微笑む嘘吐き | ナノ
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「#幼馴染」のBL小説を読む
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江戸の街、人波の中を、綺麗に背筋を伸ばして歩く女が、ひとり。
そうして後ろに靡く、その艶めいた黒い髪の先を、感情に濡れた瞳で見つめる男がひとり、後ろの方にいる。

物陰にいる男はうつむいた。


散々、迷惑をかけた。
そして、結局何故だか、戻って来ているし。
…けれどもう、同じ場所に居るとしても、彼女を見ていることすら出来ない。
…違う、しちゃいけないんだ、だって自分はそれだけのことを彼女に、…名前さんに、したから。


男は、せめて最後にもう一度だけ見ようと顔を上げた。
けれど名前の姿は見えなくて、焦る。


「きっとこうして私の後ろに居たから、何かが少しずつ変わっていって、大きな事件を起こしてしまったんだよ」


すると後ろから聞こえた声に、男は固まる。
その声を、男が間違えるハズもない。

後ろから聞こえた声は、名前のものだった。


「どうして君が、あの闇から戻ってこられたのか、とても不思議だよ。ふふ、けれどね、本当かは分からないけれど一つ、アテはあるんだ」


「――さてそれでは…実は私にも、これから行く場所がありましてね。そろそろ別れるとしましょうか」


「私は君にまた会えて、とても嬉しい」


男の心臓が、速く動く。
少し開いた口からは短く浅い呼吸が繰り返されている。


「君はこれから、どうするの?まさか前の職場には戻らないでしょう?何より君の同僚…というか上司なのかな?彼らは江戸には、居ないから」


名前が紡ぐ言葉の声音はいつもの彼女のようにとても穏やかで、柔らかい。


「核を起動させるつもりだったから、もうあの事件を起こした時に彼らは江戸には、居なかった。そして盗聴器で全てを聞いていた松平さんらは、彼らを江戸には戻したくないらしくてね」


というか、むしろ取っ捕まえたいらしい、と言うと名前はふふ、と笑う。


「それから晋助は、私の言った真実によってさらに、国…というか彼らへの狙いを鋭くした。そして小太郎も、穏健派ながらも身を乗り出したみたいだよ」


少しの沈黙が落ちて、それが男の鼓動を速めさせた。


「――さっき聞いた、君はこれから、どうするの?という問いについてなんだけれど、私に一つ、提案があるんだ」


男には、後ろにいる名前が笑うのが分かった。


「一緒に、暮らさない?」


男は、目を見開いた。


「私は、誰かが同じ家の中にいるだけで、熟睡は出来ないんだ。それは攘夷の時、母屋で暮らしていたから分かっているよ」


指の先が、震える。
心臓の音がうるさくて、名前の言葉が聞き取れなくなりそうだった。


「けれど君は昔、それこそこんな暗い、そして林の中で、一緒にいたでしょう?」


建物の影になっているここの雰囲気は確かに、あの林の中に似ていた。
なんだか周りから、隔離されているような空間。
…けれどあの時とは違うことが、たくさんある。


「私のこのトラウマのようなものが出来たときから、君は私の傍に居た。だから君なら大丈夫な気がするんだ。もちろん、君がよければの話だけれど」
「…名前さん、俺は、」


やっと出た声は、掠れていて少し最初、ひっくり返りそうになった。


「俺はあなたに、迷惑をかけた。酷いことをたくさん、したんです」
「うん、けれど最初にも言ったでしょう?君は私の後ろを歩いていたから、少しずつ何かがおかしくなって、事件が起きてしまった、って」


男の心臓が一度、強く動く。


「人間一人に人生一つ。誰かが誰かの人生の道を着いていくことなんて、出来ないの。――だからね、」


「ふみ出した小さな一歩は、きっと、大きくて長い道の、はじまりだよ」


「小さな一歩を踏み出して、隣に来て」


名前は男の手を引くと、物陰を出た。
名前も、そして男も、日の光に当たる。


「悲しみは、半分に…喜びは、倍にして。一緒に並んで歩いていこうよ、――ラク!」


名前が微笑んだ。
ラクは、涙を流した。
――ラクがうつむく。


「名前さん、俺は、この国は、星は、世界は、汚いと思ってました」
「……」
「両親のこともそうだし、あなたを自分の欲の為に手に入れようとする俺の上司も…だから今だって、世界が綺麗だとは思えません」


ラクの肩が震える。


「けれど…」


名前の指が、ラクの頬を流れる涙を拭う。


「けれど、あなたが生きてるこの世界は、綺麗だと、美しいと…信じたいです…!」


名前は目を細めて微笑むと、ラクを抱きしめた。
そして、抱きしめ返してきたラクの胸に顔を寄せて、目を瞑る。

自分の音と、ラクの音。
それぞれを未来へ進める命が確かに、聞こえていた。





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