ん…と小さく声を漏らした隣に座る彼。
見ると睫毛を微かに震わせて、ようやっとその目が開かれた。
「あれ、俺…」
「よかった、目が覚めたみたいだね」
怪盗キッド君、と。
言えば彼は当たり前だが驚き、けれど直ぐに冷静さを身にまとうと警戒のはらんだ視線をよこしてくる。
「貴女はいったい…?それにここは…」
「ふふ、言うなれば私は、空から湾へと落ちてきた君を地上に運んだ者。そしてここはその湾のすぐ近くにあった公衆トイレの中だよ」
気絶する前の出来事を辿っているのか、彼は少し考えるようにうつむくと、次いで私を見た。
その目に先ほどまでの警戒心はない。
「助けてくれたんですか」
「そう捉えることは出来るね」
「それに手当てまで…」
鏡にうつる自身の頭を見た彼は立ち上がると、マントを掴むと一礼する。
「今宵は貴女のおかげで助かりました。感謝の言葉を述べるのが遅くなってしまい、申しわけありません」
「ふふ、紳士な怪盗さんだね」
「私のことをご存知でしたか」
一人称が俺から私になっていて、普段の彼との違いが伺える中、私はちらりと出口の方を見る。
「船の上から湾に向かって、何度も君の名を呼ぶ人がいたからね」
するとギクリと紳士の皮が少し破れた彼に、思わず笑う。
「大丈夫、もう夜中だからね。いくらか前に捜索は打ち切られていたよ」
「そうでしたか…しかし、どうして貴女は私を助けてくれたんですか?警察に渡す選択肢もあったでしょうに」
「ふむ…そうだね、君が天使に見えたから、とでも言っておくよ」
て…と呆気にとられている彼に笑みを深める。
「真白な風貌で空から落ちてきたんだ。警察に渡してしまうのは野暮かなと思ってね」
「…言い方からすると、冗談ですね?」
「おや気づかれてしまったか。そうだよ本当は、水の底に沈んでいく真白な君は、まるで大きなクラゲに見えた」
「…面白い御方ですね」
「ふふ、ありがとう」
微笑むと、彼は片膝を床につく。
「お礼をしたいところですが生憎今は何も…今度お礼に伺いたいのでお名前を教えていただけますか?」
そうして私の手をとると甲に口付けをしてきた。
「構わないよ。ただ少しだけ質問に答えてくれればね」
「質問、ですか?」
彼の問いに頷くと、私は椅子から立ち上がった。
同じように立ち上がる彼に、首を傾げる。
「私のこの格好、どう思う?」
「えっと格好、ですか?とてもよくお似合いですよ」
「ふむ…けれど君の着ている服と私の着ている服は違う部類だよね」
「まあそうですね、私のような真白な格好は珍しいですし…貴女も今時にしては珍しい。ですが古風な感じが素敵ですよ」
「ありがとう」
聞きたい答えが聞けた。
休日だからと楽な着物を着ていたけれど、そうかこの世界では古風な感じ…ならば過去には存在していたわけだから、洋服屋までの道のり程度なら少し視線を集める程度かな。
差し当たってはーー
「これ、見たことがあるかな」
「お札、のようですが…見たことはありませんね」
「そう…」
財布からお札を取り出し彼に見せると返ってきた答えに落胆する。
どうやらお札はお札に見えるらしいが、やはり人物やら花やらが違うのだろう。
本当、世界をこえさせるならこえさせるで、もっと用意周到にしてほしいものだ。
「あと一つだけ聞いてもいいかな」
「ええ、なんでもどうぞ」
「ありがとう、きみ、怪盗ということは変装やらはするの?」
「もちろんです、声だってーー」
お手のものですよ、と言った彼の声は、私の声で。
思わず目を丸くした私に、彼は笑う、その笑い方がさっきまでとは違い少し幼かった。
「やっと貴女のそういう表情が見られた」
「?」
「私は変装もそうですがマジックも得意なんです。だから驚いたり感動している表情をつくるのが好きなんですよ。目覚めてからずっと、貴女のペースに持っていかれてましたからね」
言うと彼は軽くウインクをした。
「それで、変装がどうかしましたか?」
「ああ、女性用の服は持っていないかな」
「持っていますよ」
「持ってるんだ…」
「あの…引かれていませんか?」
いいや、と流してまた彼を見る。
「今は持っている?」
「そうですね念のため持っていますよ」
「持ってるんだ…」
「確実に貴女の心が遠ざかっている気がするのですが」
「ふふ、なんてね、軽い冗談だよ」
微笑んだ私は、そうして彼を真っ直ぐに見た。
「とても失礼なお願いをしたいんだ。もし良かったら君の持つ女性用の服を私に、貸してもらえないかな」
「服を、ですか?ああ確かに私を助けたせいで濡れてしまいましたものね」
いいように解釈してくれた彼はニコッと笑った。
「もちろんです、命を助けて下さったお礼にはまだまだ足りませんが…」
「いや、十分すぎるよ。ありがとう。ーーいつか必ず返すよ、君いつもは空にいるの?」
「フフ、そうですね…私がいつか貴女を見つけにいきます。その時にでも、今度はお互い濡れていない格好で」
「そうだね、待ってるよ怪盗君」
「お名前を頂戴しても?」
私は微笑んだ。
「名字名前だよ」
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