HQ!!






窓の外は薄暗く、空気が重たいような気がするのはきっと気のせいではない。雨が降るんだろう。長年この身体に付き合っていれば空模様を見なくても分かることだってある。現に私の身体はもうこれ以上は無理だと白旗をあげているのだから。
廊下を駆けていく足音がやけに響く。あぁ、もしかしたら今は放課後なのかもしれない。五限目が始まる前からここにいるから今が何時かなんて把握出来てはいないけど。それに私のいるここからは、時計が見えないのだ。…諦めよう。起き上がるのもつらい。どうしてこうも偏頭痛なんて起こるのか、全くもって意味が分からない。おまけに偏頭痛がある人とない人がいるではないか。世の中は不平等である。

このまま帰れなかったらどうしよう。荷物も教室に置いてあるし、なんなら私は『保健室に行く』ということを誰にも伝えてはいない。伝えられる余裕が、正直なかった。先生ごめんなさい。決してサボりではありません。
いつもお昼を一緒に食べているお友だち二人には、何も心配させずにお昼ご飯を食べてもらいたかったという気持ちで伝えなかった。でも逆の立場だったら言ってもらえた方が嬉しかったよな。反省。良くなったらちゃんとごめんねって謝ろう。

そこまで考えてふと、携帯の存在を思い出す。あれ、そういえばスマホどこやったっけ?教室に置きっぱなし?スカートやカーディガンのポケットを探してもそれらしき物は入ってないから、これは十中八九教室だな。ただでさえ最悪の気分なのにこれ以上落ち込むようなことがあるなんて。つきたくもない溜め息が流れるように体外へ出ていく。

今日は確か六限まであったはずだから、もうこのまま放課後まで寝ていよう。どうせ出たって集中して授業を受けられるわけではないのだから。そんな言い訳染みた言葉を頭に並べながらもう一度目を閉じて、深く息を吸った。
遠くの方で、雷の音がする。それは気のせいだったかもしれないし、耳を打つ雨の音ももしかしたら幻聴なのかもしれないけれど。ただ今は、その音ですら気を紛らわせてくれる効果音になっていることもまた事実。どうか次に目が覚めた時には、この頭痛から解放されていますように。そう思いながら今度こそ意識を手放した。











いつだったか、偏頭痛は首の後ろを冷やすといいってテレビに出ていたお医者さんが言っていたのを薄らと思い出す。でも痛い時にすぐ冷やす物なんて用意できないよ、動きたくないもん。出来ればふかふかのお布団に寝転がりながら治るのをただ待っていたい。なんて、そんなことを考えていた私は、医者に謝れと言われても仕方がないと思う。言われたことはないけれど。
あぁ、でもそうだな。欲を言えばそこに人肌も欲しいかも。私のことだけを包んでくれる人肌。それを叶えてくれる唯一の人はきっと今頃大好きな部活に打ち込んでいるだろうからそれは叶わない願いだけど、今はそのくらい彼を欲している。



「……ん、………あつ……」



ずっとお布団に潜り込んでいたからだろうか、いやに温かい……むしろ少し暑いくらいの温度が布団の中を支配している。え、もしかして私熱でもある……?と身じろいだ瞬間、自分の体に自分のではない腕が回っていることに気付く。
よく考えてほしい。眠る前には一人だったお布団にもう一人入ってきている恐怖を。何故?誰?と顔が青ざめていくような感覚を覚え始めたその時、「ん……」と微かに声が聞こえ、その声の主に心当たりしかない私は、今度は違った意味で驚いた。



「一静………?」
「……あ、名前起きた、……?」
「え、一静だよね?」
「うん、松川一静」



おはよ、と言いながら私の髪に顔を近づけているのは間違いなく松川一静本人である。声や仕草でわかるぐらいには長く時間を共にしているので間違える訳はないのだけど、一体全体これはどういうことなのだろう。
寝る前まで私を悩ませていた偏頭痛は鳴りを潜めているのか、今は表に出てはこない。これなら動いても問題なさそう。体勢を変えるべく一静に手を緩めてもらいながら後ろを向くと思った以上に近い、大人びた顔。もう少しで鼻がつきそうなその距離に慣れることなくドクドクしている心臓。もう一度言われた「おはよ」という言葉に何とかおはようと返せた私を誰か褒めてほしい。
目の前の彼もそれをわかっているんだろう。微笑みながら私の頬を撫でるのは確信犯だからこそやれる行為だ。そしてそれを同じ高校生と思えない彼がやるからこそ問題なのだ。



「……今何時…………?」
「もう放課後」
「…………。……?一静、部活は……?」
「今日何曜日だっけ」
「月曜、……あ」
「そういうこと」



週一であるお休みの日が月曜日というのは分かっていたはずなのに、それを理解していなかったあたり私の脳はやっぱりまだ覚醒しきれてないのかもしれない。なるほど、と呟いた私に対して返事をするかのようにもう一度優しく腕を回す彼はとことん甘い。



「心配した。携帯に連絡しても返ってこないし、教室見に行っても姿が見えないし、いつも一緒にいる子も知らないって言うし」
「……うん」
「天気、こんなだからもしかしたらって思ったらやっぱりいたよね保健室に」



心臓によくない。そうやって強く抱きしめてくれる彼の温もりと、言葉の温かさで全身を包まれたらもうそれだけで泣きそうになってしまう。
ごめんね。そう、ただの一言だけでも返そうと思うのに言葉が詰まってしまい形にならないから今度は私が一静をぎゅっと抱きしめる。溜息を吐きながらでも頭を撫でてくれるのだから、きっと私の意はしっかり伝わっていると思う。
撫でられ続けているうちに再び眠気に襲われた頭を何とか起こそうとするもそれよりも先に閉じられる瞼がやけに重たい。せっかく一静が迎えにきてくれたのに、帰らなくちゃいけないのに。自分の体だと思えない程言うことを聞いてくれないのだから本当に困る。



「今日花巻にさ、彼女いて楽しいか聞かれたの」
「……花巻くんに?」
「そう。アイツの理想、三日に一度シュークリームを一緒に食べてくれる人がいいらしいんだって」
「えぇ……?花巻くんらしいといえばそうだけど、ふふ」
「楽しいよって、教えてあげた」



名前がいて楽しくないことなんかないよ。
そう言った声があまりに優しくて。鼓膜から流れてくるその音はまるで子守唄のように私の全身を駆け巡る。その言葉に喜びと、安堵と、幸せと、いろいろなものを混ぜ合わせて構築されていくのが一静への愛なんだろうな。なんてちょっと恥ずかしいから本人には言ってあげない。
もう少しだけ寝てていいから、と私の背を叩きながら携帯をいじった彼は一回だけ大きな欠伸をして目を閉じる。…もしかしなくても、一緒に眠るつもりなんだろうか。ここは保健室でいつ誰が来るかも分からないのに、同じベッドに二人で入ったままなんて些かリスキーなのでは。
一静、と一言声をかけると考えている事が伝わったのか「大丈夫」とだけ答え、「五時までなら」と続けた。何故五時までなのかはよく分からないけど、一静が言うならまぁ大丈夫なのかな。



「おやすみ」



遠くの方で聞こえていた雷が今はもう近くで聞こえるし、雨音もなんだか激しい。それでも一切の不安がないのは、額に優しく押し当てられた唇の温度が私の中に吸い込まれて、心を温め続けてくれているからだと思うの。









不協和音を心温に変えて





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