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カチャ、と音を立ててコーヒーカップを置くのってマナー違反なんだっけ。そんなあやふやな知識を頭の奥の方から取り出しながらカフェオレを口にする。ぼーっと外を眺めているものの、特に何かに集中して見ているわけではない。日曜日なのにお仕事があるなんて大変だな、とか。あの女の子ずっと同じ場所にいるけど、もしかしたら待ち人が来ないのかな、とか。人の流れを見ながらぼんやりと浮かんでは消えるそんな考えを、カフェオレのお供にしながら過ごしている私もなかなかに暇人だ。
スマホのロック画面をゆっくりと解除。特に調べ物があるわけでもないのに開いた理由は一つだけ。


「まぁ、わかってましたけど」


最後に送った四日前のメッセージを最後に新しいものは更新されていない。けれど私が送った可愛らしいスタンプに既読マークはついているので見てはいるのだ。
『会いたい』に対して返ってきた『知ってる』の文字。しょんぼりしたネコのスタンプは私の化身だ。こんな風に……いや、これ以上に落ち込んでいる私の気持ちを汲み取って何か言ってくれてもいいのに。


「そういうのを汲み取れる陣平ちゃんが現れたら、たぶん化けてると思ったほうがいいかもね」
「わかってしまう自分がいる……」


横に座る萩原くんがそう言ったら、もうそうなんだろう。だって彼は私よりも陣平のことをわかっている人物だ。悔しいとかそういう次元の話じゃない。
二人で窓の外を眺めながら時々ポツポツと会話をする。けれどデートではない。今日は日頃頑張っている陣平に何かサプライズを用意したいという私に付き合ってもらったのだ。そして今は休憩時間というわけ。


「名前ちゃんは本当に陣平ちゃんのこと好きだよね」
「それはもう片想いばりにね」
「…………なんて?」
「私だけ好きが積もって苦しいって言った」


先ほどのメッセージ欄を見てもそれがよくわかる。仮にも彼女の「会いたい」に対して「知ってる」とは。レスポンスが下手なのにも限度があるだろう。


「こんなに会えなくても、平気なんだから」


その文面から考えられるのなんて一つしかない。あまり頭が良くない私でもわかるよ。時が進めば進むほど。彼との関係が長くなればなるほど。必死に足掻いているのは私だけなのかもしれないという不安。独りよがりの恋愛なんて、していて楽しいんだろうか。


「あー……。名前ちゃん。その考え杞憂だと思うよ」
「そうかな」
「不安なら不安だ、って。アイツに言ったらいいのに」


言えたら今みたいに苦労してないんだよ、って。萩原くんにそれを伝えたところでそれこそ意味がないこと。八つ当たりのような言葉で刺してしまう。それこそお門違いだ。
私のことを一生懸命慰めてくれる優しさが陣平にもあればまた何か違うかもしれない。……でも。だからといって私は萩原くんには惹かれないのだ、残念ながら。彼に足りない優しさを持っているかもしれないけど、結局好きだと最後に思ってしまうのは一人しかいない。あぁなんて複雑な乙女心。


「ありがとう萩原くん」
「ん?」
「陣平へのプレゼント探し、一緒に来てくれて」
「名前ちゃんの頼みならいつでも聞くよ!」


こういったところが女の子にモテる所以なんだろうけど、それもまた、萩原くんの長所。そしたら陣平の長所は一体何があるだろう。この会えない期間に改めて考えてみてもいいかもしれない。片手で足りるぐらいだったりして。ふふっと笑みをこぼしながら残っていたカフェオレをそっと飲み干す。最後のほうは砂糖が固まってしまってとても甘かったけど、その糖分も全て私の中に吸い込まれていった。







仕事が終わって家に帰るとなんでこんなにやる気が失くなってしまうんだろう。何をするにも力が必要になるから、何もしたくないと思ってしまうのは大体の人が経験してることなんじゃないだろうか。でもとりあえず、お風呂。そのタスクだけはこなさなければならない。明日の自分に期待するのではなく、今日のことは今日の自分に託す。これは社会人になった私が学んだ最初のことで、初心を忘れず今でもちゃんと続けている。

風呂から上がりゆったりした衣類に袖を通す。ここまでやって初めて『家に帰ってきた』という気持ちになるのだ。あーソファに沈む身体が気持ちいい。このまま今日も寝てしまうかも。連日布団に入ってないせいで身体はバキバキだけど、気付いたら意識がなくなってしまっているのだから仕方ない。
いつもの流れ動作で、今日もまたロック画面を開く。こんなことならいっそロックなんてしなくてもいいんじゃないかとさえ思うけど、さすがにそれはプライバシー保護の観点から良策とはいえない。
はぁ。ため息が宙に舞うのと同時に立ち上がり冷蔵庫の扉を開ける。キンキンに冷えているビールのプルタブに手をかけ、一気に口づける。流れ込んでくるアルコールの苦味が心に溜まっていたもやもやをさらに色濃くさせる。


ねぇ。今は、無事?


正直なところ、彼が何をしていようとそこは別に気にはならないのだ。遊んでいようと、寝ていようと。ご飯を食べていようと。……生きているなら。
危険な職種にいるというのは付き合う前からわかってた。今は捜査一課に移ったから機動隊の時よりも不安はないけど、それでもやっぱり今日の無事を願ってしまうような職場だ。だから本当は、会いたいなんてわがまま言っちゃいけないっていうのはわかってる。会えなくても平気なんでしょ、なんて。そんなこと本当は思ってない。空になった缶をじっと眺めながら強がっている自分に叱咤するのはせめてもの反省だ。

気付けば深夜。このまま起きていたら肌にもよくない。頭にもきっとよくないだろう。どちらにせよまともな判断ができるわけではないし、だったらこのままここで寝てしまおう。おつまみとして食べていた枝豆の殻と空き缶の片付けは明日でも許されるかな。


「あ、でもさすがにタオルケットはいる」


そのまま寝てしまったら風邪だってひく。タオルケットを取りにいくついでに歯も磨いてしまおう。洗面台で事を済ませてから戸締まり確認をする為に辿り着いた玄関で、突然扉がけたたましい音を立てて開いた。いや。鍵は閉まっていた。酔っているとはいえ、見間違いじゃないはず。……なのに鍵が回って開いたということは鍵を使った人物がいるということ。そしてそれは、一人しか該当しない。


「陣平……、え……っ」


目で捉えたのはたしかに陣平だった。それは間違いない。けれど、今までこうして……性急にキスされたことなんてあっただろうか。玄関に入るなり、腕を掴まれて引き寄せられて。私たちの間には一ミリも隙間がないかのような埋められ方を、今までされたことなんて。そう思いながらも必死に彼の口づけに応えている。酸素を求めて口を開きたい気持ちと、一度開いたら最後、もっと大変になるだろうからやめておけという気持ち。
でも結局、何よりも大切な呼吸を選んだ結果、想像通りさらに息苦しいことになってしまう。


「じ、……っん、ぅ」
「口もっと開くだろ」
「だ、っ……でも、くるし、…ん……っ」
「は、ぁ……っ、ん、……舌、ほらよこせ」
「ふ、んん、っ……や、っ」
「……ヤラシイ声」


誰がそれを出させているんだと思ったけど、身体がそのまま廊下に押し倒されてしまったのでそんなことを言う余裕もなく。
その後もずっと続いたキスの嵐に身体は一気に火照る。アルコールの効力も上乗せされて全く力が入らないし、むしろ何も考えられなくなっていく。どうしよう。キスでこんなに気持ちいい。うっすら目を開けると同じように……いや、それ以上に気持ちよさそうに重ねている陣平が見えてしまったからもうどうにもできなかった。


「……っ、は……」
「……無理。酸欠だよ……これじゃ」
「しあわせな酸欠じゃねぇか」
「自分で言う?」


ようやく止んだキスの合間に無茶苦茶なことを言う彼のおでこをそっと指で弾く。苦しいのって大変なんだよ。そんなこと訴えたって「俺には関係ありません」みたいな顔をして口の端を上げるんだから反省ってものが彼の辞書には存在しない。


「飢えた狼の前に美味しそうなウサギがいたら喰うに決まってんだろ」


私は餌なのか。っていうか陣平には私がウサギに見えてるのか。そんなツッコミを繰り出したい気持ちにももちろんなったけど。たぶんそれは全て、一度美味しくいただかれてからじゃないと聞く耳を持ってくれないんだろうなぁ。でもそれでもいいと思ってる私は、もしかしたら猟師なのかもしれないよ。







「この前ハギと会ってただろ。二人で」
「萩原くんから聞いたの?」


サプライズだから内緒にしててほしいって言ったのにな。約束事を破られてしまったことに少しばかり怒りを覚えた私の顔を見て、怒りてぇのはコッチ、と。今度は私のおでこにちょっと強めのデコピン。


「男と二人で会うな。ハギは特にダメ」
「えぇ……今までだってあったじゃん」
「それは俺が後から合流する時だろ?」
「まぁ、うんそうだね」
「で?なんで二人で会ってたんだよ」


もうここまでバレているのであれば隠す必要もないんだけど、今それを持ってくるのはちょっと恥ずかしい。だって今は何も身に纏ってないのだから。
ダメ元で頼んだ明日の朝じゃダメ?というお願いが思いの外すんなり通ったので、ちょっと、いやかなり早いけど。サンタさんのように枕元へ置いておこうかな。陣平の疲れがとれるようにと取り揃えたリラクゼーションセット。喜んでくれるといいな。


「陣平」
「ん?」
「もうそろそろ、限界だった」
「……………ばぁか」


俺のほうが限界だったに決まってんだろ。

それは随分と横暴なセリフだったけど、そこに込められているのが愛情だと思うのはきっと自惚れなんかじゃない。そっかそっか。限界だったのは私だけじゃなかったんだね。それがわかっただけでも私は十分しあわせです。












私にキミのことがわからないように

キミにも私のことはワカラナイ


でもだからこそ
人間には『言葉』が存在する

その気持ちを伝える大切な手段だから


決して手放してはいけないよ








「陣平ちゃーん」
「あ?どうしたハギ」
「俺、この前名前ちゃんとデートしちゃった」
「…………………は?」
「余裕ぶっこいてると、手遅れになるかもよ?」






心の起爆装置、スイッチオン!






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