HQ!!






「えっと、え?岩泉くん?」
「名字、か?」


あまりに突然すぎるその出会いに呆けていたのも束の間。わりぃ、俺行かなきゃいけねぇ所あるんだと去っていった彼は、気付けば小さくなっていた。
えっと。今のは本当に岩泉くんだったのだろうか。よく似たそっくりさんとかではない?でも「名字」って言ってくれていたから向こうも私だと認識していたよね……。いや、そもそもそれも幻聴だったらどうしよう。海外に一人、心細かった私が生み出した幻覚だとしたら相当酷い。しかもその相手が岩泉くんだなんて冗談にもならない。嵐のような出会いに頭を悩ませながらも結局私はそのまま現地に向かった。







ただいま。扉を開け、なんだかどっと疲れた身体を思いっきりソファに投げ出す。仕事はいつも通りだった筈なのにこんなにも疲労感に襲われているのは、間違いなく彼に会ったからだ。

岩泉一。彼は私の高校時代のクラスメイトだった。そして、私が今の仕事をしようと思ったきっかけを作った人物でもある。

 



壁に掛けられた写真を眺めながら、思い出すのは彼がとても輝いていた時代。セッターから流れてきたボールをあんなに力強く、綺麗に打ち込める選手を私は見たことがなかった。周りの女の子たちは及川くんに熱を上げていたようだったが、私はその先にいる岩泉くんをずっと見ていた。かっこいい。それ以外の感想が出てこない程に彼は私の中にも強烈な一球を打ち込んできたのだ。
幸いにも同じクラスということもあり、話す機会はあった。が、私にはそんな勇気は備わっておらず自分から話しかけるなんてことは到底無理な話だった。
けれどそんな私にもチャンスは巡ってくるもの。部の顧問からの司令を受けた私は部室を飛び出し急いで彼の元に向かう。首元に一眼レフカメラをぶら下げて。


「い、岩泉くん、いますか!」
「あ、えっと。誰……?」
「岩泉くんと同じクラスで、えっと、写真部の名字名前です!」
「あ、名字さん。いいよ、ちょっと待ってて」


バレー部員に詳しくなかったので呼びに行ってくれた彼が誰だかわからなかったけど、確かこの前の試合にも出ていた人だ。髪の毛がくるくるしていた人だったから覚えてる。ありがとうございますと心の中で念じながらも、心臓はこれでもかというくらいに早鐘を打っていた。岩泉くんと対面で、しかも二人で話したことなんてないから上手く話せるだろうか。もし話せなかったらどうしよう。いやいや、これは部の為。私的な理由じゃないんだ頑張れ私。


「……名字、どうした?」
「あ……っ。い、岩泉くん!折行ってお願いが、あって、!」
「お、おう」


岩泉くんを前に上手く話せなくなる自分に内なる私が叱咤する。いけ!これは部の為!!


「岩泉くんの写真を、撮ってもいいですか!」





何度思い出しても、恥ずかしいものは恥ずかしい。思わず近くにあったクッションに顔を埋めるがそれでも顔の火照りは拭えない。でもあの時言うことが出来てなかったら、きっと今の自分はいないのだから。少しずつ抜けていく身体の熱を感じながらもう一度壁に掛けられている写真を眺める。コートを前にして飛び上がる岩泉くんの写真がやはりどの景色よりも輝いて見えるのは、少なからず補正がかかっているからだろうか。


(……補正、抜きでも)


十分だ。彼は十分過ぎるほど、キラキラしている。


「今日会えて良かった、な」


たとえ一瞬でも、私の原点の彼に会えて良かった。あれは私が作り出した幻覚なんかじゃない。きっと私がこの地に来ているのと同じように、彼もまた何かに向かって走り続けているのだろう。わかるよ。だって岩泉くん、あの頃と同じキラキラを発してたもん。
一人で渡米を決めた時不安もあったけど、それ以上に胸に秘めた想いが私にもあったじゃないか。その初心がぼやけてしまいそうになっていたから、きっと現れてくれたんだよね。ありがとう。私まだまだ頑張れる。

疲労も心地の良さに変わり、開いていた瞼は重力に逆らうことなく落ちてくる。お風呂にも入ってないけど、別に今日ぐらいはいいよね。明日は仕事も入ってないし。
何も邪魔が入らないこの状況に甘え意識を手放そうとしたのと同時に室内に鳴り響く壊れた呼び鈴の音。この独特な音は間違いなくこの部屋のものだ。窓の外を見ると綺麗な夕日が差し込んでいる。こんな夕暮れ時に一体誰?





「名字」





先程までの重力との戦いはどうしたと思うほどに機敏な動きを見せられたのは、扉の奥から聞こえてきた声が岩泉くんのものだったから。勢い良く扉を開けた先に居たのは間違いなく、正真正銘、岩泉くんだった。


「悪い、寝てたか?」
「えっ、いや、大丈夫!……です!」
「なんで敬語。……久しぶりだな」
「……うん、久しぶり」
「家の場所は牛島に聞いた。……知り合いなんだな」
「あ、うん。牛島くんとはお仕事の関係で知り合って、そこから」
「……………そうか」


立ち話もなんだからとは思いつつも家に上げていいものかどうなのか。簡単に男を家に上げる女だと思われたくない私と、中でゆっくり話したい私が葛藤している。
けれどここで会話が終わればもう会えないかもしれない。これだけ広い外の世界で会えたことが奇跡なのにこれ以上の奇跡を望むなんてそれこそ無茶な話だ。恥ずかしがって躊躇っていたあの頃の私とはもう違う。言って後悔するより、言わないで後悔する方が圧倒的に嫌じゃないか。


「い、岩泉くん!」
「お、おう」
「よかったらお部屋上がってゆっくりお話ししませんか!」
「………………くっ」
「だ、だめだった……?」
「あーいや。違う。あん時と同じだなって思っただけ」


じゃあ遠慮なく、そうさせてもらおうかな。そういって彼が足を踏み入れた瞬間、いつもの部屋の景色がガラッと変わったような気がした。


「さっぱりしてんだな、名字の部屋」
「現場と家の往復だから、そんなに物が無くても意外と平気なんだ。お茶でいい?」
「サンキュ」


その話に間違いはないが、つい先日何気なく掃除をしておいて良かったと思う。過去の私、よくやった。
程よく冷えた麦茶を差し出してから彼と同じようにソファに座る。先程までここでうつ伏せながら恥ずかしさに悶えていたなんて言えないよなぁと考えながら麦茶を口につけ、そこでようやくハッと気付く。しまった、写真そのまま貼りっぱなし!風景写真だけならまだしもその中心には彼がいるのだ。岩泉くんからしたら「なんで俺の写真?」となるだろうし最悪ドン引きされてもおかしくないレベルの話だ。やばい、どうしよう。いやでも見てないという可能性も捨てきれない。それならあえて話題に出す必要もないだろう。


「名字」
「えっ、あ、なに?」
「飾ってくれてたんだな、あれ」
「あれ、は……その。えっと。……ごめんなさい」
「あ?なんで謝んだよ」
「だって勝手に飾られてて気味悪くない……?」
「ねぇよ。むしろ、嬉しかったくらいだ」


飛び込んできたのは、本当に嬉しそうに微笑んでいる岩泉くんが写真を眺めている姿。そっか。嬉しく、思ってくれたんだ。


「なぁ名字。突然来て突然こんな事を言われても、それこそ気持ち悪いかもしれないが」
「そんなこと思わないよ!」
「俺、この写真を見て海外行き決めたんだ」
「……これを見て?」


写真部の大会に出す写真を撮らせてほしいって名字が体育館来た事あったろ?あの時すげぇ嬉しくて。俺を選んでくれたこと。……元々、知ってたんだ名字の写真。掲示されたやつ見たことあったから。だからどんな風に映るんだろうって、思ったんだよ。だから写真が優秀賞取ったことよりも名字の目を通してレンズに映る俺がああやって見えてるんだって分かったことの方が嬉しかった。そんで、バレーしてる自分自身の背を見て改めて思ったんだ。一生バレーに関わっていこうって。


「だから、改めてそう思わせてくれてありがとな。そう、ずっと言いたかったんだ」


その言葉はどんな評価の言葉よりも真っ直ぐに私に突き刺さり、胸を温かくさせた。堪らずに流れ出た涙を止める方法なんて知らない。だから口元を抑えながら下を向くことしか出来なくて、私はまるで子どものように泣き続けた。ごめん。突然泣いたら驚くよね。岩泉くんが慌てている気配がして申し訳なく思ったけど、それでも止まらない。


「……岩泉くん」
「だ、大丈夫か?」
「私ね。私も、岩泉くんが原点なの」
「………!」
「自分の目に映る景色を、写真という形にしていきたいって思うようになった原点」
「………名字」
「ありがとう」


その「ありがとう」に様々なものを詰め込む。私も貴方に言いたいことたくさんあったけど、それら全てを伝えるのはちょっと時間がかかりそうだし難しいから。
悲しくても笑う人。嬉しくても涙が出る人。そんな人たちを今までたくさん写真に収めてきたけど、今まさに私は後者の気分。この涙は悲しみからきてるものじゃないから大丈夫。慌てている岩泉くんを安心させられるように、今の私に出来る精一杯の笑顔と言葉を紡ぐ。


「…………また会いに来てもいいか」
「え………それは、もちろんいいけど……」
「とりあえず、連絡先交換しようぜ」


連絡先とまさかの次会う約束まで取り付ける事が出来てしまい、心の中はもう嬉しさのあまり叫び出したい衝動に駆られている。そんなことは出来ないししないんだけど、気持ちはそんな感じ。


「じゃあまた」
「うん、また」
「あと、名字」
「なに?」
「俺、牛島がお前と仲が良いって聞いた時すげぇ嫌な気持ちになって、つい会いに来たけど。俺にもまだ、入り込む余地あるか」


岩泉くん。それ、告白みたいだよ。そう冗談めかして言えれば良かったのに。言葉には詰まっちゃうし、顔なんて自分でも分かるくらいに熱を帯びているから。だから彼も私の顔を見て「十分そうだな」とか言い始めるんだ。
じゃあまた、と二度目の台詞と、頭に乗せられた温かくて大きな手。撫でられたと気付いた時にはもう目の前に彼の姿はなかった。
どうしよう。私今すごい浮かれている。玄関の扉を閉めてからずるずるとその場に座り込んで、一応これが白昼夢でなかったことを確認。うん、大丈夫、頬は痛い。
赤くなった頬をさすりながらリビングに戻りスマホを手に取れば、表示されている『岩泉一』の文字。内容は『さっきはありがとな』というさっぱりとしたものだったけど、逆にそれが彼らしい。さて、私はなんて返そう。まるで高校生が初めて好きな人に連絡を返そうとするドキドキをぶら下げながら、しばらくの間スマホとにらめっこすることとなる。











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