呪術



※大学生パロ



異様に静かな部屋の中に男女が二人。この状況だけを見ればイイ雰囲気かのように思えるが、実際のところそんな事はない。何故なら目の前にいる彼女は惚けている訳でも幸せそうに笑っている訳でもなく、怒っているのだから。
大きな声で怒鳴る訳でも、責め立てる訳でもない。ただ目の前で涙を堪えながら、今から俺に何て言うべきかを考えているのだ。これは予想ではなく、確信。彼女の事を誰よりも解っている自信があるから分かること。


「名前」
「……………なに」
「何か言いたいことあるなら」
「……………………何もない」


何故そうも分かりきった嘘を吐くのか。その言葉には何の意味もない。


「むしろ何か言わなきゃいけない事、あるよね」
「…………ねえ」
「……うそつき」


今度は彼女から同じような指摘が入る。
分かっている。彼女が何に怒っていて、何に心を痛めているのかぐらい。しかし事はもう起こってしまったし、負った傷が秒速で消える訳もない。してない、なんて。そんな分かりきった嘘をついたって余計に悲しませるだけ。
それなら初めからこんな事しなければいいのに、と言われるかもしれないが、これはあくまで不可抗力によるもの。だから彼女を苦しませてやろうなんてこれっぽっちも思っていないのだ。

事の起こりは小一時間前。傷ついた額を押さえる事もしないで家路に着いた俺を、彼女が出迎えてしまったのが始まりだった。今日バイトだったのになんで家にいるんだ、とか、どうやって切り抜けよう、とか。いろんなこと考えている俺の元に「どうしたの」と慌てて駆け寄る名前の手をそっと避け部屋の中へ。
血がつくと汚い。そう思って取った俺の行動に不満が残ったのだろう。だから突然掴まれた腕には普段では考えられないような力が篭っていたのだ。そのまま引きずられるように居間のソファに座らされ、あれよあれよという間に処置が施されていく。そしてここで戻るのだ、冒頭の重苦しい空気に。


「……なんで、こんな事になったの」


そう言いながら眉上の傷、正確に言えば傷口よりも少しだけ下の位置にそっと指を当てる。そこには『切り傷』と呼ぶには相応しくない少しだけ深い刃物傷が五センチ程広がっていた。すでにその傷口から出ていた出血は止まってはいたが、彼女からしたら「そういう問題じゃない」という事らしい。いやまぁ、でも。今でこそ落ち着いたけど昔から喧嘩は絶えずあったしな……とはさすがに言えない雰囲気なので黙っておく。


「ふっかけてきたのは相手の奴ら」
「……うん」
「んで、その最中に狗巻先輩がやられそうだったから」
「…………かばった、ってこと?」
「あぁ」


でもまさか刃物まで出してくるとは思わなかったけど。ある程度の事実を含めてそう話せば渋々ながらも納得した様子の名前。
実際のところ、相手のうちの一人が狗巻先輩の彼女を。別の男が名前を。盗られたと勘違いしての逆恨みからによるものだったとは口が裂けても言うまい。なんでお前らが、とお決まりの文句を言って殴りかかってきた時にはさすがに笑えたけど。むしろ逆に言ってやりたい。なんでお前らが名前の隣を歩けると思っているんだ、と。
そもそも、いつ、どこで彼女の事を知ったのだろうか。もしこれがストーカー的な存在だとしたら。あの程度で済ませてしまったのは間違いだったかもしれない。彼女の事を視界に入れて申し訳ありませんでした、ぐらいに締め上げておけばよかったか。今後もしまた現れるような事があればそうしよう。


「……だからもう泣くな」


気付いたら大粒の涙を流しながら話を聞いているのだから気が気じゃない。なんなら名前が泣いてるだけで心臓握られてんじゃないかと勘違いしてしまうかのような感覚さえ起こる。
悪かった。その一言を告げて抱きしめれば、腕の中で堪えながらも何かが爆発したように泣き始めた。


「恵くんが怪我したら苦しい」
「名前が?」
「そう。たぶん恵くんより苦しくなると思う」


それはあながち間違いじゃないのだから可笑しな話だ。



出会った時から柔らかい女だった。雰囲気そのものが。俺が相手に与える印象がザラついたものであるならば、彼女は滑らかそのもの。表情も、言葉も。恵くん、と名を呼ぶ声すらも。
高校時代、たまたま席が隣になっただけの俺たち。初見、怖がられる事が多い俺に「伏黒くんの髪ってどうなってるの?」と聞いてきた名前の第一印象は、何というか、「変な女」だった。いや、別にどうもなってねえよ。そう返したら一瞬呆けた後笑ったのだ。伏黒くんって優しいんだね、と。……俺の返答のどの辺にそう思ったのかは知らないが、それからも名前は俺に対して臆することなく話しかけてきた。それが嫌じゃなくて、むしろむず痒いような心地よさがあって。気付いたら「好きだ」って言ってた。まるでそう言う事が当たり前かであるように。

付き合ってからも彼女のそういった雰囲気が変わる事は一切なかった。むしろ一緒にいればいいるほど深みにハマってしまうような、そんな感覚。いつだったかそれを直接名前に言ったら文字通りキョトンとした顔で「私はもう伏黒恵という底なし沼にハマっちゃってるよ?」なんて言うから。マジで俺、多分一生コイツには勝てないんだろうなって本能的に感じてしまったんだ。




「……それなら、今回のことは許してあげる」
「それだと助かる」
「でも次はもうダメだからね」
「……もし破ったら?」
「えっ?えーっと、しはらく口きかない、とか?」
「それは困る」
「っていうか恵くん、破る気満々みたいな口ぶりだね?」


そんなことないけど、と言えれば良かったのかもしれないが、咄嗟に口ごもってしまったからもう『そのつもり』なんだという事がバレてしまっているのだろう。だって仕方ない。俺自身がふっかける事は恐らくないと思うが、こればかりは相手の出方次第という事もある。喧嘩は一人では成り立たないのだ。


(まぁ別に)


負ける気がしないのだから正直いくらでも買っていいと思う。ただそういった事になる度に名前が悲しんでしまうからそうしないだけで。……やっぱり、こうやって考えてみると我ながら随分彼女主体の生活になっているんだと痛感させられる。勿論それが嫌だとかではない。


「ところで狗巻先輩は大丈夫だったの?」
「あの人ああ見えてかなり腕っ節強いから大丈夫だと思う」
「全然そんな風に見えないのにね」
「……俺は?」
「なにが?」
「俺は名前からどう見えてる?」


質問の意味が分からなかったのか俺の顔を凝視していたが、その口から「恵くんの事を……」と発せられているから真剣に考えている最中なんだろう。ってか、そんなに真剣に考える必要あるか?もっと簡単に、それこそ最初に思い浮かんだ事とかを適当に口に出せばいいのに。そんなことを考えながら眺めていたからか、手持ち無沙汰になってしまったからか。おもむろに彼女の身体を引き寄せて腕の中に収める。それでも尚も考えているのだからこれはこれで面白い。髪の毛に己の指を絡ませ遊んでいるうちにようやく名前の口が開く。


「難しい」
「そんなにか?」
「私の中で恵くんは恵くんにしか見えてないんだけど、その恵くんにはいろいろなものが込められているから」


だから一言で表すにはちょっと難しいよ。
疲れましたと言わんばかりに体重をかけ一休みする態勢に入る彼女を、今度は両腕で優しく抱きしめる。なんだよ可愛すぎ。耳元で囁くように流し込めば今度は照れたように笑うのだから、可愛さが循環して仕方がない。どこの終着点にこの気持ちを持っていけばいいのか。まぁそのゴールを見る事はまだまだないだろう。とりあえず近道はいらないし、なんなら迷路だっていい。二人で迷い込んでも、それはそれで楽しそうだもんな。


「恵くんからは?」
「ん?」
「キミからは、私がどう見えてるのかな」 


ふふ、と笑いながら俺の答えを待つその姿は、まるで何度も読んだおとぎ話のラストページを捲る子どものようだ。お気に入りのその本の最後はもう知っているのに、知りたくてたまらないって顔。




「唯一無二の宝物、だな」














右向け左

左向け右

迷い続けても、抜け出せても

そんなことに意味はない


何故ならそこは

二人だけしか入れない箱庭で

二人だけしか知らない宝の隠し場所なのだから












「……今日の夜ご飯は」
「ご飯と味噌汁、それに納豆」
「一応聞くが、もう怒ってないんだよな?」
「怒ってないけど少しは反省してもらわないと」
「……………………」
「大丈夫!納豆は健康にいいんだから!」











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