呪術



教室の窓を叩くような激しい音が朝から鳴り響いている。梅雨入りしてから十日。今のところ一日の雲の移り変わりを天気予報のお姉さんが外した事はない。朝から激しく雨が降り、夕方には少しだけ弱まるでしょう。それは昨日とあまり変わらないお姉さんの予言。まるでよく当たる占い師のような言葉か何かのようだと頭の隅で考え、寮を出た。

別に梅雨の時期は嫌いではない。なら好きかと言われればそういう訳でもない。なんともどっちつかずのような答えだけれど間違いではないから許してほしい。だってほら、梅雨の時期に咲く紫陽花はとても綺麗だし、可愛らしい傘を見つけるとそれだけでテンションも上がったりするじゃない?確かに湿気が多くてカビも生えやすいし髪の毛は上手くまとまってくれないし洗濯物も思ったようには乾かないけど。それでも嫌な事ばかりに目を向けなければ楽しい事だって転がっている。
たとえば今日のパンダくん。湿気がすごすぎて室内干しの嫌な臭いがすると真希ちゃんに怒られてたけど、その時のパンダくんの表情が何とも言えずに可愛かったとか。乙骨くんの寝癖が全く直ってなくて面白かったとか。湿気で眼鏡がくもりやすくて怒ってる真希ちゃんが、授業中だけ外してて可愛かったとか。


「…………あれ?」
「すじこ」


棘くんが下駄箱から外の様子を眺めて立ちっぱなしになっている、とか。


「帰らないの?」
「たかな、こんぶ」
「もしかして傘ないの?」
「しゃけ」


実は彼、ここに立ちっぱなしなのは今日が初めてじゃない。
最初に気付いたのは梅雨入りの発表があった二日後。あの日は見たい番組があったという事もあって少し急いでいたんだけど、今日と同じように下駄箱の所に彼はいた。その時は棘くんもこれから帰るんだ、ぐらいにしか思っていなくて、「棘くんまた明日!」と傘をさして走り出してしまったんだけど。その三日後、彼はまた下駄箱にいた。今度は座って。乙骨くんの事でも待ってるのかと思って告げた二度目の「また明日」ここまでだったら何とも思わなかったけど、今日。彼は五日前と同じように下駄箱にいて、今度は立って外を眺めているから。なんとなく違和感を感じたんだ。


「もしかして、梅雨入りがあった日もこの前も、傘……なかった?」
「しゃけ!」
「いや、そう!じゃないよ!ごめん、私気付かなくて」
「おかか。明太子」


気にしなくていいって彼は言ってくれるけど、いやいや気になるよ。知らなかったとはいえ棘くんを置いてけぼりにしてしまうなんて。


「じゃああの後どうしてたの?」
「こーんぶ」
「秘密ですか……」


彼がその秘密に対して口を割らない限り、私が正解することはないだろう。なので考えるのはやめだ。
しかしなんで彼は傘を買わないんだろう。ビニール傘なんてその辺で売ってるし、もしお気に入りの傘がいいというならそれこそお店とかに行けば今の時期至る所で売られている。余程需要のある傘でなければ手に入るはずなのにな。
そんなことを考えながら棘くんの方をチラリと伺う。一歩も踏み出さないところを見るに、『ここに留まります』という気持ちの表れなんだろう。それならばいっそ。


「あの、傘一緒に使う?」
「っ!しゃけ!」


待ってました!と言わんばかりの笑顔を向けながら私の手の中に収まっていた傘を優しく引き離し、己の手の中へ。丁寧に広げてもう一度コチラに微笑みかける。「たかな」と。







なんだかあの日の出来事が嘘だったかのように思う。というのも、あれだけ降っていた雨は突然その存在を消してしまったかのように止んでしまったのだ。束の間の晴れ。外を歩けば至る所のベランダから洗濯物が顔を出し、久しぶりの太陽との再会に心なしか喜んでいるような気がした。
しかしこれだけ連日晴れていたとしても梅雨が明けた訳ではない。湿った空気はそのままだし、なんならこの前教室の床がすごい濡れてて大騒ぎにもなった。(新手の呪霊か!?のような空気を五条先生自らが作り出してしまったのだから本当手に負えない)その日は朝から大掃除となってしまったし、水分をたくさん含んでしまったパンダくんのお洗……じゃなかった、お風呂入れまで行うことになって授業どころではなくなってしまったのだ。
そして、そんな日々の中で『湿気』が大きく動きだす。


「ひでぇ雨」
「おかか。ツナ……」
「狗巻くんもちょっと髪の毛濡れちゃったんだね」
「しゃけ……」
「僕もここにくるだけでびしょ濡れになったよ……。名前ちゃんは大丈夫だった?」
「靴下と靴が駄目だったね……」
「なんで俺には何も聞かない」
「見りゃわかるからだろうが」


パンダに人権や発言権はないとでも!?と怒り狂っているパンダくんを宥めているうちにやってきた日下部先生の「授業始めんぞ」の一声でみんな各々席に着く。……先生も雨に濡れたのかな。普段ではあまり見られないようなジャージ姿での登壇にそんな事を考えた。

窓の外では、相も変わらず雨が叩きつけている。







「えっと」
「ツナツナー。こんぶー」


軽い感じで挨拶を交わしたのは紛れもなく棘くんだったけど、目の前で座り込んでいる彼の手には先日同様何も握られてはいなかった。
え、傘はどうしたの?そう問いかける前に先手を打ってきたのは棘くんの方で、「こんぶ?」と首を傾げながら手を差し出してきている。……これは、つまり。今日も傘を貸して欲しいという事なのだろうか。


「聞いても無駄なのかもしれない」
「いくら?」
「棘くん、傘は?」
「おかか」


だよね。持ってきてないと思ってました。


「じゃあ今日も一緒に入る?」
「しゃけ」


可愛らしく「お邪魔します」とでも言うように私の持つ傘の中へ飛び込んできた棘くんは、隣に並んでみると意外と大きい事が分かる。教室ではそんな感じしないのに。
二人とも寮で生活しているし、校舎からすごく離れている訳でもないから本当に少しの間だけ。それでもこの傘の下にある特別な空間に不思議と気持ちもドキドキしてしまう。見ようによっては、というより見たまんまの相合傘だから。そんなワードを頭の中で思い浮かべたからか、自然と手に熱が篭もる。


(私だけこんなにドキドキしてて恥ずかしいな)


というのも、私が棘くんの事を一方的に『いいな』って思っているからなんだと思うけど。そんなことを一人心の中で呟きながら隣の棘くんを見つめると、鼻唄を歌いながらコチラに視線を飛ばしてきた。その歌ってたしか最近までやってた映画の主題歌だったっけ。


「棘くん、今度傘プレゼントしようか?」
「すじこ?」
「普通の傘が嫌なら折りたたみ傘とかでもいいんだけどさ」


ここまで頑なに傘を買わないとすれば何か理由があるのかもしれない。デザインが気に入らない、とか。大きさがイヤだ、とか。……でもそうなってくると私が選んだところで意味はないか。
ごめん、やっぱりなんでもない。その言葉が空気に触れるか触れないかのところで彼から発せられたのは「おかか」の三文字だった。いらないよ、という事をやんわり言われてしまい、だよね、と思う反面やはりどこか悲しくなってしまう。


「ツナツナ、たかな。……ツナマヨ」


立ち止まり、私の目を見て彼はそう言った。
「いらないよ」の言葉に続くその言葉は、まるで
「キミと一緒に入れる傘がいい」とでも言っているかのように聞こえる。
そんなの。私の勘違いだろうって思うのに。胸の内側で鳴り響いている心音の激しさが治まらない。


(勘違いだと、思うから)


そんな風に見つめないで。心の奥底からそう叫び出したいのにそれすらも叶わない。だからそんな私にできる事は彼の目を見つめ返す事だけ。


「あの、棘くん」
「いくら」
「私と、入りたい……の?」
「しゃぁけ」


嬉しそうに笑う棘くんが、こんな天気なのに眩しくて仕方がない。先程までの悲しい気持ちがどこにいったのか分からないぐらい今の私は浮かれている。

今度、二人で大きめの傘でも見に行こうか。
少し恥ずかしいけれど、その提案なら彼も呑んでくれる気がするから勇気をだして言ってみようかな。だってまだまだ雨の日は続く。占い師のお姉さんが告げる予言では











空が真っ青に晴れ渡る日など

まだ遙か先なのだから










「棘くんは雨嫌い?」
「おかか」
「えっ、そうなの?苦手なのかと思ってた」
「こんぶ。……すじこ」
「えっと、それは……」
「…………ツナマヨ」










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