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人には得手不得手がある。できること、できないこと。それは人間ならばあって当然で、別になんら恥ずかしいことではない。そう思って数十年間生きてきた私に「だからと言ってそのままでは駄目だろう」と指摘した人は、私とは正反対の完璧主義者だった。私にとって彼は苦手の対象そのもの。一度そう思ってしまうとそのイメージはなかなか払拭できないし、なんならそれは相手にも伝わってしまうことがある。そして彼の場合、しっかり伝わってしまっていたのだろう。降谷零という、同期の中でも特に優れていた彼には。



「え?オレが名字に料理を教えるの?」


聞き返された言葉にもう一度頷けば、不思議そうな顔でこちらを見てくる。昔よく見ていたおとぎ話に、同じような顔をした時計を持っているうさぎがいたな。うろ覚えながらその愛らしい雰囲気が目の前の彼と重なって内心笑みが溢れる。


「降谷くんがね、言ってたのを聞いたの」
「零が?」


景は料理が上手だから、今度何か教わりたいよ。
特に優秀な同期がそう言っていたのを聞いたのは少しだけ前のことだ。彼がそこまで絶賛する諸伏くんのお料理って一体……。と気になったのは勿論、できたら私にも教えてくれないかな、なんて。淡い望みを持ったのがきっかけだ。
しかし彼のいる前で諸伏くんに頼んでしまうと盗み聞き(するつもりはなかったとはいえ)していたことがバレて怒られてしまうだろう。何故なら彼は、私のことを嫌っているのだから。


「ここを卒業して警察官になったらさ、やっぱり資本は身体になるから」
「自炊できるようにって?」
「うん、そういうこと」


今のままじゃ、年中無休でコンビニ弁当だよ。冗談めかしながらも本音を素直に伝えれば笑いながらも承諾してくれた諸伏くんは、やはりとても優しいし頼りになる。
当日の時間や場所は互いに連絡を取り合いながら決め、「じゃあまた」と言って別れたのは確か先週の話だ。なんだか緊張するなぁ。なんて。呑気に考えていた私は知る由もない。この料理教室に参加する人数が一人ではないことを。







「えっと……?」
「なんだ。僕がいたら何か不満か?」

約束の今日、私は諸伏くんの部屋にいる。……仏頂面を浮かべた降谷くんと一緒に。ちなみに何故彼がこんな顔をしているのかはわからないし、彼がここにいるのも私からしてみれば謎である。元々『今日』お願いしていたのは私だけだったのに。
別に不満なんてないよ。困惑しながらもそう返した私に、さらに何かを言おうと口を開いた降谷くんだったけど。結局何も言わずにそっぽを向いてしまった。え、本当になに?
そして私たちの微妙な空気を読み取ったであろう諸伏くんが苦笑いを浮かべている。そりゃそうだ。穏やかに進むはずだった料理教室は開始早々不穏な空気に包まれてしまったのだから。


「零、その怖い顔やめてね」
「やっぱり怖い顔してるよね?」
「……してない」


不貞腐れたように吐き出す彼は諸伏くんといると少し幼く見える。これは気心知れた諸伏くんの前だからだろうし、きっと無自覚だろう。あえて口には出すことはなかった。


「じゃあ早速だけど作っていこう。まず出汁をとるところから」
「普通に味噌を溶かすだけじゃないのか?」
「もちろん普段ならそれでいいけど、時間がある時なんかは出汁からやってみなよ」


全く違うからさ、と笑う諸伏くんの手は話しながらも器用に動いている。使うであろう昆布を優しく掴み、鍋にそっと入れた。


「弱火で二十分ね」


昆布や鍋に小さい気泡が出始めたら取り出す合図だよ。
とても優しい声が、耳元で聞こえる。お母さんがいたら、こんな風に教えてくれてたのかな。薄くもはっきり残る母の面影を男の諸伏くんに重ねてしまうなんて失礼なことなのに、どうしてもそう思えてしまう。一重に彼の優しさがそうさせるだけなんだろうけど。


「……この鰹節は?」


私と諸伏くんの間に入るように降谷くんが声をかける。手には鰹節の袋が握られており、なんだか不恰好なのは彼の無駄に良い顔立ちのせいだろう。


「……なに」
「え?いや……べつに」


こんな風に当たりが強くなければ、もう少し仲良くなれると思うのになぁ、とぼんやり考える。
降谷くんと私の関係は言わずもがな、警察学校の同期だ。他にも同期はたくさんいるけど、異性の多い環境で特に諸伏くん、萩原くん、松田くん、伊達くんとは仲がいいと思っている。……そう、降谷くんを除けば上手くやれているのに。何故か彼だけは私のことを敵対視してくるのだ。初めは女だから?とか思ったけど、他の女の子には優しくしてるのを見かけたことあるからたぶんその線は薄い。となるとやはり私が諸伏くんと仲良くしてるから嫌なのかな、なんて思ってみたり。


「鰹節、沈んだね。濾そうか」


火傷しないようにね。若干手つきに危うさが残る私に助言をしつつ、そのまま自身の手を添えて濾すのを手伝ってくれた。おかけで無事出汁を取ることができそう。そうホッとしたのも束の間


「………………っ……!!」
「え、零!?」


横で何かを堪えるような、声がした。


「お前余所見してただろ……!」


手がみるみるうちに赤くなっている降谷くんから無理やり鍋を奪い急いで手に流水を当てる諸伏くんにガーゼや包帯、外用薬の在処を聞き、私も迅速に行動する。戻ってみればまだ若干赤いものの先程よりは幾分か落ち着いたみたい。でもこれはきっと後から痛くなるやつだ。


「薬塗るよ」
「……いい」
「……降谷くんさ」
「………………」
「私のこと嫌いなのは別にいいけど、やることはやろうよ。跡残ってもいいの?」


静かに。けれど叱るように諭す。本当は「何カッコつけて意地張ってんの!?」ぐらい言ってやりたかったけど、そんなこと言ったって彼にはきっと響かない。だったら正論で黙らせてやろうじゃないの。そしておそらく効果はあったのだろう。一瞬ビクっとしたように見えた彼が、おずおずと手を差し出してきた。


「……頼む」


最初から素直にそう言えばいいのに。心の中でそう悪態をつきながらも、優しく薬を塗ってガーゼと包帯で手を包み込む。早く治るといいね、なんて気持ちを込めながら。


「……ありがとう」
「え?……あ、いや、どういたしまして」


素直にお礼を言われてしまえば、なんだかむず痒い。こんなこと今までなかったから、なんだか少し胸がきゅっとなる。それが恥ずかしさなのか、照れなのか。はたまた嬉しさからなのか。それはよくわからなかった。でもきっと降谷くんも同じ気持ちなんだろうな。真正面で座る彼も、私と同じような顔をしていたから。
何も知らないお互いが、お互いを知るきっかけなんて些細なことから始まるんだね。そうやって笑い合う日がいつかはくるのかもしれない。











「火傷なんて、あれ一回きりだったね」


思い出したようにその話題を振ったのは、私からだった。目の前の食卓には、ご飯とお味噌汁、簡単なおかずが並んでいる。もちろんお味噌汁は出汁からとった贅沢な方。だって今日は久しぶりにお休みが被ったのだから。


「あんなヘマは二度としない。」


そしてそのお味噌汁を啜っている目の前の彼の顔は、あの頃よりもずっと優しい。まぁ不貞腐れた顔はあまり変わってないんだけど。
 

「諸伏くんも言ってたけど、余所見なんてするからだよ」
「……仕方ないだろ」


結局あの後は諸伏くんが最後まで作ってくれた。あとはお味噌溶かすだけだし、その手じゃお味噌溶かせないからって。隣で沈んでいた彼の手にそっと手を重ね、ただ無言でお味噌汁が出来上がるのを待っていた。お待たせ、と言って運ばれたお味噌汁もまた、彼と同じで優しい味がした。……今はもう、飲めないけれど。


「ねぇ」
「ん?」


片付けを志願し三人分のお椀を洗っている途中、私にこそっと耳打ちした諸伏くんの言葉は今でも胸に残っている。そしてそれを確かめたことはまだない。本当にそうだったらどうしよう。そう思ったらなんとなく恥ずかしくて、聞くに聞けなかったのだ。でも、今なら。



「あの時余所見した先にあったのは諸伏くんに握られた私の、手?」



仏頂面に見えた貴方の顔。本当はただのヤキモチだったんじゃないか、とか。私にだけ冷たかったのは愛情の裏返しなのかな、とか。そう思うようになったのはいつからだったかな。当時、あんなに嫌われているかもって思っていたのに、そう思えなくなったのは……きっとそれ以上に貴方が私のことを想ってくれているのが分かったから。


「……さぁね」
「素直じゃないなぁ、降谷くんは」
「……名前も、今は降谷だろ」


そう言った彼の顔はやっぱりまだ不貞腐れたままだったけど、これはそう。きっと私に対しても心を開いてくれた証。あの頃とは違う気持ちが見え隠れしてるのを、私はもう知ってるよ。


「零くん。今日は何して過ごそうか」







風味を落とさずじっくり温めて





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