心から感謝をこめて






きみの行きたい所でいいよ、とか。
きみのしたいことでいいよ、とか。
そういった私主体の付き合いでは、いつか終わりがくる。あなたは行きたい所とか、やりたいことないの?って聞いたら最後。そういうの面倒くさいって言われて別れる。でもこれって付き合ってる全員が全員こんな関わり方じゃないと思うんだけど、そこのところどうなんだろう。


「それはオマエの男運のなさに問題ありじゃねーの」
「……やっぱり?」


深くて長めの溜息が溢れた先に、呆れた顔をした男の子。彼から放たれた言葉はストレートに私の心を抉り、傷口は大炎上している。一体どうしてくれるの?そんな矛盾した怒りの矛先は間違いなくクラスメイトの松田陣平に向けられていた。

なんで彼とこんな話を繰り広げているのか。つい数十分前のことなのに発端はよく覚えてない。ただ中間テストが終わって解放感に満ち溢れている教室の中、私だけがいろいろな意味の解放感を味わっていた。……彼氏と別れた。ただそれだけのことだったし大した影響はない。そう思っていたんだけど、直後に行われたこのテストの回答欄から察するに実はかなりダメージを受けていたみたい。
いつもいつも、別れを切り出される側。何がいけないのか。もちろん考えてはみるけど、思い当たることがあまりない。いつも相手のことばかり考えているわけではないし、かといって時間をとっていないわけでもない。彼には彼の交友関係があるのだから、私にばかり時間を割かなくてもと思っているから。丁度いい距離感。いつだったか何かで見たそれを保てている。自分ではそう思えていたけど、実際はそうでもなかったのかもしれない。


「名字が今までどんな男と付き合ったとか全く興味はねぇんだけど」
「そりゃそうでしょ。だって私松田くんと話したの数えるぐらいしかないし」
「そんなもんだったか?」
「そんなもんだったよ」


だからこそ今こうして話しているのが奇跡的なの。しかも何が嬉しくてこんな私の恋愛相談みたいなのをしているのか。全く意味はわからないけど、不思議とぽんぽんと話せてしまうのだ。関係ない赤の他人であればあるほど自分の深い部分を話せる。そういえば前に、お兄ちゃんが言ってたっけ。


「私だって普通のデートがしたい」
「たとえば」
「待ち合わせしてデートとか。手を繋いだり。でも制服デートとかでもいいな」
「……むしろ今までなんでしなかったんだよっていう内容だな」
「ほんとにねぇ。……でも一番はやっぱり、相手の行きたい所に行きたい、かな」


いつも私主体だった。何をするんでも。でも付き合うってそういうことじゃない、よね。互いが互いにいろいろな意見を言い合って、二人で歩んでいくものじゃないの?それとも。そんなの漫画の世界だけなのかな。
机に突っ伏しながら、もう一度深いため息。ごめんね松田くん。こんな愚痴ばかりで。そう謝ってみたけど頭上からは何の声も降ってこない。もしかしたら呆れているのかも。いや、もしかしなくてもだ。私が逆の立場だったら、きっとどうしていいかわからず話を切り上げて帰っていたかもしれない。それを考えると、松田くんって本当は優しい人なのかも。


「本当はってどーいう意味だコラ」
「やば。心の声漏れてた」


だってこの前も上級生とケンカしてたじゃん。小さい声でボソボソと呟いてみたけど、「あれは向こうがナメた口聞いてきたから仕方なかったんだよ」と返ってきたのでちゃんと届いてしまったらしい。なんにせよ、私の中の『松田くん』は少し怖い男の子だったのだ。


「じゃあそのイメージ払拭させてやっから」


とりあえず下行くぞ。そう言いながら私の手を引いて颯爽と階段を駆け下りていく。速すぎない、けれどゆっくりでもない。そんな速度。一番下まで着いて響かせた足音はそのまま下駄箱まで一直線に鳴り響く。途中で誰かの「廊下は走るな」という注意が聞こえた気がしたけど、その声は綺麗にかき消されてしまい私たちのところまでちゃんとは届かない。まるでポップな音楽が頭の中を流れているようで、身体が想像以上に軽快だ。


「ほら、後ろ乗れよ」
「……自転車二人乗りはいけないんだよ」
「気にすんな」


そこまで高くないサドルに跨り、ペダルに足を掛ける。早くしろよ。口には出してないけど目がそう言ってる。正直、こんな経験したことないからどうしていいのかわからないけど……きっとこれは乗るべきなんだろう。おずおずと後ろの荷台にゆっくり座る。なるだけ体重をかけないように少しだけ腰を浮かせていたのに、体重ちゃんとかけろよ、という言葉でそれは断念。私、重いよ。


「萩より全然。……重くねぇよ」


とりあえず振り落とされないように掴まってろ。その指示通り彼のシャツをぎゅっと握ったのがスタートの合図。ゆっくりと、でも着実に。走り始めた自転車は少しだけ錆びている音がしたけど、それでさえもこの曲に添えられる素敵なBGMとなっている。やっぱり後ろから何か声が聞こえた気がしたけど、その音は曲調には似合わないから。ごめんなさい。




「ねぇどこまで行くのー?」
「行き先わかったらつまんねぇだろ」
「松田くんってもしかしてサプライズ上手?」
「なんだそりゃ」


だってどこに行くか教えてもくれないで連れ出してくれるなんて、それはもう『サプライズ上手』以外の『なにもの』でもない。


「この先坂下るからしっかり腕回して掴まってろよ」


今までシャツを掴んでいたからだろうか。そう忠告した松田くんの言葉を鵜呑みにしていいのかわからず、少し躊躇してしまった私にもう一度。「腕」と催促する。……回さないのは、純情な乙女心があるからなんだけど。と、まぁそんなこと言ったってきっと松田くんには伝わらない。それに、そこまで言われてやらないとなると彼の機嫌が悪くなってしまうかもしれない。失礼しまーす……。意味があるのかないのか。一応声をかけてから腕をゆっくりと回す。私が恥ずかしがってるの、絶対わかってるでしょ。そう文句の一つでも言いたくなったのは、前方から笑いを噛み殺したような声が聞こえてきたから。


「ちょっと。わざとでしょ松田くん」
「知らね。……ほら、いくぞ!」
「え、ちょ……っ、うわぁ、っ!?」


ガタン。何かのでっぱりに引っかかったのか、一瞬だけ宙に浮いた自転車は何事もなかったかのように地面に着地して、軽やかに回転し続けている。彼の宣言通り坂を下る自転車。ブレーキはかかっているみたいだけど、それでもそこそこ速度が出ている。風が頬を撫でて、髪を梳いていく。暑さのせいで制服が背中に張りついていたはずなのに今はそれさえも感じない。


「松田くん!」
「どうした!」
「楽しい!」


ほとんど接点がなかった彼と、どこに向かってるのかもわからない自転車旅。先程まで落ち込んでいたのが嘘のようにワクワクしているって、松田くんに伝えたら彼はまた笑うんだろうか。単純だな、って。でもそれでもいい。


「……このくらいで楽しんでんならまた連れてきてやるよ」
「え?なに?」
「……っ。ほら、あとちょっとで着くぞ!」
「はーい!」


もし、の話だけど。松田くんと付き合ったら退屈しなさそう、なんて。随分と打算的な考えだろうか。でもきっかけなんて関係ない。恋はするものじゃなくて落ちるものだって、誰かも言ってた。
自転車に跨がってから約三十分。もうすぐ着く、と言われたことを少しだけ残念に思ってしまう。もっとくっついていたかったな。そう思えるぐらい、私にとってこの時間はキラキラしていた。なんかこれ、青春っぽい。


「到着。……降りられるか?」
「それは、あれかな。足が短いって言われてるのかな」
「半分な」
「私にも松田くんぐらいの背があればなぁ」
「名字はモデルにでもなるつもりか」
「あ、それいいかも!」
「真に受けんな。それに、ほら。小さい方が……アレだろ。一般的に」


アレとは。言葉を濁されてしまったから少しだけ食らいつこうとしたら顔を真っ赤にしながら「うるせぇ!降りられるなら早く降りろよ!」なんて叫ぶから。結局のところ真意はわからなかった。高身長の女の人、かっこよくて綺麗だと思うんだけどなぁ。でも仮に自分がそうなったとしても顔が伴っているわけじゃないからモデルなんて夢のまた夢。夢どころか架空話に近い。
ゆっくり降りて、スカートの埃を払う。しばらく使ってなかったんだろう。その証拠にスカートは荷台の形に合わせて白くなっていた。


「ところで、ここどこ?」
「海」
「海!?」

 
近くに海があったことは知っていたけど、来たことは一回もなかった。しかも残念ながらこの場所からは広大に広がる青は見えない。
少し歩く。ぶっきらぼうだけど、そう言って先には行かないで待っててくれる松田くんは……本当に優しい人なんだと思う。ごめんね。今まで怖いって思ってて。そんなことを考えていたのが伝わってしまったのか彼は眉間に皺を寄せていたけど。どうしたの?と何でもないように装えばそれもほぐれていく。

一歩ずつ歩いていく。そうすると少しずつ海の匂いが近づいて、風に磯の香りが乗って運ばれてくる。その瞬間でさえグッとくるものがあったけど、こうして実際に目の前に広がる海を見てみるとなんだか、本当に自分ってちっぽけな存在なんだなって思う。海は広い。
隣に立つ松田くんを盗み見ると、海と同じぐらいキラキラしていて。もうトドメもいいところだった。急に泣きだしてしまった私に気づいて焦らせてしまったけど。大丈夫。悲しくて泣いてるわけじゃないから。人ってね、嬉しくても泣く時があるんだよ。


「今日ここに連れてきてくれてありがとう」
「………おう」
「……ふふ。なんだかデートみたいで楽しかったな」
「………名字は」
「ん?」
「これをデートだと思ってなかったのか?」


真剣な顔でそう尋ねてくる松田くんの目が、真っ直ぐに私を貫いている。どうしよう。階段を下りている時よりも。彼のお腹に腕を回した時よりも。海を見ていた松田くんを盗み見た時よりも。今が一番ドキドキしている。ねぇ、それってさ。私単純だからすぐ期待しちゃうよ。


「ばーか。好きでもなんでもねぇ女、連れてくるわけねーだろ」


そう言って笑いながら手を引いて、ふたりで砂浜に降り立つ。熱い砂。靴越しでもわかるのに、なんで靴も靴下も脱いじゃったんだろうね。海まで走って、足を濡らして。












これでもかというくらい
青春を謳歌している私たちに

怖いものなんて何一つない!












「海のバカヤロー!!」
「海来て本当にそう叫ぶ女初めて見た」
「海といえばでしょ!」
「その概念がもう古い」
「じゃあ松田くんはなんて言うの?」
「……もう男運がないとか言わせねえ、とかな」





アイラブユーを叫ぶペダリスト





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