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窓際にチョウが止まってる。あれはたぶん、キアゲハ。小さい頃田舎に行くわけでもなかった私がチョウの種類に詳しいのは、それこそ小さい頃にやっていたゲームのおかげである。夏休みになると何かと理由をつけて田舎に行く少年が、山やら海やらを駆け回り、様々なことを体験して成長するゲームだ。私は一気にプレイして終わらせていたけど、友だちは現実の一日をゲームの一日に反映してやっていたのでしっかりきっかり八月三十一日でどちらの夏休みも終わらせていた。そのやり方がなんとも贅沢なように思えて真似してやってみたけど、私には難しかった。中旬ぐらいまでは調子よく出来るのに、それ以降は続かなくなり途中で止めてしまうのだ。だからか、とても強く『羨ましい』と思ったのを覚えている。
今年の夏はリベンジしてみようかなぁ……。大人になった今なら続けられるかもしれない。そんなことを考えているうちに、いつの間にかキアゲハはどこかへ行ってしまった。バイバイ。また疲れたら戻っておいで。


「ほんとーに、わりぃ!!」


残念な気持ち半分、なんとなくそうなるであろうと予想していたので的中した複雑さ半分。けれどたぶんそれ以上に申し訳なさを感じているであろう両手を合わせてごめんなさいポーズをしている彼に免じて、その気持ちを帳消ししてあげたい気持ちも顔を出している。なので仕方ない。八割は上書きしてあげる。でもやっぱり残りの二割は『残念』だった。

松田陣平という男はあまり警察官っぽくないけど、歴とした警察官だ。それに加えて米花町を管轄しているので他の管轄の刑事とは比べ物にならないくらい忙しい日々を送っている。何故かというのは言うまでもない。事件が多すぎるからだ。本当に死神でも憑いてるんじゃないのかと疑いたくなるほどに事件が多発していて、この前なんて免許の更新もままならなかったくらいでさすがに問題になった。それはそう。だって免許の更新が終わってないのに運転なんてしようものならそれだって一つの『事件』になってしまうのだから。


「さて、と。今日何しよう……」


こんなに天気がいいのに予定がないなんて悲しすぎるから、いっそどこかに散歩してしまおうか。一人で。そう頭にふっと浮かんできた提案に一度は乗ろうかと考えたけど、片足を突っ込んだところで引き返した。だって本当だったら陣平とピクニックに行くはずだったのに行けなくなったから一人で散歩って、ちょっと虚しい。隣に彼がいたら、って。きっと歩いているうちに考えてしまう。それだったらいっそ部屋の中を綺麗にしてしまったほうが余程気が紛れるかもしれない。時間はまだ十時を少し過ぎた頃。今からやったらそこそこ綺麗になるだろう、と。腰を上げたらもうあとは掃除機を掴むだけだった。







少しだけ身体が汗ばんでいる不快感で目を覚ます。あれ……今何時?朦朧としている思考はあまりに不安定だったけど、どうにか定まった視界で捉えた時刻はおやつ時より少し前。一体いつからそうしていたのかはわからないけど、かなり深く眠っていたようだった。汗ばんている身体に反して重だるい感じなどは全くないし、むしろ軽い。そうだ。掃除を終えた私は布団に身体を投げ出して少しだけ休憩をしようと思ったんだ。なのに結構ガッツリ寝てしまうなんて、本当に時間の使い方が無駄である。まぁ、そう反省しても時間は戻ってこないから今からできることをしないと。とりあえずシャワーを浴びて着替えを済ませて、それからどうしよう。丁度おやつの時間だし、近くのケーキ屋さんでマカロンでも買っちゃおうかな。そんな贅沢、今日ぐらいは神様も陣平も許してくれるはず。
すぐ近くとはいえ簡単にでも化粧やら何やらしなければと思うのが女性かもしれないが、正直言って面倒くさい。下地を塗ってアイラインを引いて、眉を軽く整えるだけでいいかな。洋服は着るだけだから少しだけ可愛いのにしていこう。ちょっとした気分の盛り上げも気持ちを行動に持っていく上でとても大切なこと。


「それではちょっといってきまーす……っわ!」


ドアノブを押す前に引かれるドア。引っ張られた腕と倒れそうになる身体は、目の前の少しだけ硬い身体に吸い込まれる。少しだけ、鼻が潰れた。


「名前、出かけんの?」
「え、陣平?おかえり?」
「おう、ただいま」
「帰ってくるの早くてびっくりしてるとこ」
「事件片付けたから今日はもういいってさ」
 

ホント人使い荒いとこだよ、捜一はよ。そんなことを嘆きながら私の身体ごと押し戻ってきたので再び家の中に入る形になってしまったのだけど、それを嫌だなんて言うはずもない。そのままそっと陣平の背中に腕を回せば、力強い温もりが返ってきた。


「で?どこ行くつもりだった?」
「近くのケーキ屋さん」
「さてはおやつか」
「……だって、やることなくなっちゃったから」
「あー……」
「お掃除してたら眠くなっちゃって」
「ん」
「寝たらお腹空いた」


私の断片的な話を相槌を打ちながら聞いてくれてる彼は、きっといろいろな顔をしているんだろう。困ってたり、笑ってたり。抱きしめられてるから顔は見えないけど、声のトーンでちゃんとわかるよ。喜怒哀楽がハッキリしているとこも、大好きな部分だから。
少しの沈黙を挟んでから、突然「じゃあ行くか!」と気合いの入った声。意味がわからなくて少しだけ顔を上げて困った表情を浮かべていると、言葉ではなく唇が降ってきたからさらに困惑。


「甘いもんいろいろ買って、そのまま出かけんぞ」
「どこに?」
「今日は元々、そういう予定だったろ」


何度か重なった唇が離れ、抱きしめられていた身体も離れる。その代わり、今度は手が温かくなった。

結局その後すぐにケーキ屋さんに向かった私たちはそれぞれ好みの物を二つずつ買って店を出た。ここのケーキはなかなかに大きくて、陣平につられてつい一つ多く買ってしまったけど……全部食べられるだろうか。そんな食べ物の心配をしている私を見て何を勘違いしたのか横で彼が笑い出す。そんなに心配しなくても、俺の分も一口分けてやっから。なんて。見当外れもいいところだ。私を食いしん坊か何かだと未だに陣平は勘違いしている。夜ご飯だってアナタのほうが余程食べてるでしょうに!とツッコんでやりたくなったのは言うまでもない。(結局言わなかったけど)
ケーキの箱を左手に、空いている右手は私の左手に。自然な動作で繋がれた手は力強く、それだけで私のことを安心させてくれるなんてすごいことだと思う。午前中のあのもやもやした気持ちなんていつの間にか霞んで、消えていった。


「夕方だってのに、案外人いんだな」
「ほんとだね」


目的地の土手には思いの外人が集まっており、少しだけだけど出店も出ていた。あまりここに来ることがないから分からなかったけど、どうやらここは休日になると少しばかり賑やかになるらしい。私たちの横を通った家族連れが「今週の出店はイカ焼きだったね」と話していたのでまず間違いないだろう。


「まぁとりあえず、今日はこれ食おうぜ」
「うん、そうしましょう」
「で、次は出店見て回ろうぜ」
「ふふ、そうしよっか」


適当な所に座り込んだ私たちはさっき買ってきたケーキの箱をゆっくりと開けた。ほんのちょっとお尻がひんやりとしたけど今回は仕方がない。一度出番を迎える筈だったレジャーシートは今朝押し入れの中に戻してしまって、不貞腐れてしまったから出してあげることが出来なかったの。ちょっとした言い訳を並べることになんの意味もないけど、そんなことを考えながら一つ目のケーキを手に取った。陣平はイチゴがたくさん入ったショートケーキを取り出し、二人でいただきます。


「やっぱショートは無難にウマい」
「しかも苺もたくさん入ってるしね」
「増量してると得した気分だよな」
「お買い得感あるのはわかる」
「急にリアルだな」


なんてことない会話を繰り広げなら口いっぱいに広がる甘さを二人で堪能する。これが『しあわせ』じゃなかったら何を『しあわせ』とするんだろうか。いろいろな定義が曖昧なこの世の中で、今ここに在る”しあわせ”を噛み締められる私は幸運の持ち主だと思う。そんな人が世の中にたくさんいたらいい。……だから。陣平が毎日大変な思いをしながら仕事をしていること、本当に尊敬しているのだ。今はこうして夕陽に照らされながらケーキを頬張っている彼だけど、常日頃から命懸けでこの日本を守っている。そう思うと予定がキャンセルになったことくらいでいちいちしょげてなんていられない。


「……また小難しいこと考えてんな?」
「美味しいなって思ってたけど」
「ばぁーか。名前の考えてることなんてスマホバラして元に戻すことより簡単なんだよ」
「例え方が微妙すぎて伝わらない」
「心配してやってんのに」
「え、今のどの辺が?」


あまりに分かりづらくて聞き直してしまったけど、たぶんこれは私のほうが正しいと思うよ。笑ってしまった私にデコピンする前に、もっと言い方とか気の回し方を萩原くんにでも聞いたらいいのにって思うけど、そしたら陣平じゃないからやっぱりこのままで。


「名前」
「なに?」
「次こそ弁当持ってリトライな。あとデザートはメロン」


またそんな勝手なこと言って。用意したのに行けなくなった、なんてもう嫌だからね。そう一つ注文をつけたら彼は笑いながら私の頭をくしゃってしてきたけど、その笑顔になんて絶対絆されないんだから。

(……そう思ってるのに)

結局何度だって絆されてしまってるのは私自身の心の弱さか、はたまた愛なのか。


「……まぁ、どっちでもいっか」
「なにが?」
「メロンがダメだったらブドウにする話」













だってどちらも

くて、

果物には変わりないでしょう?



愛のカタチも
同じぐらい


くて

かったら



いいのにね









「今年は昆虫採集しようかと思って」
「は?なんだって?」
「昆虫採集」
「名前、虫大丈夫だったっけか?」
「今度こそ昆虫図鑑埋めてみせる」
「お、おう……?」
「だから陣平、お願い」
「なんだよ……」
「一緒に探してほしいの」







宝はきっと、押入れの奥に眠っている






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