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忙しいとか、そんな次元の話をしているわけではない。命のやりとりを日々重ねているような現場に身を置く人だ。心配ではないかと言われればもちろん心配でしかない。けれどそれでも彼は自分の職務を全うすることを誇りに思っているし、そんな彼から『今』を取り上げてしまったらそれこそ大変なことになる。ならば。私はただ待っていることしかできないのだ。


ゆっくりと目を開ける。私の世界の時間が緩やかに動き出す。そしてその世界に真っ先に飛び込んできたのは他でもない、彼だった。静かに寝息を立てて眠っている彼の顔は、普段に比べれば些か幼い。
今回の仕事は随分と手強かった。そんな風に話しながら、気付けば眠ってしまった彼をリビングからベッドに移動させるのは至難の業だった。細身のようでしっかりと筋肉がついている彼の身体。それはたぶん、異性なら私しか知らない。そのことになんとなく嬉しくなってしまうのは彼女であるなら仕方のないことだ。そんな嬉しさを原動力になんとかベッドまで運んだ(むしろ最後は放り投げたに近いかもしれない)後は、食器の片付けやら何やらをして私自身も眠りについた。


(まつ毛長いなぁ……)


陣平くんは贔屓目に見なくても顔立ちが良い。むしろ彼と仲の良い同期の人ちは総じて顔が良い。何を食べたらそんなに整った顔立ちになるんだろうか。いや、これはもう遺伝子レベルの話か。よく私はこんな人と付き合えてるな……。最早自身にも感心してしまう。

出会いはなんてことない、合コンだった。警察官なんて特殊職の人とまさか自分が付き合うなんて……こればかりは本当、人生何が起きるかわからない。それにこの時彼は私に対して一ミリも興味を示してなんかいなかったのに。
連絡先を交換した萩原さんから『松田ってわかる?この前の合コンにいた。アイツに連絡先教えていい?』と言われて初めて始まった関係。しかも交換したはいいけど、何を喋っていいのか全くわからず(合コンの時に得られた情報は何一つなかったし)結局連絡を取り合ったのはこの二週間程後だ。なんてスムーズじゃなかったんだろう。


(でも)


気付いたら好きになってた。大好きで、隣にいたいと思えるような人だった。なのに、職業が爆弾処理班なんて。そんな危ない現場に毎日行っているのかと思うと不安でたまらなかった。……いや、今でも不安で仕方ない。けれど彼は言うのだ。「俺に出来ない解体なんてあるわけねぇだろ」って。きっと彼がいるから今日もこの地域は平和なのだ。


(行ってほしくない、なんて)


言えるはずがなかった。彼の生き甲斐ともいえる仕事を奪うなんて。ならせめて、しっかり待てる女になろうと。そう決めたのだ。


「…………名前……?」
「ごめん、起こした?」
「いや……。いま、なんじ……」
「まだ明け方だよ」


明け方……とまるでうわ言のように呟いてから、彼の動きが止まる。寝たかな。きっと私が前髪を触ってしまったから起こしてしまったんだろう。ごめんね。ゆっくり寝てね。その気持ちで額に軽く唇を当て、自らももう一度眠ろうと身体を沈めた。その時だった。


「あんま、かわいいことしてんなよ……」


咄嗟に抱きしめられ、気付けば陣平の腕の中。え、あなた寝てたんじゃないの。突然のことに心臓がドキドキしている。驚きと、恥ずかしさと。何かいろんなものをごちゃごちゃに混ぜた音。
そのまま髪に指を通し、遊び始める。さっき私が髪の毛いじってたからかな。いや、でも寝てたよね。……もしかしたら、無意識に同じことしてるのかな。


「こんなに早く起きたってことは、なんかあったんだろ」
「なにもないよ?」
「嘘つけ。おまえの眠りが浅い時は何かしらあった時なんだよ」


俺に誤魔化しなんて通用しないんだよ。そう言いながら、今度は髪の毛に唇を添える。そんなことをされて心臓はさらに速くトクトクと脈を打っているはずなのに、胸に手を当ててもそれは感じられない。むしろ穏やかな気さえするのだ。

心配。不安。そんなものは私ではなく彼が感じていることのはずだ。私なんてただ待っているだけで、何か特別なことをしているわけじゃない。時々不安で喉を通らなくなるなんて、たいした悩みなんかじゃない。


「名前は素直じゃないんだよな」
「そんなことないよ」
「ほら、そういうとこだっつーの」
「えぇ………?」
「もっと甘えろよ。俺に」


甘えてるよ。いーや、我慢してるね。それを言ったら陣平だって甘えてないよ。んなことねぇよ、俺は名前にめちゃくちゃ甘えてる。
そんな不毛とも呼べるやりとりに、自然と笑みが溢れてしまう。けれどどうやら彼は結構真面目に言っていたようで「ちゃんとわかってんのかよ」と不貞腐れたように今度は私の頬をつまむ。痛いってば。そう抗議しても緩まない右手にそっと自らの手を添えて「わかったから」と言葉を返す。その反応に気を良くしたのか私の唇に触れるだけのキスを一回。彼の甘えるってこういうとこ?


「……たまに不安になることもあんだよ」
「………………………………え?」
「なんだその間は。当たり前だろ」


彼から発せられた言葉に上手く返せず、文字通りぽかーんとしてしまった。不安?誰が?陣平が?


「おまえが不安になってることも知ってる」
「陣平、あの」
「でも俺、家に名前がいると思うと頑張れんだよ」


例えば解体中に「やべぇ」ってことがあっても、おまえが待っててくれてるんだと思ったら死ねないだろ?おまえを一人にさせるのも、おまえが他の男の所にいくのも、許してやるつもりは一切ないからな。そんな随分と自分勝手な言い分を述べてからもう一度キス。しかも今度はキスというより噛みつかれた感じ。


「俺が死なない理由を、名前が作ってくれよ」


とりあえずもっかい寝ようぜ。そう言って本当にさっさと寝てしまった彼の神経って一体どうなっているんだろう。しかもこんなに抱きしめられたら苦しくて私なかなか寝付けないんですけど。 


(……さらっと、プロポーズみたいなこと言ってくれちゃって)


こっちはもう今にも泣きそうだよ。そんな風に思っていてくれてたなんて知らなかったから。





『俺が死なない理由を、名前が作ってくれよ』





ただ待つということがあんなに苦しいと思ってたのに、こんなにあっさりひっくり返されるなんて。さすがだね松田陣平。待つだけであなたの生きる理由が出来るなら、いくらでも待つよ。でもそうだな。ただ待つだけなんて味気ないから、たまには美味しいご飯作って待ってられるようになっておくね。









三大欲求に勝る欲、ご用意願います





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