呪術



一言で言えば、優しい人だった。


「こんにちは。えっと、恵くん?」


頬を赤くさせながら挨拶をした女性は「名字名前です」と名乗ると手を差し出し、「よろしくね」と笑った。

小一の時に来た白髪の怪しい男が告げた俺の父親、お金、未来の話。デリカシーの欠片もない伝え方にムカつきもしたが、抑えられたのはたぶん、一緒に来ていたその人に常識があったからだ。
年は俺の七つ上で、柔らかい印象を与える女性。津美紀は「お姉さん」と慕っていたが、俺はそう呼びたくなくて。だからといって名前で呼ぶのはなんだか気恥ずかい。そんな複雑な感情が混ざってしまい、大体「ねぇ」になってしまったのは……まだ己がガキだったからのように思う。たまに嫌なことがあったりして何かに当たることがあった時でも「恵くんの、根が優しいところが好きだな』なんて、嬉しそうに笑うから。俺たちに、愛情を分け与えてくれるから。子どもながらに、この人と一緒にいたいって思ったんだ。

とにかく目まぐるしく変わる感情に特別な付属品がつくようになったのは、俺が中学生に上がった頃。


「好きだ。アンタのこと」


入学祝いにどこかお出かけしようかと言った彼女はもう二十歳を過ぎていて、ひどく、大人に見えた。顔だけはいい五条先生の隣に並んだって、劣ることなんてないくらいに綺麗に思うのはきっと贔屓目じゃない。今言わないと、誰かのものになってしまう。


「…………その好き、って」
「恋愛感情として」


目を伏せてら何を考えているのか分からない彼女の沈黙は、異様に長い。


「ごめん」
「……………………それは俺がガキだからか?」
「……恵くん」
「質問に答えろ」
「恵くん」


何を言われるのか身構えていると、ふっ、と睫毛に差した影。間髪入れずに額に触れた唇が、想像以上に柔らかくて驚いたのを覚えている。


「私ね、遠くへ行っちゃうんだよ」


だから、ありがとう。それだけを言い残して、彼女は俺の前から姿を消した。











それから三年が経ち、あれだけ馬鹿馬鹿しいと思っていた呪術師として生きることを決めた俺は、あの頃の自分が見たら滑稽に映るのだろうか。津美紀は呪われ、寝たきりになってしまったことも想像なんて出来なかっただろう。多くのことが変わり、確実に時は進んでいるのに。あの日からは止まった時が動かないのは、間違いなく彼女のせいだ。


「はい注目!今日は新しい先生を紹介するよ!!」
「テンションたか。うぜぇ」
「そこは盛り上がるところだよー」
「ここの人って変わってる人多いからなー」
「虎杖に同意」
「恵〜、君は同意しない方がいいと思うよ〜?」


なんなら恵は喜んで泣いちゃうかもね、と意味深な発言をかました五条先生の真意が読めなかったし、なんならとてつもなくイラッとした。そんな俺の感情を分かっているのか分かっていないのか。いぇーい!!とやたらテンションが高い五条先生と比例してどんどん静かにかる教室。
早速ご登場でーす!という掛け声と共に現れたのは、肩に掛かるぐらいある栗色の髪の毛を靡かせた女性。その女性が、五条先生の横に立つ。

何も変わっていない優しい目。
その目と合った瞬間に、息が出来ていないことに数秒遅れて気付く。


「今日からこの高専でみんなと過ごします名字名前です」


昔と同じように名を告げ、よろしくお願いします、と頭を下げた常識人のような振る舞いをする彼女に、虎杖と釘崎は口をこれでもかと開け驚いていた。
俺は。俺も驚いたけど。でもそんな一言では片付かないほどの感情がぐるぐる回っている。なんで。どうして。そんなことばかりが頭の中を占領して、言葉なんてものは一つも出てはこなかった。







呪術師にしてはまともすぎて怖い。そんな印象を持たれつつも生徒と仲良く出来ているらしい。特に釘崎は懐いていて、よく一緒にいる。面白くないと思いつつもどう言葉を掛けていいか分からない。しかもこの前「五条先生が言ってた『泣いちゃうかも』ってどういうこと?アンタあの人の何なの?」というダダ絡みを受けたばかりだ。別に、という返答は気に入らなかったようで今でもたまに突っかかってくる。

(……あの人の何なの、なんて。俺が聞きてぇよ)

あの日、俺にキスをした意味も。あんなに、苦しそうな顔をした意味も。俺は何一つ知らない。知る前に彼女は姿を消してしまったのだから。



「名前さん」



名前を呼んだのは、これが初めてのことだった。気恥ずかしくて呼べなかったことを何度も後悔したけれど。いつかまた会えた時にしっかりと呼べるようにと、何度も練習した名前。


「……ちゃんと会話するの久しぶりだね、恵くん」
「お元気そうで良かったです」


恵くんがしっかり敬語使えるようになるなんて驚いたなぁと笑う彼女の笑顔は、以前と何も変わってない。その笑顔を見て不意に泣き出しそうになったなんて、めちゃくちゃ恥ずかしい奴。けど仕方がないだろう。だいぶ拗らせてしまったし、その原因はすくなからず名前さんにあるのだから。

なぁ。アンタは何も変わらなかったのか。
俺の告白を聞いて、何も残らなかったのか。
あのキスで終わりにしようとしているなら、冗談じゃない。油断している彼女に近づき、首もとにそっと唇を触れさせれば嫌でも意識が俺に向く。


「好きです」


急な事に距離を取ろうとしたのか、はたまた何か文句でも言おうとしたのだろうか。しかしそれよりも前にコチラが先に先手を放つ。


「好きなんです、ずっと。名前さんのこと」


そのまま抱きしめれば思ったよりも細い体。三年前はまだ俺の方が小さかったけど今では俺の影が彼女に重なるぐらいになったんだと思ったら、この小さい存在が愛おしくてたまらない。彼女の匂いが鼻をくすぐれば、理性もギリギリなところで踏み止まっている。


「私、恵くんのことそういう目で見られない」


またそうやって、平気で俺を拒絶する。一体いつになればその瞳で俺を見てくれるんだ?わかってるのか?俺がどんな気持ちでアンタに好きだと伝えてるのか。


「…………んっ!?」


強引に唇を奪えば焦って離れようとするが、腰に手を回している時点でそれは叶わなかった。学校の廊下で誰が来るかも分からないのに、唇を離すことが出来ない。呼吸を求めて唇が開かれればその隙に舌を捩じ込む。教育の場に相応しくない水音が廊下に響けば嫌でも興奮するし、額にふれた感触を上書きするように何度も唇を塞いだ。


「ぁ、…………っ、めぐ……、っ、ん」
「………………、ッ、ん……」


胸を叩いてくる彼女の弱々しい反応にそろそろ時間切れだということを察し、渋々唇を離す。焦点があってない目で俺を見るその顔にぞくぞくしながらも、畳み掛けるように話しかけた。


「好きすぎてどうにかなりそうなんだよ……」
「……恵、く……」
「あの頃みたいなガキじゃない。ちゃんと守るから」


骨が軋みそうなくらい抱きしめて、何度も好きだと呟く。手放したくない、じゃない。手放せないんだ、もう。


「俺をちゃんと見てほしい」


そうしてくれないと、スタートにもならないんだよ。


「………………はぁ」
「……なんですかそのため息」
「私七つも上なんだよ?」
「だったらなんですか。俺がいいって言ってるんだから気にしなくていい」
「強引だ………………」


強引で何が悪い。こうでもしないと、アンタ俺のこと男だって意識しないだろ、なんて心の中で悪態をつく。顔を真っ赤にさせて俯く彼女がゆっくりと背中に腕を回して洋服を掴むその仕草にこちらも心臓がどうにかなりそうだが、これは期待していいってことなんだよな?と自問自答する。


「もう一度言う。好きです」


甘い毒のように、彼女の耳元にそう流し込む。この関係が変わるのも時間の問題だろう。胸にすり寄って抱きついてきた彼女を見て、直感的にそう思った。









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