呪術



人が来るからお茶の用意をお願いします。

滅多にない彼からのお願いに多少驚きはしたものの、『彼が招く人』で思い浮かぶのなんて伊地知さんか猪野くんぐらいしかいなかったから、そんなに気負うこともないまま当日を迎えた。なのに玄関を開けてみれば、そこには二人のどちらでもない奇抜な髪色の男の子。柔らかいピンクベージュのそれが彼をそういう人物に見させているのかもしれない。
けれどその彼の口から「ナナミンの奥さん!?可愛い人だね!」と発せられたことでその印象はガラッと変わる。後ろに立っていた『ナナミン』こと七海建人は、眉間に皺を寄せながらも「当たり前でしょう」なんて歯の浮くようなセリフを並べながら男の子に家の中へ入るよう促していた。


「彼は虎杖悠仁くん。高専の生徒です」
「虎杖悠仁です!!はじめまして!!」
「こちらは妻の名前です」
「妻!!名前サン!!」


終始テンション高めの虎杖くんに圧倒されながらも名前を告げ挨拶を済ませる。このふたりに一体どういう接点があってここまで仲良くなったのかは分からないが、建人さんの連れてきた子なのだからきっと良い子なのだろう。お茶を淹れるべくキッチンに立ち上がろうとした私に「お構いなく!」と声を掛けてくれた彼に笑みをこぼす。


「ナナミンが結婚してたのにも驚いたけど、あんな可愛い人どこでつかまえたの?」
「言い方」
「だって気になんじゃん。あ、あれって結婚式の時の写真?見ていい?」
「どうぞ」


本棚に並んでいる他の写真よりも一回り小さな写真。よく気がついたな、なんて思ったりもしたけどどうやら彼はかなり目敏いらしい。細かいことにいろいろ気づくのだと後から建人さんに教えてもらった。


「ナナミンも名前さんも和装だったの?」
「どっちもやりましたよ」


香り立つレモンティーが入ったことを告げると、その写真を手に取りながらソファのある位置まで戻り「お邪魔します!」と言ってから座る虎杖くん。今時の子にしては随分と律儀だなぁ。その思いが顔にも出てしまっていたのか「彼はそういう子ですよ」と合いの手を入れてくれた建人さん。そんな彼に、今度は笑みを一つ。
ドレスの写真は残しておかなかったんですか?その質問に「ありますよ」と答えたのは建人さんだった。けれど実際、その写真がないことを不思議に思ったのだろう。私が言うのもなんたけど、虎杖くんも随分と顔に出やすいタイプの人だ。そしてその表情を読み取っているにも関わらず、答えを出してあげない建人さんは随分と意地悪だと思う。……でも。


(理由を知っているのは、私だけなんだよな)











「貴女の場合、洋装でも和装でも似合いそうですね」


なんてことない一日の終わりに、なんてことないように言った七海さんはいつもと変わらない表情を浮かべていた。報告書に向き合いながらブラックコーヒーを啜り、息をつくついでかのように吐き出された言葉に特に意味はないのかもしれない。そもそも私が見ていた雑誌の中身、なんで知ってるの?という感じだったけど、「表紙に書いてありますから」と先手を打たれてしまったので最早何も言えることはない。


「えっと、ありがとうございます」
「個人的な感想なのであまり気にせず」
「でも七海さんにそう言ってもらえるの嬉しいです」
「……そうですか」


先輩であり、尊敬できる呪術師の七海さんからそんな褒め言葉をいただけたら、そりゃあ嬉しくもなりますよ。思ったことを素直に伝えたけれどそれはそれで恥ずかしいような気持ちになって、赤らんだ顔を隠すように雑誌に顔を埋めた。
そこでふと、七海さんは一体どうだろうと考える。彼の立ち振る舞いというか、普段の感じを考えるとタキシードも似合うと思う。何色のでも着こなしてしまいそうだけど、やっぱりここは安定のシルバーグレーかな。髪の毛の色と相まって貴族のような見栄えになるに違いない。では、和装はどうだろう。紺地の羽織袴、それも黒五つ紋付きを身に纏い、花嫁を待つ七海さん。その姿を想像するだけで胸がぎゅっとなるぐらいにかっこいいのはもう間違いなしだ。いいなぁ。彼のお嫁さんになる人はそれをひとり占めできるってことだ。なんて羨ましいんだろう。


「どうかしましたか」
「あ、いえ!いろいろと想像していたらなんだか情緒が忙しくて!」


私の言葉に怪訝そうな顔をしていたけれど、先程と同じように「そうですか」と呟いた後は報告書から顔を上げることはなかった。







いつの間にこんな時間になっていたのだろうと思うほどに辺りは暗く、街灯の明かりが点々と赤く煌めいていた。
随分と長い時間、雑誌を読んでいたらしい。細かい字としばらくにらめっこだったからか目もだいぶ疲れている。そして七海さんに「まだここにいますか」と声を掛けてもらうまでそのことに全く気づいていない自分に些か恥ずかしくもなったけど。
「あなたは洋装?和装?今時のウエディング衣装事情をチェック!」という表紙を伏せ、すぐに立ち上がった。
少しだけ早歩きをして七海さんの元へ。けれどそんなことをしなくても彼はちゃんと立ち止まって待っていてくれる。そんな優しい彼に選んでもらえる女性は一体どんな人なのだろう。


「七海さんって、結婚願望とかありますか?」
「突然なんですか」
「いえ、なんとなく」
「……今はまだ考えていません」
「なるほど」
「ですが、今後という意味であれば私にも」


不自然に途切れた言葉の先が気になり顔を上げる。
……その表情は、一体何を訴えているのだろうか。
残念ながら私の持ち合わせている読解力では全く解らない感情がそこにあるような気がしたから、聞くことは出来なかった。


「貴女こそどうなんですか。先程の雑誌といい、そういう相手でも?」
「あれは補助監督のお友だちから貸してもらった本です。ちょっと興味があって」


別に私だってすぐにどうこうしようなんて思っていなかったけど、近々式を挙げるというお友だちが読み終わったというから貰い受けただけの物。本当に軽い興味本位。しかし一度読んでしまえばみるみるうちに夢中になってしまった。だって、自分自身が式を挙げるとしたらどちらも着たいと思ってしまうぐらいには素敵な内容だったから。そう七海さんにお話しすれば、「欲張りですね」なんて真顔で言われてしまった。でも、どっちも着たいんですもん。人生で一度しかないのだから、そのぐらいの欲を見せたって悪いことにはならないはずだ。


「それにさっき七海さんも言ってくれたじゃないですか」


洋装も和装も似合いそうだと。その言葉に大した意味はなかったかもしれないけれど、嬉しく感じた気持ちは今も胸に灯っている。それは街灯の明かりなんかじゃない、もっとキラキラした灯りだ。


「それに私、旦那さんと二人だけの一枚を撮って誰にも見られないように寝室に飾りたいんです」
「意味がよくわかりませんが」
「ひとり占め、ってやつですよ」


それは我ながらくだらない独占欲。けれど憧れていた。二人だけの写真を撮り、それを二人しか眺めることのできない所に飾っておくことを。
私の発言に呆れたのか七海さんはそれから言葉を発しなくなってしまった。やっぱり彼からしてみれば随分と子どもっぽい発想だったのかな、とか。でも別に悪いことではないし恥ずかしむべきことでもないから訂正する必要はない。
いろいろと考えている間に高専の敷地内にある部屋に着いてしまった。……そういえば。七海さんは敷地外に住んでいたはず。わざわざここまで送ってくれたのか、と。今更すぎることに気付く。


「あの、送っていただいてありが」
「先程の話ですが」
「え、あ、先程?」


お礼をぶった切られた上に話題を被せられ呆けてしまったが、そんなことお構いなしとでもいうように話を続ける七海さんは、やはり何を考えているのかわからない。その眼鏡の奥で、一体何を思っているのだろう。


「独占欲の矛先を、私に向けるつもりはないですか」











衝撃的だった。言ってる意味を理解するまでに少々時間を要したけど、もう一度。今度は「私を選びませんか、名前」って分かりやすいように言い直されたから、さすがの私でも解った。
顔に熱か集まるのも、目の前の彼が少しだけ照れているのも、そのことを嬉しく思うのも。全て解ってしまった私の選択肢なんてあってないようなものだった。


「死が二人を分かつ時まで、共に」


愛しています、と。
まだ考えていないといった結婚願望とやらは一体なんだったのか。付き合ってからプロポーズに至るまでの時間があまりに短かったから、思わず受けた時は笑ってしまったし直接本人にツッコんだりもした。彼は彼で「私にも独占欲があるので」なんて。やっぱり歯の浮くようなセリフを吐き出すんだから、もう手に負えなかった。





「結婚式って普通にやったの?」
「普通に、とは」
「教会、あ、チャペルって言うんだっけ?そこなのか、それとも寺とかでやったのかなって」
「チャペルだったよ」


二人で歩いたヴァージンロード。あれはとても緊張したし、地面を蹴っている感覚がないのは後にも先にもあれ一回きりだろう。
神にも仏にも誓わない。なんのしがらみもなく、自分たちとまわりの人に誓えばいい。そんな建人さんの思いを形にした式で、私たちは多くの人に祝福をしてもらえた。それはまるで、しあわせの形みたいに思えた。
本当に夢心地というか、夢だったんじゃないかって今でも思う。けれど家にはあの日の写真が飾られていて、夢じゃないよと確かめさせてくれる。そう。私は正真正銘、『七海』になったのだ。


「見たかったなーナナミンたちの結婚式」
「機会があれば」
「あるわけないじゃんそんな機会!」


笑いながら盛大にツッコむ虎杖くんの言う通り、あるわけがない機会をどう用意するつもりなんだ。二人のやり取りがあまりにちぐはぐで面白い。

少し落ち着いてから、ふと。虎杖くんが口を開く。ねぇナナミン。今しあわせ?と。



「……えぇ。とても」



そっか、と笑う虎杖くんの先で、彼も微笑んでいる。そんな二人を見て、私も思わず笑顔が溢れる。
あの日口にした何気ない発言がまさかちゃんと現実になるなんて、一体誰が想像しただろうか。しかも相手があの七海建人さんだなんて。想像の『そ』の字もなかった。でも今思えば貴方以外にそんな人考えられないから、あれがいわゆる運命ってやつだったんだろうな。












必然的事象の形は二人だけのもの


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