私は里外れにある崖へと来ていた。
風が吹く中、遠く下にある森を見下ろす。
よし、と一人頷くと、私は地面を蹴った。
宙に体を投げ出すと、心臓が緊張したように強く動く。
ーーサクラは、時空眼を開眼するには、誰かに開眼してもらうか、危険な状態に陥るかのどちらかだと言っていた。
どうやら前者の方法は、それをできる人物が限られているらしく、また今回は失敗に終わった。
ならば残る方法は一つ、危険な状態に陥ることだ。
三人には止められたし、そもそもなぜだか時空眼を使おうとすること自体に対して反対していたようだけれど……私が記憶を取り戻すことによって、色々なことが解決する。
そして記憶を取り戻すことへの最も有効な手段が、時空眼を開眼すること。
それならばーーということで、私は崖から飛び降りたのだ。
自分が忍であったことは聞いたが、その記憶は曖昧でほとんど残っていない。
だから時空眼は疎か、体術、忍術に関しても、いまの私は使えない。
そんな状態で、高い崖から飛び降りれば怪我は必至。
下手をすれば命もない。
頼むぞ、私の体……!
こんなにも良い状況を用意したんだ。
危険だと判断し、時空眼を開眼してくれ……!
迫ってくる地面に、心臓が一際強く動く。
すると脳裏に何かが浮かび掛けて、喉元まで声が出掛かって、私ははっとした。
無意識の内に動く手ーー印を組む指。
私は震える唇を開いた。
「響遁ーー重音の術!!」
宙に見えない膜が張られて、私は空の上に立つ。
荒く息をしながら、衝突せずに済んだ地面を見下ろした。
ーー忍術を一つ思い出せた、けれど、時空眼じゃない。
空を蹴って、近くまで迫っていた地面に降りる。
ため息を吐いて首を振った。
皆の力になりたいのにーーと、私は眉根を寄せる。
皆はとても素敵な人だと、私は思う。
心配も、迷惑も、掛けたくない。
ーー最初は、自分の記憶が失われていることは、大したことじゃないと思っていた。
だって、記憶がないから、悲しみも生まれない。
だけど私の失われた記憶が鍵となっていることが分かって、それなら、記憶を取り戻したほうがいいと思った。
あくまで目的は、埃の国で起きている問題を解決することで、記憶を取り戻すことはそのための手段でしかなかった。
けれどいまはそれよりも、皆が、私の記憶がないことを悲しんでいることのほうが胸に痛い。
「どうして……なんだろう」
皆が私の記憶を取り戻そうと力を尽くしてくれている理由は、記憶を取り戻せたら問題が解決するから、だけじゃない気がするのだ。
……けれど、分からない。
どうして私は、ここまで皆に想ってもらえるんだろう。
……記憶をなくす前の私は、皆と同じくらい、素敵な人間だったのかな。
思ったところで、上空で、風を切る音が聞こえた。
顔を上げれば、白黒の描かれたような鳥が下降してきて私の近くへと降り立つ。
その鳥の上から飛び降りてきた人物に、私は目を丸くした。
「サイーー」
「こんなところにいたんだ。捜したよ、名前」
その言葉に私は慌てる。
「ごめん、何か用事があった?」
「いいや、特には何もないんだけど、名前の姿が見えないって、ナルトたちが心配して、ちょっとした騒ぎになってたから」
私は、心配、と呟いて僅かに目を瞠った。
うつむいて、ぽつりと問いかける。
「サイ……私のことを、教えてくれないかな」
「名前のこと?」
目を丸くしているサイに頷けば、サイはちらりと笑って頬を掻く。
「ああ、そうか。記憶がないんだから、自分のことを気にするのは当たり前だよね。ただ名前からそんなことを言われるなんて新鮮だから、驚いたよ」
言ってサイは小さく唸ると、顎に手を添え、私のことを見つめる。
「名前のこと、って言っても、名前は記憶をなくす前と、それほど変わらないんだよね。だから、何を教えたらいいのか……難しいな」
「変わらない?」
困惑して聞き返す私に、サイは頷く。
「ナルトたちも言ってたように、名前は変わらず、僕たちのことばかり考えて、自分のことは二の次だ。ただその度合いが、昔のようにまた強くなっちゃったけどーー」
「そんな、変わってないはずがない」
え、と首を傾けるサイに、私は声を上げる。
「皆はとても、私のことを想ってくれてる。けれどそうしてもらうだけの理由がいまの私にはないから、分からない」
「名前」
「だから記憶をなくす前の私といまの私が、変わらないわけがーー」
「同じだよ」
確固とした口調で言われて、私は困惑してサイを見上げる。
サイは真っすぐな眼差しを私に向けて言った。
「名前は、同じだよ。優しくて、仲間想いで、ちょっとだけ馬鹿だ」
ちらりと笑ったサイは、首を傾ける。
「そもそも僕には、どうして名前が自分のことをそんなに卑下するのか分からないな。誰かを強く想えることはすごいことだし、名前の大きな魅力なのに」
「それは私がすごいんじゃなくて、皆がすごいんだよ。皆はとても素敵な人だから、力になりたいと思うのは当たり前のことで……」
言った私に、サイは優しく微笑んだ。
「そう言ってくれる名前のことを、僕たちも同じように、想ってるんだよ」
ーー夜になり、自宅へと帰ってきた私は、ぼんやりと先ほどまでのことを思い返していた。
サイと共に里の中心部のほうへと戻れば、ひどく安堵したような顔で皆が駆け寄ってきて、頭を撫でられ、抱きしめられた。
「名前と、それにサスケは、昔のことがあるから、姿が見えねえと焦るんだってばよ」
昔のことを、私は知らないーー知らないことを、悲しいと思った。
きっと記憶は、私にとって、とても大切なものだったはず。
それをどうして、失ってしまったんだろう。
目を閉じていた私は、やがて開くと、立ち上がった。
外に出て、埃の国の方角の空を見る。
印を組んで、すっかり暗くなった空へと立った。
空を駆けながら、サクラの言葉を思い出す。
「分かりました。それに、名前は一刻も早く、この埃の国から離れたほうがいいと思うの。確かにここは、記憶を呼び覚ます場所にはなるだろうけど、この国へ着いた途端に名前、倒れたでしょ。その原因が、ソーヤの仕業かどうかは分からないけど、名前をこの国へいさせるのは、なんだか心配で」
サクラは私を埃の国に近づけさせないようにしてくれたし、皆は極力、私を危険なことから遠ざけてくれた。
けれど未だ、記憶は戻っていない。
私の記憶は、埃の国で起こっている問題を解決する鍵となる。
だから記憶を取り戻すことは、皆の力になることと、同じことだ。
それにーー、
「うん……そうよね。ごめんね名前、励まされるべきは、名前のほうなのに。でも、ありがとう」
皆の悲しんだ顔は、もう見たくない。
そしてーー、
「そう言ってくれる名前のことを、僕たちも同じように、想ってるんだよ」
私のことを想ってくれる皆との大切な記憶を、取り戻したい。
・
・
・
夜半、私は埃の国へと着いた。
暗闇の中にひっそりと聳える金字塔へと入り、道を進む。
長い一本道を歩いた先、祭壇の間へと出た。
隙間から漏れる光しかなく外よりも暗いその場所で、その僅かな光を反射する何かを見つけて、私ははっとする。
「ソーヤ、君……?」
目が慣れてきて、その何かが青い水晶だと分かる。
それを持つ少年は、名前さん、と言った。
「もうすぐ来るだろうと思ってました」
「……ソーヤ君は、私の記憶を持ってる?」
「はい。ちゃんと、この水晶の中にあります」
「返して、欲しいんだ」
言えば、ソーヤ君は微笑んだ。
その反応に目を丸くしていると、私とソーヤ君の間に誰かが降り立つ。
それはシヘイさんだった。
ソーヤ君が動揺したのが空気で伝わってくる。
「ソーヤ、どういうつもりだ」
「あの、シヘイさんーー」
待ってください、と言いかけた私は、シヘイさんの言葉に目を見開いた。
「狙いは、うずまきナルトだと言っただろう」
えーーと息を呑む私の前で、シヘイさんは笑い含みに言う。
「しかしソーヤ、お前は、人の記憶も、水晶へと注ぐことができたのだな。そんな話は、今の今まで一度も聞いたことがなかったぞ。まだ私共に隠し事をする勇気があるとは、心底驚いたよ。……だが分からないのは、ソーヤ、お前はいったい、何がしたかったんだ?」
シヘイは言った。
「お前の望みは、ミイラとなった一族の者たちを、助け出すことだろう」
どういうことだーーと私は眉根を寄せた。
今までと、まるで話が違う。
それにシヘイさんの、雰囲気も。
「ああ、そうだ。冥土の土産に教えてやろう」
するとシヘイさんが振り返り、言った。
「埃の国の者たちをミイラにしたのはーーこの私だ」
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