ。だけどね私は、こんな身勝手な男よりも君たちの方がよっぽど可愛いんだ」


だから駄目、と悪戯気に笑えば、子供たちは照れたような、それでもやはり不安そうな複雑な顔をした。
従業員の方々が一歩を踏み出す。


「それでは私共が−−」
「それも駄目。立派な申し出ではあるのだけれど、もし犯人が目覚めたときのことを考えると不安は拭えないからね。その点、私は大丈夫だよ。私が強いということ、みんな知っているでしょう?」


片目を瞑って笑んで見せれば、子供たちは顔を輝かせ、私の強さを従業員のお姉さん方に力説し始めた。
だが哀ちゃんの顔だけが晴れない。
彼女を見、そうして走り戻ってきたコナン君に視線を移した私は小さな声で言った。


「やっぱり君も、爆弾に付けられたタイマーはフェイクだと思うかい?」
「名前さんも犯人の腕時計、見たんだね」


驚いたように目を開いたコナン君の言葉に私は、うん、と首肯した。


「恐らくエレベーターは、もう間に合わないよね」
「うん。でも名前さんは犯人と残って、どうするつもりなの?何か手は考えてある?」


そりゃあ、と私は軽く笑った。


「君たちを見送った後、犯人を引きずりながら燃え盛る階段を頑張って走り下りるさ」


言って小さな背中をエレベーターに向かって押せば、しかし彼は踏み止まった。
私をじっと見上げて、確固たる口調で「−−嘘だ」と言う。
その目は、少し前の快斗と同じ目をしていた。
言葉をなくせば、少年は怒ったように私を睨み、すぐに子供たちへ振り返ると声を上げた。


「俺と名前さんとで、ここに残る。犯人も名前さんも、ちゃんと連れて行ってやっから、お前たちは先に避難していてくれ」
「がきんちょと名前お姉さまが一緒なら安心ね!」


高らかに言った園子に凭れ掛かっていた蘭の睫毛が、ふるりと震えた。
彷徨った茫洋な眼差しは、やがて確かに私たちを捉えた。
コナン君が優しく微笑った。


「地上で会おうね」


蘭は微かな笑みを浮かべると、安堵したように体の力を抜いて、再び目を閉じた。
私は静かに呟く。


「−−頭脳明晰」


え、と振り仰ぐコナン君に、私は続けて、


「豊富な知識量に柔軟な思考、優れた観察眼と−−そして嘘を嘘だと見抜ける直感力。本当に、きっと君は、良い探偵になるね」


まあ今でも充分なのだけれど、と笑った。
エレベーターのドアが動き出す滑らかな音がする。
見定めるような視線を注いでくる名探偵を、私はちらりと見やった。


「だけど欠点があるとも思うんだよね。玉に傷、とでも言うのかな」
「名前さん、いきなり何を−−」
「私が思うに君の欠点は、自信過剰なところかな。前に言ったでしょう?掌の大きさを見誤ってはいけない、と」


私はコナン君を抱え上げた。
そして抵抗する暇を与えず、すぐにエレベーターに向かって放り投げた。
驚いたような、いくつもの視線が注がれる。


「守れるものには限界があるんだ」


少年を滑り込ませると閉じていくドアの向こうに、私は微笑んだ。


「本当に大切なものを、守ってね」





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