呪術



※猪野視点のお話になります。


俺は猪野琢磨。七海サンに憧れる二級呪術師で、七海サンにも一目を置かれている存在(ですよね七海サン?)七海サンの命令とあらば速やかに遂行し誰よりも役立ってみせるのが俺。最近では馴れ馴れしく七海サンのことを「ナナミン」と呼ぶ高専生がいるらしいが俺はそんなの認めない。

任務を終えて七海サンの所に行ったら不在な模様。近くに居た補助監督に聞いたら珍しいことにご飯を食べに行ってしまったらしい。七海サン、普段は昼飯なんて高専内で済ませてしまうのに。幸いにも行き先を補助監督に伝えていたようなので場所はわかった。
……さて。俺はこの後どうしたらいいのか。そんなのはもう決まっている。数分前に来た道を戻り、外の冷たい空気を肺に目一杯吸い込みながら少しだけ早足で歩いていく。目的地はそんなに遠くではない。

高専から約十五分程の所にあったその場所は少しだけレトロな雰囲気を漂わせていた。七海サンって本当にこういうオシャレな店知ってるよな。少しばかり今の自分に似つかわしくないと思いながらも、その先にいる人物の元へ。目立つ風貌をしているあの人はわりとどこにいても見つけやすいからコチラとしては助かるのだ。


「なーなみサーン!俺もご一緒させてくださーい!」


せめてもの礼儀と言わんばかりの言葉と同時に七海サンと反対側の席に座る。

ここで、俺はある失態を犯したことに気がついた。

いつもだったらため息を溢しながらも「どうぞ」と言ってくれる七海サンだが、今日はどうもその様子はない。むしろ少しだけ怒っているような……?そしてそれと同時に左手に何か柔らかいものが当たる感触。その生温かいものに視線を辿らせていくと俺よりも一回りくらい小さな、手。……手?さらにその上に視線を向けると、困ったような、照れたような。女性の顔が両目一杯に映り込んできた。


「え、あ。すみません」
「いえいえ。……七海くんのお知り合い?」
「…………まぁ。そんなところです」


いや!!七海サン!!お知り合いどころじゃないでしょう!!……と。本当なら思い切りツッコんでやりたかったけど、どうやら今はそんな空気ではない。隣からはとても穏やかな空気が流れてきているのに、真正面からはとても冷ややかな空気が流れ込んでる、というより刺さってきている。お姉さん。この空気冷たくないですか?真冬なのに。痛くないですか?


「お邪魔しました〜……」
「え。せっかく七海くん追ってきたのに」


どうせだったら一緒にご飯食べませんか?と素敵なお誘いをしてくれているお姉さんの優しさに涙が出るかと思ったけど、今は別の意味で涙が出そう。七海くんも別にいいよね?と微笑む彼女に渋々ながらも頷いた七海サンの顔は、とても険しい。たぶん。いや絶対。『別にいい』なんて微塵も思ってないだろう。しかし一度頷いた手前というかなんというか、横でニコニコと笑っている彼女に対して文句も言えなかったのだろう。いつまでも立っていた俺に座るよう促した七海サンは、メガネのフレームを一度だけ直していた。





「へぇ。じゃあ猪野さんは七海くんの良き理解者なんですね」
「そういうわけではないです」
「そんな即答しなくても良くないっスか!?」
「照れてるだけだよ」


ね?と首を傾げながら聞かれた七海さんはもう一度「そういうわけではないです」と呟いていたが、先程発した言葉より……なんていうかこう、少しだけやわらかい感じがした。いや。相変わらず俺に対する眼光はやや鋭いが。
中学時代の同級生で、名前は名字名前サンなんだということを紹介してもらったのは席に着いてからすぐのことだった。朗らかに話す名字さんは初めからそうだったが笑顔が多い。俺が緊張しているんだと思っているのか場の空気を和ませようとたくさんの話題を出してくれている。(まぁたしかに別の意味で緊張していたので間違いではない。)おかげでそこに溶け込めた俺はいつものように話し始めることができて万々歳。名字さんマジで良い人。


「二人はずっと連絡とかとってたんですか?」
「ううん。この前バッタリ街中で会ってね。少し雰囲気変わってたけど、あ、七海くんだ、って」
「……そんなに変わってもないでしょう」
「そもそもメガネなんてかけてなかったじゃない」
「えっ、じゃあ名字さん七海サンの中学時代の写真とか持ってたり!?」
「残念ながら持ってないよ〜」


家に帰れば卒業アルバムがあるから、それくらいじゃない?そういって少しだけ意地悪そうに笑う彼女を見て一瞬眉間にシワを寄せていたが、それもすぐに消えて失くなる。いいなぁ。七海サンの中学時代ってどんなんだったんだろう。今よりももっと刺々しいんだろうか。でもきっと昔から七海サンは七海サンだろうから、リスペクト対象にブレが出ることはない。あーマジでかっこいい七海サン。


「猪野くんは七海くんのどんなところが好きなの?」
「今それを話し始めると日沈んじゃいますけどいいっスか?」
「ふふ、愛されてるね七海くん」
「やめてください。猪野くんもあまり調子に乗らない」
「だって七海くんが今どんな人と関わっていて、どんな大人になったのかすごく興味があるんだもの」


さっき注文した紅茶にミルクを少しだけ入れたからか、うっすらと白い。あえてミルクティーにしないのは本人のこだわりなのだろうか。ゆるりとそれをかき混ぜながらそう話す名字さんは……なんていうか。なんて例えるのが正解なんだろう。わくわく?いや違うな。キラキラ?うーん。表現力が乏しいせいでピッタリな言葉が見つからないが、とにかくなんだか嬉しそうだ。久しぶりに同級生に会っただけでこんな顔するか?そこまで考え、ようやく一つのことに思い当たる。もしかして名字さんって七海サンのことが好き!?そう考えればいろいろなことに説明がつく。街中で会ったからといって「お茶しましょう」なんてことになるか?いやならない。俺だったら同級生に会ったとしても「あ、猪野くん元気―?変わらないね」ぐらいの会話で終わるだろう。なぜならそれはなんの脈も絡もない相手だからだ。つまりこれらをまとめて考えると『名字さんは七海サンのことが好き』ってことになる!!うわー!すごい俺!七海サンにめちゃくちゃ伝えたい!!
気持ちが昂ってアイコンタクトを取ろうとしたが七海サンは目の前のブラックコーヒーから視線が外れない。七海サーン!俺のこと見てくださーい!


「貴女が思うような素敵な大人にはなっていないですよ」
「そうなの?」
「むしろ、そう見えるんですか?」
「さぁ。どうでしょう」


駆け引きのような問答に、ソワソワしてしまうのは俺のほうだ。心臓が妙にドキドキしているのは名字さんが次にどんな言葉を使うのかが全くわからないから。アイコンタクトをとるどころではなくなってしまった俺は目の前のメロンソーダを少しずつ飲み干す。ストローを通って喉に直撃した緑色の液体は、さっき飲んだのよりも刺激が弱いように思えた。


「でも七海くんは」
「……」
「昔から変わらないね。本質的なところ」
「……それは」
「ずっと、憧れていたからわかるの」


どこか遠くを見ながら呟いたからだろうか。今まで話していた声量の半分ぐらいでしか形成されていない言葉だったけど、それは俺にも、もちろん七海サンにだって届いたであろう。

この返しを一体どのようにするのだ、俺の尊敬する一級呪術師は。

視線を、気づかれないように飛ばす。
一瞬。本当に一瞬だけ盗み見るつもりだった。嘘じゃない。
それなのに。目の前にいる七海建人という男が魅せていた表情が……あまりにも優しいものだったから目が離せなくなった。そんな、一度も見たことない顔。何をどうすればこの感情が消化されるのがわからないが、今はっきりと言えることはただ一つ。俺がこの場にいることが『場違い』だということ。最初からわかっていたような気もするが今、まさに。まざまざと突きつけられた気がする。いや気がするじゃないな。確定演出ってやつですよ。


「俺!先出てますね!」


せめてもの償いというかこの場に居合わせてごめんなさいとお話しに混ぜていただきありがとうございますの気持ちを示すためにも伝票を掻っ攫う。ここは俺に任せてください。背中でそう語りながら去る俺に何か言葉がかけられていたような気もするが、ここで振り返ってはいけない。行くんだ猪野琢磨。

あぁ、でも。いい瞬間に立ち会えたような気がする。俺の尊敬する人間のしあわせの入口みたいなの見られて。












今日はたぶん

なんかいいコトありそうな気がする!










「……行っちゃった」
「騒がしくしてしまってすみません」
「元気いっぱいだったね」
「……それに」
「ん?」
「嘘もつかせてしまった」
「嘘?」
「街中でバッタリ会った、ではなかったでしょう」
「あぁ、そのこと?」
「すみません」
「嬉しかったよ。……私だけかと思ったから」
「…………卒業アルバムのことを言っていますか」
「覚えててくれて、本当に嬉しかったの」
「自分でも、覚えていたことに驚いています」
「……なつかしいね」
「……本当に」






もう一度会えたなら、その時は

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