「私アンタのこと知らないんだけど」
と、女は言った。
ーー彼女はつい数日前に木の葉隠れの里へとやってきた。詳しいことは追々説明するから、今はとにかくこの里に置いてくれ、きっと皆の為になるからーーと言って。
けれどいきなりそんなことを言われても疑わしい、というのがカカシ先生を筆頭とした里のトップ達が下した結論だった。
木の葉は昔から平和と言われていて(たまに平和ボケとも言われる)里なしの忍だった私も抱え込んでくれたあたたかい里だけれど、カカシ先生いわくどこか怪しい、らしい。キバも妙な匂いがして居心地が悪くなると言っていた。
そこでカカシ先生が各里に連絡し女のことを知っている者がいないか聞いてみたのだけれど、情報はゼロ。
自分の生きてきた痕跡を消すなんて、忍だって難しいのに、この女はいったい何者なんだ?
ということで木の葉隠れの里は女を受け入れた。
わざと泳がせるのだ。
女は歓喜し、毎日毎日里中を楽しそうに駆けて回っていた。演習場に行けば修行を応援し、任務が終わったと聞けば労いの言葉をかける。
私が女と直接顔を合わせたのも、任務報告後の待機所でのことだった。
ナルト達と話していると彼女は笑顔でやって来て、かと思えば私を見つけて固まった。
不思議に思っていれば女は私を人気のないところへと呼び出して、冒頭の台詞を口にしたのだった。これにて閉幕ーーじゃない、開幕だ。
ナルト達から聞いていた人物像だと、いつも笑っている、ということだったのだけれど……全然笑ってないな。むしろどこか怒っているようにも見える。
若干戸惑いながら、私は頭を掻く。
「ご挨拶が遅れてすみません。最近任務が立て込んでいたもので……私、名字名前と申します。よろしくお願いーー」
「名字名前?」
言葉を遮り問われた。
首を傾けながらも頷く。
「……やっぱり聞いたことないわね……もしかしてアニメのオリキャラ?いやでもそれも全部チェックしてるし……」
ぶつぶつと何やら呟いている女をただ見守る。
ーーすると女は閃いたように息を呑んだ。
「分かったわ!アンタ、私と同じなのね」
「同じ?」
かと思えば、女は忌々しそうに私を睨む。
「ここじゃない、遙か遠くから来たんでしょ?」
「そんなに遠くないとは思いますけど……そうですね、私も元々は、ここの人間じゃありませんよ」
確かに私は家族を探して、砂や雲など色々な場所を回り、木の葉へとやってきた。
時空眼を開眼して過去のことを思い出したけれど、生まれは木の葉じゃなかったし。
「ハン!私と同じ幸運な奴が、他にもいたとはね」
それでーーと女は私を見やる。顎を上げて話しているから、自然と上から見下されているようだ。
「アンタの狙いはいったい何?」
「狙い?」
「とぼけないでよ!」
女は苛立たしそうに足で地面を叩く。
「ひょっとして特定の誰かを狙って……それならまあ……だけど逆ハーの中から一人でも削られるのは避けたいわ……」
ま、またぶつぶつと何か言っている……おかしいな、やっぱりナルト達から聞いた話とだいぶイメージが違うんだけれど……慣れない里に馴染もうと毎日元気に振る舞って、疲れちゃったのかな。ひょっとして今はストレスの発散中?
それなら望むところだ!私は気を遣われるような人間ではないから、気の済むまで思う存分愚痴を吐き出してくれればーーって、もしかして私Mっぽくなってる……?
「名字名前」
すると名前を呼ばれた。
考え込んでいたためうつむいていた顔を上げると、女はようやく笑う。
けれどニコニコというよりは、どちらかといえばニヤリという笑みだった。
「アンタの好きにはさせないから。叶えられるのは、私の願いよ!」
ーー女は自分の頬をぶった。
「キャアアアアア!」
呆気にとられていると女は叫び声を上げる。
「ーーどうしたんだってばよ!」
声が届いたのか、少し経ってナルトとサクラ、それにサイがやってきた。三人はまだ待機所にいたんだろう、と頭の片隅で思う。
脳の大部分を占めているのは、女への驚愕と衝撃。
「名前さんが、この人がいきなり私のことをぶってきて……!」
この女ーーえっ、Mだ……!
自分で自分のことを叩くなんて、それ以外に考えられない。
けれどそれなら何故私に罪をかぶせた?
ーーハッ!
そ、そうかこの人は自分がMだということを周りに知られたくないんだな!?
けれどどうしても自分のことを痛めつけたい。
だから私がぶったことにしたのだ。
ーー自分に正直であろうとする心と、けれど周りの目を気にしてしまう心……こんなにも難しいことなんだな……。
涙ぐみそうになって、唇を噛みしめる。
すると私を見たサクラがハッと息を呑み、駆け寄ってくると肩を抱いた。
「名前、大丈夫?」
「サクラ、私は大丈夫だよ。それより彼女がーー」
「もう、何言ってるの」
サクラが私を抱きしめる。
「名前は昔から、敵に対してだって、心を入れちゃうのよね……ねえ、アンタ」
サクラは私を抱きしめたまま女を向いた。
「名前が誰かをぶったですって?下手な嘘はやめてくれる?」
「嘘……!?」
目を見開いた女は、顔を両手で覆う。
「ひ、ひどいサクラさん……!私よりも、名前さんのことを信じるのね……!」
「当たり前でしょ」
「……ナ、ナルトくんとサイくんはーー」
「俺はさ」
ナルトがぽつりと呟く。
「お前が里に入りたいって言った時も、別に止めはしなかった。カカシ先生達の意見もあるしな。だけどーー」
ナルトが女を見る。
ナルトは私と女の間に立っているため背中しか見えないが、女が息を呑んだのが気配で分かった。
「俺の大切な里と、そして仲間を、傷つけるってんなら容赦はしねェ……!!」
ーーま、まずい。
「君って、僕よりも嘘っていうか、取り繕うことが下手なんだね」
彼女の作戦が、案の定失敗してる……!
ーー右手で左頬を叩いたところまではよかったんだ。これでもし右手で右頬を叩いてしまっていたら、痕から自分で叩いたことが分かってしまうから。
けれど、右手で左頬、あるいは左手で右頬を叩くのは結構難しい。力がそれほど入れられないから、あまり腫れていないし。
サクラほどの怪力とはいかないまでも、私も忍ではあるから、私がもしぶったとしたならばもっと腫れるはずなんだ。
あああどうしよう。このままじゃ、私を犯人に仕立て上げてまで自分の性癖を隠したかった彼女の苦労が水の泡に……!
「ーー待って、ナルト、サクラ、サイ」
私はサクラから離れると、三人を神妙な面持ちで見渡した。
「私が彼女を、ぶったんだ」
ナルトとサクラ、それに彼女までもが目を見開く。
サイだけが変わらない様子で私を見つめ、口を開いた。
「そういえば、いたね。僕よりも嘘の下手な人が、もう一人」
「う、嘘じゃないよサイ。本当に私が彼女をぶってーー」
「それじゃあ、理由を言ってごらんよ」
「理由」
「うん。あるでしょ?この人をぶった、理由が」
り、理由だと!しまった、後先考えずに、とにかく彼女を助けようと口を開いてしまった!
ええと、理由、理由……!
「ぶーーぶちたかったから」
ーー!?私は何を言っているんだ!?
ぶちたかったからぶったなんて、そんなの暴君じゃないか!
「……彼女ぶちたいと思ったのはどうして?」
「そーーそこに彼女がいたから」
なんだこの答えは……!
だ、駄目だ昨日ある有名な登山家の本を読んでいたから。その中で、そこに山があるから登るんですっていう言葉があったから、思わず。
ーーそれからというもの彼女は私によく関わってくるようになった。おそらく先の一件で、私のことをSだと勘違いしてしまったのだろう。確かに言っていることはS以外の何者でもなかった。
「ーー名前さんが突然私に水をかけて……!」
「はぁ?ちょっとアンタ、この前サクラからも聞いたけど、いい加減にしなさいよね」
「い、いの、本当に私が水をかけたんだよ!」
「ったくめんどくせーな。それじゃあ、お前がどうやってこの女に水をかけたのか、言ってみろよ」
「す、水遁を最近練習していてね!」
「術食らったのに傷は付いてないの?」
「チョウジ、それは私の水遁がまだ未熟だからなんだ!」
ーーある時は水をかけたと言われ。
「ーー名前さんがいきなり私を転ばせてき……!」
「名前ちゃんは、そんなこと絶対にしません……!」
「いやヒナタ、実は私最近人を転ばせることにハマっていて!」
「人を転ばせることにハマってるってなんだよ。あ!それじゃあ名前、今度だるまさんが転んだしようぜ!最近面倒見てるガキ共と、一緒に遊んでやってくれよ!」
「キバ、それは人を転ばせるゲームではない。何故ならだるまさんが転んだとはーー」
またある時は転ばせたと言われーーシノのだるまさんが転んだの説明は長かったから省略である。
とまあこんな具合に、里の色々な人に、私はSであるということをひけらかして回っているのだ。苦行である。
一番辛かったのは、彼女が何を血迷ったのか、私に性的な意味で襲われかけたと服を乱して言った時だ。あれは言葉が出てこなかった。多分彼女は、自分の言い分を聞いてくれない皆に焦りを感じていたのだろうけれど。
「もうそろそろ、やめませんか……」
日々たまっていく疲れに、私はとうとう彼女を呼び出しそう言った。
「何よ!アンタだってノリノリで協力してきたじゃない!今さら勝手に……!」
「確かにそうなんですけど……私、本来はそういうタイプじゃなくて……結構頑張ったんですけど、やっぱり無理みたいです」
Sとして振る舞おうとしたけれどやっぱり無理なんだ。Sの思考を持っていないから分からず、そうして空回りしてしまう。
……いつ尋問部隊から誘いの声がかかるんじゃないかと、ヒヤヒヤしてるんだよね……。
「いいわよ……この、役立たず!アンタがいるから、私は信じてもらえないのよ!」
「うん……ごめんなさい」
「アンタなんか、堕ちればいい!最低なところまで、最悪なところまで!」
女が髪を振り乱して言う。
けれど私は今皆からSだと思われているだろうから、これ以上堕ちろと言われてももうーー。
考えていたところで、私は女に強く肩を押された。
ここは里の端にある崖の上。よろめいた私は二・三歩退きーーそうして空を踏んだ。
傾いていく景色の中、女が笑う。
彼女ーー上手いじゃないか。堕ちると、崖から落ちるをかけているんだな!
それに確かにまだ下があった。
ーー私をこの高い崖から落としたということは、彼女は私に怪我をしてほしいんだろう。そして彼女きっとこう言うはずだ。ーー名前さんは自分で落ちた、と。
私は見事SとMどちらの称号も手にするだろう。対極にありながらもそのどちらもを極めようとするもの……ああ、私はノーマルだったなのに、いったいどうしてこんなことに……。
無意味な行いはもう止めよう、と私は印を結ぶため手を合わせた。
彼女には悪いが私は忍。崖から落ちても傷一つなく助かる方法はいくつもある。
けれどその時、耳が風を切る音をとらえた。
はっとして振り返ると、見えたのは鳥。ーー墨汁で描かれたモノクロの大きな鳥だった。
「サイ!」
私を抱え鳥の上に乗せたサイは、どこか呆れたような、それでいてどこか怒ったような視線を向けてくる。
「お人好しにも程があるよ。名前」
その言葉には胸を衝かれた。
私は頷いて、そのままうつむく。
「そうだね。よかれと思ってやったことだったけど、間違ってたんだ」
空高く飛び上がった場所から、先ほどまでいた場所を見下ろす。そこにはナルト達に取り押さえられている彼女の姿。必死で何かを叫んでいる。
彼女が私を落としたところを、見られていたんだ。わざと泳がせると、カカシ先生も言っていたし。
彼女を助けるどころか、私が協力した果てに結果彼女は、誰かを落とすSだと思われることになってしまった。
Mとは思われなかったからめでたしめでたし、とはならないだろう。
「情けをかける相手を間違えると、大変なことになるって分かったでしょ」
サイの説教をしっかり受けとめるため重く頷く。
するとサイはちらりと笑って、私の頭を撫でた。
「僕からはこれだけ。後は、ナルトやサクラ、それにカカシさんも、カンカンだったよ」
ーー人の性癖に首を突っ込むのは、もうやめよう。
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