呪術



呪術師という仕事を一体どれだけの人が知って、理解しているのだろうか。別に知ってほしいとかそういうことではないが、ふとそう思ったのは、目の前の女性が何とも形容し難い顔でコチラを見ていたからだ。今、何したんですか。そう問いたのは今しがた彼女に憑いていた呪霊を祓った行為そのものに対してだった筈なのに、気付けばその質問は大きく変わり私自身への興味関心に移ってしまったらしい。別に何もしていませんよと言うにはあまりにも無理がある。しかし目の前の女性が一体どういう人間なのか知りもしないのにベラベラと喋るつもりもない。つまりそこから導き出した答えは一つ。『お気になさらず』だった。


「そろそろお話してくれる気になりました?」


季節の移ろいを感じられるようになった十二月。居酒屋で隣り合わせに座る女性は、熱燗なんていいですねぇと呑気にメニュー表を見比べている。実際、七海さんはどれにします?という問いかけに対し、ビールを、と返している自分もだいぶ呑気ではないだろうかとも思うが。

出会った半年前、気にするなと伝えた筈なのに彼女は頷くどころか面白がる様子で頑なに断りをいれた。「私、貴方に興味が沸きました」と。
最初は面倒でしかなく、何度も来る彼女に無視を決め込んだり雑に扱ったりという対応をしていたのに、それも三ヶ月続くと流石にそれがもう面倒になってくる。五条さんとまではいかないが、その類の人間だという認識にさえしてしまえば扱いが幾分か楽になった。
今では不定期で食事に行く程になっており、今日もまた彼女からの誘いを受けて今ここにいる訳だが。既にどこかで飲んできたのだろうか。待ち合わせ場所に現れた彼女の頬はいつもより赤みが増していた。


「貴女、既に飲んできてるでしょう」
「あれ?分かりました?」
「さすがに」
「職場の人に誘われちゃって。断ったんですけどね」


表情を崩しコチラを見ている彼女は普段よりも数段無防備だ。……盛大な溜息を溢したと同時に店員によって運ばれたビールが置かれ、そのグラスに映った己の眉間に皺が刻まれていたのがハッキリと見えた。少しでも緩和されるよう、皺に指を遣わせる。
乾杯しましょ?と促されるまま重ねた音は周りの喧騒の中に消えていったが、そのまま喉元を過ぎた麦の苦味は胸の中に妙な余韻を残していた。

彼女と逢瀬を重ねる度に思うことは、底が見えないということ。いつも陽気に見えてはいるが、きっとそれだけではないのだろう。でなければあんなに強い呪力を持った呪霊は生まれない。
そう、あの日。私が祓った呪霊は間違いなく彼女から生まれたものだった。気絶する寸前に何かをを口にしていたが、それを聞き取れる程余裕をかましている暇はなかった。祓った後のことは先程も言った通りだし、なんならあれからそういったモノは生まれていない。彼女はいつもと同じように、陽気に笑っている。


「七海さんの背中あったかーい!」
「あんまり暴れると落としますよ」
「え、落ちるの間違いじゃなくてですか?」
「はい、落とします」
「ごめんなさい」


謝っているのは口だけだということが手に取るようにわかる。カラカラと鈴の音がなるように笑う彼女が背中にいることに違和感を感じながらも、その身体を支えるべく少しだけ力を加える。
だいぶ酔っ払っているこの女性のことを、実際のところは何も知らない。知っているのは名字名前という名だけで、それ以外は全く。私のことを知りたいと言うが自らの素性は一切明かさないのは如何なものか。
何も知らないという事には勿論家の場所も含まれており、今私は猛烈に困っている。家、どこですか。先程から返事がない彼女に投げかけてみたが案の定返事はない。さて、どうするべきか。
とりあえずいつまでもフラフラと歩く訳にも行かないので近くを通りかかったタクシーを拾い、自宅へ。車内では『仕方のない選択肢だ』と自らに言い聞かせながら目を閉じ、思考をシャットアウトさせた。

こんなこと、五条さんにでも知られたら後々面倒だと思いながらも、目の前で眠りに身を委ねている女性の髪にそっと触れる。
気が触れている。そう言われてもおかしくないし、自分自身でもそう思う。何も知らない人間相手に心揺さぶられているなんて。



「七海さん」



凛とした声が一瞬にして室内に広がる。見下ろした先に見えたのは、今まで見たことのないような真剣な眼差しでこちらを見上げている彼女だった。
起きてたんですか、と一声かけたが彼女は微笑むだけで何も言わない。ただ囈言のように「七海さん」という言葉を繰り返している。


「離さないでください」
「………言っている意味がよく分かりませんが」
「私はもう、離れることが出来なさそうです」
「……貴女は何を求めているんですか」
「……七海さん、ですかね」


あの日、あの時からずっと。
惹かれて止まない貴方の傍にいられたら。
それだけ呟いて再び眼を閉じた彼女からは、もう何も反応が返ってこなかった。

…一体何だったのだろう。言いたいことだけ言って満足したのだろうか。本当にこういうところまで五条さんにそっくりで思わず深い深い溜息が出てしまう。……あぁ、でも。あの人よりも全然。


『離さないでください』


何をおかしなことを。恐らく手放せないのはこちらだというのに。いつの間にか大きくなっていった存在に苦笑いを零しつつ、その額に唇を寄せる。あぁ、やはりだいぶ気が触れているな。


「……さて」


今日渡すことの出来なかった髪飾りを手に取り、起きた彼女の反応を想像しながらそっと枕元に置いておこうか。そしてそこから始めてみるのも悪くないかもしれない。













初めましてを始めまして

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