心から感謝をこめて






少女漫画でよく見る奇跡的な恋の始まり。最初は嫌な相手だと思っていたら恋に落ちていた。いつも一緒にいて友だちだと思っていたのに、気づいたら恋をしていた。一度フラレたにも関わらず、諦めきれず想い続けていた恋。そのどれもが、最後にはハッピーエンドを迎えている。いいなぁ。私もこうなれたら……って何度考えたのかわからないその展開は、私の元では起こってくれそうにない。


一目惚れだった。ツンツンした髪に綺麗なおでこ。口元を隠しているミステリアスな雰囲気。段違いだった。今まで生きて出会った人の中でこんなにかっこいいと思える人がいただろうか?『かっこよさランキング』なんてものがあったら優勝を颯爽と掻っ攫っていくのだろう。そのぐらい私の世界では衝撃的だった。狗巻棘という人物との出会いは。


「お、はよう狗巻くん!」
「高菜」


もうすぐ二年生になる私たちはほどよく距離も縮まり、初めの頃のぎこちなさはなくなってきたはずだ。……私が一方的にそう思っていなければ。
よく真希ちゃんが「名前は考えすぎなんだよ」と私のことを叱っているけど、そんなことはない。だって狗巻くんは誰にでも優しい。人が困っている瞬間、他人事にはせずいつも一緒になって考えてくれている。私が悩んでいる時も、真希ちゃんが悩んでいる時も。もし京都校の面々とも仲良くなっていれば寄り添ってあげられるのだろう。つまり何が言いたいかというと、別に私に対しての優しさが特別ではないということ。


「……こんぶ。いくら、すじこ?」
「あ、ううん。気分悪くないよ。今日も元気!」
「……?しゃけ」

 
だからこうして私が悩んでいることに気づいて声をかけてくれるという行為も、別に何か特別な想いがあるからというわけではないのだ。







生まれた時から使える呪言は、文字通り呪いだった。コントロールができない幼少期は相当大変だったと言われていたし、自分自身かなり苛立ってしまう瞬間だってもちろんあった。けれどだからといってこの蛇の目と牙がなくなるわけではない。それならば受け入れる他ないのだから悲観したところでどうしようもない。
高専に入っていろいろな人間がいることを知れたのは結果的にとても良かったと思う。憂太なんかいい例だ。自分でどうにもできない状態の彼を見ていると昔の自分と少しだけ重なる。だからというわけではないが、しっかり意思の疎通ができたのは少し嬉しかった。


「あれ……。狗巻くんほっぺたに傷できてるよ」
「こんぶ?」
「えっと、もっと右かな。絆創膏いる?」


人を傷つけない為に選んだおにぎりの語彙。それを気味悪がって遠ざける人間もいた。仕方がない。そうは理解していてもやっぱりとこか悲しさみたいなものはあったし拭うことができなかった。だからこうして俺のことを知ってもなお、離れず距離を縮めようとしてくれる存在が愛おしいと思う。
アイツにだけは特別優しいよな。パンダや憂太から同じようなことを言われた時は「そんなことはない」と否定し続けていたけれど、ついにあの鈍い真希にもそんなふうに言われてしまったのだ。いまさら隠さなくてもいいかという開き直りはもういっそ清々しいだろう。要は最初から好きだったのだ。


「いいじゃん。付き合っちゃえよ」
「おかか!すじこ!」
「名前ちゃんも狗巻くんのこと好きだと思うんだけどなぁ……」


女子会ならぬ男子会。学生の会話なんて女子も男子もさほど変わりなんてなくて、内容なんて随分とありふれたもの。時々呪霊のことを話すのが少し他と違うぐらい。
今日も突然始まった昼休みの内容は、「いい加減名前に告白してしまえ」というざっくりすぎるものだった。当の本人は真希と買い物にでも出かけてるのか教室にはいない。だからこそ始まった会話なんだろうが、いつ戻ってくるかもわからないのに……と思わないわけでもない。


「明太子。ツナマヨ……おかか」
「そうか?もしダメならダメでもいいだろ」
「でも同じ教室にいるんだからたしかに気まずくはなるよね……」
「しゃけ」
「めんどくせーなぁ」


好意をもたれてない。わけではないと思う。けれど彼女は優しい人だから。その優しさの対象内に自分がいるだけなような気もする。だからイマイチ踏み切れないところがあるのも事実。憂太が言うように今後も関わっていくことを考えれば、優しい彼女のことだ。気遣って生活させてしまうんだろう。……そんなのダメだ。自分の私欲を優先して名前を苦しませるなんて。







「私は狗巻くんを困らせたいわけじゃなくて……」
「困らねぇだろ!名前に告られて何が迷惑だ?あ?」
「お、落ち着いて真希ちゃん」


買い出しの途中から始まったこの会話。きっとこうなるだろうと薄々感じてはいたけど、予想通りに事が進むとそれはそれで面白い。しかもかなり喧嘩口調だけど怒っているとかじゃなくて、これは真希ちゃんが心配してくれてるんだってわかるから嬉しさも付属している。
私が狗巻くんを好きだということを知っているのは真希ちゃんだけ。だからこうした相談も彼女にはできるから困った時には頼ってるんだけど、だいたい最後にはお説教が始まってしまう。たしかに、こうして悩むぐらいなら早く言ってしまえという真希ちゃんの言い分もわかるけど……。


「それでもやっぱり、自信ない」


彼に好いてもらえている絶対の自信が。もし、私がもっと可愛かったり。彼と同じぐらい有能だったり。素敵な素材で溢れていれば。こんなに悩まなくてもよかったのかもしれない。

でもどんなに”かもしれない”妄想を繰り広げたって結局現実ではそんな奇跡は起こらない。


「……じゃあ、なんかきっかけがあればいいんだな?」
「……それは、どういう……」
「好きだって確証がないと動けないビビリにとっておきの魔法をかけてやるよ」
「……真希ちゃん」
「ん?」
「魔法をかけてやる、って。あんまり似合わないセリフだね」
「うっせぇ」


両頬を思いっきり引き伸ばされながら文句を言われてしまったからタイミングを逃してしまったけど、別に可愛くないなんて言ってないよ。魔法をかけてくれる真希ちゃんは、きっととても可愛い。
解放された、おそらく少しだけ赤くなっている頬を擦りながら本題へと戻す。真希ちゃんの言う『ビビリにかける魔法』って一体なんだろう。

買い出しが終わって五条先生にそれらを届けてようやく任務完了。お疲れさま、と渡されたのは報酬代わりだろうか、桃味の美味しそうなアメ。ふっざけんな!アタシらの頑張りをアメでどうにかしようとすんじゃねぇ!と怒り心頭の真希ちゃんの横で私このアメ好きだなぁとか考えてたのがバレたらしい。五条先生から「でも名前は嬉しそうだよ?」とツッコまれてしまい何も言えなくなってしまった真希ちゃんは思いっきり扉を開けて出ていってしまった。先生なんでこう、いつも人のことを煽るようなことしちゃうんだろ……。あえて口には出さなかったけど、今度来た時には少しだけ教えてあげたほうがいいかもしれない。

結局まだ何かの用事が終わっていないらしい彼女から「少し遅れていくから先に教室行っとけ」と促され、仕方なく一人で戻る。なんとなく肩が重い。


「たかなぁー」


扉を開け、第一声が狗巻くんの「おかえりー」で少しにやけてしまったのはもはや反射だ。少しだけ咳払いをしてから「ただいま」と伝える。そしてそこでようやく気づく。声がやたらと響くことに。
見渡した教室には誰もいない。乙骨くんもパンダくんもどこかへ出ていってしまったのだろうか。


「狗巻くん、他二人は……?」
「こんぶ。ツナ。めんたいこー」
「えっ、日下部先生に呼び出されるなんて何したの二人とも……」
「おかか」


どうやら二人は日下部先生に呼び出しをくらってしまい席を外しているらしい。一体何をやらかしたんだろう。狗巻くんも知らないということはあんまり大事じゃないのかもしれないけど、なんだか心配。
教室の入口でぽけーっと考えていた私に、手招きをしながら椅子を引いてくれた狗巻くん。彼に誘われてそちらへ進み、座る。こうして二人きりで話すことなんてなかなかないからなんだか変に緊張しちゃうな。


「狗巻くんは今度の連休どこか行くの?」
「おかか」
「私もなんだ。任務が入ったりしても困るから、なかなか予定入れられないよね」
「しゃけ。高菜、こんぶ」


予定がなかなか入れられないとはいえ、彼には行きたい場所があるらしい。狗巻くんが行きたい所。気になる。そんなふうに考えている私に、スッと差し出された画面。彼の手元のスマホに映し出されているのはつい最近都内にできた大きい水族館。たしかここは光と音のイルカショーが目玉だったはずだ。そっかぁ。狗巻くんはここに行きたいんだ。
すじこ。いくら。そう言って今度は画面がカレンダーに変わる。大きくピンチアウトされた日付は、もしかしてもう行く予定が立っているという意味だろうか。


「乙骨くんと行くの?」
「おかか」
「パンダくんじゃ、ないよね」
「しゃけ」
「……真希ちゃん?」
「おーかーかーっ」


えっと。そうなってくると事態は大きく急展開するんですけど。だって私も誘われてないからこのクラスの人じゃないということだ。……女の子?いや、それとも……。考えたくはないけど……付き合ってる子が、いたとか?そんなこと誰も言ってなかったから、まさに寝耳に水。与えられた衝撃はあまりに大きくのしかかる。


「い、狗巻くん……」
「高菜?」
「彼女………いたの…………?」
「っ!?おかか!」


慌てて首を横に振る彼を見て、心の底から安心した。なんだよかった……。これで実は彼女がいましたなんてことになったら明日から学校休んでしまおうかって本気で考えたもん。……いや、ほんのちょっとだけね。







選択肢を一つずつ消していった結果、目の前の彼女は盛大に勘違いしてしまった。いやあと一人、名前自身がいるじゃん。そう口に出せれば事は丸く収まったのかもしれないが、残念ながらストレートに物事は進まない。これじゃまるですごろくのゴール付近のような状態だ。ぴったりのサイコロの目じゃないから何度も何度も引き返すようになってしまう、あの感じ。

このタイミングで、誘ってもいいのだろうか。いやむしろこのタイミングでしかないとは思うけど、悩む。先ほどパンダから譲り受けたこの水族館のチケットを不自然にならないように渡すのは。


(デートに誘うのってこんなに難しかったっけ)


教室に二人きり。お膳立てされた状況。
憂太もパンダから言われたんだろう。二人揃って日下部先生の所に行くなんて普段ならありえない。そして真希もいないところを見るともしかしたら一枚噛んでいるのかもしれない。お節介。そうは思っても応援してくれる友人たちに今はただ、感謝を。


「でもそしたら誰と?」
「………ツナ」
「え?」
「……っ。めんたいこ」


チケットをゆっくりと手渡す。一緒に行きませんか。その気持ちを指先に込めて。


「私と……?」
「しゃけ」
「……ふたりで?」
「……しゃけ。………おかか?」
「ううん。………すごく嬉しい」


受け取ってもらえたその手をそのまま握り、あとは勢いにのって。ゆっくりと言葉に出せばいい。俺は呪言を使うから正確な愛の言葉は紡げないけど、それでも伝えたいと思うから。



大丈夫だよ狗巻くん。気持ちはしっかり伝わるよ。


細かいこと気にすんな。名前も待ってるぞ〜きっと。


おい棘。いい加減待たせんのやめろや。名前にちゃんと言ってこい。




「……っ!!……ツナマヨ!!」



たとえどんなに不格好でも。スマートでなくても。俺だって男だし。ちゃんと一歩前で彼女の手を引けるような人間でありたい。そしてそれを、他の誰にも譲りたくはない。



「……少女漫画の主人公を見て、いつも羨ましいと思ってた」
「………?」
「でも私も、今は主人公みたい」
「……高菜」
「好きだよ狗巻くん。ずっと前から好きだった」



片側だけが追いかける恋じゃない。二人で向かい合って「好きだ」と言えるこの世界線。俺たちはたぶん、奇跡的に恵まれている。嬉しい。そう言って泣くのはさすがに反則だと訴えたくなるくらい可愛いと思えた。

本当は抱きしめたいなとも思ったけど、やめた。後半から教室の外側がざわつき始めたのに気づいていたから。盗み見なんて趣味の悪いことやるなよって思ったけど、みんなのおかげでこの状況が生まれたんだから今日ばかりは文句なんて言えない。でもあえて言うなら五条先生が見てたのと「なんでそこで唇の一つも奪わないの!?」なんて余計なことを言ったのだけは腑に落ちない。そう言われて照れてしまった名前がやっぱり可愛くて、それを見られたことにムカっときたから












頬にでも一つ


シルシをつけたほうがよかったかもね




 







「狗巻くん」
「……おかか」
「えっ」
「………………」
「………と、とげ……くん」
「しゃけ」
「はいそこ!ナチュラルに教室でイチャつかない!!」
「狗巻くん、すごい嬉しそうだね」







だってその笑顔には敵わない





- ナノ -