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「#幼馴染」のBL小説を読む
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重い銃声が森の中に響き渡ったのは、一夜開け、帰り支度をしていた時のことだった。
折り畳み式の椅子を運んでいたコナン君と、テントを畳んでいた透が、各々それらを放ると、銃声がした方へと走り出していく。
歩美ちゃんはコナン君の名を呼ぶと、次いで目を丸くしながら、仲間である少年探偵団を振り返った。


「今の音って、もしかして銃声?」
「近くで運動会でもやってるんじゃねえか?」
「でもこの近くに学校なんてありましたっけ」
「違うわ」


短く言ったのは哀ちゃんだ。


「今のは、運動会で鳴らされる花火や空砲のような、そんな軽いものじゃなかった」


哀ちゃんの言葉に、私は心中で「確かに」と同意すると、遠い目をして食器を片付けていく。
先程の銃声に驚き木々から飛び立っていった数羽の鳥を見送りながら、何か事件でないことを願った。





「まあ、儚い願いだとは分かっていたけれどね」


猟銃を持った男に誘導された管理小屋の中、私は一人呟いた。


小屋の出口の前に立ち、申しわけなさそうに眉を下げながら説明する男の言い分によれば、何でも共に来た狩猟仲間と些細なことで口論になり、激昂した相手が撃ってきた、とのこと。
完全に我を失っていて、誰彼構わず発砲する恐れがあり危険なため、キャンプ場に残っていた客は全員、この管理小屋へと集められた。

木造の小屋は一般客が泊まるコテージと同じほどの大きさで、十数人が入れば少し息苦しくも感じるが、それは室内に充満する重い空気のせいだろう。
あと少しだけでも早く帰っていれば巻き込まれずに済んだのにーーという心の声が聞こえてきそうだ。


(犯罪率が高いのは米花町だけじゃなかったんだな……)


思いながら私は、先程から熊のぬいぐるみを抱きしめたまま泣いている女の子の前へとしゃがみ込んだ。
びくりと肩を震わせると、不安そうに伺い見てくる少女に微笑む。


「大丈夫だよ。きっとすぐにでも、ここから出られるから」


言って私は、目線の高さまで上げた指を鳴らした。
するとその手の中には突如、一輪の花が現れる――快斗に教えてもらった初歩も初歩のマジックだ。
だが喜ばしいことに少女のお眼鏡には適ったらしい。
輝きを増していく円らな瞳に笑い、そうして花を差し出した。


「名前お姉さん、すごーい!」
「マジックできるんですね!」
「簡単なものだけれどね」
「なあなあ、それってうな重も出せんのか?」
「鰻重は、ごめんね、まだできないかな」


眉を下げて微笑えば、哀ちゃんが呆れたように言う。


「随分呑気ね。まあ、あなたにとっては銃なんて、怖くも何ともないのかしら」
「いや、そういうわけじゃあないよ」


ただ――と私は笑みを深める。
顎に手を当て何やら考え込んでいる二人の切れ者を見詰めた。


「優秀な探偵が二人もいるんだ。何も心配することはないだろうと思ってね」


言って、私は眉を顰める。


「それより気になるのは、何だか先程から少し、焦げたような匂いがしないかな」
「焦げたような匂い?」


哀ちゃんは怪訝そうに眉根を寄せると、さあ、と首を傾げる。


「私には、よく分からないけど」
「もしかして、犯人の男の人が発砲したからじゃないかな」


不安そうに自身を抱きすくめ言った歩美ちゃんに次いで、元太君が言った「まだ誰かバーベキューでもやってんじゃねえのか?」という言葉に、一同は揃って呆れたような声を漏らした。


事件のあらましを説明し終えた男は、苦渋の色を顔に浮かべて頭を掻く。


「ああ、だけど、いつまでもこうしているわけにもいきませんね。――私が先導し、皆さんをお車までお送り致します。ただ私と、この猟銃で守り切れる人数にも限界がありますので、まずは女性から」
「いえ、私より先にコナン君たちを――」


男に腕を引かれた蘭が言いかけたとき、コナン君が口を開いた。


「ねえ、おじさん。蘭姉ちゃんや他の女の人たちを連れて行った後に、ちゃんと僕たちのことも助けに戻ってきてくれるんだよね?」
「当然じゃないか、坊や」
「え〜?でも、可笑しいなあ」


わざとらしく首を傾げるコナン君を見て苦笑しながら、私は呟く。


「……本当、彼の演技力には脱帽するよ」
「同感ね」


と、哀ちゃんが腕を組みながら言った。


「な、何が可笑しいんだい?坊や」
「だっておじさんは僕たちを、その銃で守るって言ってくれてるけど、おじさんも銃も一つなんだよ?女の人たちを駐車場まで連れて行った後、僕たちを迎えに来る間、どう考えたって蘭姉ちゃんたちは無防備になるよね」
「そ、それは……」
「おじさんが管理小屋へ戻ってきた隙に、犯人が蘭姉ちゃんたちに狙いを定めたら、どうするの?」


室内には不安がるようなざわめきが広がり、男が口籠る。
コナン君は口角を上げると男を真っすぐに見上げた。


「考えてなんか、なかったんだろ?最初からあんたには、俺たちを助けるつもりなんて、なかったんだからな」


男は焦ったように笑う。


「な、何を言っているんだい坊や。恐怖で動転してしまうのも尤もだけれど、少し落ち着いた方がいい。そうだ、お姉さんたちが心配だと言うのなら、誰か運転できる女性を連れて行こう。先に車に乗って、逃げていてもらうのさ」
「あ、そっか!それは良い案だね」


笑ったコナン君に、男はほっとしたように息を吐く。


「だろう?だから早くここから――」
「だけど、連れて行くのは別に女の人だけじゃなくても良いんじゃない?」
「坊や、まずは女性から助けてあげようよ」
「うーん、僕もその意見には賛成なんだけど、でも今ここには家族連れが多いし、夫や子供を置き去りにしていくのは、お母さんたちにとっては心苦しいんじゃないかな」


客の中から控え目に同意する声が上がる。
男が言葉を詰まらせたところで、ちらりと笑った透が人差し指を立てた。


「それじゃあ、こういうのはどうです?」


まず――と透は話し始める。


「コテージの扉に向けて銃を構えておく。そうすれば、扉は一つで、敵も一人なんですから、まず負けることはないかと思います。たとえ当たり所が悪く、犯人が死んでしまったとしても、それは正当防衛。ここにいる僕ら全員で、あなたを守る証言をしますよ」
「そ、それは有難い申し出なんだが……」
「今の提案を、呑めませんか?」


そうでしょうねえ、と透は笑みを深める。


「何故なら森をうろついている犯人なんて、最初からいないんですから」


室内に動揺が広がる。
客たちは警戒するようにじりじりと後退し、父親たちが家族を庇うように前に出た。


「な、何を言っているんですか。犯人は本当に森の中に――」
「あれれ〜?」


コナン君が男の左手を見ながら、わざとらしい声を上げる。


「大丈夫?おじさん、手火傷してるよ」
「あ、ああ、これはさっき犯人に威嚇射撃したときに、誤って銃口に触れてしまってね」
「え〜?でも聞こえた銃声って、一発だったよね?」


ねえ、と振り返ったコナン君に、蘭と園子が戸惑いながらも確かに頷く。


「だけどおじさんの話によれば、撃ってきたのは犯人の方だったよね?可笑しいなぁ」
「そ、それは……」
「恐らくですがあなたは、銃声がした後すぐに人が駆けつけてくるとは思っていなかったのではないですか?いくら銃社会ではない日本とはいえ、銃声には自然と恐怖心や不安を抱くもの。危険であると分かっている場所にわざわざ近づく人間は、そういませんからね」


だけど――と透は続けて、


「あなたの予想に反して、僕とコナン君がすぐに駆けつけてきてしまった。走ってくる足音に気づいたあなたは焦り、咄嗟に、発砲の痕跡を悟られまいと銃口を手で掴んだ。先程あなたはコナン君に、動転するなと言っていましたが、動転しているのはあなたの方ですよね?当初の予定に固執せず、身の危険を感じたから威嚇射撃した、とでも僕たちに言っておけば、熱を持った銃口を握る必要なんて、そもそもなかったというのに」
「まあたとえ、僕や安室さんがすぐに駆けつけていなかったとしたって、この犯行には無理があったんじゃないかな」
「コナン君、無理って?ううん、そもそも犯行って、いったい何が目的でこんなことを……」


問うた蘭にコナン君は、多分だけど、と前置きして言う。


「女の人たちだけを連れて行こうとしていたことからして、婦女誘拐とかじゃないかな。だけど僕たちの誰かに警察を呼ばれたら一発で終わりだよ」
「あ、そっか。ガキンチョの推理が本当なら、警察の人たちがいくら犯人を捜しても、そんな人、出てこないんだもんね」
「うん。それに硝煙反応を調べれば、証言と噛み合わないことは、すぐに分かるからね」


強張った表情でコナン君を見下ろしていた男は、小さく息を吐くと、そうして声を上げて笑い始めた。
コナン君に透、それに蘭が警戒を深め隙を窺う中、男は見せつけるようにして猟銃を握る。


「警察を呼ばれる心配は、はなからしてねえさ。もしも客の中の誰かが、俺の制止を振り切って警察に通報しようとした場合には、こうやって――」


言うと男は蘭の腕を引っ張って笑う。


「人質を取ろうと決めてたからな!警察に通報すればこいつを撃つ、ってな」
「蘭!ちょっとあんた、蘭を放しなさいよ!」
「うるせえ!黙ってろ!」


男は言い放つと、嫌な笑みを浮かべてコナン君を見下ろす。


「一つ間違ってるぜ、ガキ」
「間違ってる……?」
「確かに、たとえ警察が来ていくら森の中を捜索したところで、犯人の男は見つからねえ。ただな――被害者の男は見つかるはずだぜ。焼死体となってな」


私は、おや、と眉根を寄せる。


「山火事に気づいて消防がやってきた時にはもう、お前らもまとめて黒焦げだ。人質を殺されたくなかったら、大人しくここで焼け死ぬんだな!」
「それじゃあ、さっきから僅かにしていた焦げ臭い匂いって、彼が森に火を放ったせいか。中々の凶悪犯だね」
「い、言ってる場合じゃないですよ、名前さん!」
「このままじゃ私たち、焼け死んじゃうわ!」
「俺バーベキューは好きだけど、自分が焼かれんのは嫌だぞ!」
「慌てなくても大丈夫よ」


哀ちゃんは言うと、犯人の男と蘭を顎で示す。


「多分、人質の方が強いから」


その言葉に応えるように、蘭は男の腹に肘打ちを喰らわせる。
男の笑い声が途切れ、腹を抱えたまま床に膝を突いた犯人を確保しようと、コナン君、透が走り出し、そうして蘭が止めを刺そうと拳を握ったとき――小屋の扉が開かれた。


「おい、そいつから離れろ!!」


声を荒げながら入ってきた男の手にも猟銃が握られている。
コナン君たちに銃口を向け、未だ呻いたままの男の腕を掴み立ち上がらせていることからして、どうやら彼の仲間らしい。
犯人は二人いたのだ。
考えてみれば確かに、時限発火装置でもないかぎり、一人で放火と誘拐は行えない。


「ったく、何やってんだよお前は」
「わ、悪い。けど、この女は駄目だ。連れて行くには危険すぎる。あと、カチューシャの女はうるせえから、連れて行くならぶん殴って気絶でもさせておいた方がいい」


腹を抑えたまま言う男の言葉に、二人目の彼は不機嫌そうに室内を見回す。
すると目が合ったので、私は怯えたように顔を背けた。


「おい、いいのがいるじゃねえか」


男はつい先程までとは打って変わって機嫌良さそうにそう言うと、威嚇するように銃を構えながら私の方へと歩いてきた。
彼は笑って、私の腕を掴む。


「ちょっと俺たちに付き合ってくれよ、姉ちゃん」
「……や、やめてください」


弱弱しげにそう言えば、コナン君を筆頭とした私を知る一同が目を丸くして振り返った。
だがそんな様子を気にも留めぬ犯人は、私の腕を引いたまま出口へ向かって歩いていく。


「おら、この女なら、別に一人でも儲け物だろ。とっととずらかるぞ!ぐずぐずして俺達まで火に巻き込まれちゃ堪んねえ」
「そ、そうだな。行くか」
「は、離してください……!」


念には念をと演技を続ければ、意図が分かったらしい、透がちらりと笑みを浮かべると、すぐに真剣な顔をして声を上げた。


「彼女を離してください!」
「名前の姉ちゃん、やっちま−−」


何やら危ないことを言おうとした元太君の口を、哀ちゃんがすぐに両手で塞ぐ。
ねえ−−とコナン君が言った。


「あんまり酷くしないであげてね。訊きたいことが、まだあるんだからさ」


犯人たちはその言葉を、自分たちへ向けてのものだろうと思い、笑い飛ばす。
しかし小さな探偵が、その真っすぐな目を向けているのは紛れもなくこの私だ。
男たちに腕を引かれながら、私はコナン君を見て、片目を閉じた。




犯人の男二人と名前が扉の向こうに消えてから十秒も経たずして、外から扉が開かれる。
そこに経っているのは名前で、他の客たちは何事かと目を丸くさせたが、彼女を知る一同は分かっていたように笑い、それでも無傷のその姿に安堵の息を吐いた。
だが次いで眉を顰める。
普段は至って穏やかな彼女が、珍しくその表情に僅かな焦りの色を浮かべていたからだ。


「どうしたの?名前さん」
「コナン君−−皆も、大変だ。早くここから離れないと」


名前は言って、外を振り返る。


「彼ら、森に火を放ったと言っていたけれど、その勢いが予想を遥かに超えているんだ」


外へ出て行った名前の後を追い小屋から出た一同は、途端に肌に纏わりついてくる熱気に言葉を詰まらせた。
管理小屋のすぐ背後の木々には、まだ火は届いていないが、それも時間の問題だろう。
いくらか奥の木々は赤々と燃え、空には灰黒い煙が上がっている。
木が燃え軋み、倒れるような音も聞こえてきた。


小屋を出た客たちは悲鳴を上げ、森とは反対方向へ向かって逃げていく。
少年探偵団は驚きの声を上げると、名前が伸した犯人二人へと非難の声を上げる。


「森を燃やしちゃうなんて、おじさんたち最低!」
「せっかくの自然が台無しじゃないですか!」
「つうかここまで燃やす必要あったのかよ!?」
「ち、違う」


困惑したように言った男の言葉に、コナンが「違う?」と眉を顰める。
男は信じられないものを見るように、燃える森を見やって言う。


「俺たちは、ここまでやってない」
「ここまでやってないって、周りは木ばっかりなんだから、一つにでも火を付ければ燃え移っちゃうじゃない!まったく考えなしなんだから!」


園子の罵倒に、男は強く首を振る。


「俺たちはあいつと、そして管理小屋を燃やす予定だったんだ。あんな森の奥まで火を放った覚えはねえよ……!」


コナンは顎に手を当て、どういうことかと考え込む。
だが客の中に咳をしている者や、座り込んでしまっている者たちを認めると、はっとして声を上げた。


「とにかく今は、急いでここから離れよう!博士、安室さん、犯人たちを逃がさないよう連れて行って!他の皆は、動けない人たちの手助けを−−」


言いかけた時だった。
地を這うような呻き声に似た何かが、森の奥から聞こえたのは。


コナンたちは動きを止めて、背後の森を振り返る。
歩美が怯えたように瞳を揺らした。


「い、いま何か聞こえなかった?」
「人の叫び声、みたいな感じでしたよね……」
「も、もしかしてこいつらが殺したって言ってた奴じゃねえか!?本当はまだ生きてて、火事に巻き込まれちまってるんじゃ……!」


いいや違う――とコナンは思う。


犯人が言った、あいつと管理小屋を燃やす予定だった、という言葉からして、おそらく被害者は、共に燃えるよう小屋の近くに運ばれたはず。
元太の言うように、被害者が本当はまだ生きていて、炎から逃れようと歩き回っているのだとすれば、しかし何故森の奥へと向かうのだろうか。
普通ならば助けを求めようと、人の多いキャンプ場の方へと逃げてくるはず。
犯人に見つからないようにと考えたのか、それとも正常な思考がなくなり訳も分からず彷徨い歩いているのか……。
それにたとえこの仮説が正しかったとしても、森の奥がこうも燃えている理由にはならない。
火を放たれた一人の人間が木々の中を彷徨い歩いただけでは、こうも火は広がらないだろう。


(それに、さっきの叫び声……)


あれは苦痛から発した――命の危険を感じた生物が上げる本能的な叫び声ではなかった。
確かに何かを言っていた。


(だけど何だ?あの言葉……あんな言語、聞き覚えが――)


思ったところで、隣に立ち尽くしていた名前が呟いた。


「……ここは、どこだ……」


え、とコナンが見上げれば、名前は呆然とした様子で森の方へと一歩を踏み出す。
思わずその手を掴めば、名前ははっとしてコナンを振り返った。


「名前さん、どうしたの。大丈夫?」
「コナン君……いまの声の人−−彼は私が助けに行ってくるよ」
「一人じゃ危険だよ!」
「いや、きっと……私以外が行く方が危ない」


どういうことかと問い返そうとすれば、名前は膝を折り目線の高さを合わせるとコナンを見詰めた。
その目には強い必死さが浮かんでいて、コナンは思わず言葉をなくす。


「名前、さん」
「今回ばかりは、どうあっても足を踏み入れては駄目だよ、コナン君。……ひどく嫌な予感がするんだ」


言うと名前はコナンの手を離し、森へ向かって走り出した。
追おうとしたコナンの足を、今しがたの名前の言葉と、彼女の行動に驚く少年探偵団たちの声が止めた。




火の海を突っ切る名前の体を、強く動く心臓が揺らす。
森の奥から呻き声のような何かが聞こえたとき、名前は、この世界に来てから何度も味わった奇妙な感覚を再び体験していた。
それは異世界に関する物事に触れたときに起こる現象−−決して知らないはずの文字が読みとれ、今まで聞いたこともない言語を聞き取れる。


「……ここは、どこだ」


声の主は確かにそう言っていた。
だとすればこの先にいるのは自分と同じ、異界の者。

犯人たちでさえも予期していなかった火の広がり具合にも、もしかしたら関係しているのかもしれない。
異界の者は、黒づくめの組織のような連中に重宝される。
それは世界を超えられる、闇を作り出せるといった理由だけではなくて、世界旅行者だからこそ持っている異界の能力があるからだ。
もし先程の声の主が持つ能力が、この世界にとってはまるで超能力のようなものであるとすれば−−。


「やっぱりそうか……!」


火の海を抜けた先には小川が流れており、その傍にしゃがみ込んでいる男の体は火に包まれている。
だというのに男の肌は少しも焼けただれてなどいなく、苦しそうに頭を抱えているのも熱さからではないようだった。


駆け寄ろうとしたその時、しかし名前は、風を切る音を捉えて咄嗟に地面を蹴った。
一瞬前まで自分がいた場所を、弾丸のような何かが切り裂く。


(何だ……!?)


それが飛んできた方向を振り向くも、近場に人の気配はない。
眉を顰めたその時、今度は別の場所から再び同じ音がして、名前は同様にそれを避けた。


−−狙撃。


咄嗟に頭に浮かんだのは、この異世界者の仲間だろうか、ということ。
だがすぐに首を振った。
もし彼の味方であるならば、こんなにも苦しんでいる状態の彼を放っておくわけがない。
罠という考えを一蹴するほどに、目の前の異世界者は苦しんでいる。


しかし味方でないのなら、敵……?
けれど彼は恐らく今さっきこの世界に辿り着いた。
だというのに敵なんて、いるわけが−−。


そこまで考えたところで、背後で小石を踏む音がして名前は振り返った。
そしてそこに立っていた黒装束の男に、そういうことかと目を細める。


そのとき再び風を切り裂く音がした。
次いで微かな呻き声がして、はっとして振り返れば、彼が地面に倒れている。
その首筋には矢が刺さっていた。


「安心しろ、ただの麻酔銃だ」
「……ただの、ねえ」


苦く笑えば、黒づくめの男−−ジンは笑みを深くし言った。


「地獄は地獄を呼ぶ、だな」





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