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誕生日はたしか8月。でも日にちは知らない。だからたぶん17才。そして我が音駒高校のバレーボール部員。それが私の知ってる『夜久衛輔』という人。
プロフィールカードを埋めなさい、という問題だったら間違いなく赤点をくらうであろう情報量。けれど一度しか同じクラス(しかも今年なりたて)になったことがないような人を事細かく知っている方が怖くないか?と自分に問えば答えは決まっている。私はストーカーではないのだ。
けれど私は今そんな彼に対して重大なミッションを抱えている。それがこの『夜久衛輔についての報告書作成』だ。鞄の中に入っているイタズラ心満載のノートの存在を思い出し乾いた笑いを浮かべつつも、課せられた任務は遂行しなければならない。
そもそもなぜ夜久くんについて調べ上げなければならなくなったのかというと、どうやら同じ部活の後輩がどうやら彼のことを好きなんだとか。そりゃまぁ、同じ体育館で同じ時間に部活動をしていれば嫌でも目につくもんね。そして淡い恋心を秘めた後輩の戦力になってこい!と白羽の矢が立ったのは同じクラスに所属している私だったというわけ。別に私その子と仲良いわけじゃないから協力する必要もないんだけど、とは思っても実際そう言って断れるはずもなく。一応引き受ける形となってしまったのだ。


(それにしても夜久くん目が大きいし切れ長だなぁ)


こんなに近くで見たことなかったから何だか不思議な感じ。日誌をまとめながら盗み見る彼の顔は、意外と……と言ったら失礼になるかもしれないが整っている部類に入る。と思う。こんな風に日直当番が重ならない限り彼の顔をジッと見つめる機会なんて早々訪れないたろうから、存分に見ておこう。


「……そんなに見られると落ち着かないんだけど」
「え?あ、ごめん……」
「なんか困ったことあったか?」
「えっ、と……。日誌、あとどのぐらいかなって」
「あともう少し。っつーか名字の方が終わってないじゃん」


人のこと聞いている場合かよ、という言葉だけを聞けば厳しいようにも取られるかもしれないが、当の本人は笑っているのだから実際怒ってはないんだろう。

『夜久くんは優しい』

すぐにノートに書き込めるよう、夜久くんの情報はしっかり覚えておく必要がある。例えば今日。日直の仕事でノート運びをしなければいけなくなった昼休み。ミーティングがあるから、と。申し訳なさそうに謝る夜久くんに「大丈夫だよ」と返したはずなのに。ものの五分もしないうちに彼は戻ってきた。


「どうしたの?忘れ物?」
「少しだけミーティング遅れるって言ってきた!」


ほら。だからそれ貸して。そう言いながら私の腕に抱えられていたノートを半分以上も持っていってしまった。
大事なミーティングだったんじゃないの?大事だけど、日直の仕事だって同じぐらい大事だろ。夜久くんの言葉が嘘だとは思わないけど、さすがにそんなことないだろうとツッコまずにはいられない。
夏のインターハイ予選。残念ながら負けてしまった彼らだったけれど、そこが終わりではなかったから。


「春高の予選って、いつなんだっけ」
「年明けすぐ。『まだ夏だから』って気を抜いてたらすぐにその時は来る」
「そんな大切な時期に……ごめんね」
「なんでだよ。日直なんて学校に通ってれば必ず回ってくるもんだろ」


じゃあ俺行くわ、とノートを預けて颯爽と行ってしまった夜久くんの背中を見届けてから教室に戻り、ふと思う。随分と責任感の強い人物なのだと。だって普通大切な部活のミーティングを遅らせてまで日直の仕事をする?ペアの女子に任せられる。ラッキー!ぐらいの感覚だと思うし、私が彼の立場だったらたぶんそう思ってた。いや、すごいな夜久衛輔。

『夜久くんは責任感が強い』
『あと腕の力も普通に強い』

彼が戻ってくる前にと急いで書いた文字はミミズのようになってしまったけど、そんなの家に帰ったら書き直せばいい。


(なんか朝から晩まで夜久くんのこと考えてるみたいだな)


別に私が欲している情報というわけではないのに、やっていることを思い返してみるとジワジワと恥ずかしさが込み上げてくる。けれどそれと同時に、この情報が私ではない別の女子の手に渡るのだということを思い出しなんとも複雑な気持ちになった。


「名字?」
「………なに?」
「いや、さっきから日誌進んでないから。……もしかして具合悪いか?」
「あ、いや!全然!……っていうか夜久くん終わってるじゃん。私出しておくから部活行ってきていいよ」


どうやら私がぼーっとしている間に彼は自らの分の日誌を書き上げてしまったらしい。日直二人分の日誌が必要なんて随分と変わっている学校だとも思うが、この際それはどうでもいい。私は夏の大会でバスケ部を引退したからこの後することなんてないけど、彼は違う。春高大会に向けて練習を重ねなければいけない。


「……いや。俺も先生に用があるから待ってるよ」
「それなら先に出しちゃっても……」
「いーの!ほら、口じゃなくて手を動かせ」


トントンと日誌を指で叩く音が小気味よい。はーいと気の抜けた返事とは逆に書く速度を上げる。行ってくれてもよかったのに。そう思う自分と、待っててもらえて嬉しいと思う自分がいるのに気付いて頭を振る。これじゃまるで、夜久くんのことが好きみたいじゃないか。それはない。断じてない。後輩が好きになった人を調べていくうちに好きになるなんて、そんなドロドロした恋愛だけはゴメンだ。


「名字ってさ」
「ん?」
「字、綺麗だよな」
「………どうしたの、いきなり」
「いや別に。そう思っただけ」



突然自分の字を褒められ、何て返せばいいのかわからずに素っ気ない返事になってしまう。いや、夜久くんのことだから何も考えず思ったことをぽーんと言っただけなのだろう。それにしても心臓に良くない。字のこととはいえ、綺麗だなんて言われたことがなかったから。そこに特別な意味が込められていないとわかっていても頬が熱くなっていくのは止められない。こんなことならさっさと日誌を書き上げてしまえばよかった。先に書き終わってしまった彼は手持ち無沙汰なのか私の書いている文字をジッと見つめているし。そんな真剣に見たって面白いこともないし緊張するだけだからやめてほしいんだけど。……もしかして、先程まで自分が彼にしていたことのやり返しだろうか?それだとしたら随分と意地が悪い。


「見られると緊張するだろ」
「……わかってるならやめてほしいなと思います」
「さっき俺もやられたから。おかえし」


やっぱりそうだったか。予想通りの回答に目の前の彼をジトっと睨んでみたけれどそんなの大した効果はなくて、いたずらっ子のように笑いながら視線をそらした。


「名字は部活、もっとやりたいとか思わなかったのか?」
「……どうだろう。夏で終わりが、当たり前だったから」
「まぁ、普通はそうだよな」


夏で終わり。大体の学校の運動部がそうだ。笑って終われるのは本当にひと握りで、その舞台に立つことを許される人間はよっぽど幸運なんだと思う。私も今世でたくさん徳を積めば、来世ではそんな幸運を掴めるのだろうか。
バレー部の三年生が春高に向けて在籍し続けることを聞いた時、正直驚いた。その感情は『賞賛』というより『不可思議』に近い。何故、そこまでして続けられるのだろうか。好きだからという理由で片付けられるようなものなのだろうか。


「夜久くんは、どうして続けてるの?」
「……あえて理由をつけるなら」
「つけるなら?」
「男のプライドにかけてってやつかな」


男のプライド?そう首を傾げた私に、気になるなら試合観に来いよと極自然な流れで誘ってきた夜久衛輔という男。侮れない。
もうすぐ書き終わるから支度してて大丈夫だと伝えればロッカーの方に向かって歩き出す。その隙に急いで最後の日直欄を埋め尽くし、彼に見られないよう急いでそれを閉じた。


「ごめんね。お待たせしました」







「悪い。待たせた」


そう言って彼は搭乗口から颯爽と現れ、私の元に真っ直ぐ歩いてきた。見慣れないスーツ姿に少しだけ笑ってしまったから、ムッとした顔で私の頭を小突いてきたけど痛くなんてない。その力加減すらも久しぶりで本当に愛おしい。


「ロシアから東京って、10時間ぐらいかかるんたよね?」
「モスクワとかならな。場所によって違うぞ」
「遠路はるばるお疲れ様です」
「疲れてはない。名前に会えると思ってたし」
「……あ、うん」
「すげー会いたかった」


そんな真っ直ぐに見つめながら言わないで。そう言ったところで「別に悪いことじゃないんだからいいだろ」と堂々と反論されてしまうだろう。だから何も言わないでおく。昔から彼はそうだ。思ったことをすぐに口に出してしまう。それはコチラが恥ずかしくなるようなことでも彼は厭わない。

ゴミ捨て場の決戦。
私はその名前を衛輔から教えてもらうまで聞いたこともなかった。けれどバレー部員たちには何やら特別な思い入れがあるようで、その試合に懸ける熱量が半端じゃないというのも衛輔経由で知った。そしてそれを実際の試合で目の当たりにした時、本当に自分でも驚いたけど涙が止まらなかった。感動した。それ以上の言葉が見つからない。そう彼に伝えたら、同じように涙を流しながら


『名字にそう言ってもらえて嬉しい』


抱きしめられた。
その時の感情を言葉にすることは昔も今も出来ない。けれど確かにあの日、私の心が夜久衛輔に奪われた日だった。あーあ。ドロドロした恋愛に足を踏み入れちゃった。
でも、『夜久衛輔についての報告書作成』ノートを後輩に渡さずに持っていた時点で、この恋に足を踏み入れてたんだろうなぁ。自分の行動を振り返りながらそんなことを頭の片隅で思った。


「相変わらず字が綺麗だな」
「それ学生の時も言ってたけどさ、そんなことないと思うよ」
「この婚姻届、名前の字だけが異質に見える」
「それはむしろ失礼なんだよな」


衛輔の言い分に呆れながらも、もう一度。その紙をじっくりと眺める。自分自身ではそう思わないありふれた字で書かれた『名字名前』の隣に書かれた、男らしい『夜久衛輔』の文字。あの日の日誌欄に書かれた名前と同じ名前の並びで、私たちは今日、結婚する。
付き合ったのは春高での試合が終わってからすぐ。そしてプロポーズされたのは驚くなかれ、高校卒業と同時。付き合って二ヶ月しか経ってないスピードプロポーズに、その場にいたバレー部員や他の女子生徒からも悲鳴があがった。しかしそれは、彼自身からの『ロシアでの生活が落ち着いたら迎えにくる』という条件付きでのことだった。青春を謳歌したい年頃の女の子にとってそれは致命的でもあったけど、断る理由が見つからなかった。
二つ返事で頷いた私に泣きそうな顔で「ありがとう」と言った衛輔を、今でもはっきり覚えている。


「衛輔」
「どうした?」
「バレーをしている衛輔が、すごく好き」
「突然どうした」
「……遠い地からでも私のことをちゃんと愛してくれてありがとう」
「……………名前」


いつまでもバレーという未知の領域を追いかけ続けているストイックな夜久衛輔に選ばれたこと、本当に光栄に思うよ。


「名前」
「……はい」
「こうして待っててくれて、本当にありがとな」












きっかけがどうであれ
タイミングがなんであれ

きっと私は恋に落ちていたでしょう


偶然?当然?

いや
それすらも凌駕する必然という形で



貴方はそこにいてくれたのだから












「そういえばあの日誌の日直欄」
「日直欄?」
「春高の舞台で夜久くんを見たいです、ってやつ」
「………え、ちょ、なんで知って」
「すげー殺し文句だよな」
「なんで今言うの!?なに!?どういうこと!?」
「あれで惚れない男はいないだろ」








その秘密は今日をもって解禁します




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