呪術



「ねぇ、いい加減機嫌直してよ」
『……もう怒ってないってば』
「電話越しでも嘘ってわかるんだけど」


そんなに嘘ばっかりついてたら鼻伸びるよ。そう忠告したところで会話は途切れた。いや、正確にはブツッという音と共に画面が切り替わっていたので通話終了ボタンを押されたのだろう。あーあ。切られちゃった。そう嘆いた僕に対して眉間に皺を寄せたのは七海だった。何か言いたいことあるなら言えよ七海ィと絡めば至極面倒くさそうに舌打ちするから、とりあえずその肩に腕を回しておいた。


「どうせ貴方が何かしたんでしょう」
「僕が何かをする前提なのやめろよ」
「……違うんですか?」
「名前のアイス食べただけだし」


さらに深いため息が聞こえてきたのはきっと気のせいじゃない。その証拠に七海の眉間、皺だらけ。回していた腕も振り払われてしまった。

自分に出来ることは山ほどある。五条家当主だし。それ以前に最強だし。なんでもこなせちゃうんだよね。……そう思って二十何年生きてきたけど、ここ最近『どうやらそうでもない』というのを肌で感じるようになってきた。今までひっくり返るなんてことのなかったこの理論が、突然逆立ちするようにひっくり返ったらそりゃノストラダムスだってびっくりするっつーの。


「彼女が優しいからといって調子に乗り過ぎなんですよ」
「は?オマエが名前の何を知ってんの?」
「変な絡み方されると本気で腹が立ちますね」


くだらないやり取りをしながら歩いていたからだろう。一体どうやったらそんな出っ張りができるのかと思うぐらいに盛り上がったコンクリートに躓きそうになった。まぁ無下限があるから転んだりはしないのたけれど。いやいっそ七海が転んだらめちゃくちゃ笑ってやるのに。


「転んでもすぐに起き上がるので」
「リアル七転び八起きじゃん。ウケる」


ブチッという音が七海の血管の切れる音だったのか。それとも何か違う音だったのか。判断はつかなかったがとりあえずその場から離れておくに越したことはない。


(そういえば今日の星座占い、最下位だったな)


最後にテレビ見たのっていつだっけ。というぐらい最近は電源を入れていなかったのに。愛らしいと生徒に評判のマスコットキャラクターが「ざんねーん。今日の最下位は射手座。やることなすこと上手くいかないかも」と喋っている瞬間にテレビをつけてしまった時点で運気は最悪。何が「今日の開運ポイントは油淋鶏だよ」だ。もう少し身近にある物で何とかならかったのだろうか。まぁ僕は伊地知に言えば簡単に油淋鶏も手に入るけど。七海から逃げながらそんなことを考えていたらお腹の音がぐぅと鳴った。







「と、いうわけでさ。機嫌直してよ」
「話の脈絡がなさすぎる……」
「ほらほら。名前の好きなアイス買ってきたよ」


呆れたように視線を飛ばす彼女に懇親のお願いポーズを取ってみせるけど、効果はいまひとつのようだ。『不機嫌』という文言を貼り付けているかのように顔をしかめている。眉間にも微かに皺が寄っており、『まだ私は怒っていますよ』というのをこちらにアピールしている。怒った顔も可愛いから別にそのままでもいいんだけど、そんなこと言うと「悟くん全然反省してないでしょ!」ってまた叱られるんだろうから大人しく黙っておこう。
しかし困ったなぁ。彼女が怒っている理由はただ一つ。三日前に僕が勝手に名前のアイスを食べちゃったことに他ならないんだけど。普段食べ物でもなんでも、こんな風に怒ったりしたことないからどう対処していいかわからない。この瞬間に思い知らされるのだ。僕が彼女に出来ることは山ほどもないのだと。


「私の好きなアイスで釣ろうとしても無駄だからね」
「一緒に食べたいから買ってきただけだよ」
「……………」
「あ、このアイスかぶっちゃった」


はぁ。深いようなそうでもないようなため息を溢しながら突然体育座りを始めた名前。冷凍庫に全てのアイスを収めてからそんな彼女の隣に座る。スーパーの袋はとりあえずその辺にほっぽっておこう。


「……あのアイス、冷凍庫の一番下に隠しておいたのに」
「あれ隠してたの?」
「なんで見つけちゃうかな……」


そう言いながらもう一度ため息をつく彼女は頭を抱えながら何やらブツブツと一人で喋っている。まぁでも名前の隠し方、いかにも『ココに何かあります!』みたいな感じだから見つけやすいんだよね。今後の為にも教えてあげようかと思ったけど、今言ったら火に油だからほとぼりが冷めたら教えてあげようかな。
隣で顔を膝に埋めている名前を見ながら三日前のことを思い出す。珍しく慌てた様子で「ここに入ってたアイス、もしかしなくても悟くん食べちゃったの……!?」と聞いてきた名前の言葉に頷いたのがすべての始まり。隠したところですぐに犯人は僕だとバレてしまうのだから潔く白状したし、なんならちゃんと謝ったのに。こんなに尾を引くなんて思ってなかったなぁ。


「……悟くんは」
「ん?」
「なんで私が怒ってるのかわかってないでしょ」
「アイス食べちゃったからでしょ?」
「……そうだけど。そうじゃないよ」


あのアイス、今すごい人気でね。一人一個しか買えないし、それも朝早くから並ばないと買えないの。この前野薔薇ちゃんに教えてもらって、せっかくなら悟くんと二人で食べたいなって二つ揃うまで我慢してたんだよ。なのに、食べちゃうから。


ゆっくりと口を開きながらポツポツと溢した言葉。どうやら彼女が怒っている理由は『僕と二人で食べたかったアイスを一人で食べてしまったから』ということらしい。
想像しているよりも可愛らしい理由に、表情筋が緩みきってしまう。嬉しさの反動が全て顔に出ているみたいに。


「……私、怒ってるんだよ」
「知ってるよ」
「そんなに嬉しそうにされても、許してあげないんだからね」


僕のお姫様はどうやら大変ご立腹のようだけど、そろそろその怒りも鎮まってきたんだろう?僕を見る顔がどんどん緩んでいるのがその証拠。
ねぇ。じゃあどうやったら許してくれるの?そう聞いて答えに詰まるなんて、本当名前って僕にトコトン甘いよね。


「……アイス。ちゃんと買ってね」
「わかった」
「お休みの日に、一緒に食べてね」
「もちろん。っていうか名前以外の誰と食べるんだよ」


ようやく触れ合えた彼女の体温が思ったより冷たくて。冷房の温度、少しだけ上げようかと思ったけどどうせ温まるしいっかぁ。そんなことを頭の片隅で考えていたのが彼女にも伝わってしまったようで「ちゃんと夜ご飯食べてお風呂に入って済ませるもの済ませるまでベッドには行かないからね」と釘を刺されてしまった。えぇ〜と駄々を捏ねてみたけどやはりこれも効果はいまひとつらしい。彼女に対してはいろいろなものが無意味になってしまうから、ほんと困ったもんだよ。



僕に出来ることは山ほどある

でも僕が彼女に出来ることは山ほどもない



このアンバランスが人間味に溢れていてとても楽しい。きっとこの先彼女と一緒にいても出来ることが爆発的に増えるわけではないだろう。でもそうやって楽しさが持続する人生もまた一興だと思う僕は酔狂だろうか?


「とりあえずご飯食べよう」


お腹ペコペコだよ。眉を下げながら話す彼女の機嫌はすっかり直っているんだから、本当にわけがわからない。クッと笑った僕を不思議そうに見ていたその愛らしい瞳に免じて









振り回されるのは我慢してあげるね










「……今日の献立は」
「油淋鶏にしてみました〜」
「…………」
「え、悟くんもしかして油淋鶏嫌いだった?」
「いや。そうじゃないんだけど」
「けど?」
「なんかほんと、名前ってすごいわ」








君の脳内に語りかけるホロスコープ


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