演習場の奥深く、林の中でぽっかりと開けた場所がある。
その中央で座り込み、息を荒くしながら私は頭を抱えた。
や、やってしまった……!
走っていたため体はかっかと熱いのに、かいているのは冷や汗だ。
ーーあの後どうにか叫び声は呑み込んだ私は、けれど全力疾走でその場から逃げた。
瞬身すればよかったんじゃないかと気が付いたのはついさっき。
思った時には精神的な部分が大きな原因となって疲れ果てていた。
これならよくお腹も空いてたくさん食べれるだろうし、今夜はよく眠れそうだ。
……そう、欲求は解消されるはずだった。
だから明日にでもカカシ先生に会っていれば、失礼な態度は取らなかったはず。
それなのにカカシ先生にあんな振る舞いをして、これからいったいどうやって接すれば……。
謝ることは必至だけれど……。
すると物音が聞こえた。
ハッと息をのんで、カカシ先生かと身構える。
けれど物音は私を囲むようにして、至るところから聞こえてくる。
ーー八つの気配。
困惑した私の前に現れたのは大小様々な八匹の犬、いやーーカカシ先生の忍犬だった。
「見つけたぞ」
口を開閉するしかない私を放って、パグらしきお方は続ける。
「カカシに報告だ」
「ーー!そ、それだけはどうかお待ちを!」
「しかしお前、名前を見つけろというのが今回のわしらに与えられた任務だ。……けど名前とやら、お前カカシの班の部下だったな」
しゅんとうなだれながら私は頷く。
「ならどうしてカカシを避ける。部下の中でもお前は一番素直だとか色々聞いていたが、反抗期が遅れてきたか?」
「いいえ、ただーーカカシ先生のそばにいると、ドキドキしちゃって……」
ぽかんと口を開く忍犬さん達に、動物だとしてもそこは口寄せ、やっぱり表情豊かなんだーーと思うが微笑ましさに浸れる気分ではない。
私は地面に手を揃えて、頭を下げた。
「だ、だからどうか今は、見逃してください……!」
「カカシにドキドキ!?」
すると右から別の忍犬さんが体当たりするようにぶつかってきた。
振り返れば、輝いた目が見上げてきている。
「それってつまり、カカシが好きってことか!?」
すると今度は左隣からまた別の忍犬さんがくっついてきた。
楽しそうに聞いてくるその問いに、私は一瞬だけたじろぐ。
そうして遠慮がちに口を開いた。
「あの、ええと……そ、そうなのかもしれません」
「なんだよハッキリしねえなあ!」
「すみません。だけど、あまりにおこがましくて」
「おこがましいって何だ?好きなら好きって言えばいいんだよ!」
「これでやっとカカシにーー春が来た!」
嬉しそうに駆け回る忍犬さん達は今にもスキップしそうだ。
すると背中に大きな何かがあたって、振り返ればブルドックのお方が重たそうな目で私を見てくる。
左右、後ろにそれぞれ、そして前にはパグのお方が揃った。
「そうか。やっとカカシも報われるな」
「あ、あの、パグのお方……」
「パックンじゃ。ーーしかし名前、カカシが好きならそれこそ何故逃げる。胸に飛び込んでいけばいいものを」
「あ、当たって砕けろと……!」
「砕けろとは言っとらん」
ぴょこんと膝の上に乗ってきた小さな忍犬さん。
仰向けになり腹を見せて、機嫌良さそうにころんと寝返りを打つ。
恐れ多くも思わずその腹に手を伸ばしながら、私は口を開いた。
「情けないんですが、やっぱり傷つくのが少しこわいというか……」
「傷つく?何の話じゃ」
「どうせ気持ちを伝えても叶わないですから、それなら無理に言葉にしなくても……もちろんカカシ先生は優しいから、その後も穏やかな関係を継続してくれるだろうことは、分かっているんですけれど……」
「名前、お前ーー」
「名前お前、撫でるの上手いな!」
「そ、そうですか?」
「次は俺のこと撫でて!」
ぐいっと頭を押しつけてくる忍犬さん達に心が癒される。
走ったことで池に落ちた時にかぶった水は、あたたかいこともあってかすっかり乾いていたため、ふわふわとした毛並みを存分に堪能できる。
「だからせめて今日だけは、カカシ先生を避けたいんです。自覚、と言ってよいのか……とにかくまだこの騒がしい心臓に慣れなくて。きっと時間が経てば自分をコントロール出来て、また前みたいに接することが出来ると思うんです……!」
「成る程な……しかしお前は鈍いと聞いておったが、どうして今日になって急に」
私は言葉に詰まる。
視線を泳がせど泳がせど、うつるのはそれぞれの忍犬さん達。
真っ直ぐに見上げてくるパックンさんに、諦めて肩を落とした。
「実は夢を見て……」
「夢は深層心理の現れだというからな」
「普通の夢なら自覚というか、こんな意識してしまうこともなかったんです。ただ今日見たその夢は少し……か、過激、というかーー」
「ーーお前ら」
後ろから聞こえた声に体を震わせると振り返る。
そこには木に寄りかかったカカシ先生が立っていた。
私は振り返った勢いのまま大きなブルドックさんの体にしがみつき息をのむ。
喉がしまって高い変な声が出た。
「何やってんの?俺は名前を見つけたら知らせてって言ったはずだけど」
「ちゃんと四方は固めておったぞ」
「いやそうじゃなくてーーまあいいか。ありがと」
歩いてきたカカシ先生は言うと解の印を組む。
別れの言葉もそこそこに、忍犬さん達は白煙に消えて戻ってしまった。
近付いてくるカカシ先生は少しうつむいているため、表情を窺い知ることができない。
私は勢いよく頭を下げた。
「す、すみませんでした……!」
「……何が?」
「失礼な態度をとってしまったことや、お、おそらく今、話を聞いていたと思うんですが……」
「過激な夢、だっけ」
幻滅されてしまうだろう、と青ざめる。
けれど再度謝ろうと口を開いた。
するとカカシ先生に腕を取られ、起こされる。
カカシ先生は自らも地面に腰を下ろすと、目を見開いた私のことを膝の上に乗せた。
瞬く私に、カカシ先生は頬を緩めて笑う。
「怒ってないよ」
え、と口を開く私に、カカシ先生はたまらないと言ったふうに笑い声を上げる。
そして頭を撫でてくれた。
今度は私も、逃げなかった。
「私はカカシ先生に、失礼なことをしたんですよ……?」
「俺から逃げたことは、確かに悲しかったかな。ま、理由を知ればそれはまあ可愛いものだけど。にしても、パックンの言った通り、胸に飛び込んできてくれればよかったのに」
「ーー!?カ、カカシ先生いつから後ろに……!?」
「いやー、名前、だいぶ動転してたみたいだね。いつもは人一倍気配に敏感なのに」
それでーーとカカシ先生は更に私のことを引き寄せた。
驚いて見返した先で、先生は笑う。
「過激な夢っていったい、どんな夢……?」
「ーー!」
「言っても怒らないから……ね?」
「え、えっとーー」
言いかけて私は止まる。
「い、言えませんよ……!」
怒らないから本当のこと言って、という言葉は大体嘘だと聞いたことがある。
本当のことを言えば大抵怒られると。
それにーー。
「ゆ、許してくれるのはとても嬉しいんですが、だからと言って内容を言えるわけじゃ……」
「……そんなに恥ずかしいことしてたの?」
私は慌てて首を振る。
「そこまで過激じゃ……!」
「それじゃあ、言って」
「カ、カカシ先生……」
「ちゃんと、名前の言葉で」
「あの、聞いてたならーーい、今も胸が、それはもう、うるさくて……」
うん、と先生はにっこり笑った。
「思う存分ドキドキしてよ。名前」
まさか、これが罰か……!
覚悟を決めて固く頷く。
けれどやっぱり言葉を発する時点で躊躇した。
うつむく私を、カカシ先生は覗き込むようにする。
「名前……言って」
「えと、カカシ先生とこうやって……と、とても近くて」
「うん」
私を抱きしめるカカシ先生のしっかりとした腕。
全身から感じるのは人間のあたたかさ。
低い声は耳をくすぐって、見つめてくる目と目が合うと息が詰まる。
逃げるように顔を逸らした。
「頭が、くらくらしてきました……」
「……可愛い。名前」
言うと先生は口布を下ろし、私の頬に口づける。
「えっ、カカシ先生」
「夢の内容って、こういうことでしょ」
「こ、口布を……!」
「ああーー夢の中では、下ろしてなかった?」
問われて私は先生の顔から目が離せないままに何度も頷く。
「確かに夢って、いくら奇想天外なものでも、自分が知らないことは創り出せないって話だからな」
「なるほど……。いやそれより、カカシ先生……!」
話している間も口付けは止まらなかった。
首筋にかけて下りていくカカシ先生のそれに、震える息を繰り返す。
「も、もうこの辺りで夢は覚めました……!」
「もう?早くない?全然過激じゃないよ」
えっ、と声を上げる私に先生は笑う。
「夢なら、覚めたら俺から逃げられたけど……今は現実だから」
先生は続けて言った。
「予知夢だったのかもね。見てくれてありがとう。名前」
「せ、先生ちょっと待ってーー」
言いかけて息をのむ。
先生は私の後頭部に手をやると少し傾け、耳を軽く噛んできた。
柔らかい刺激が体の芯に伝わって、顔に朱が上がったのが分かる。
「カ、カカシ先生本当に、駄目です……」
ふと私の顔を見たカカシ先生がぎょっとする。
そうして瞼にキスをしてきた。
目を閉じたことで頬を伝う涙を、先生が舐めとる。
「こんなこと、駄目です」
「ご、ごめん。大人気なく、急きすぎたね。もしかして、こわかった……?」
「いえ、こわいとか嫌だとか、そういう気持ちはないですけど……」
「よかった……けどじゃあ、なんで」
「先生は確かに優しいですけど、こんなことして私の気持ちを汲んでくれるのは度が過ぎてます」
先生は何度か瞬く。
次いで呆れたようにため息を吐いた。
「あのねえ名前、俺は優しさで名前にこういうことをしたわけじゃないんだけど」
その言葉に、えっ、と私は目を見開く。
「大体優しさでこんなことしたら、それこそ最低でしょーが」
「情けをかけてくれたわけじゃ、ないんですか?」
「違うよ……俺はね名前」
カカシ先生は何かを言おうとして、けれど頭をかくとそっぽを向いてしまう。
不思議に思って見上げれば、先生は私を抱きしめた。
顔が見えなくなる。
「したいと思ったから、したの」
「カカシ先生……!」
「こんな歳して切羽詰まって、恥ずかしいけどね」
「カカシ先生もーー欲求不満だったんですか……!」
ーー沈黙が降りた。
「いや、あのね……えーっとなんて言ったらいいのかな……」
「す、すみません違いましたか?」
「……名前に対しては、そうだよ」
目を見開く私に、カカシ先生は続けた。
「名前だから、したいと思うし、名前以外にはそんな気持ち、起こらない。……言わせようとしてたのは俺なのに、どうしてこっちが恥ずかしいこと言ってるんだろ……」
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「カカシ先生、その、そろそろお仕事に戻らなくても大丈夫なんですか……?」
「戻らなくちゃとは思ってるんだけど、どうにも名前から離れられなくてね」
カカシ先生の言葉に頬の熱を感じながら、返す言葉が見つからなくて唇を噛む。
先生はあれから顔中にキスしてきたり、首筋を噛んだりと色々なことをしていた。
私は極度の緊張で、これは果たして夢なんじゃないかと考え始めているところだ。
「けれどカカシ先生、やっぱり口寄せ動物と忍はどこか似るところがあるんでしょうか?」
「……舐めたりしてるからって、俺をあいつらと一緒にしないでくれる」
「それじゃあ、オビトさんに聞いたんですか?」
「ーーどうしてここでオビトが出てくるわけ?」
私は首を傾ける。
「さっき、私の涙を止めてくれましたよね。あれは前にオビトさんもしてくれたことがあって……あれ、違うんですか?」
「いやーーごめん名前、俺ちょっと一旦仕事に戻るね。後で行くから、家で待ってて」
「は、はい。お仕事お疲れさまです!」
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