呪術



片想いの時が一番楽しいと思う、ということを言っていたのは、当時恋愛にのめり込んでいた友だちだった。その人のことが好きで好きで仕方がないの。そう話している友人はとてもキラキラしていたし、その話を聞いていると本当にそうなんじゃないかと思えてしまうんだから随分なプレゼン力だ。けれど残念ながら『そうなんじゃないか』と思っただけで『たしかにそうだね』と共感してあげることはできなかった。好きな人がいないというわけではなかったけど、楽しさよりも苦しさのほうが上だったから。理由はただそれだけ。そのぐらい好きだった、と言えば聞こえがいいかもしれないけど、私自身は随分とその心に振り回されてしまったのだ。それこそもう、恋なんてしない。そう言いたくなるほどに。





「名前アンタ、伏黒のどこが好きなわけ?」
「私野薔薇さんに伏黒先輩のことが好きだったって言ったことありましたっけ?」
「言ってなくてもバレバレよ!」


むしろなんでバレないと思ったの?そう問いかけながら呆れた顔で私を見る。やっぱり顔立ち整っていて綺麗だな。場にそぐわないことを考えていた私にさらにため息を重ねるその姿でさえも綺麗だ。
談話室に女子二人。他の人たちは別の所に出払っているらしく今この場にやってくることはない。だから野薔薇さんも私にこんな話を振ったんだろうけど、私からしてみればちょっと抉られるような内容だ。苦笑いを浮かべながら聞いているしかない。


「っていうか、『だった』って過去形?」
「そう、ですね。昔のことです」
「昔って。アンタ今いくつよ」
「十六です」
「そういうこと言ってんじゃないの」


しかし残念ながら昔のことであることに間違いはない。好きで好きで、どうしようもない。そんな感情はここに来る時に置いてきたんだから。

伏黒恵。同じ中学の一つ上の先輩。先生たちからは『手がつけられないような不良』と称されていたけど、私はそんなふうに思ったことはなかった。だって彼は優しい。みんな怖がっているけど本当はそんなことない。
人に絡まれた経験がある人はわかると思うけど、あんなに理不尽なことはないと思う。一体私があなたたちに何をしたんだ。そう叫びたくなるほど。そして私もそんな理不尽を体験していた。突然不良グループの一人から声をかけられてしまい、関わるものかと断ってからその場を立ち去ろうとしたのに捕まってしまった右腕。なんてついてない日なんだろう。心の中で今朝方見た占い一位なんてあてになんないことを改めて実感したところで意識は現実に戻る。しかし、どうだろう。よくよく見てみると先ほどまで私の腕を掴んでいた金髪の男は壁の方に吹っ飛んでいるではないか。え?なに?そう思ったのも束の間、目の前に出来てる不良の山に唖然とする。


「……伏黒先輩?」
「オマエ、危機感なさすぎ。ここ危ねぇって知らないのかよ」


そう吐き捨てるように言葉を投げつけてきたのがまさしく『伏黒恵』だった。初対面ではあったけど顔も名前も知ってたからすぐにわかった。学校、いやこの辺一帯の中で一番ケンカが強い人。なんでそんな人がここにいるんだろう。


「……あの」
「あ?」
「ありがとうございます。助けていただいて」
「別に助けたとかじゃない。通ろうと思ったらコイツらがいた。ただそれだけだろ」


ぼやくように彼は言っていたけど、果たして本当にそうだろうか。だって私は毎日この道を歩いているけど不良に絡まれたことも初めてだし伏黒先輩に会ったこともない。ここが危ないなんてこと、聞いたこともなかった。
ということは、だ。たぶんたまたまこの場所に不良がいて、たまたま伏黒先輩が通った、ということで間違いないはず。それをあえて隠すということは、もしかしなくても。


「……なに笑ってんだ」
「いえ……。とにかくありがとうございます」


きっとそんなに根っからの悪い人じゃないんだ。そう解釈したらなんだかとても愛おしくて、心が温まってしまった。一目惚れ?その言葉が当てはまるかは微妙だったけど、なんにせよ私はこの瞬間から恋に落ちてしまったのだ。

でも、大変なのはそこからだった。毎日同じ道を通っていても彼に会うことなんてまずない。一年半ぐらい通っていてもあの一回が初めてだったのだから、確率的にいえば1/600ぐらい。宝くじで三千円当てるほうがまだ簡単かもと思えてしまうような確率だった。学校が同じだから、という理由で毎日会えるのはたぶん普通に通っている人にしか適用されないルール。我ながら、随分と厄介な人を好きになってしまったらしい。

そうして先輩の在学中に会えたのは片手で数えたほうが早いぐらいだった。けれどそこで会ったからといって「あの時の!」と運命的な何かが始まるわけでもない。むしろ、ちら、とこちらを見て目を逸らされたということは、関わり合いになりたくないということなんだろう。心も折れかけていたけど、それでも好きになってしまったんだから仕方ない。
しかしそういった気持ちだって、本人がいなければいずれは風化するもの。卒業してからの伏黒先輩の進路はわからなかったし、知ろうと努力することもなかった。だって、知ったところで。だったら好きでい続けるのはもうやめよう。そう考えたほうが気持ちは楽だった。


「きみ、視えてるよね。しかも、無意識にでも祓ったことがある」


なのに、この目隠しの怪しい男の人が現れてからいろいろと変わってしまった。呪いのこと。呪術高専なるものがあるということ。え、胡散臭い。たしかに一瞬そう思ってしまったしそんな場所に行くものかって思ったのに。その人から「それにキミ、恵の後輩でしょ?」なんて言葉が出てくるものだから一気に思考回路は百八十度回ってしまった。この人、随分と話術が上手だ。

話を最後まで聞いて、出した決断が今というわけで。けれど私はここに入る時に決めたのだ。今まで抱いていた伏黒先輩への気持ちは全て断とう、と。だから野薔薇さんに言った「好きだった」は一ミリも間違えていない。


「ふーん。じゃあアンタ、新しい恋をしたいとかもないわけ」
「……あー。考えたことはあります」
「今度渋谷行くんだけど名前も来なさいよ。良さげな男捕まえて何か奢らせるわよ」


美女が二人で歩けばあちこちで声がかかるわよ。なんて。随分と楽観的に考えている野薔薇さんに苦笑いを向けながらも、たしかに新しい恋をしていなかったことに改めて気づかされる。叶うはずのない恋。けれど伏黒先輩に抱いている気持ちを払拭した今ならそれだってアップデートしていいはずだ。


「じゃあせっかくなので、行きます」
「よしきた!来週の土曜ね!」


何着ていこうかと今から意気揚々としている彼女と同じようにとまではいかないけれど、それそこそこに浮かれている自分がいることも事実だった。可愛い服とかあったかな。そんなことをぼんやりと考えながらテーブルの上のカレンダーに赤い丸印をつけておいた。







待っている間は長く感じるのに、いざ当日になってしまえばあっという間に感じることをなんと言うんだっけ。授業でやったような気がするし、やっていないような気もする。過去に学んだ勉強よりも先に思い出してしまうのは彼のことだから、なるだけ昔のことには触れないようにしているせいかもしれない。
秋らしい服装というのをネットで一生懸命調べ、出来上がったコーディネートで身を包む。普段しない格好だからかなんとなくむず痒く感じてしまうけど、大丈夫だと言い聞かせて息を吸う。何も渋谷に行って突然彼氏なんぞができるわけではない。今日の目的はあくまで誰かしらにご飯を奢ってもらう、だ。あわよくば、と野薔薇さんは言っていたけど、果たしてそんなに上手くいくものなのだろうか。今までが今までだっただけにそういったことに疎い私が彼女の邪魔だけはしないようにしないと。
時計を確認して、もう一度気合いを入れる。よし。行こう。


「……マジで行くのか」
「わっ……あ、え。おはようございます」


鍵穴に鍵を入れた瞬間に声をかけられ思わず驚いてしまったけれど、その主は間違えるはずもない伏黒先輩だったから条件反射のように朝の挨拶が口から出てくる。意外と私って運動部系の後輩気質なところあるよね。自分でそんな分析をしながら目の前に立っている先輩を眺める。何も発しない先輩も私を眺めているのだけど、一体何の用でここに来たんだろう。


「あの……何かありましたか?」
「行くのか、釘崎と」
「あ、はい」


もしかして何か買ってきてほしい物とかがあったのかな。それぐらいしか思いたることがなくて尋ねてみたけど首を横に振られてしまったからどうやら違うらしい。まぁでも伏黒先輩なら私に頼まなくても欲しい物があれば自分で買いに行くだろう。


「単刀直入に言う」
「は、はい」
「オマエ、俺のことが好きだったんじゃないのか」
「……は!?」


この人一体何を言い出すんだろうと頭で考えるよりも先に出てきたのは普段出すことのないような腹からの声。いや、だって。まさかずっと好きだった人から「オマエの好きだった人は俺だったんじゃないのか」って朝一で言われることある?想像を超えた先の発言に文字通り絶句していると、さらに畳み掛けるようにどうなんだよ、と。
これは、ここで回答を間違えるととんでもないことになるかもしれない。いやもうすでにとんでもない状況なんだが。


「……いきなり、どうしたんですか」
「釘崎に聞いた。渋谷で男捕まえに行くって」
「ほんとにあの人は……」
「俺は好きだったけど。名字のこと」


ズガン、と。頭を金槌で殴られたといえばわかりやすいだろうか。つまりそのぐらい衝撃的だったということ。むしろ衝撃の積み重ねでその辺の薄いガラスだったら容易に壊れてしまうところだろう。よかった。私が意外と丈夫な身体で。そんなわけのわからないことを考えていないとどうにかなりそうな私の心情を知ってか知らずか。どんどん迫ってくる伏黒先輩との距離はいつの間にかほぼゼロになっていた。壁に追いやられた私はさしずめ狩られる前のウサギだろうか。その瞳は、何を考えているのか全くわからない。


「伏黒先輩……近い……」
「近くしてんだよ」
「私、あの」
「好きか?」
「……っ」
「そうか、そうじゃないのか」


こんな。こんなに強引な人だったろうか。伏黒恵という人は。もしかしたら私の解釈で捉えていた彼は上辺だけだったのかもしれない。だって今こんなに近い距離で彼の心を見ているのだから。自惚れかもしれない。でもたしかに、触れられるぐらいの距離にいると思うのだ。


「………すき、です」
「………!」
「もうずっと。ずっと、前から」


一度知ってしまった恋を忘れようとしたことは何度もあった。実際についさっき、起きてから扉を開けるまではたしかにそう思っていたんだ。なのにこんなに簡単に覆されるなんて。悔しいとも思う。自分の意志の弱さに情けないとも。けれど。


「じゃあもう、渋谷に行く用事はなくなったな」


こんなに嬉しそうに笑う彼をこんなに近くで見られる日が来るとわかっていたら、そんなことはちっぽけな悩みごとだと笑い飛ばしてしまうだろう。髪に触れる優しいその手つきに温かさを感じながら目を閉じれば













きっとそれが

スタートの合図になる












「野薔薇さん怒ってるかな……」
「アイツならもう渋谷行ってるぞ」
「……え?なんでですか?」
「高専出る前に俺にあったのが運の尽きだな」
「……後日、そっくりそのまま返されると思いますよ」







最後に笑うのはきっとキミじゃない

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