HQ!!






「…あの、松川くん。この体勢恥ずかしいんだけど…」
「一静」
「え?」
「今は二人だけだよ」



ほら、何て言うの。少しだけ低い声で囁くように至近距離で言われたら、それはまるで誘導尋問のようだ。心の中でたくさん呼んでいるとはいえ、音として出すのはまだあまり慣れてない名前を呟くにはかなりの勇気がいる。そんな私に呆れることなく、微笑みながらおでこに唇を寄せてくれる彼はまるで王子様だ。

今日は一緒に帰ろうか、と提案してきたのは彼からだった。元々彼の部活がない月曜日の過ごし方はまちまちで、必ず帰らなければいけないということではなかった。彼は部活の面々と帰ることもあったし、私は私で友だちと帰ることだってあった。別に付き合ってることを秘密にしているわけでないし、突っ込まれれば答える気持ちはあるのに中々そういう場面に遭遇しないのは何とも不思議な感じだ。かといって大声で『私たち付き合ってます!!』と言うようなキャラでもない。

待ち合わせした場所で落ち合ってから「じゃあ行こっか」と手を引かれて向かった先は昇降口とは逆方向。こっちって何かあったっけ?なんて呑気に考えていたらいつの間にか空き教室の中に身を置いていた。ガチャ、と無機質な音の方向へ振り返れば「誰が来るか分からないし」と笑いながら答えている一静くんと目が合った。
おいで、と手を広げながら待っている一静くんの所にゆっくりと近付き、ぎゅうっとしてしまったのは少なからず彼不足だったのかな、なんて。広がる彼の匂いでさえ愛おしくて、少しだけ強く抱きしめてみたけどそれによろけることなく抱きしめ返してくれる彼はなんて頼もしいんだろう。「可愛い」なんていうおまけ付きで甘やかしてくれる彼が、好きでたまらない。

そんなふやけた思考をかき消すかのように急に身体が浮き、視界が開けたのは一瞬のことだった。目の前に彼の顔があり、椅子よりも幾分か柔らかい場所に足が触れている。そこが一静くんの膝の上であることに気付いた瞬間の恥ずかしさと言ったらもう。ここで冒頭に戻るわけなんだけど、まさに暖簾に腕押し。彼には抗議の意は伝わらなかったらしい。



「……一静くん」
「よくできました」
「……、っん、」
「……っ、は。……可愛い子には褒美をやれってよく言うでしょ?」
「そんなの聞いたことないけど……」



付き合ってみて分かったことだけど、彼は随分と甘やかし上手だ。徹みたいに爆発的なルックスがある訳でも、一のようにザ・漢前という訳でもない。けれど関わっていくうちに知った、誰よりも優しい『松川一静』に惹かれていたのは揺るがない事実だった。こんな事をあの二人に聞かれたら(特に徹)何を言われるか分かったもんじゃない。
ぼーっとそんなことを考えていると、「じゃあ、はい」と差し出されたのは、え、ポッキー?全く意味が分からない意を込めて一静くんの顔を見ていたけど、彼は一切表情を変えることなく手に持っていたポッキーを差し出すのみだ。食べろってこと?もうそれ以外の意味が分からなくて一口分をそっと咥えたらあろうことか彼が反対側を咥えたではないか。バキッ。変な距離感に慌ててしまい勢いよく折ったポッキーから出た音は静かな空き教室によく響いた。



「……名前さん?」
「え、あ、いや、折れたね?」
「折ったんでしょ」
「だ、だってまさか反対側咥えるなんて思わないから……!」
「俺とポッキーゲームしてくれないの?」



ポッキーゲーム。まさかとは思うけど……お昼休み出来なかったからってこと?なんとなく空気的にはあそこでおしまい、というような感じだったけど、彼にとってはそうではなかったのだろうか。



「もしあの時あみだで俺とじゃなかったらどうするの?」
「え、……っと」
「俺、名前が誰か別の奴と同じ物咥えてるの見るのすごい嫌なんだけど」



名前は俺と別の女子が同じポッキー咥えてて嬉しい?と聞いてくる彼は、たぶんちょっと怒っている。と思う。普段は大人っぽくてあまり怒った感情を表に出さない彼でも、こんな顔するんだ。場違いにもそう思いながら彼の顔を眺めてしまった。
怒っているであろう彼の機嫌を直すには、どうしたらいいだろう。なんて。そんなこと分かりきっているのだからやればいいのだけど、いざ直前になってみるとこれはかなり恥ずかしい。


(目を開けたまま顔を近付けるって中々に拷問じゃない?)


きっとあの場でやれと言われても多分出来なかっただろう。こういうのって、ある程度関係ない人間とやった方が出来たりするんだよね。適当な所で折ってしまえばいいんだし。
しかしここで固まっていても何も進みはしない。女は度胸。口を開けて二本目のポッキーを待つ。



「………っ」



徐々に近付いてくる顔に、近付く顔。火照る顔は致し方ないと思いつつも真っ赤になっている顔を見られるのが堪らなく恥ずかしい。まるで死刑宣告を待つ人間のような心待ちになりながら進むその先で笑う一静くんは、ひどく穏やかな顔をしてコチラを見ていた。
そう思った瞬間、覆われたのは視界。先程まであったポッキーは一体どこに消えたんだろうと思ってしまうくらい、口の中に広がるのはチョコの味でもなんでもない彼の味だ。その甘味に耐え切れず肺に空気を入れようとしたのに、その一瞬の隙をついて舌を捩じ込んでくるからさらに甘みが広がってしまう。ポッキーを食べているのか、松川一静を食べているのか。もうこの際どちらでもいい。思考が正常に働いていない脳は考えることを放棄した。



「………っ、…は、…」
「……可愛い」
「……こんな所でこんなこと。いけないんだ」
「でも嫌じゃなさそうな顔してるけど?」
「……意地悪だ」



火照り続けている顔を彼の胸に押し付けながら呟けば「でもそれ知ってるの名前だけだから」とかなんとか甘い台詞を耳に流していくんだ。私だけ、とか言っておけば簡単に転がせると思って。実際に転がされている身にもなってほしいよ。



「今日はどこかに寄ってゆっくり帰ろうか」



ゆっくり膝の上から降ろしてハイ、おしまい。ではなく、手を繋ぎながらさりげなくエスコートしてくれる彼に本日何度目かのトキメキを覚えながらゆっくりと歩き出す。駅前に新しいケーキ屋さん出来たの知ってる?なんて少し高校生っぽい会話をしながら門を出れば











その先は一体

何が始まるんだろうね?












「ポッキーのチョコレートがかかってない所さ」
「うん?」
「枝っていうの知ってた?」
「え、そうなの?」
「うん、嘘」
「………………」









甘味が広がる嘘にプレッツェルを




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