呪術



突然目が覚めた。いや、そもそも目を明けますよと言って明けるわけでもないのだから、いつだって突然なんだけれど。そう思ったのはきっと、カーテンの隙間から見える外がぼんやりと暗かったからだ。まだ明け方より少し前ぐらいの時間なんだろう。活動している人間は少なそうだ。
今日も今日とてやる事が山積みな一日が始まってしまうのかと思うと、いくら最強とはいえ億劫に感じてしまう。そんな事を外と同じぐらいぼんやりと考えていた僕の視界に、静かに寝息を立てている子が映った。……そっか、昨日僕の家にそのまま泊まったんだっけ。今更ながらその事を思い出し、自然と頬が緩んでしまう。

「最強だって急速は必要ですよ」なんて言いながら突然僕の家に上がり込み、お風呂から食事からいろいろやってくれたのは昨日の夜の話だ。大方学長辺りに最近の僕の様子を聞いたんだろう。でなければ彼女の方から訪れる事なんてない。「迷惑になる事はしたくないです」というのが彼女の考えだ。僕は特段、彼女の事に関しては迷惑だの面倒だの思った事も言った事もないのに、必要以上に気にしている節がある。それはきっと、僕が僕であるから。ごめんね。そう思いながら額に唇を寄せる。


「………ん」
「あ、ごめん起こした?」
「…も、行く時間……?」
「ううん、まだだよ」


よかった。そう呟きながら緩んだ顔が堪らなく可愛い。朝からそんな表情で僕を煽る名前が悪い。勝手な口上を思い浮かべながら反射的に唇を寄せた。が。


「……いい加減、朝イチのキス拒むのやめない?」
「……ぜったい、しません…」


今日もまたそれは失敗に終わる。半分ほどしか開いてない目を見て、今日はイケると思ったのに。想像よりも早い反応速度に舌を巻く。
僕と彼女が一緒に朝を迎える事は多くない。少しでも長く彼女に触れたくてキスをしようと顔を近づけるのに「絶対に嫌だ」と毎回拒むのだ。ちなみに、以前無理やり事を押し進めたら一ヶ月口を聞いてくれないという事があったのでそれはもう出来ない。


「別に減るもんじゃないじゃん」
「前にも…説明しました……」
「朝の起きたては口の中に雑菌がいっぱ〜いってやつでしょ?別に大丈夫だよ、僕最強なんだから」
「最強でも、人間なんだから。風邪とか…ひいちゃうかもしれないんです……」


だから、駄目です。うつらうつらしながら頑なに断る彼女に不貞腐れる反面、僕を一人の「五条悟」という人間として接してくれる彼女に心が温かくなる。
そう、彼女はいつだって僕を「最強の呪術師」として見ていない。いや勿論仕事の上でそういう風に接する事はあるけれど、それだけだ。二人でいる時はいつだって僕はただの「五条悟」で、それ以上でもそれ以下でもない。当たり前の事かもしれない。でもその当たり前を、彼女は無意識に降り注いでくれる。


「じゃあ名前に選択肢をあげる」
「選択肢……?」
「今すぐキスをするか、歯磨きをしてもう一度布団に戻ってきてからキスするか」


さぁ選んで?耳元で囁きながら柔く抱きしめる。
その二つしか選択肢ないんですか?と狼狽えるキミに最終宣告。実質あってないような選択肢だし、本当に嫌だと拒絶されたなら僕ももう少し真面目に考えるけど。でもオマエ、キスする事自体は嫌じゃないでしょ?っていうのがちゃんと分かってるから。だから僕はそこにつけ込んだだけ。


「…………歯を、磨いてきます」
「ん。じゃあ僕も一緒に磨こーっと」


そうして二人で立つと少しだけ狭い洗面台に並び、色違いの歯ブラシを手に取って味の違う歯磨き粉を使う。鏡に映っている眠そうな彼女と意識がハッキリしてきた僕の髪の毛は微妙に似たような寝癖がついている。どうせもう一度布団に入るからという理由で顔を洗うのはやめ、本当に歯磨きだけして布団の中に二人で潜る。もうここまでしたら我慢する必要はないし、なんならしたい放題である。
真っ暗な空間。まるでそこには僕たちしかいないかのような世界でも、互いの唇の場所は分かるみたい。ようやく重なった唇はゆすいだ時の影響か結構冷たいし、なんなら彼女の使っていたシトラスミントの味がこちらに流れ込んでくるから随分とさっぱりしている。それでも重ね続ければ温かくなるし、味だっていつの間にか消えていく。


「…、っ、ご、じょうさ……」
「…なぁに」
「……もっと、キスしたい」
「………甘え上手というか、煽り上手というか」
「だめですか……?」
「大歓迎」


重ねて、重ねて。また重ねて。もう零れ落ちる唾液もどちらのものか分からないし、潜っているから少し頭もぼーっとしてくるけど。でも期待には応えないといけないから、もう少しだけいいよね。

結局相当ゆっくり朝の時間を楽しんでしまったから、布団から出てまず外の明るさにびっくり仰天。二人して遅刻して、そのまま学長に叱られるのは数時間後の話。












朝の魔法にかけられて



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