呪術



暑い。どのぐらい暑いかというと、オーブンでこんがり焼いたグラタンを冷ますことなく食べた時のよう。いや、むしろそのオーブンの中?どちらにせよ、体の内側から沸き上がってくる熱は私のまわりにねっとりとまとわり付いてくる。不快そのものだ。

『冷夏になるかもしれません』というフレーズを何度聞いたかわからない。夏前になるとよく聞くセリフを今年もまた、お姉さんは真剣な顔で電波に乗せている。
実際のところ、朝と夜は少し寒い日が続いていて時々薄手の寝巻きを引っ張ってこないとくしゃみが出てしまうこともある。
でもやっぱり蒸されたような空気が夕方までは私のまわりを独占している。だから冷房のスイッチをつけてしまうのも、身体の中を冷やそうと冷たい食べ物を食べてしまうのも、仕方のないことなんだ。そしてそのままの流れで夜を迎えるから身体が冷えて……なんていうのは、もう夏のお決まりごとみたいになっていた。


( 冷夏なんて、今年も嘘ばっかり )


理不尽にも何かに八つ当たりたくなる瞬間は確かにある。例えば今なんてまさにそう。お風呂から上がったばかりだというのに若干の不快感がつきまとっていることには、怒りを通り越して悲しみを覚える。けれど、実際のところ誰が悪いのかと聞かれても明確には答えられないのでモヤモヤするのだ。
はぁ。さっぱりとした気持ちはどこへやら。



「暑いな……」



口に出したところで涼しくなるわけじゃないけど、出さずにはいられない。ちら、と恨めしい視線を送るもそれは「休ませてくれ……」と言わんばかりに口を閉ざしている。
何故、こうも暑いのか。
そう、それはこの家のエアコンは現在進行形で壊れているから。しかも、今日から。
なんでこのタイミング?って私も思ったよ。だってまさかお家帰ってクーラーつけてみたらつきませんでした、なんてさ。思わないじゃない、普通。しかもこの時間じゃ電気屋さんなんてやってないから直すことも出来ないし、なんなら明日もお仕事だからしばらくこの状況が続くってわけ。とんだ大パニックだ。
これからお盆に向けて今の比にならないであろう暑さをエアコンなしで凌ぐなんて到底出来るものではない。いや、凌げる人もいるんだろうけど、私には無理だ。ごめんなさい。でも地球温暖化を進めない程度の温度にするので許してください。
そんなわけで今度買い換えることは決定事項だけれど、それまではこの昔ながらの扇風機に頼る他ない。ちなみに冷風機という手もあったけど、あれは去年フィルターもろもろのお手入れをサボってしまったので今使うとなると大変なことになるのでそっと選択肢から外させてもらった。
早速スイッチをつけて扇風機の前で涼めば程よい冷たさが肌をくすぐる。うん、まだまだ扇風機も捨てたもんじゃないよね。



「あっっっ、ちぃーーーー!!」
「あ、おかえり……え、っていうかなんで裸なの!?服着て!?」
「いやいや、風呂上がりさっぱりした身体にこの空気はなかなかに地獄だわ」



『涼』を得るに十分な風量を前から浴びていたのに、後ろから熱気がこもった風が突然ぶつかってきたことで途端にまわりの空気が『暖』に変わる。
何かアイスある〜?なんて聞きながら私の前をうろうろとする悟はこともあろうかパンツ一枚である。普段筋トレなんてしてないよね?なんて思ってもその身体は鍛えられたもので、綺麗に割れた腹筋が顔を出している。見たことないでもないのに何だか無性に恥ずかしくなって目を閉じながら再度扇風機に意識を持っていく。一度下がったはずの体温が上がったような気がするのが悔しい。
冷凍庫から何かのアイスを取り出してシャリシャリと食べている悟が近付いてくる気配。いや、とりあえずパジャマ着てきて?



「エアコン壊れてること先に教えといてよ」
「壊れたの、今日なので……」
「あらま。というか何で敬語?」
「とりあえず服を着てもらって……」
「なに、名前照れてんの?」



かーわいい、と、語尾にハートマークが付くぐらいの勢いで放たれた言葉にまた少し、体温が上がった。と、思う。この状況を恥ずかしくないと言えるほど私は肝が座っているわけではない!



「少しずれて」



そんな私の気持ちを知ってか知らずか。私の横に座り始めたこの男は「あー涼しい……」とかなんとかいって『涼』を全身で浴びている。残念ながらこっちは全然涼しくない。なんならさっきよりさらに熱くなってしまい、自分でもわかるくらい頬が火照っている。そんな私を見て悟はまた「ほんと可愛いね」なんて言ってくるから、この際それについては聞かないフリをすることに決めた。



「だってさぁ、暑いのに服とか着られないでしょ」
「急に何か起きたらどうするの?」
「大丈夫、僕最強だから!」



最強といえど、服を着ないで外に出ようものなら公然わいせつとかで捕まると思うんだけど。顔がいいから逮捕されません、なんてことないんだよ……。もし本当にそんなことにでもなったら知らない人のフリをしよう。
出来心で『そんなこと』になった悟を想像してふふ、とつい笑ってしまう。くだらない会話なのに、こういった時間がたまらなく好きだな。目を閉じながらぼーっとそんなことを思っていると不意に感じた唇への温もり。驚いて目を開ければ随分と近くに悟の顔。困惑しているともう一度触れられるしっとりとした唇。少しだけ、長い。



「……どうしたの?」
「名前が可愛く笑ってるから」



不可抗力だと思うよ?そう言いながらもう一度触れた唇はやっぱりしっとりしてた。深くない、触れては離れる優しい感触に自然と身体は熱くなるのに、不思議と不快さを感じない。そのまま頬やおでこ。鼻。そしてまた唇。熱が私のあちこちに移って体内から冒されていく。
そうやって熱に浮かされ始めた身体が突然、本当に浮いた。何事かと思ったのと、部屋の景色が変わったのはほぼ同時。
横抱きにされた私が連れていかれたのは奥の部屋。扇風機がないこの部屋は、さっきよりも数段暑い。なのにベッドの上に転がされその上に覆い被さってくる悟は一体何を考えてるんだろう。



「どうせまた汗かくんだし、同じ汗かくなら運動した方がいいかと思って」
「扇風機の前にいたら汗はかかないよ……?」
「いや、かくよ。隣に可愛い女の子が薄着で涼んでたらそれだけで興奮して汗かく」



どんな理屈だと思ったけど近付いてくる顔に呆気なく白旗を挙げた私も、この湿った暑さに浮かれているのかもしれない。いや、かもしれないじゃないか。少し開けた唇から入り込んでくる舌を受け入れながら、これから迫ってくるであろう別の熱さを想像して胸が高鳴ってしまったのだから完全にお手上げだ。









暑い
熱い
あつい

どの熱も私の体内から逃げ出そうとして失敗する

だってこの熱

私だけを浮かす特別な熱だから









「クーラーっていくらくらいするのかな」
「買い替えんの?」
「だってないと夏乗り切れないよ」
「いいやつは結構イイ値段するよね」
「テレビも買い替えたかったのになぁ」
「それならめっちゃくちゃいい提案」
「なに?」
「引っ越そうよ、僕の家に」








夏にやられた頭でアイデアを一つ


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