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一歩踏み出せば、そこは朝か夜か分からないような世界が広がっている。挨拶もそこそこに家を飛び出し、駅に向かって走り出す。肺の中に入ってくる空気は重く、冷たい。身体は少しずつ温まっている筈なのに、肺は凍りそうだ。苦しい。走るのはやめて、歩いてしまおうかな。そう思っても走り続けてしまうのは、『一歩でも歩みを止めたら遅刻してしまうから』に他ならない。そう、私は今日寝坊した。

世間ではイルミネーションが輝き、街中にはカップルが溢れだすこの時期に、私は何をしているんだろうとも思うけどこればかりは仕方がない。クリスマスとはいえ練習はあるのだから。なんなら実際にやっている人たちの方が大変だろうしやりたくないだろうなぁとも思うけど、あの人たちバレー馬鹿だから。あまり気にしていないかも。
どうにか電車に乗り、走って失った分の呼吸を整える。暖房がついているから今の私にはこの車内、不適応環境だけど。これに運んでもらわないと学校には辿り着かないので否が応でも乗らなければならない。



「随分と苦しそうだね」
「あ…、一静……、おは、よ…」
「さては、寝坊したでしょ」
「さすが……よく…おわかりで…」



苦しんでいる私を横目に笑い始めるこの男は、いわば幼馴染にカテゴライズされる人間だ。笑うなと言いたいところだけど今回はこちらの方が分が悪いので開けた口はそのまま呼吸だけをして閉じることを決めた。



「今日ってクリスマスだけどさ」
「練習がありますね」



ようやく息が整い始めた頃にもう一度話しかける辺り、さすがというかなんというか。



「うん、そうなんだけど。練習終わったらどうするの?」
「どうするって…今年も一静の家でクリスマスパーティするんじゃないの?」



毎年クリスマスの日は松川家でパーティをする。これはもう小さい頃からの決まり事で今更確認する必要もない、要は暗黙のルールというもの。それを今年に限って尋ねてきた一静に首を傾げながら返答をすると、うーんとわざとらしく唸りながら眉間に皺を寄せていた。え、もしかして今年はない……?え…。え?もしかして……



「一静、彼女……出来たの?」
「は?」
「だって…あからさまに”パーティ出来ませんよ”みたいな顔されたら、そうかなって…」
「いや、だからってなんでそうなるの」



飛躍しすぎじゃない?と彼は言うが、いや、全く飛躍してないでしょ。誰が聞いてもそう思うよ。
開いた扉から外の世界にまた一歩を踏み出し、じゃあ何で、と少し不貞腐れ気味に聞くと「何怒ってんの」と頭をぐしゃっと撫でられた。うるさい怒ってないし。



「うちの親、親戚の結婚式に出る為に観光も兼ねて昨日から京都行ってる。帰りは二日後」
「京都まで…大変だね」
「何かお土産欲しかったら今のうちに言っておきな。うちの人たちみんな名前のこと好きだから二つ返事で買ってきてくれるよ」



いや、それはどうなの。と思ったけど、ご子息の彼が言っているのだからあまり気にしなくてもいいのかもしれない。
しかしだ。ここで一つハッキリしてしまったのが、今年は松川家で過ごせなくなったということ。毎年彼の家で美味しいご飯を食べて、ケーキを食べて……プレゼント交換をして。そう、今年も私はプレゼントを用意してしまった。しかも高校三年生ということもあってみんな用と、一静用。だってもしかしたら、渡せるのは今年が最後かもしれないから。
私たちは今でこそ部活に打ち込んでいるが、実際のところは受験生。来年のこの時期には、それぞれ違う道を歩いていることになる。今みたいに、同じ一歩は踏み出せない。
だからこそ今年のクリスマスパーティは密かに気合いを入れていたのに。仕方のないこととはいえショックではないと言えばもうそれは完全な嘘である。



「……聞いてる?」



一静に顔を覗き込まれて意識をそちらに戻す。ごめん聞いてなかった。そう素直に伝えたのに盛大な溜息を溢されたのは実に心外だ。少しの沈黙があってから、じゃあもう一回言うけど、とその歩みを止めてこちらを見下ろす。



「今日、練習終わったら出かけない?」
「……は?」
「は?じゃなくて。しない?俺とクリスマスデート」



クリスマスデート。クリスマスデート?
何度かその言葉を脳内再生してみるけれど、意味を処理する速度が全くついていかない。デートってなんだ。そもそもそんな言葉が一静から出てきたのにだって驚いているのに。しかも驚いているのは心だけじゃないようで、先程から思ったように身体も動かせない。ような気がする。
せめて目の前の彼が私のことを誘う時に照れながら、とかだったら現実味も湧くのに。当の本人は「今日の夕飯なに?」ぐらいの気軽さで聞くもんだから余計に真意を測ることができない。
考えすぎて何を言っていいか分からなくなってしまい呆然と立ち尽くしてしまった私に、何を勘違いしてるか知らないけど、と続けた一静は急に私の手を握って歩き出す。



「俺、親たちがいてもいなくてもクリスマスは名前としか過ごすつもりないよ」
「……なんで?」
「…さぁ、なんでだろうね」
「……教えて、って言ったら?」



ピタッと。立ち止まったと思ったら、本当に。本当に一瞬で唇の熱を掻っ攫っていくから。何が起きたか分からなくて呆けていると、突然笑ってもう一度。今度は熱を重ねるように唇に触れてくるから。その熱に浮かされないように繋いだ手をギュッと握っていた。





「…………この続きは、練習終わったら、ね」





そう言って再び歩き出す。もう少しで学校着いちゃうのに、繋いだ手はそのまま離されることはない。一静、勘違いされちゃうよ。そうは思っているのにその手を解くことはできないし、むしろさっきのキスを思い出して一静私のこと好きなの?なんて意識して。我ながら単純だ。
とりあえず練習終わったら一度家に帰ってシャワー浴びて…、少し可愛い洋服を選んで。彼の為に選んだプレゼントを鞄に詰めることも忘れずに。








一歩先の未来にニ歩踏み出せ




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