HQ!!






蝉の大合唱をBGMに歩いているからだろうか。それとも単にこの気温のせいだろうか。背中にツーッと流れる汗の量が増えたような気がする。梅雨明けしたにも関わらず雨量が多く随分と蒸していたはずの宮城にも、ようやく本格的な夏がやってきた。
こんな日はプールに入りたい。直射日光を浴びながら冷たい水に身体を浸からせる。あの感じがとても好き。


「おっはよー名前!」
「……徹はいいよね、男で」
「何、いきなり」
「なんで女子にはプールの授業ないんだろ……」


そう。残念ながら私の通う高校には『水泳授業』というものが存在しない。……女子だけ。一体なんという差別だろう。この暑い季節に男子は入ってもオッケー、女子はダメだから体育館でバレーって。考えれば考えるほど溜息が溢れる。


「仕方ないよ。女子の水着いろいろと問題だから」
「大人は考えすぎだよ」
「俺は嫌だね。名前の水着姿を思春期の男たちとか教師に見られるの」
「いや、だから考えすぎだって」
「名前はもっと可愛いって自覚して!」


そんな事言われたって、と不貞腐れてしまうのは仕方がない。だってあまりにも理由が理不尽だ。女子の水着姿を思春期の男子生徒たちの目に触れないように、なんて。そしたら女子は別の市民プールとかで我慢しなさいって?そっちの方がよっぽど大衆の目について危ないと思うんだけど。

(まぁ、でも)

同時に壊れている徹フィルターには感謝。だって好きな人から可愛いと言われればそりゃ誰だって嬉しいでしょ。
ニヤける顔を隠す事が出来なくて、「名前、俺に可愛いって言われて嬉しいんだ」と徹に指摘されてしまう始末。すぐにバレたのは悔しいから「そんな事ないです」とせめてもの抵抗を見せてみたけど、どうやらそれもあまり関係なかったみたい。


「いっそ海とかに行こうかなぁ」
「は?え?海?」
「そう。海」


なんとなく。本当になんとなくのイメージだけど、プールよりも海の方が綺麗そう。塩で浄化されているからだろうか。いや、場所によってはプールの方が綺麗なのかもしれないけど、同じ行くなら開放感がある所の方がきっと楽しい。
つい最近友だちと「夏になったら何したい?」という話をした時に『海に行きたい』という案も出ていたのは確かだ。せっかくだから水着も新調して遊ぶのは大いにアリかもしれない。


「ちょ!そんなのダメに決まってんじゃん!」
「なんでよ。男子ばっかりずるいじゃん」
「ダメダメ!!よく考えて名前!!」


いや。徹も私の気持ちを考えてほしい。こんなにも暑い日々を乗り越えている女子生徒たちに救いの水がないんだという現実を。


「じゃあせめて俺が行ける時にして!」
「そんな日ないよね?」
「夏休み!月曜日!!」
「あぁ、なるほど」


確かに青城のバレー部は月曜休みだから行けなくはない。私の部活は運動部ではないから徹に休みを合わせるなんて容易い事。
それならば……とも思ったけど、そこである事に気付く。この及川徹という男を、果たして海に連れて行っていいのかどうかという事に。だって、とにかく顔がいい。この男は。海に来たイケイケなお姉さんたちが放っておくわけがない。


「いや……やっぱり徹とはちょっと」
「え!?なんで!?」


ごめん、と断る私に「だからなんで!?」と焦ったようにしがみついて来る徹がいる事で周りの視線はこちらに集まってくるし、なんなら暑さは倍になっている。徹さん、ここが校庭だっていう事わかってます……?私がそう言葉で制す前に「朝からイチャついてんじゃねェクソ川ァ!!!」という盛大なツッコミを岩泉くんから食らっていたので、もう何も言うまい。







結局誰とも海に行く予定を立てられず、カレンダーの日付はあっという間に登校最終日を迎えていた。
明日から夏休みという事実に驚きつつも、ようやくやってきた恵みの雨に嬉しさが止まらない。本当に何しよう。部活に遊びにバイト。たくさん寝ても朝寝坊にはならない生活を送れるなんて、なんて幸せなんだろう。とりあえず宿題なんて物はさっさと片付けて遊ぶ事に集中しよう。
先生からの「あんまりハメ外しすぎないように」という忠告を聞いて、危なくない範囲で遊びの計画を立てる私と友だちは偉い。


「それじゃあまた連絡す」
「あ!!いた!!名前―!!」


ギリギリまで予定を立てていた私たちも、「流石にお腹すいたから帰ろっか」となり立ち上がる。しかしその瞬間、勢い良く開いた教室の扉。そこに立っていたのは何故か制服ごと濡れている徹で。
私も友だちもその姿にクエスチョンだったけど、「ねぇごめん、名前連れて行ってもいい?」という言葉にようやく我に返る。「あ、どうぞ」という彼女の言葉にそのまま手を引かれて少しだけ早足で歩き始めた。後で連絡するねぇ!と少しだけ大声を出してから、やけに滑る下に目を向ける。


「ねぇこれ……大丈夫なの?廊下、結構びしょびしょだよ?」
「あとでマッキーたちと拭くからへーき!」


花巻くんたちはそれを了承しているのだろうか。ふとした疑問をあえて口には出さずにいたけれど、そんな風に上手くいかなさそうな予感が浮かんでは消えてなくならなかった。


「名前、プール入りたがってたからさ」
「まさかとは思うけど、今から入ろうとかって言うんじゃないよね……」
「流石にそんな事言わないよ!それにプールになんて入ったら名前の下着、アイツらにも見られるじゃん!ぜぇったい無理!」


まっつんなんかに見られた日にはどうなるかわかったもんじゃないよ!と一人で憤慨しながら歩いてる徹は本当に何を言っているんだろう。ふはっ、と笑ってしまった私に対して「俺マジメに言ってんたがらね!」とツッコむ姿でさえももはや面白い。

結局、屋上のプールにいたのは岩泉くん、花巻くんと松川くんというお決まりのメンバー。
お、名字さん連れてきたんだ、という花巻くんに挨拶をしてからプールサイドに座ると、そこは直射日光を浴びていたからかとても熱くなっていた。熱いし、暑い。けれど上履きと靴下を脱いで浸かった足先だけはひんやりとしていて気持ちがいい。このアンバランスでバランスを取っている辺りがとても夏っぽく感じる。


「気持ちいいでしょ?」
「でも私も徹たちみたく頭から被りたかったなぁ」
「名字さんもやる?」
「やりません!まっつん人の彼女誘うのやめてください!」
「プール入る?って誘っただけじゃん」
「心狭川だな」
「川の名前みたく言うのやめてくれない!?」
「男の嫉妬は醜いぞ及川ぁ」


結局そのまま引きずられるようにプールの真ん中に行って大はしゃぎしている彼を見ながら時々空を仰ぐ。あぁ、夏だ。白い雲のバックに青空。水しぶきの音。全部が夏が来た事を知らせてくれる音みたいだ。
しかしそこでふとある事に気付く。水着も着ないでこんなとこで泳いでていいのだろうか、と。


「おい、そろそろ出んぞ」
「え、もう?」
「元々プールサイドに忘れ物があったからっていうのを理由に鍵貸してもらったんだろうが」


そろそろ行かないと遊んでたのバレんぞ。そう言って引き上げを提案した岩泉くんに続いて松川くんと花巻くんもそこから上がる。なるほど、やっぱりそうだったのか。納得しながら私も腰を上げプールサイドに足をつける。冷たかった足先がじわじわと熱に侵食されていくのを感じながらも、全てを明け渡すわけにはいかないので素早く上履きに手をかける。


「名前」


未だに水に浸かっている徹はいつ上がるんだろう。早く行かないとまた岩泉くんにどやされてしまうのを彼はわかっているんだろうか。

ほら徹。行こ?

そう声をかける為に私はしゃがみこんだだけなのに。


「っ、……!」


なんで気付いたら私はプールの中にいるんだろう。


「と、っ」
「岩ちゃーーーん!ちょっと先に行っててー!すぐ行くからーー!」


彼の大声に次いで、おー、という声が微かに聞こえた。岩泉くんたちは……どうやら先に行ってしまったようだ。


「入れたね」
「突然すぎて心臓に悪いよ……」
「はは、ごめん」


本当に悪いとは思っていないような素振りで謝られても意味ないのにって何回彼に伝えたんだろう。毎回彼は「ごめんね」って言うけど、その言葉が現実に反映された事はほとんどない。現に今だって「ごめん」って言う割に顔はすごい笑顔だし。
だって名前の反応が可愛くてさ、なんて。言い訳にもならない。全然反省していない彼の鼻を思いっきり摘めばその整った顔は一瞬にして歪んでいく。俺も名前と一緒にプール入りたかったの、じゃないよ、まったく。そんな顔で言われても説得力ないってば。


「でもこれでようやくイチャイチャできる」
「こんな所で?」
「だって俺、明日誕生日じゃん」
「いや、そうだけどさ」
「一日早い誕生日プレゼント、俺にちょーだい?」


そんなの、別にここじゃなくてもあげられるのに……って。思ったし、言ってやろうとも思ったけど。それよりも早く彼が呼吸ごと掻っ攫うようなキスをしてくるから結局それは叶わなかった。
プールの水音なのか、舌が重なり合う水音なのか。正常に判断できる思考能力は今の私には残されていない。だってもう、何度も重ねられる熱い吐息に頭がクラクラしているのだから。


「と、おる……、っ、!」
「……ちゃんと舌、だして」
「ん、……ッ、ふ、……ッぁ」
「じょーず」


何度も。何度も。柔らかい感触がずっと続いている。でも激しく重なっているわけではない。優しくて、癖になるタイプの口づけ。息を吸う瞬間に見える彼の顔があまりに綺麗で、どうしていいか分からなくなる。けれどその答えが出る前にまたその顔が近づいてくるから放棄せざるを得ないのだ。そうやって繰り返して、絡まった舌が解放された時には私の体には力なんて残されていなかった。


「……やばい」
「なに……?」
「今もう離したくないしここから動きたくない」


徹の気持ちがわからないわけではないけれど、流石にそれは無理だ。岩泉くんにどやされるどころでは済まなくなってしまう。それにただでさえ二人して遅くなってしまっているのだから何かを疑われてもおかしくない。松川くん辺りはもう気付いている頃だろうな。


「今日は月曜日だし、終業式だし、明日は徹の誕生日だし。一日早いけどお祝いしようよ」
「する!!」


本当は週末とかにゆっくりお祝いしたいなって思ったけど、きっとこの流れなら今日やった方がいいに違いない。なんてたって主役の彼がまだ私を離してくれなさそうだから。

さぁ。ひとまず鍵を閉めよう。
青空とそれを映し出すプールに別れを告げて






何者にも手が届かないようにしてしまおう










「なんで俺だけしか廊下拭いてないの!?」
「だって濡れたまま廊下歩いたの徹だけ……」
「それは確かにそうなんだけど!」
「でも結果的に二人きりになれたわけだし、私は嬉しいけどな」
「ちょっ!突然そんな可愛いこと言うのやめてくれます!?」
「あはは。ほらほら、手が止まってますよ〜」












そしてまた一つ、キミは大人になる




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