呪術



過去の成果で未来を生きることはできない。人は一生何かを生み出し続けなければならない。と、誰か昔の偉い人だかなんだかが言っていたような気がする。日本人だっけ、外人だったっけ。まぁどちらにせよ良く言ったもんだ。生み出し続けるからこその苦悩があり、地獄があり、それを祓い続ける人間がいる。迷惑だ、と一蹴してしまいたい気持ちと、まぁ確かに一理あるわ、という気持ちが入り混じるのは僕自身が卓越した大人であるからこそのこと。ただそれを七海に伝えたら失笑されたからそれには納得がいっていない。
窓の外を見ると、疎らに紅く色づいている葉が見える。そういえば、そんな時期だね。と笑いながら話す硝子はどこか他人事だ。実際は当事者以外は他人事なのだから間違った反応ではないのだけれど。

弱い人間は、強い人間に手を差し伸べずにはいられない。弱いままで生きていたって辛いことの方が多いから、強い者の輪の中に入りたがる。楽をしたい。楽しく生きたい。貧しく生きていたくなんかない。心身共に。それが人間の心理であり真理なんだと思う。一部を除いて。


『助けて、って言えば』


地面に這いつくばった女を見下ろしながら、助けを乞うように促してみる。初めてではないその声掛けに、女はいつもと同じように俺を睨みつけながら断りの言葉を口にする。一言助けてって可愛く言えば最強の呪術師がその手を掴んでやるのに、何故こうも頑なに断るのか。全くもって意味が分からない。軽い舌打ちを溢しながら、勝手にすれば、とその場を立ち去る俺の腹の中は言いようのない苛立ちでいっぱいだ。傑と硝子にその話をしても大人気ないだったり、クズには頼みたくないんじゃないか?だったり。まともな意見は返ってこない。一つ下の、それでいて俺より弱い人間なんだから素直に言えばいいんだよバァカ、と愚痴りながら集中できない授業から意識を逸した。クソ、なんなんだよ。…結局、七海の肩は借りんじゃねぇか。逸した視線の先に無理やり入ってきた二人の姿がやけに憎たらしくて、激しい舌打ちを打てばそれが教室に響く.。今日朝見た占い、確か一位だったよな。と拳骨をくらった頭を擦りながらもう一度窓の外を見てみたけど、もうそこに二人の姿はなかった。

それはさ、好きなんじゃないのかい?彼女のこと。
部屋で寛ぎながらそんな意味不明なことを言いのけた傑を見ながらマジで顎が外れるんじゃないかと焦ったし、手に持ってた漫画本は手を離れ顔面に急落下。咄嗟のことに無下限使う暇もなく、久々に感じた痛みに鼻の下を強めに押さえる。


『傑、オマエ日本語の意味解ってる?』
『少なからず悟よりはね』
『誰が誰を好きなの?』
『悟が名前を』


なんだその『私は全て知ってます』みたいな悟り開いた仏のような顔。オマエの眉間にマッキーペンでほくろ書いてやろうか。本当にふざけたことぬかしやがる。







『オマエ、俺のこと好きだろ』
『……何をどうしたらその思考に辿り着くのか分からなくて非常に困惑しているのですが』


ボロボロになった女を見下ろしながら俺への好意を確認する。だってここまで俺のこと毛嫌いするってことは最早俺のこと好きだからだと思って良くない?俺がコイツのこと好きだからとかそういう理由では無いけどな。一ミリも。
見上げた女は普段の険しい顔ではなくいつもより幾分か呆けた顔で俺の目を見るから、なんだかそれが無性に面白くて。目線を合わせるべくしゃがんでみたけど、こんなに低い位置、近い距離でコイツを見たことがなかったから、なんか調子狂う。


『好きじゃないです』
『どこが?』
『は?』
『どこが好きじゃないって?』


答えろよ。少し圧をかけて聞いたのにそれには怯まなかったようで、むしろ先程よりも眉間に数本皺を増やして考えをまとめている様子。言っておくがこれは執着じゃない。一言で一蹴されてしまったことに腹が立ち、じゃあ一体オマエは俺の何が嫌なわけ?ということを問い質したかっただけ。そこら辺の女なら、すぐに助けを求めるし、俺を求めるのに。なんでこの女はそうじゃない。

考えがまとまったのかこちらを見据えて言ったのはただ一言。『タイプじゃないので』

………いや、はぁ?俺だってオマエみたいなちんちくりんタイプじゃねぇよ。なんで俺がオマエのこと好きで、俺がフラれたみたいになってんの?悟フラれたんだって?じゃねぇよ。傑と硝子に反論しながらも広まっている噂話に頭を抱え、もうこの話題には絶対に触れまいと心に誓った。










『オマエが周りの誰にも助けを求めないで一人でやるならそれで構わねぇ。けどそれはもっとその根本的な弱さをどうにかしてからにしろ。周りが迷惑なんだよ』


俺の腕の中で息も絶え絶えなコイツに、果たしてこの言葉は届いたのだろうか。ただ悔しそうに、苦しそうに。俺の腕の中で吸って吐く動作だけを繰り返しながらどこか分からないところに視線を彷徨わせながら。
正直言って、何てバカな人間なんだろうと思った。何度も何度も傷つきながらそれでも呪霊に立ち向かっていく姿。いつか呆気なく死んでしまうんだろうと思ってた。毎回七海や灰原の肩を借りながら歩いているコイツに、いっそのこと呪術師辞めろと告げた方がいいのかもしれないと思ったのはきっと俺だけではないはずだ。オマエには向いてねぇよ。何も知らない世界で平凡に生きてろ。そうもっと早くに告げていれば、自らの右脚がこんなにぐちゃぐちゃになることもなかっただろう。
徐々に視点が合う目。生気はある。そう判断した瞬間にそこから流れでる涙に柄にもなく焦ってしまう。痛むか。当たり前のことしか聞けない自分に舌打ちしながら高専に向かう足取りを負担にならない程度に速める。その問いに対してなのか、首をゆるゆると振った女は噛み締めていた唇の拘束をゆっくりと解いた。


『五条せんぱ、…たいに、強く…なり……!』


形として成り立っていない言葉のはずなのに、強く響いたのは何でだったのか。彼女の内側から激しく出たものだったから?今まで拒絶しかしてなかった俺の胸を強く掴んだから?

泣きながら、俺に助けてと言ったから?



『……まず名前には呪術師なんて無理』
『………っ、…!』
『オマエに、出来る範囲でいいんじゃねぇの』


なんか他にも言いたいことあったような気がしたけど、忘れた。つーかもうどうでもいい。俺の胸に与え続けていた彼女なりの精一杯の力が、まるで人形になってしまったのではないかと間違える程に抜けていったことで一旦思考は手放した。頬に手を添えれば、普段の血色の良さとはかけ離れた冷たさが俺を覆う。反応がなくなった彼女の額に柄にもなく口づけた唇には、全く体温が伝わってこなかった。







「じゃあ、僕もう帰るね」


こんな日だし、たまには定時で帰ってもいいよね。お喋りも程々にして立ち上がった僕の背中に「五条は基本的に定時だろ」と投げかけた本人が笑ってるから、まぁね、と返す僕も笑ってしまう。
紅く染まった葉が先程よりも濃くなったように思うのは見る角度が違うからだろうか。角度が違えば見えるものが違うのは当たり前なのに、気づけなかったあの日の僕は今よりも随分と幼かったのかもしれない。


「そんなに重い荷物になるなら、先に連絡しておいてよ」
「あ、五条くんだ」
「五条くんだ、じゃないでしょ。ほら、片方貸して」


右側で持っていた荷物を取り上げ、そのまま彼女の右側に並んで歩く。買い物するならするって先に言ってくれれば定時よりも前に帰ったのに。そんな不満を漏らせば「そこはちゃんと定時でお願いします」と何とも彼女らしい答えが返ってきた。別にいつも休みの日とかも駆り出されてるんだからいいと思うんだけどね。
ガサッと鳴った袋の中を見て予想する。おそらく今夜はシチューだろう。じゃがいもと鶏肉がないから作れないと言っていたそれらが揃っているのと、何より美味しいと全面アピールしているシチューの箱が入っているのだから。普段と変わらない、特別感のないメニュー。そしたら今日は僕も一緒に作ろうかな。


「五条くん」
「ん?」
「私の好きなタイプ覚えてますか?」
「覚えてるよ。平凡なヤツでしょ」
「そうなんです」
「こんなGLG捕まえてよく言うよね、名前も」
「ふふ。なので平凡らしさを出す為に、一緒にシチュー、作りませんか?」
「……仕方ないなぁ」


空いた手をさりげなく差し出せば、彼女もそのままその小さな手を重ねて歩いていく。弱くてもその手が僕を支えてくれてるんだよね。そう思ったら自然と握る手が少しだけ強くなってしまったんだから、僕は名前にだいぶ弱いらしい。









サイドAから始まる攻略法



- ナノ -