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肩の傷が治りかけてきた頃、私は米花町内の公園で、コナン君と黒づくめの組織について話をしていた。
異世界に関すること以外を包み隠さず話してやれば、コナン君は顎に手を当てて何かを考え込む。
訪れた沈黙は心地良いもので、私は澄んだ色をした空を穏やかな気分で眺めていた。
その沈黙を破ったのは、着信を示す電子的な音。
私とコナン君は顔を見合わせると、念のためお互いポケットや鞄の中を探り音の出所を確かめる。
コナン君は二台、私は三台――こちらの世界で使えるという意味で言えば二台だが――の携帯を持っているから、着信音が違うとはいえ咄嗟には分からないものなのだ。


「僕じゃないよ」
「うん、どうやら私の方みたいだね」


言ったとき、手が滑って鞄を倒してしまった。
座っているベンチの上や、さらにそこから転がり落ちて草原の上に散らばってしまう荷物の中で、画面が光っている携帯が一つだけある。
こちらの世界の私用の携帯――着信相手は快斗だ。


「私用だ。黒づくめの組織からじゃない」


私はそれだけコナン君に告げると、携帯を拾い電話に出た。
しゃがみ込んだまま散らばった荷物を集めようとすれば、駆けてきたコナン君が小さく「僕が拾うよ」と言ってくれる。
ありがとう、と礼を言えば電話の向こうで快斗が恨めしそうな声を出した。


「名前さん、また米花町にいるんすね……」


私は首許のネックレスに触れると、大丈夫、と優しく言う。


「今日はまだ事件に巻き込まれていないよ」
「ていうか、そう何度も何度も事件に出くわす方が可笑しいんすよ!」
「それは私も心底思うよ」


苦笑しながら思い出すのは先日、肩を負傷した事件のときのこと。
治療の最中に丸一日眠ってしまった私は当然、快斗に連絡できるはずもなく、初めて無断外泊をしてしまった。
快斗に雇われている身であるのに申し訳なく、また心配を掛けてしまっただろうと思っていれば案の定、携帯には物凄い数の着信履歴が残っていて。
慌てて折り返しの電話を掛け、そうして家に戻れば、青白い顔をした快斗に抱きしめられた。
ネックレス型の発信機から所在は掴んでいたので一先ず安心してはいたが、それでも電話が繋がらないため何があったのだろうと一晩中心配してくれていたらしい。


微かに震える背を撫でながら、本当のことを言ったものかどうか悩んでいれば、しかしすぐに怪我をしていることを見破られて、経緯を白状することになった。
変装のスペシャリストでもある快斗は常日頃から人の癖や仕草、行動をつぶさに観察しているから、無意識の内に左肩を庇っていた私の異変に気がつくのも、考えてみれば容易いことだったのだろう。
そうして快斗の過保護加減は、その日を境にいっそう増すことになったのだ。


私は、そうだ、と明るい声を出す。


「これから食料品を買って帰るところなんだけれど、今夜は何が食べたい?」
「名前さんの作るものだったら何でも!っていうか、それならスーパーまで迎えに行きますよ!新婚さんみたいに一緒に買い物しましょう」
「ふふ、新婚さんみたいに、ね。分かったよ。それじゃあまた後で連絡するから」


別れの言葉を交わしてから電話を切って下を見れば、コナン君がどこか呆れたような顔をして私を見上げていた。


「いまのって例の同居人?」
「そうだよ。君が変態だと勘違いしている私の恩人さ」
「だって付き合ってもないのに新婚さんとか、絶対危ないと思うんだけどなあ」
「ただの冗談だよ。園子だって、蘭を茶化して似たようなことをよく言うでしょう?」


腑に落ちないような表情のコナン君に笑って、そうして私はネックレスに優しく触れた。


「本当に、彼は優しい人なんだ」
「……まあ、名前さんがそう言うなら」
「出会った当初は服だって、彼が持っていたものを貸してくれたんだよ」
「……え?つまりそれって、その人が女物の服を持っていたっていうこと?やっぱり変態だよ!」
「ふふ、大丈夫だよ。さすがに寝るときの服までは持っていなかったから、彼の服を貸してもらったし」
「……それって、彼シャツってやつじゃない?」
「それに後日、買い物に付き合ってくれて、一緒に服やら必要なものを買ってくれたんだ」
「自分好みの服を名前さんに着せたいだけだよ、それ……!」


戦くように鳥肌が立った腕を擦るコナン君に、堪らず私は噴き出した。
ぽかんとすると次いでじとりとした目を向けてくる彼には悪いが、私はひとしきり笑うと、涙を拭って「そういえば」と口を開く。


「荷物、拾ってくれてありがとう」
「あ、そうだった。ねえ名前さん、もしかしたらいまの衝撃でこの携帯、壊れちゃったかもしれないんだ」


首を傾げた私は、コナン君の手の上にある物を見て、ああと声を上げる。


「今じゃないんだ。これはちょっと、前から壊れていてね」


小さな手から受け取ったのは、元の世界で使用していた携帯電話だ。
不思議なことに、私がこの世界に来た時点での状態で止まっており、日付も時刻も当時のまま、電池も減らない。
苦笑するように笑って、それを鞄の中へと仕舞えば、コナン君が優しい笑みを浮かべて私を見ていた。


「名前さんにとって大切なものなんだね、それ」
「え?」
「だっていま名前さん、すごく懐かしそうな、優しい顔してたから」


私は薄く微笑う。


「懐かしいのは確かだね。だけど別に、大切なわけじゃないよ」


言えばコナン君は不思議そうに首を傾げた。


「でも壊れた物を持ち歩いているのは、大切だからじゃないの?普通だったら、使えない物をわざわざ持ち歩かないよね?」


その言葉に、私は呆気に取られて口を開く。
意外なことを言われたような気分だった。


確かにコナン君の言うとおり、普通は、壊れた物をわざわざ毎日持ち歩かない。
本来求められる機能を果たさないそれを、しかし肌身離さず持ち歩いている理由は−−。


「大切だからじゃ、ないよ」


きっと癖になっているんだ−−と笑う。
目を閉じると心中でその言葉を反芻し、自分に言い聞かせた。


……それに、何かの拍子であちらの世界と繋がることがあるかもしれない。
もしもそんな機会が訪れたのだとしたら、それは黒づくめの組織から得られる情報よりも、よほど有益な手掛かりとなる。
……私はその好機を、じっと待っているだけだ。


瞼を上げる。
どこか心痛そうな眼差しを向けるコナン君と目が合った。


「−−名前さんは」


ぽつりと言ったコナン君の言葉の続きを、静かに待つ。


「黒づくめの組織のような奴らが、嫌いなんだよね」
「そうだよ」
「それじゃあ−−どうして」


コナン君は身を乗り出すと、真摯な眼差しを私に向けて声を上げた。


「どうしてあいつらには言えて、僕たちには言えないの?」
「……私の秘密に関することか」


もう何度目かの問いに、いつものように苦笑し掛ければ、コナン君は「違う」と強く首を振った。


「名前さんを苦しめている何かだよ」


私は瞠目すると、コナン君から目を逸らした。
真っすぐな眼差しを、受け止められそうになかった。
胸の奥底に閉じ込めた何かがざわめき立っている。
重く載せていたはずの蓋が不安定に揺れているような感覚は、焦りとなって指先を痺れさせた。


(……落ち着け)


たとえ誰に何を言われたところで、私の意思も行動も変わりはしない。
だとしたら悩むだけ無駄だ、揺らいでも意味がない。


私を苦しめる何か−−異世界に関することは決して言えない。
口にすれば言葉は闇へと変貌し、全てを呑み込んでしまうから。
そして例えそんな悲劇が起きないのだとしても、私は何も言いはしない。
弱みをさらけ出すつもりはない。
私は一人で生きていく−−生きていきたいんだ。


一つ息を吐く。
そうして微笑えば、コナン君は眉根を寄せた。


元々は相手を安心させるため、或いは油断させるためにも身につけたものだというのに、どうにも最近、私の微笑みはその効果を発揮しない。
それどころかむしろ逆効果のようだ。


「彼らはね−−境目を、知っているんだよ」
「……境目?」


私は、そう、と頷く。


「私の持つ秘密にはね、決して侵してはならない聖域のような部分があるんだよ。その境界線を踏み越えた瞬間に地獄へ落とされるような、絶対の聖域が」
「……黒づくめの組織は、その境界線がどこにあるのかを知っているんだね」
「曖昧に、だろうけれどね」


とにかく−−と私は続けて、


「彼らは、知ってはいけないことを知っている。その上で欲する情報を求めてくるから、とりあえずは私も安心して彼らとそういった話ができるんだ」
「その境目は、どうやったら知ることができるの?」
「分からない。そもそも、きっと境界線がどこに引かれているのかも人によって違うんだ。……曖昧なことばかりで、謎に溢れたそれについて、解き明かしたいと思う気持ちも分からなくはないけどね、そこは人が踏み荒らしてはいけない場なんだよ」


言って私はコナン君へと手を伸ばす。


初めて出会ったとき、私が一歩を踏み出せば、彼は警戒したように後退った。
もちろんその目には、獲物を逃がさないというように強い光が湛えられていたけれど。
だがいまは、そこに警戒心はまるでない。
探求心はそのままに、新しく生まれたのは私を気遣う優しい眼差し。


−−こうなることが分かっていれば。


この少年が、危険を顧みずに謎を追い求め、そうして周りを救おうと必死で足掻く探偵だと分かっていれば、警戒心を拭わせぬように振る舞ったのに。
上手くいっていたかどうかは、分からないけれど。


私は小さく笑うと目を落とす。
コナン君の小さな手に、私が伸ばした腕の影が重なっている。


暗示に思えた。
私が触れるよりも先に、時に闇が、その手を届かせるのだという。


私は腕を引くと、微笑んだ。


「こちら側へ、来ちゃ駄目だよ」


しかし小さな探偵は、やはり頷いてくれなかった。





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