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※松田の死後、松田との思い出を振り返るお話



朝、目が覚めて思う。これが夢なんじゃないかって。今まで見ていたのが現実で、そこから眠りについたんだって。――ねぇ、だって。どちらが夢で、どちらが現実かなんて。誰にでも判断できないじゃない。


『ばぁか。これが夢だったらたまったもんじゃんねぇ』


そんな子どもみたいな言い分を一刀両断した彼は、呆れた顔で私のことを見ていたけど。その眼差しはどこか優しかったよね。そんな彼の表情を、もう一度瞼を閉じて思い出す。……ふふ、好きだったなぁ。


(このまま、もう一度眠りについてしまおうか)


だって窓の外に見える景色があまりに暗いから、目を閉じていてもあまり変わらないはずだ。
意識が泡に包まれるように。深く、深く。











「っ、くしゅ」


春先。もう少ししないと本格的には暖まらないこの季節に、うっかりジャージを忘れるなんて大失態もいいところだ。この後体育の授業があるというのに。「アンタなんで上持ってないのよ」と友だちに散々叱られてしまったけど、私が私に一番聞きたい。やっぱり朝はバタバタするから余裕持って昨日のうちに準備しておけばよかったと後悔しても遅い。急いては事を仕損じるとは正にこの事。


「あれ?名前ちゃん、なんで体操服なの?ジャージは?」
「あ、萩原くん……。おはよ」
「ん、おはよ。……じゃなくて」
「ジャージ、忘れちゃったの」


廊下ですれ違いざまそう声をかけてくれたのは他でもない萩原くんだった。高校に入学して初めて出来たお友だちである。今でこそ彼の性格がわかってるからあれだけど、当初は(なんでこんなイケメンが私なんぞに声をかける!?)と焦ったものだ。けれど、そう。さっきも言ったけど、彼は誰にでも優しいから。


「じゃあ俺のジャージ貸してあげるよ」
「えっ。い、いいよ!」
「キミが風邪ひく方が無理だから。遠慮しないで」
「だいじょ、……ぶっ」


突如私に投げつけられた柔らかい、何?咄嗟に目を瞑ってしまったからそれが何であるか分からなかったけど、目を開けた瞬間真っ先に飛び込んできたのは不機嫌そうな男子の顔。


「ガタガタ言わずにそれ使ってろ」
「松田くん?」


投げつけられた物をしっかり握っていた私はそれが何であるかをようやく認識する。ジャージだ。それも左胸元に『松田』って書いてある。……え、これ松田くんの?驚きながらもう一度目の前に立つ彼の顔を見たら「……なんだよ」って言われてしまったけど。きっとこれは私のことを心配して貸してくれる……ってことでいいんだよね?
自意識過剰かもしれない。でもその考えに至った私は嬉しくて、どうしたって顔がニヤけてしまう。それを見てまた松田くんが何か言っていたけど、この際何も聞かないフリ。


「ありがとう、松田くん」
「別に大した事してねぇよ」
「とか言って陣平ちゃん。名前ちゃんが他の男のジャージ着るの見たくなかっただけなんじゃないの?」
「萩!オマエはもう黙ってろ!!」


二人はそのまま嵐のように去っていってしまった。なんだか、とても胸が温かくなって、持っていたジャージに顔を埋めた。……松田くんの匂いがする。






『萩原くんの言ったことが本当だったらいいのに、って。あの時思ってた』
『俺は萩の野郎……って内心ブチギレてた』
『……で?』
『あ?』
『本当のところはどうだったの?』


ソファで二人、並んで珈琲を飲む。テレビに映る「新年度特集」を見ながらふと思い出した共通の話題。高校を卒業し、互いに違う道を選んだのに。結局今では同じ屋根の下で暮らしているのだから不思議で仕方がない。
好きだ、と。言ってくれたのはそのすぐ後だったように思う。若干うろ覚えだけど、あの日、あの屋上で。顔を真っ赤にしながら真っ直ぐにそう伝えてくれたことは、きっとこの先忘れることは出来ないだろう。彼も彼で「おまえが大泣きして喜んだのは良くも悪くも印象的」と今でも揶揄ってくるのだから、おあいこなのだけれど。


『……教えてやんねぇよ』



唇に優しく触れながらそう話す彼の表情は優しい。そんな顔されたら、「そうだよ」って言っているようなものだよ。そう思わずにはいられなかった。










「夏祭り?」
『んー。なんかアイツらが名前もどうか、って』


そのお誘いはとても珍しいものだった。
警察学校に入ってから文字通り大忙しとなってしまった松田くん。高校の時のようにほぼ毎日会うなんてことは不可能で、こうして声を聞く事だってなかなか出来なくなってしまった。けれどそれも彼が警察になろうと決めたのだから仕方がない。そう思っていたから別に苦ではなかった。


「どうしたの突然」
『その日は訓練とかもなくてよ。近くで祭りがやってるから行くかって話になってな』
「え?だったらみんなで行けばい」
『さくら公園に十八時な』


じゃ、と。これまた突然切れてしまった電話に首を傾げる。せっかく警察学校のみんなで行くってなったのに、私がいたら場違いでは?一体どういう経緯で私を誘うことになったのかが分からず、一瞬断ろうかとも思ったけど。さすがにそれでは失礼になるか……。


「行くとして……何着ていこうかな」


まだ少し悩んでもいたけれど、これでやっぱり行くってなった時に何の準備も出来ていないのはまずい。いつどんな時でも対応できるようにしておかないと。


――そういうのって、大事でしょ?


ウインクしながら私にそう教えてくれた萩原くんの言葉を胸に、私はしばらく開けていなかった衣装ケースの蓋に手をかけた。







さくら公園に十八時。
……彼に会うのは三ヶ月ぶりだ。そう。直前まで悩んでいた私に最終決定を下したのは「会えていない期間」以外の何者でもなかった。だって正直に言えば、会えるかもしれないと思ったらやっぱり会いたいもの。……好きで、大好きで。たまになんでこんなに好きなのか自分でもよく分からなくなるけど。――それでも




「……名前?」




たぶん、そういうのって理屈じゃないから。




「わっ、名前ちゃん浴衣じゃん!かーわいい!」
「あ、萩原くん久しぶり。ありがと」
「やっぱり女の子の浴衣って最高だね。陣平ちゃんもそう思うでしょ?」


そう松田くんに振る萩原くんも、急に振られて挙動不審になる彼も、浴衣だったから。私なんかよりもまずアナタたちの浴衣姿の方が破壊力抜群なんですけど、と文句を言わずにはいられない。先程チラッと見た後ろにいた人たちもモデルのような顔立ちをしていた(一人強そうな人もいたけど)。そのメンツで警察学校から来たんですか?


「……コイツら、警察学校の仲間」
「あ、うん。まぁだろうね」


金髪のフルヤさん、優しそうなモロフシくん。一番勇ましそうなダテさん。そして、萩原くん。そうか、この面々がいつも彼と一緒にいて、支えてくれる仲間。良かった。みんな個性が強そうだけど一緒に出かける話をするぐらいだから、きっと仲がいいんだろう。彼が、ちゃんとそこにいて過ごせていること。ちゃんと知れただけでも今日来て良かったと思える。




「今日さ、本当は陣平ちゃん来る気がなかったんだよ」
「え?なんで?」


焼きそばとか飲み物とか買ってくるから、と。松田くんを始めフルヤさん、ダテさんまでもがどこかに行ってしまった。お留守番は私と萩原くん。そしてモロフシくん。
 最近の警察学校の話とか私の大学の話。みんなのこととか教えてもらっているうちにそんな話になった。


「あぁ、そういえばそうだったね」
「え、でも私松田くんに誘われたんだよ?」


ククッ、とおかしそうに笑う萩原くんと、苦笑いを浮かべるモロフシくん。え、今日という日を迎えるまでに一体何が……。


「愛されてるな、ってこと」


私の頭に、そっと乗る温もり。萩原くんの手の温度が、夏の暑さに負けないぐらいに熱いのに。それがどうにも心地よくてうっかり涙が出そうになった秘密は、今後墓場まで持っていこう。だってその後戻ってきた松田くんが「萩!!てめぇその手どけろ!」って怒り始めちゃったから。











一緒にお祭りへ。そういう機会は彼が警官になってからめっきりなくなってしまった。けれどやはりそのことに対して寂しいとかは思わない。
マンションの十二階。私たちが住む部屋からはわざわざ会場に行かなくても花火を見ることが出来てしまう。つまりこれ以上ない特等席なのだ。今年は二人でお酒を飲みながら昔話にも花を咲かせる。


『あの日、本当は行く気がなかったんでしょ?』
『萩の奴は本当におしゃべりだな……』
『でもあの日良かったな、行って。松田くんの浴衣姿も見られたし、何より会いたかったから』


お酒の勢いもあり、昔の気持ちがつらつらと出てくる。本当にかっこよかったよ、とか。あの後手を繋いで帰れたのが嬉しかったな、とか。別れ際、みんなに隠れてキスしたの、ドキドキしたけど幸せだったな、とか。話しながら笑みが溢れてしまうぐらいにはしっかりと酔っていた。
私の話を聞きながら、最初こそ適当な相槌しか打っていなかった彼だったけど。段々と黙ってしまった様子に、これはもしや照れてる?と顔を覗き込む。案の定顔を赤らめていたからきっとそうなのだろう。お酒だけのせいじゃない。


『照れてる?』
『……るせぇ』
『ふふ、そういうとこも好き』


だからうるせぇって言ってんだろ、なんて。本当はただの照れ隠しなのにね。嫌ならこんな風にキスなんてしないもんね。少しずつ深くなるそれに応えながら、耳に届く夏の音を堪能する。


『来年は、行くか。祭り』
『え?ほんと?』
『おまえの浴衣、見たい』


頬に、耳に。そっと口づけながら囁かれたその提案に無条件で頷く。私も松田くんの浴衣姿、また見たいな。










「松田くん、私ね……」
「なんだよ?」
「駅前に出来た新しいケーキ屋さんに行きたい」


ダイニングテーブルに肘をつき、まるで某アニメの最高司令官のように呟いた私を見て、呆れたように笑ったのはどこの松田だ。私がムッとした表情で彼を見つめると「行かないなんて言ってねーよ」と頭を二度ほど優しく叩かれてしまった。
松田くんのポンポンは好きだ。その手から「好きだ」って気持ちがたくさん伝わってくるから。けどそんなこと言うとなかなかしてもらえなくなるのは明白なので、絶対に言わないよう心がけている。


「んじゃ、今度の休み行くか!」
「やったー!」


食欲の秋がピッタリだよなって笑いながら仕事の準備をして、家を出て行く彼を見送る。今日も忙しくなりそうだと嘆く彼だけど、自分の所属先嫌とも思ってないんだろう。
 警備部機動隊の爆発物処理班。彼にとってこれ以上ない配属先だ。もちろん危険と隣り合わせだけど、彼なら大丈夫だという変な自信があった。


「んじゃ、行ってくる」










その日の眠りは異様に浅かった。苦しい。とても苦しい。呼吸はしっかり出来ているのだろうか。私は今息を吸ってる?吐いてる?今は朝?夜?飛び起きるように起きたはずなのに布団に横たわっているような気がするのはなぜ?どうしよう。私このまま


『名前、大丈夫だ』
『ま……つ…だく…』
『大丈夫だから』


一度出た涙が止まらない。異常に身体が冷えているのは、きっと気のせいじゃない。
でもそれでも少しずつ落ち着くことができたのは、耳に届いた心音が全身に回ったから。陣平の心音。生きている。彼は生きて、私を抱きしめてくれている。温かくて、心地いい。――あぁもういっそ。このままこの心臓に溶けてしまえたらよかったのに。そしたら何も怖くないのに。それか、この現実が夢で、夢が現実だったら不安なんて何もないのに。
そう呟いたら「ばぁか」と言われてしまったけど、本当にそう思ったんだよ。


萩原くんが死んだ。もう、二年になる。あんなに優しくて頼りになる彼は、呆気なく灰になってしまった。私の、高校で出来た初めてのお友だち。
そしてそこから、夢の中でよく彼に会うようになった、松田くんと、萩原くん。時々降谷くんたちも出てきて、それはそれは……幸せそうに笑っている。だから、思ったんだ。あれが現実だったらいいのに、って。


『俺は、ちゃんと現実でおまえに触れていたい』
『…………うん』
『キスだって、セックスだってしたい』
『露骨だなぁ』
『生きてる、って。そんな感じするだろ?』


そうだね。こうやって松田くんの腕に包まれて。温もりを感じながら身体を合わせてるとそんな感じがするかも。そう思ったらさっきまでの冷えなんか無くなって、気づけば温まっている身体。私はいつでも、こうやって助けられている。


『今日の朝ご飯、ママレードのジャムあるよ』
『この前ご近所さんから貰ったやつ?』
『そう。トースト焼いてさ、温かい珈琲飲みながら食べよ』



朝のメニューは決まった。でもまだお互いに布団から出る気はない。起きるにはまだ早い時間だし、何より空気が冷たい。そしてなんと言っても松田くんにとって久しぶりのお休みだから。もう少しこのまま微睡んでいたい。何度もキスをして、そのまま包まれて。
――次に目を開けるのがお昼過ぎだったとしても、私たちは後悔しないだろう。











深く。深く。意識を包み込んだ泡は途端に弾けた。なんだか、長い夢を見ていた気がする。二度寝なんてしてしまったからだろうか。やけに身体は軽いのに、脳が重たい感じだ。
枕元に置いてあるスマホの時刻はすでにお昼を刻んでいる。いけない、今日は人と会う約束があったんだ。休日とはいえあまりのんびりもしてられない。



「いただきます」



薄く焼いたトーストに、これまた薄く塗られたママレード。つい最近、ご近所さんから頂いた物だ。彼も美味しいと喜んでいました、お伝えてから定期的に頂けるようになった。美味しいものはやはりシェアするべき、と。二瓶頂くうちの一つはこの後会う人にお裾分け。その人も多忙を極めている人だからなかなか減りはしないけど。この前ついになくなったからまた貰えないかと連絡が来たのだ。せっかくだから、墓参りも兼ねて、と。



「まだ、あの家に住んでるのか?」



以前会った時、降谷くんは心底驚いた顔をしてそう言った。私はその時なんて答えたんだっけ。食べ終えた後の食器洗いを済ませながら記憶を辿る。なんせ彼に会ったのは二年も前のことだ。少しぐらいうろ覚えにもなる。



――名前!もう俺行くから!




我ながら、悪趣味だと思う。まだここにいるなんて。普通なら一刻でも早く離れたいだろうに。けれど、どうしてもそれが出来ない。ここにはもう、彼はいないけど。それでも彼と過ごした思い出が、それこそ山のように積み上がっている。
場所なんて関係ないと、きっと彼なら言うだろう。私も、いつかはそう思ってここを出ていくことになるとは思う。でももう少しだけ、ここにいさせてほしい。



――名前




彼の声が、耳元で聞こえる。
松田って書いてあるジャージが風に靡いている。そういえば昨日干したまましまうの忘れてたな。こういううっかり、いい加減直さないと。
……うっかりといえば、結局駅前のケーキ屋さんには行けなかったね。苦笑いを浮かべながらも、今日この後降谷くんにねだってみようか。せっかくだし、甘いものでもどう?って。



――おまえと出かけらんないのに、俺だけ祭り楽しめねぇだろ。




そんなこと別に気にしなくても良かったのに。不器用ながらに優しいのはいつまで経っても変わらなかったな。そんなことを考えながら浴衣を天日干しにする。いつ使うようになるかわからないもんね。……そういうのって、大事だから。


髪を整えて、お出かけ用の服に着替えて。よし、準備は完璧。





――俺おまえの笑った顔がなんだかんだ一番好きなんだよな






「……うん」






いってきます











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