呪術



甘い甘い。丸い世界。そのキラキラした世界の中には一体何が詰め込まれているだろう。瓶をそっと傾けながらそんなことを考える。窓際に置いたら溶けるかもしれないけど、光に当たる瓶を通して棚に映る影はなんだか幻想的でずっと見ていたくなってしまうから。今日は何味のアメにしようかな。他の人から見たら大したことじゃないかもしれないけど、私からしたら一日のしあわせを左右する大切なことなのだ。


「……何してんだ」
「あ、恵くん。いらっしゃい」
「っていうかちゃんと鍵かけとけ。不用心だぞ」


何もないはずの世界に、また一人役者が揃う。モブでもなんでもない、いなければならない人。恵くんは私にとってそんな人だった。彼が現れてくれたことで、また少し世界はキラキラする。


「もう少し時間かかると思ってた」
「あ?なんで」
「最近夢中になってる本あるでしょ?」
「あぁ……」
「読み終わってから来るんだと思ってたから」


今日は特に待ち合わせ時間を決めていなかったから、てっきり夕方ぐらいになるんだと思っていた。そう彼に告げると渋い顔で否定する。そんなことあるわけねぇだろ、と。そうかな。恵くん集中すると時間も忘れちゃうタイプだと思うんだけど。そう思ったけど、それを言ってしまうともっとへそを曲げてしまいそうだから秘密にしておこうかな。
部屋の中に入った恵くんがベッドに腰掛ける。窓際に置いてある瓶を眺めていた私の横から一緒にそれを眺める。そんなもん見て何が楽しいんだ、とか思ってるのかもしれないな。けれど彼はそういったことを言葉には出さない。だって、優しいから。人が本当に傷つくようなことは言わない。


「……色、反射して綺麗だな」


ほら、やっぱり。自分のよみが当たったことが嬉しくてつい微笑んでしまう。そうした私の表情の変化にもすぐ気づくから、なんだよ、って。拗ねたように言ってきたけど、べつにそんな変なこと考えてないから大丈夫だよ。


「そう言ってくれる恵くんが素敵だなって思ったの」


そうして身体を傾けて、寄りかかる。細身なのに意外としっかり筋肉がついていて、私一人がもたれかかったくらいじゃびくともしない。男の子って感じがする。
普通に男だろ。そう言われたのは付き合ってすぐの頃だったと思う。頼りないとか、そういうんじゃなくて。なんとなく、ちゃんと男の子なんだなぁって思って。それを伝えたらそう言われたんだっけ。今も昔も恵くんに対しての評価というか価値観は変わっていないから、やっぱりそう思ってしまう瞬間はあるけど。そういうのも含めて大好きだなって思う。


「私は明日もお休みだけど、恵くんは?」
「朝から五条先生と一緒に渋谷行く」
「……買い物?」
「違う。呪霊の気配探りに行くからついてこいって」


じゃなかったらせっかくの休みを潰してまで行かない。険しい顔をしながら一つひとつの言葉に負の感情を乗せていく恵くんだけど、五条先生はきっとそれでもしっかり学ぶであろう彼を選んだ。それは信頼がないと成り立たないことだから、もっと誇っていいことなのに。
少しだけ硬い髪に手を添える。そのまま優しく撫でるように動かせば、さっきとは違い気持ちよさそうに目を閉じる恵くんの姿が目に映った。

しあわせだな

気持ちがほんのり温かくて、ぼんやりとそんなことを想った。


「…………なぁ」
「ん?」
「キス、していいか」


そう聞いたことに意味ってあったのかな。私の返事を聞く前に重なった唇の熱を感じながら、数秒前の会話を思い返す。何度も何度も呼吸を奪われているのに苦しいなんて思わない。もしかして病気?


「ん、ぅっ」
「………っ、舌、だせるか」
「うん、っ、……は、」
「………上手」


我慢とか。自制とか。しているんだろうか。私よりも苦しそうな恵くんを見ながら、もしかしたら無理させてるのかも、とか考えたけど。私から”はい、どうぞ”と言うのはさすがにちょっと恥ずかしい。このまま沈んでもいいよ、って。言ってしまったらはしたないだとか思われるのかな。

結局そのまま数え切れない口づけだけで終わったけど、身体の中で燻った熱は逃げる場所を失ったまま。私、彼が大好きなんだなぁ。いまさらすぎることを改めて実感した、桃味のような一日だった。







飴。アメ。あめ。雨。
音にすると一つでも、こうして漢字で並べてみるといろいろあるんだから日本語って不思議だ。こういうところが外人さんの言う「日本語はムズカシイ」っていうところなんだろうな。外の雨音を聞きながらぶどう味のアメをなめて過ごしていた私はふとそんなことを考えた。さっきまで読んでいた本に感化されたかな。ベッドに横になりながら目を閉じて、口の中でコロコロと鳴る音に耳を傾ける。なんとなく癖になる音を聞きたくて必要以上にアメ玉を動かしていたから、少しだけ口の中が疲れた。

あの日、渋谷に行くんだと言った恵くんを見送ってから実はまだ一度も会えていない。学年も違うから授業で会うこともないし、任務も一緒になることがない。せいぜい体術稽古の時に彼を混ぜてやる時ぐらいだ、会えるのは。
たぶん学校にはいるんだろうけど、珍しく何もかぶらないから会う機会がない。こういう時学年の壁って分厚いなって思う。同い年だったらもっと一緒に過ごせていたのに。そんな理不尽な考えを張り巡らせながらもう一度目を閉じる。何もないお休みでも眠っているとあっという間に時間が経つんだから、体内時計はかなり狂っているのかもしれない。


「名前、いるか?」


律儀に三回聞こえたノック音。飛び込んできた声に体が反応し、勢いよく立ち上がった瞬間アメの襲撃にあう。ごほっごほっ。むせながら扉を開けると、ぎょっとしたような顔で私の背中をさすってくれた恵くんを視界に捉えることができた。久しぶりなのが嬉しくて、彼の胸にそのままダイブ。私の一番好きな匂いが体いっぱいに広がって、さっきまで感じていたぶどうの甘みなんてどこかに飛んでいってしまった。


「そんな慌てて出てこなくても逃げたりなんかしねぇ」
「それでも、身体が勝手に動いちゃった」


何にもないはずなのに二週間も会えなかったのは結構心に負担がきていたのだと、改めて実感する。ごめんね、こんなに好きで。きっと、それ自体は悪いことではないんだろうけど、もしかしたら負担になってるかもしれない。相手を思いやれない『想い』は時に薄荷のようなほろ苦いものだから。


「……久しぶり」


そう言って回された腕が私の身体を包み込む。忙しかった?まぁそこそこ。怪我とかなくてよかった。名前こそ特に何もなかったのか。そんな会話を玄関先でしている私たちは随分と枯渇していたのかもしれない。抱きしめられたまま離れたがらない私もそうだけど、回した腕を解かない恵くんも大概だから。


「あ、そうだこれ」


ようやく身体一つ分離れた私たちの間に、一つの紙袋。彼から手渡されたそれを受け取り中を見てみると小さな瓶が入っていた。


「……アメ?」
「この前渋谷に行った時。期間限定って書いてあったから」
「季節のフルーツアメ……」


瓶の中に入っていた色とりどりのアメは、この季節旬といわれる果物の味がする物だった。私がそういった”限定品”に目がないのを知っていて、これを選んでくれたんだろう。
恵くん。ありがとう。アメも嬉しかったけど、それよりも。そばに私がいない時でも私のことを考えてくれる時間が在ったという事実が、何よりも嬉しい。


「……一つ食べるか?」
「もう開けちゃうのなんだかもったいないな」
「一個おまけでもらったから」
「あ、そうなんだ。なら食べたいかも」


ポケットの中に入っていたアメを取り出し、袋を開ける。彼の手が大きくて何味と書いてあったのかが見えなかったけど、食べればわかるかな。
けれどそこで、ふと違和感に気づく。今、袋開けたよね?私ではなく、彼が。もう一度手元を見てみるとやはり彼の指先にアメ玉が収まっている。あ、もしかして食べさせてくれるのかな?そんな淡い期待をした私は目を閉じて放り込まれる瞬間を待つ。しかしいつまでもその瞬間が訪れないのでゆっくり目を開けると、笑いを噛み殺しているような表情の恵くんが飛び込んできた。


「……えっと?」
「悪い。アメ待ちの名前の顔が可愛かった」
「な、っ……!」


普段、可愛いとかそんなこと言わないから突然言われてしまうとどうしていいのかわからず狼狽えてしまう。


「大丈夫。ちゃんとあげるから」


その言葉と共に奪われたのは、間違いなく私の唇だった。初めから深いそれに、油断していた身体が正直に反応してしまう。口の端から唾が垂れているのなんて気にしないかのようにキスに没頭する恵くんがあまりに色っぽくて。年下なのに。そう思うけど、こういう時は下だなんて全然思えない。

……コロ

口づけの合間に、口内に現れたアメ。それに気づいたのは恵くんが私の顔から少し離れた時だった。


「ごちそうさま」
「……ずるい」
「先にアメ食べたことが、か?」
「甘さで私を翻弄する恵くんが、だよ」


久しぶりに堪能した甘さが序章にすぎないということは何となくわかってた。でもやっぱり心臓が保たないです。そんな文句を空になりそうな瓶に詰めて渡してやろうかとも思ったけど、最後はそれすらも甘く溶け出してしまうから














あんまり意味がないのかもしれないね








「梨にイチジクに、ザクロもあるんだ」
「アメの選別か?」
「何があるんだろうって思って」
「普通のりんごとかぶどうも……ん?」
「……かぼちゃ?」
「かぼちゃだね……」
「……美味いのか?」
「さぁ………」






不明味覚は口づけで美味味覚

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