呪術



花を育てる人は心が優しいと聞いたことがある。人間とは違い植物は喋ることもできないから、何か困ったことがあったとしても訴えることができない。そんな植物のケアを行き届かせるということは、本当に素晴らしいことだと私は思う。本人にも、一度それを伝えたことがあるけれど。その時なんて言われたんだっけ。何かを言われたような気もするし、何も言われず、微笑まれただけだったような気もする。





春の光が地面に広がる。ようやく寒さも落ち着き制服一枚で動き回れる、そんな季節になった。今日は授業も任務もない。せっかくならこの春の陽気を楽しもうと散歩に出たはいいものの、行く宛もなく。気付けば結局高専の方に来てしまった。
外からでも分かる静かな校舎。それもそうか。生徒は誰もいないのだから。



「たかな」
「え、あれ?棘くんだ」
「すじこー」



思いがけない人物に呼び止められ、歩みを止める。私のことを呼び止めたのは他でもない、同級生の狗巻棘くんだった。たしか彼も今日は何もないはずだ。昨日「じゃあまた月曜日に」と別れたはずなのだから。
けれど彼は高専にいて、片手には……スコップ?



「棘くん、もしかして何か植えようとしてる?」
「しゃけ!」
「そうなんだね!今度は何を……」



そこまで言って棘くんの足下にあった苗に気づく。しかし気づいたものの、花に詳しいわけではないからそれだけでは全くわからない。そんな私を見て何かを悟ったようにクスクスと笑いながら苗の横にあった本を指差す。
「紫陽花の育て方」と書かれている本は、図鑑とまではいかなくてもそこそこ厚みがあった。見てもいい?と確認を取ってから中身を拝見する。所々緑色のマーカーが引かれていて、勉強とかの合間にたくさん読んだんだろうということがわかる。

彼はしゃがみ、紫陽花の苗を植え始める。
その後ろ姿に、こうも胸が締め付けられるのは何故なのか。

呪術の道に入ってから不安を抱えて過ごしていた私に、優しく接してくれていたのは他でもない棘くんだった。楽しい時、辛い時。どんな時でも変わらずに彼は傍にいてくれた。それが私にとってどれほどの支えになったのかはわからない。



「どんな色の花を咲かせるんだろうね」
「こんぶ」
「でも何色でも、きっと綺麗だと思う」
「すじこ。たかな?」
「うん。だって棘くんが育てる花だもの」



同じ目線になるようにしゃがんで、思ったことをそのまま伝える。
花は素直だ。愛情を捧げれば捧げるほど豊かに育つ。人間は、時に与えられすぎて傲慢になってしまうこともあるけれど。



「うらやましいな」



こんなに優しい棘くんに、たくさんの愛情を注いでもらえる花が。別に嫌な意味とかじゃない。嫉妬とかでもなんでもない。ただ純粋に、焦がれただけ。
……でも、変なこと言っちゃったかな。突然こんなこと言われたら棘くんだって困っちゃうよね。訂正の一つでも入れようと彼の方を向いたのに、太陽の光が眩しくて直視できなくて咄嗟に目を瞑ってしまった。

けれどその光が突然緩和される。不思議に思いゆっくりと目を開けると、そこにあったのは大きな手。私の視界から光を遮るように、おでこにかざされている。触れているわけじゃないのに、熱い。



「ありがとう……」
「しゃけ。……いくら?」
「私は大丈夫。棘くんこそ、暑くない?」
「おかか」
「なら、よかった」



別にいつもと変わらない会話なのに。さっきからドキドキが止まらない。なんだか心臓に良くなくて、話題を変えようと頭をフル回転させる。「そういえば、何色の紫陽花が咲くのかな」なんて。ちょっとありきたりすぎたかもしれないけど、なんとか空気を変えることには成功したと思う。かざしていた手を下ろし、私に先ほどの本を手渡した棘くんはそのまま作業を再開した。
本の真ん中。付箋が貼られたページの端に丸で囲まれた文字。なるほど、ピンクと紫か。この場所に咲くであろう紫陽花は、きっと綺麗に花を咲かせるんだろうな。そんな想像をして、つい頬が緩む。



「………ツナ。すじこ。……明太子」
「え?うーん、どうだろ。紫陽花って結構万人が好きなイメージがあるけど……」
「いくら?」
「私?うん、私は好きだよ」
「しゃけ……」


私の返答に少しだけ顔を赤くした棘くんが言葉を詰まらせている。先程より日が傾いたとはいえ、暑さにやられてしまったのだろうか。棘くん、と。心配になり名前を呼んだと同時に掴まれた己の腕。何か反応を返すよりも先に力を込められ、倒れ込んだのは私の身体。



「と、げくん……?」


こんなに近い距離で、彼の顔を見たことなんてあっただろうか。私の鼻先に、棘くんの顎。心臓が飛び出しそうなのに、それは叶わない。だって彼も彼で、尋常じゃないほどに顔を赤くさせているのだから。そんな顔見たら、心臓は元の位置で心音を爆速させるだけだ。



「ツナツナ。……いくら?」
「紫陽花、を?」
「しゃけ」
「私が、もらっていいのかな」
「ツナマヨ」



私にもらってほしい、なんて。
ねぇ、棘くん。
そんな真っ赤な顔で、そんなこと言って。私に勘違いされても知らないよ。倒れ込んだ身体を起こさない時点で私の気持ちなんてバレてしまっているかもしれないけど。けどそれでも、最後の抵抗とばかりに「日差し、強いね」なんて。顔の火照りを隠すようにそんな言葉を放った。









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