呪術



最悪な誕生日のスタートになってしまったと言えば、出だしはいいだろうか。一体どんなことがあったの?と気になってくれるような言い回しに、実はねぇ……と。いつもの明るい口調で話せるならよかったけど、残念ながら今回ばかりはそういうわけにもいかなかった。自分の家に帰って無心でシャワーを浴びている私は、何も朝だからという理由でそうなわけではない。必死に、思い出してるのだ。排水口に流れていく泡のように、消えている自身の記憶。

昨日は補助監督仲間数人で飲んでいた。日頃の大変さ、やり甲斐などを熱く語りながらも、話題はいつの間にか各々のプライベートなものへ。付き合ってる人はいるのか、とか。呪術師の中で付き合うなら誰がいいかとか。周りに誰もいないのを良いことに随分と好き勝手言っていた気がする。ちなみに私は圧倒的に五条さん推しだった。性格だけ除けばあとは完璧な人間にまんまと沼ってしまったのである。「性格は妥協できないでしょ」という言い分を掲げている同期の言葉もわかるが、もしかしたら彼女に対しては甘い一面があるかもしれない。そんな薄い期待を勝手にして盛り上がっていたのだ。けれどあくまでそれは飲み会の席だけの話。現実に戻ればそんな甘い展開はやってこないし、なんなら明日……って言っても今日か。だって普通に五条さんとの任務が入っている。切り替えていかないと、と思っていた矢先のことだった。目の前に五条さんが現れたのは。一瞬、幻覚とさえ思ったけどまだそこまで飲んではいない。呆けていた私に「今日はアンタたちも飲み会だったんだ」と声をかけてくれたのは、五条さんの後ろにいた家入さんだった。どうやら術師の皆さんも飲み会だったようで、うまいことマッチングしてしまったらしい。
一緒に飲みませんか、と。誰かが言ったような気もするし、違う気もする。その辺から記憶が少し曖昧だ。……でも。お酒のペースが早くなったのはたしかそこからだった、はず。だって突然隣に五条さんが来たかと思ったら、そこに座って飲み始めてしまったから。(ソフトドリンクだったけど)


「名前はよく飲むの?」
「え、あぁ……まぁ、飲みます、ね」
「へぇ」


急に推しが横に来て話しかけてきたらみんなあわあわするでしょ?とどこにぶつけていいかわからない焦りやら何かをお酒で発散していたから、ペースも異様に早くなってしまったのだ。仕事とプライベートは別。任務を共にするのは別に恥ずかしくなんかないけど、こういったお酒の席で会話するのはまた違うのだ。そう心の内で叫んでから、ぱったりと。私の記憶は途絶えている。

次に目が覚めて飛び込んできた光景は、五条さんの寝顔と朝日。しかも、互いに下着しか身に着けていない状態で、だ。血の気が引くというのは、恐らくこういう時に使うのが正しいのだろう。咄嗟に布団から出て辺りを見渡せば自分の部屋でないことに気がつく。一瞬ホテルかと思ったけど、それにしては随分と簡素だ。……もしかして、五条さんの家?そう思ったけど、それを確かめている余裕は私にはなかった。丁寧に畳まれていた衣類を急いで身に纏い、自分の荷物を取って静かにその場から立ち去った。なんとかタクシーを拾って自分の家まで帰り、話は冒頭へ戻るというわけである。
……ありえない。もしかしたら私、五条さんとそういうことしちゃったの……?あの状況だけでは判断がつかないとはいえ、ほぼ黒に近いグレーだということぐらい私だってわかってる。あぁ……っ。なんでよりによって今日五条さんとの任務が入ってるんだろう。せっかくの誕生日。こんなモヤモヤした気持ちで過ごすのなんて本当に最悪だ。いっそのこと休めないだろうか。誕生日休暇とか言って。そこまで考えて休むことを一瞬本気で考えたけど、そんなことしたら恐らく伊地知さん辺りが被害を被ってしまうだろうというのまでがセットでまとわりついてきたから止めた。だめだ。あの人に迷惑はかけられない。







「おっはよー!名前はいつも時間通りで偉いね」


いつも通りが今日ほど不気味に感じたことはないかもしれない。目の前に現れた現代最強呪術師は思考回路も最強クラスなのだろうか。いや。もしかしたら彼も覚えていない、むしろ知らないかもしれない。よくよく考えてみれば五条さんは私の家を知らないわけだから送ろうにも送れず、ひとまず自分の家に連れて帰ってソファとかにでも寝かせておいてくれてたのかも。それで私が図々しくも彼のベッドに潜り込んで……とか。考えたくはないけど。どちらにせよ何故お互い下着だけだったのかには説明ができないけど、もうこの際考えないという案もある。


「で?なんで先に帰っちゃったの?」
「え。今聞きますか?」


先程まで他愛もない話で盛り上がっていて、よし、これなら忘れている可能性大!!と心の中で盛り上がっていたというのに。車内に乗り込んで少し走らせてからの突然のぶっ込み。逃げ場がなくなってから聞くのって、あまりにずるくないですか?


「だって酔ってた名前を放っておくわけにはいかないじゃない?」
「あ……りがとうございます……」
「なのに勝手に帰っちゃうなんてさ」


ひどいよね?という言葉は後方から飛んではこなかったが、口に出さなくても彼は言っている。隠れた目元は、きっと笑っていない。


「すみません。一声かけるべきでした」
「ん。いーよ」


いいよとは言っているが、なら何故この車内の空気は先程よりも重いのだろう。圧。たぶんこれがそうだ。重苦しいに近い空気が肺の中に入っていき、なんとなく息苦しさを覚えているのは気のせいじゃない。けれど、これ以上私が何を言えばいいのだろう。五条さんは、何を求めているの。いくら考えてもわからない答えは、まるで公式のない数学みたい。
それでも自分の身体は正確で、ちゃんと任務地まで送り届けているのだから心の底からすごいと思う。着きました。よく言葉を発せたなとも思うが、これは仕事なのだから当たり前だと誰かの声が聞こえる。


「すぐ終わらせてくるから、ちゃんと待っててね」


いつもだったら。この後寄りたい所があるから帰っていいよって言ってくれるのに。あろうことか「待ってて」なんて。あぁ……。今年の誕生日はこうやって悪夢のように終わっていくのか……。一度転げ落ちた岩が止まらないように、私の負のスパイラルも止まらない。こうなったら、お詫びの和菓子でも買って待ってたらいいかな。そんなことを考えながら車内で待つこと15分。おまたせ〜と帰ってくる五条さん。早すぎ。


「とりあえず何か美味しいご飯食べに行こうよ」
「はい?」
「僕、いいお店知ってるんだよね」


じゃ、そこまでよろしく。簡単な住所を告げてから何も言葉を発しなくった彼は、寝てしまったのだろうか。仕事的な話で言えば、報告書は?とか。まだ他にも任務なかったっけ?とか。言いたいことは山積み状態なんだけど。ここで高専に戻ろうものならたぶん、いや絶対めちゃくちゃ不機嫌になる。そして私がいろいろな人から叱られる……!それだけは避けなければならない。もうその一心で車を走らせていた。








「時間帯的に混んでるかなって思ってたから予約しておいたんだ」


目の前に広げられた豪華な和食は、私が今まで食べたことのないような鮮やかさだった。え、私払える?その不安が五条さんにも伝わってしまったのか「全部僕が持つから大丈夫だよ」と言わせてしまった。ごめんなさい。嘘がつけないタイプで。


「あの、でもなんで私と食事に……?」
「だって名前、今日誕生日なんでしょ?」
「えっ、ご存知だったんですか!?」
「まぁね」


まさか五条さんに誕生日を知られていて、しかも覚えてもらえていたなんて!これだけで私今日一日がハッピーかもしれない。単純な脳は時に素晴らしいほどに切り替えが早い。口に入れていた味のしないご飯も今は、これ以上に美味しいものなんてないんじゃないかと思えるほどに口の中を満たしてくれている。そんな私を見て笑っている五条さんも、美味しい行きつけのお店を紹介できたからか心なしか嬉しそうだ。
すべてを食べ終えた後の満腹感というか、満足感に浸っている間の幸福度は最高潮だと思う。そんな時間に身を任せていた私に対して五条さんは何を思ったのか。突然口を開いたのである。


「ところで今朝のことなんだけど」


口にしていたミルクティーが暴れだし喉を直撃した。ちなみにこれは大袈裟なんかではなく、本当に暴れだしたのだからこれ以外に例えようがない。狼狽えている私を見てクッと笑っている五条さんはすべてを見透かしているのだろう。きっとそのマスクの下では目を細めているに違いない。な、なんのことですか。そう口にした私を追い詰めるように「具体的に言ったほうが、いい?」なんて。さっきまでの幸福度はどこへいった。


「何か誤解してるみたいで悪いんだけどさぁ」
「は、はい……」
「僕とキミ。なんにもなってないよ」
「………………え」
「なぁんにも」


張り詰めていた肩の力が、ゆるゆると少しずつ抜けていく。どうやら五条さんの話によると私はソファで寝始めてしまったらしく、動かすのもどうかと思ったからそのままにしておいたと。けれど五条さんがお風呂から上がったら私はソファではなくベッドを占領していて。……しかも下着姿で。そこで何を思ったのか面白がった五条さんがそのまま布団に入ってきて……朝になったと。


「なんで起こしてくれなかったんですか……っ」
「いや、名前起きなかったけど」
「あぁ……っ、もう!ごめんなさい本当に!!」


謝罪してどうにかなるものでもないけど、今回の出来事は完全に私の失態だったのだ。初めに予想した通りの行動を取っていたなんて恥ずかしいにも程がある。


「いやぁ、大変だったよ我慢するの」
「えっ、あの……ほんと」
「ねぇ、この意味わかる?」


その場にあった空気が一瞬にして薄くなった気がした。この意味って、どの意味。そう問い返すことも難しくて、言葉に詰まった私をただ真っ直ぐ見つめている五条さんからの視線が痛い。いや。実際には私からは見えていないのだから、そんなことはないはずなんだけど。どうしよう。なんて言ったらこの空気が元に戻る?


「間違いを犯しても、別に僕は良かったんだよ」
「は、い……」
「そうしなかったのは、名前との関係をそこで終わりにしたくなかったから。……って言えばわかってもらえる?」
「え、っと……」
「これでも僕、結構アプローチかけてたと思うんだけどね」


もし。これが私の夢とかじゃなくて、本当に起きてることだとしたら。もし。これが私の勘違いとかじゃないとしたら。今私はあの五条悟から告白をされているんだろうか。先程と同じように言葉には詰まっているけど、また違う苦しさで覆われている私の情緒は今、めまぐるしく動いている。


「名前」


僕もプレゼントが欲しいんだ。
そう笑った五条さんが目隠しを取ってサングラスに替えたその瞬間に、私の世界が弾け飛ぶ。今日という日があまりに濃ゆくて、何があったかと説明するのももう大変だけど。それでも結果だけ見てみれば最高の誕生日になったんじゃないだろうか。













一度立ち止まって振り返ると

あまりにいろいろなことがありすぎて
何もわからなくなる時がある


それならいっそ

振り返らなければいい



目の前を向いたら ほら

案外 見えなかったものが


見えてくるかもしれないよ









「五条さんも今日誕生日だったんですか!?」
「そ。僕たち誕生日同じなの」
「そうだったんだ……」
「運命感じない?」
「少しだけ感じます」
「少しかよ。でもま、ほら任務秒で終わらせて時間も余ったし」
「そうですね……?」
「これから食後の運動、しに行かない?」





そのお誘い、危険な香りがしますね

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