六話
 夜、眠れないようになってしまった。
 記憶がフラッシュバックしてしまう。自分一人に課せられた鍛錬の時間が、最近のなまえには苦痛で仕方がなかった。
 始まりは下忍になって半年目の頃――その時はまだ何も気が付いていなかった。班での修行後に少しだけタツキから術についての説明を受けた。その後、術の使用方法、チャクラの使い方など、他のメンバーとは違って特殊な事を覚えさせられた。
 最初は中々意味を理解することが出来なかった。それでもタツキは根気強くなまえのゆっくりとした歩みに合わせてくれた。
「君のお母さんの遺産なんだよ。頑張って覚えような」
 嬉しかった。母と自分を繋げてくれる、タツキはそんな役割なのだと思うと、嬉しくて仕方がなかった。
 当初一度も上手くいったためしがなかった術は、一年が経過するころには二割の確率で成功するようになった。それと引き換えに、大量のチャクラを消費するため、なまえは動けなくなることがしばしばあったが、タツキが任務と修行の日を上手い具合に調整してくれたおかげで翌日に響くという事は今までなかった。
 ただ――――そんな大切だった日々は、なまえとカカシの再開を機にじわじわと亀裂が走り始めていた




 暗くなった部屋で、なまえは荒い呼吸を繰り返していた。たった今、タツキから記憶を抜くことに成功した。
 それでもまだ上手くコントロールできないチャクラが暴走し、跳ね返る。タツキの頭に触れた自分の手から伝わり、なまえの体へと帰って来たチャクラはいつもこうしてなまえの体力を削った。
「なまえ、大丈夫?」
 座り込んだなまえに、タツキが寄り添う。そっと、優しく背中を撫でてくれるタツキから心配そうな声が漏れた。
「今日は良かったね。どんどん時間が縮まっていく。もう少し頑張ると、実践でも使えるかもしれない」
 褒められて悪い気は一切しなかった。小さく頷くと、なまえは大きく息を吐いた。

 ――――ここから、だ。

 なまえは両腕を体の前で組むとぎゅっと自分の腕を掴んだ。テリトリーに入るなと、無意識のうちにそうしているのだ……とタツキは気が付いていた。
「なまえ」
 タツキは優しくなまえの名前を呼ぶと、背にそっと手を這わせた。
 ぴくりとなまえの肩が動く。汗が流れ落ち、絨毯にシミを作る。動けない体で、精一杯の拒否の姿勢。硬くなったなまえの体を解すように、背中を上下に動くタツキの掌。ぞわ、と鳥肌が立つ。
「なまえ……頑張ったね。オレの気持ち、見えた?」
 何も答えない。なまえは手が震えてきたのを必死で抑えていた。
「大丈夫だよ。何も怖くない。ゆっくり覚えていけばいい」
 タツキはなまえの体を抱き寄せた。一瞬なまえの呼吸が止まる。タツキは腕に力を込めてなまえ抱き締めた。
「オレが守ってあげる。なまえの全部、オレがこれから、ずっと」
 タツキから抜いた記憶なのか、それとも現実なのか。なまえには分からなくなってきてしまった。
「だから、もうカカシさんに会いに行ってはダメだよ。この間のように、オレを見て怯えたりしないで。オレはなまえに何も酷い事なんてしていないだろ?」
 するりとなまえの服の中に手が入ってくる。冷たすぎる掌がなまえの肩を撫でた。そのまま肩口を大きくあけられて、そこにタツキは顔を埋めた。
「だから、なまえの全部、オレによこして」
 微かに動いた首が、拒否の動作となって表れる。タツキはそれを無視して、なまえの体に触れ続けた。
「好きだよ、なまえ。オレと一緒にいよう」
 目の前が暗くなる。何も見えない。助けてと、なまえは祈り続けた。

 はたけさん――――。








 気になってしまったものは仕方がない。そう自分に言い聞かせ、カカシは自ら待機所でなまえを待つ事にした。
 けれど、一週間、二週間と経過するもなまえは一度も待機所に現れなかった。
 まさか自分がこんな事をするなんて……と思いつつ、演習場へとこっそり行ってみた。タツキの班は普通に修行をしている最中だった。
 気配を消してその様子を見ていても、特に何か変わったところはなかった。なまえの態度も、何もおかしいところはない。班のメンバーと楽しそうに話したり、喧嘩したり。普通の光景にしか見えなかった。
 要らない心配だったか……と思った、が。
 夕方になり一同が帰路に就いた時だった。何やらタツキがなまえに指示しているのが見えた。話を聞いているなまえは一切顔を上げようとしない。

 ――様子が変だな……

 カカシは歩き出した二人の後を尾行した。




 食事処に滞在した後、二人はタツキの家の前に居た。中へ促されたなまえは躊躇した後、やっと足を踏み入れた。
 音を立てないよう、気配に気が付かれないように慎重にタツキの部屋の窓際へと到着する。カーテンが閉められていて中は見えなかった。
 ブゥゥンと鈍い音と光が放たれた後、中の二人の気配が一切関知できなくなった。
 やられたな――。カカシは舌打ちをした。タツキは結界を張ったのだ。流石のカカシでも、相手に気取られないように結界の中へ侵入するのは無理だった。
 なまえの術に対して必要な結界なのか、それとも――。カカシは結界が解けるのを待つ事にした。

 三十分が経過し、やっと動きが見えた。結界が解かれて二人の気配を察知した。
 窓越しに何か声が聞こえるが、内容までは聞き取れなかった。
 また暫く待っていると、なまえのチャクラが大きく乱れ始めた。タツキの気配は全く分からない。
 今、踏み込むべきか……迷って、カカシはその場に留まった。
 なまえのチャクラが収まると、今度はまた話し声が聞こえた。二人は部屋の中を移動しているようだ。屋根に飛び移ると、カカシは二人が部屋から出てくる様子を眺めた。
「じゃ、送っていくよ」
「はい……」
 ふらふらした足取りのなまえを気遣うようにして歩いていく。傍から見ると何でもないように見える。
 タツキが先ほど部屋での修行について話し掛けていた。至極真っ当な内容には何一つ怪しいところはない。
 なまえの寮の前まで来ると、タツキはなまえが中へ入っていくのを見届けていた。そして、カカシには一切気が付かない様子で帰っていった。

 寮の階段を上がっていくなまえの微かなチャクラを頼りに、部屋を突き止めた。二階の端の部屋だ。窓際に近い場所へ移動すると、カカシは暫く様子を窺った。
 まだ少し乱れてはいたが、さっきよりかなり落ち着いたようだ。タツキが離れて行ってからは、どんどんチャクラの量が萎んでいった。
 自分でコントロールできないのだろう。それを本人が理解しているかは疑問だったが。
 なまえが部屋の中を歩いて――窓際へとやってきて、からからと窓が開けられた。
 カカシは窓のない壁際へと移動した。
「……ふ……う、うぅ……」
 泣いている。冷たい風にかき消されそうなくらいの、小さい声が外に漏れてきた。
「も……や……だぁ…………」
 窓の桟に突っ伏すと、なまえはしくしく泣き始めた。カカシはこっそりとその様子を覗き見た。
 なまえが泣き止んで窓が閉められるまで、カカシは一時間そこに居続けた。





 三代目火影を目の前に、カカシはずるずると蕎麦を頬張っていた。
「お主、本気で言うておるのか」
「えぇ、まぁ」
「うぅむ……」
 三代目は箸をやっと動かすと蕎麦を口へ運んだ。
 カカシが任務には絡まない何かを個人的に頼んできた事は初めてはないだろうか……いや二度目だったか? と三代目は思案している。
「タツキを外の任務へやるのは構わんが、お前はどうするのだ」
 三代目がやっと二口目を口にした時、カカシはすでに食べ終わっていた。
「その間にオレの考えが当たっているのかどうか確かめてみますよ」
「もし違った場合は」
「多分アタリです」
「うむ……そうか……」
 三代目の心配そうな声に被せるよう、カカシは即座に否定した。
 というのも、あの夜以降、一度ならず二度もカカシは同じ行動を取った。やはり、結果は同じだった。
 確実にその場面を見たわけでも、一体何をされているのかも分からないままではあった。が、自分の部屋に着いたなまえの様子はただ修行の辛さを嘆いているようなものではなかった。
 最悪の事も想定して、カカシはついに手を打たねばなるまいと三代目に申し出たのだ。
「分かった。早急にタツキに任務をやろう。お前には暗部を何人か派遣したほうがよいかの」
 問われ、カカシは首を振った。
「いえ……俺一人でいいです」
「そうか」
 言葉少なめに、二人は店を出た。
 その後、たった一時間後にはタツキに招集が掛けられた。






 翌朝、集合場所でタツキが外の任務へ行くと聞かされ、班のメンバーは激しくブーイングした。
「仕方ないだろ。火影様の命令なんだ。一週間なんてすぐだって」
 纏わりつく二人をうまくかわしてタツキは足早に歩き出した。
 正面門に到着すると、タツキと一緒に任務へ就く面々が待ち受けていた。
「おータツキ。久しぶりだな。なんだぁ、見送りか? いい生徒を持ったなお前も」
 ゲラゲラ笑う体の大きな男達に圧倒され、なまえ達は少し後ろへ下がってその様子を見ていた。
「じゃあ皆、オレが居ない間、ちゃんと修行してろよ」
「先生、気を付けてね!」
「おう、ありがとうな! なまえ、修行後は真っ直ぐ帰るんだぞ」
「はい」
 タツキが小さくなっていくのを三人で見送る。まだ午前中も半ばだったので、そのまま演習場で修行しようと三人は門を後にした。

 午後になり、やっと修行が終わった。息切れもまだ終わらないうち、腹が減ったからと二人は帰ってしまった。まだ夕飯まで数時間はあるだろうに。
 温かい家に帰るっていいなぁと、後ろ姿を見送る。時々子供っぽくて嫌になることもあるけれど、今はあの二人の無邪気さに救われていることが多かった。
 なまえはとぼとぼと歩いた。行先は考えていないのに足は勝手に動く。
 タツキが里に居ないという事でこれほど安堵できるとは。自分の師に対してなんて事を、と思う反面、あの夜を待つ事が無いという解放されたような気持に板挟みになる。
 気が付くと、丘の上の公園へ来ていてた。
 階段を軽く降りて、いつもの東屋の中へと入る。ベンチに腰掛けると、なまえは思い切り項垂れた。
 もうカカシに数週間も会っていない。会いたいけど、会えない。タツキとの事があってから、カカシの前でうまく笑えないような気がしていたからだ。
 タツキに念を押された。カカシの前で怯えた態度をとった事。数回咎められてもうカカシに会いに行く気は完全に消えてしまった。
 分かっている、タツキはなまえにだけ特別に修行をつけてくれているのだと。タツキにしかできないのだと、遠い過去に三代目火影から直々に言われたのを思い出すと、この状況から離れたいと思ってはいけないのだ。
 それでも――――。
 ぱたぱたと涙が落ちていく。膝にあたって痒くて掻き毟った。タツキが傷つけたくないと言ったなまえの体に赤く爪の跡がついていく。痛い。
「っ、はぁ…………うぅ…………」
 母との、火影様との、タツキとの約束。術が完成するためには――――。
「…………お母さん……」
 膝を掻き毟り続けながら、なまえは泣いた。






 ずっと俯いたままで首が痛い。どれくらい泣いていたのだろう。横目で池の方を見ると、夕日が見えた。
 体が冷たくなっている。鞄からタオルを取り出した。なまえはタオルを顔に当てると、ぽつりと呟いた。
「誰か……助けて」
「いいよ」
 誰も居ないはずの空間から声が返ってきた。手が、震える。顔を上げられない。俯き、タオル越しに目は見開いたまま、なまえは動けなかった。
「何から助ければいいの」
「う、あぁぁ…………」
 ずっとずっと、聞きたいと願っていた声。なまえはしゃくりあげて泣き始めた。
 じゃり、と地を踏む音がする。カカシはなまえの目の前まで来ると、膝をついた。
 膝が赤く腫れあがっている、自傷行為を見ているのは辛かった。カカシがなまえの前に来てから、一切それに気が付くことなくなまえは膝を掻き毟っていた。カカシは止めずにその様子をじっと見ていた。
 やっと出たなまえの言葉に、カカシは動いた。この少女を救ってやらなければいけない。
「っく…………う…………っ……」
 泣き止まないなまえの頭に手を添える。一瞬びくっとしたが、なまえは拒絶しなかった。
「何から助けたらいいの」
 激しい呼吸が幾分か落ち着いてきた。カカシはなまえの髪を撫でると手を下ろした。
「オレが何とかしてあげるよ」
 自分でも驚くくらい、優しい声が出た。他人をこんなに思い遣れたのは初めてなのかもしれない、とカカシは思った。
「ごめ……なさ…………」
 暫くじっとしていたが、なまえは謝るばかりで何も言ってはくれなかった。
 カカシはなまえが話すのを待った。もっと会話をしてやればよかったと、後悔した。
「ごめんなさい……だい、じょぶ……です……」
「オレが信用できない?」
「ちがっ……違う…………」
 なまえはまた泣き始めてしまった。
 はっきり言ってしまえば簡単なのだろうけれど。なまえが言いたくないような事を無理やり聞き出すのには気が引けた。
 だからさっき、なまえが助けを求めたのには応じた。だから、今度は目的が必要だった。
「私が、悪いから……」
 なまえは大きく息を乱しながら話し始めた。
「ちゃんと、修行できなくて……っ、う…………でも、タツキ先生にしかお願いできなくて……火影様も……お母さんも……」
 内容がぐちゃぐちゃなのは、なまえが混乱しているからだろう。けれど心の中にある事を吐露しようとしている。一生懸命に。カカシはどんな小さな声も聞き逃すまいと聞き入った。
「まだ、がんばれる…………から、だいじょうぶ、です……」
 なまえは自分の中で完結してしまった。一切解決はしていないのに、自分の中で勝手に折り合いをつけた。カカシに迷惑が掛からないようにと思ったのだろう。話の内容から、母親や火影様、おそらくタツキすら慮っている。

 ――――この子、自分を犠牲にしようとしている。

 カカシは酷く心が痛んだ。痛む心が残っていたのだと自虐してみた。なまえの痛みを分かってやれるはずないのに。
 やっと落ち着いたなまえが顔を上げた。タオルで隠しているのでその表情は分からない。なまえは二度大きく息を吸い、深く吐いた。
「はたけさん、ありがとうございます」
 ごしごしとタオルで顔を拭うと、なまえは真っ赤な目だけを晒した。張り付いたような笑顔を向ける。笑っているつもりなのだろうか。カカシは無言でなまえを見た。
「あの……ちょっと修行がキツくって。めげそうになっちゃって……それで、弱音吐いちゃいました」
 口元はまだタオルで覆っていて、話している声がもごもごしている。目元は弧を描くが、そこに感情は一切見られなかった。
 なまえは口元を隠したまま話し続けた。
「タツキ先生にも怒られちゃって。はたけさんの所に行く暇があるなら修行しろーって」
 明るい声を出しているらしいが、何ひとつ隠しきれていない。元々思っている事がダダ漏れだったのだ、隠しきれないのも当然だった。
 カカシは立ち上がるとなまえの横に座った。
「あ、そう。ならいいけど」
「…………はい」
「(何なの、全然よくないじゃん)」
 カカシは少し苛立った。散々付き纏っておきながら、肝心な時には頼りにしないのだ。
 なまえの返事は、カカシを拒絶していた。
「本当にいいの」
「はい」
「オレの方が修行つけるの上手いかもしれないけど」
「……でも……タツキ先生にしかできないから……」
 普段であればこんなことを言われると顔一杯に喜びを露わにしてくるくせに、とカカシは思った。
 ――はた、と我に返る。

 いや、別に喜んでもらいたいわけではない。タツキが上忍師なのだから、当たり前の事だろ……

 一旦引こう、とカカシは話題を変えることにした。
「ガイが寂しがってたよ」
「ガイさんが……」
 なまえは何か考えているようだった。ガイをダシに使ったのは申し訳ないが、まぁ嘘でもないしとカカシは続けた。
「あと紅とアスマも。まっ、たまに待機所に顔出してやりなよ」
「はい」
 カカシは立ち上がった。いつもならついて来ようとするなまえは、その場に座ったままだった。
「じゃあオレは帰るけど」
「はい」
 一向についてくる気配がないので、仕方なくカカシはポケットをごそごそと漁ると一枚の紙きれを取り出した。
「これ」
「え……?」
 差し出された紙を受け取りなまえはまじまじと見つめた。折りたたまれた紙に封が為されていた。
「何ですか、これ」
「助けてほしい時に使えばいい。ひとまず肌身離さず持ってればいいよ。使えないと意味がないからね。一度きりだから気を付けて」
 カカシを見上げる。にこっと笑い返されて、なまえの顔は赤くなった。
「じゃあね」
「あっ! は、はたけさん!」
 去ろうとするカカシを呼び止めた。カカシが振り向くと、なまえはもうタオルを顔に当てていなかった。
 立ち上がったなまえは、慌ててカカシの方へ駆けてきた。
「あのっ。心配してくれて、ありがとうございます。……すごく、嬉しかったです!」
 いつもの、懐いた犬のような笑顔が戻ってきたのを見てカカシはホッとした。揺れた髪の毛を今日だけは尻尾として見てやろうと、口布の中で笑う。
「これっ、大事にします!」
 なまえに背を向けて軽く手を上げると、カカシは消えた。

 渡された紙を大事そうに抱えて、なまえは暫く公園に残っていた。
 あんなに不安だった毎日に絶大な味方を得たような気分だった。それでも、きっとこの紙を使うことはないのだろうけど、となまえは思った。
 一人じゃないんだ――このお守りを大事にしよう。なまえは腫れた目を擦る。
 やっと腹が減っていたことを思い出し、なまえは足早に帰っていった。







 タツキが任務へ就いて七日目になった。今日の夜までには帰ってくる手筈だったが、その間なまえは待機所へ一度も顔を出さなかった。
 ガイ達をダシに使う作戦は失敗だったようだ。カカシは本を読みながら一人待機所に居た。
 夕方に差し掛かった頃、がやがやと声が聞こえてきた。カカシは本を閉じると入口の方へ目をやった。
 見知った上忍が三人、入って来た。
「おうカカシ、一人か。今日はタツキんとこの犬っころいねーのか」
 ガハハと笑うのはカカシの幾つか上の上忍だった。
「や、やめてくださいよ……」
 タツキは苦笑すると、男たちと一緒にソファに腰を下ろした。タツキ以外の二人は相当疲れたのか、ソファに横になった。すぐに寝息が聞こえてくる。タツキは二人の側へ近づくと体から重そうなリュックを引き剥がしてやった。
 また戻ってくると、カカシの目の前に座った。
「あの、カカシさん」
「ん、何」
「なまえ……ここへ来ませんでしたか」
 タツキが恐る恐る聞くと、カカシは首を振った。
「いや〜、来てないよ。一度も会ってないし」
「そうですか良かった」
 タツキはホッとした様子を見せると、立ち上がった。
「カカシさん、今まで本当にご迷惑おかけしました」
「ん〜?」
 のらりくらりと会話を交わそうとするるカカシの態度に、タツキはごくごく微量に、それもカカシ程の人物にしか分からない程度に、敵意を含んだ視線を向けた。
「もう、何かあってもなまえの事は放っておいてください」
「……どういう意味」
 聞き返された声は、タツキの数倍の敵意を含んでいた。
「っ、……なまえはオレが担当しているので。もうカカシさんには関係を持ってほしくないんです」
「へぇ。オレは別に何もしちゃいないけど」
 ソファに寝転んでいる上忍が二人、いびきをかきながら寝返りを打った。
「そんなに生徒想いな先生気取ってんなら、他所の男の所に来ないよう首輪でもつけとけよ」
「……そうさせてもらいます」
 カカシの低い声を鼻で笑うと、タツキは眠りこける上忍達の元へと寄った。
「先輩方、オレはもう行きますよ! 受付には報告書出しておきますからね!」
 眠って動かなくなった二人にそう叫ぶと、タツキは自分のリュックを持ち上げた。
 入り口を出る寸前、ぴたと足を止める。タツキは背後にまだ感じる威圧感に向かい言った。
「あなたがあの子を惑わさなければ……全て上手くいっていたんですよ」
「変な言いがかりよしてくれる」
「今日であなたの事は忘れさせますから。もう二度と迷惑かけないので、安心してください」
 カカシを睨みつけると、タツキは部屋を出ていった。

 部屋中に充満したはずの殺気で起きない二人の元へ近寄る。カカシは術を解いてやった。寝ぼけ眼で辺りを見回すと、結局二人はまた寝始めた。

 会話を聞かれないように術までかけてやがる……随分ご丁寧な宣戦布告だな――――。

「お前の犬じゃあないんだよね、あの子は」
 カカシは窓を開けると外へと飛び出した。冷たい風が頬を切る。目的地へ向かって音もなく走った。






 演習場でなまえ達が修行を終えて話をしていた時、聞き慣れた声が遠くから聞こえた。
「あっ、タツキせんせー!」
 声の方へと班の二人が走っていく。タツキは泥だらけの二人の頭をわしゃわしゃと撫でると笑顔で言った。
「ただいま。ちゃんと修行してたか?」
 遅れてなまえも駆けていく。こうして班でいる時のタツキの事は決して嫌いではなかった。
「先生、お疲れさまでした」
「あぁ。待たせたね、なまえ」
 タツキは他の二人にしたのと同じように、なまえの頭にも手をやり、優しく髪の毛をくしゃっとさせた。
「先生、オレ達三人で連係プレー編み出したんだぜ! 相手してよ!」
「えぇ……疲れてるから明日に、」
「嫌だ! 今見てよ!」
 無理やりマントとリュックを剥ぎ取られ、タツキは囲まれた。二人が戦闘態勢に入ったので、なまえも慌てて自分の位置についた。
 タツキは嫌々構えた。が、その顔は期待に溢れた顔をしていた。

「はぁ、はぁ。せんせー強ぇって……」
「当たり前だろ。お前らに勝てなくて上忍が務まるわけないだろうが」
 荒い息が空中で白く曇る。冷えた地面に崩れ落ちた三人に向かって、タツキは息一つあげずに笑って立っていた。
「もー疲れた。帰る」
「あのなぁ、それはオレの台詞なんだぞ。お前らは元気だなー全く」
 タツキ達のやり取りが面白くて、ふふっと声が出た。
 ずっと、こうだったらいいのに……なまえはタツキとの間に何もなかった日々の事を思い出し、悲しくなった。
 ぼーっとしているなまえを見て、タツキは自分のリュックを拾い上げた。三人に向き直ると、腕を組んだ。
「仕方ないな。今日は晩飯奢ってやる。寒くなってきたから鍋とかいいな」
「やったー!」
 飛び起きた二人は先に走って行ってしまった。行く先はいつも決まっている。演習場にポツンと残され、タツキはなまえの方を見た。
「お腹空いてる?」
「はい」
 なまえは頷いた。
「そう。じゃあいっぱい食えよ。何でも頼んでいいぞ」
「はい」
 いつもの、大好きなタツキだ。なまえは少しだけ警戒心を解いた。

 大騒ぎで終えた食事の後、店の前でいつも通り翌日の予定を確認する。明日は任務が入っていないので、早朝から鍛錬となった。
 解散、の合図で散らばる。なまえは他の二人と同じようにすぐその場を離れた……が。
「なまえ」
 大きな声で呼び止められ、反射的に足が止まる。ゆっくり振り返ると。タツキがなまえの方へと歩いて来た。
 ドクドクと心臓が鳴る。平常心を保つのに必死だった。
「ごめんな、個別修行できなくて」
「……いえ、そんな」
「週に一度は必ずやってたのになぁ。初めて穴が空いちゃったな」
 なまえは答えられない代わりに小さく頷いた。
「すごく疲れたよ、さすがに一週間も任務に就いたからな」
 はは、とタツキは笑ったが、なまえは無言だった。
「……ちょっと遅くなったけど。今から修行しようと思うよ。いい?」
 返事は求められていなかった。タツキはなまえの肩に手を乗せ顔を覗きこんだ。目を合わせないなまえの反応を確認すると、優しく腕を引いた。
 自分の意志とは関係なく足が動く。歩いている感覚がない。ただ、タツキに引かれるがままに身を委ねるしかなかった。


 タツキの部屋の中で、なまえは一人ベッドに座っていた。
 シャワーを浴びたタツキが戻って来ても、なまえはじっと下を向いたまま動かなかった。
「今日は、簡単なものにしようか。オレもチャクラ切れでね、あんまり長くは修行を見てやれない」
 立ち上がったタツキは、部屋の四隅へ行き結界を張った。ただ、疲れていたせいか四か所目だけ上手くいかないままの結界になってしまった。
 今まで問題も特になかったからと、タツキはそのままなまえの隣へ戻って来た。
「今日でこの方法での修行は終わりにするよ」
「……え?」
 驚いたなまえは顔を上げた。また昔のように、普通の関係に戻れるのだろうかと、そんな目でタツキを見た。
「そう。今日で最後だよ。頑張って」
 タツキはゆっくり目を閉じた。記憶を生成している。数分そうしていると、タツキは少し目を開けた――――合図だった。
 毎回同じタイミングで、今回もなまえはタツキの頭に触れた。

 これで――――最後――――

 パン! とチャクラが弾ける。なまえの中にタツキが入って来た。脳を駆け巡る感覚には未だ慣れなかった。
「……あ…………あ、ぁ…………」
 記憶を吸い取られ、普段ならくらっとする程度だが、疲れていたタツキは酷く頭が痛んだ。けれど、なまえの顔を見たらそれも吹っ飛んだ。
「……なまえ、見えたかな」
「っ、は、……あ、…………っ」
 怯えて過剰に呼吸を繰り返している。なまえは自分の頭に浮かんだタツキの記憶に、恐怖のあまり目を見開いていた。
「大丈夫だよ。怖くない。オレが守ってあげるって言っただろ」
 タツキは動けなくなったなまえに近づくと抱き寄せた。すごく汗をかいている。手元にあったバスタオルでなまえの額を拭いてやった。
 なまえは胸の前で手を握り締めて硬く体を閉ざしている。
 タツキは暫くなまえの体を摩っていたが、一向に和らぎそうもないので諦め――クナイを手に取った。
「ごめんな。痛くしないから、安心して」
 なまえを横にすると、タツキは首元から服を切り裂いていった。上半身、下半身の服はびりびりになり、脇へ投げ捨てられた。
「可愛いね。やっぱり、女の子だ」
 なまえの胸を隠す下着をなぞると、タツキは肩紐を切った。なまえの手が胸の前からどかないので無理やり剥ぎ取る。次は下へ手が伸びた。
「今日までゆっくり見せてきたよね。オレとなまえがこれからする事。少しづつ理解していっただろ?」
 なまえの下半身を隠していた布がサクッと切れる。右の腰の方が切られた。
「今日が最後って言ったのは、これから今まで見てきた事をするっていう意味だよ」
 なまえはずっと胸の前で祈る形の手を崩さない。涙がぽろぽろ流れている。タツキはそれを拭うと自分の唇へともっていく。
「今日、なまえはオレのものになるんだよ。もう二度と……他の男の事は考えるなよ」
 低い声がなまえの自由をすべて奪うと宣言した。
 何も反応しないなまえに苛立つと、タツキはなまえの最後の下着も切り落とした。
「や……だ……タツキせ…………やめ…………」
 もうほとんど残っていない自我を奮い立たせ、なまえはタツキに請う。が、いとも簡単にタツキはなまえの事を地へ叩き落した。
「やめないよ」
 タツキは笑って吐き捨てると、なまえに覆いかぶさった。

 いやだ、いやだ――――助けて――――

 タツキに支配された脳裏に、光が走る。目をぎゅっと瞑ると、なまえは握りしめていた手を開いた。
 急に紙の擦れる音がして、不審に思ったタツキはなまえから体を浮かした――――その時。
「その子から離れろ。殺すぞ」
 タツキの首にクナイが食い込む。もくもくと立ち込める煙の中、確実に背後を取られていた。
「……口寄せ!?」
「そうだ。オレが持たせた」
 タツキが一瞬カカシを見ようとした隙を突く。素早い動きでタツキの両腕を折った。
「うぁああああ!」
 悲鳴をあげてタツキがベッドから転がり落ちる。そのまま腕を後ろ手に縛り、足の腱を切り裂いて足首も同様に縛った。
「お前を火影様の所へ連れていく」
 カカシは布を取り出すとタツキの口の中へ無理やり詰め込み、その上から紐を巻きつけ頭の後ろで縛った。これでもう声が出せないようになり、腕を折られた痛みもあるせいかタツキはフーフーと低く呼吸していた。
 口に詰められた布のせいで何を言っているのか分からないが、タツキは時折カカシに怒鳴っているようだった。
「黙らないと首も折ってやるけど、どうする」
 暗がりで見えないはずのカカシから視線を感じる。あれは車輪眼だ……とタツキは気が付いた。
 黙り込んだタツキの顔に布を巻きつけると玄関の方へ引きずっていった。
 カカシは部屋の中へ戻ってくると、起き上がろうとしていたなまえの側へ寄った。背中側にしゃがむと自分の来ていたマントを掛けて体を隠してやる。なまえはその中で震えていた体を小さく丸めた。
「一度、あいつを連れて火影様の所へ行って来る。すぐに戻ってくるから」
 返事はない。
「ここに居るのは嫌かもしれないけど……少しの間だから」
 なまえの後ろからポンっと音がした。
「おお、カカシ。どうした」
 カカシ以外の声が聞こえて、なまえはびくりとした。
「パックン、俺が帰ってくるまでこの子の側にいてあげて欲しいんだけど」
「ん? ……わかった」
 パックンと呼ばれた声が布団の上に乗ってきて……その姿を見てなまえは顔を上げた。

 ……ワンちゃんだ

 カカシはなまえがパックンを確認したのを見ると、すぐにタツキを抱えて部屋を出て行った。
 部屋に残されたなまえは目の前で耳の後ろを掻いているパックンを見つめた。

 はたけさんの、ワンちゃん……

 目が合うと、驚いてなまえは少し体を引いた。
「お前……服を着とらんのか」
 はだけていたなまえの姿を見てパックンは視線を逸らした。なまえはマントで体をぐるぐると覆うと、顔を埋めた。
 カカシの匂いのせいなのか、呼吸をするととても落ち着いた。
「ふむ。それはカカシのマントか」
 クンクンと鼻を動かし、パックンが近づいて来た。なまえはその様子をじっと見る。
 なまえの足元でパックンは伏せをすると大きな欠伸をした。そして、すぅすぅと鼻息を立てて寝始めてしまった。
 突然の事にただパックンを見ている事しかできない。パックンが寄りかかっているので動くこともできない。
 けれど、とても安心した。暖かくなってきた足先。一人にしないよう、カカシが気を遣ってくれた事が嬉しかった。
 マントの中で握りしめた手の中に、カカシがくれた紙切れがあった。タツキの部屋に来てから、ずっと握りしめていた。御守りのように持っていてよかったと、あの公園で紙を受け取ったときの事を思い出してなまえは涙を流した。

 とても疲れていた。なまえは朦朧とした意識の中、パックンの寝息を聞いていた。
 すると、突然パックンが起き上がる。クンクンとまた鼻を鳴らすとベッドから飛び降りた。
「カカシが来たぞ」
 そう言うと同時、部屋の中にカカシが現れた。
「お待たせ。どーもね、パックン」
「いや、構わん。もう帰っていいのか」
「あぁ、ありがと」
 カカシがそう言うと、パックンはボフンと音を立てて消えた。
 なまえは近づいてくるカカシを見上げた。カカシはベッドの横まで来ると側にしゃがんだ。
 まだ少し怯えてている目でカカシを見たなまえに、出来る限りの優しい口調で話しかけた。
「火影様がお待ちだよ。安全な場所を用意してくれている。今から連れて行くよ」
 なまえはカカシを見たまま全く動かず、声も出せなかった。カカシはなまえがこれ以上怖がらないように少し微笑むと、もう一度話しかけた。
「その前に、一度寮へ行くよ。着替えを持って行こう」
 とても小さく、なまえは頷いた。それを見てカカシも頷き、立ち上がる。なまえは今にも泣き出しそうな顔でカカシを見上げた。
 ――あぁ、そうか。何も着ていないから……
 カカシは置いてあったなまえの鞄を肩に掛け、なまえの前に屈むと両手を差し出した。
「抱きかかえるけど、いい?」
「……っ!?」
 なまえは驚いてカカシを見た。
 数秒後、なまえが頷いたのを見て、カカシはなまえを抱き上げた。
「なるべくゆっくり走るけど、危ないからちゃんとオレに体預けてて」
 そう言い、カカシはもう一度なまえをしっかり抱え直すと部屋を出た。
 寮までの道のりを、音もたてずに飛ぶように走っていく。なまえを抱えているのに、カカシの足取りは軽そうだった。なまえはカカシの胸に頭を預け、マントに顔を埋めていた。
 なまえの部屋の前に着くとカカシは一度立ち止まった。
「うーん。窓開いてないよね」
 返事はなかったが、なまえは窓をじっと見つめている。
「もしかして、開いてる?」
 部屋が二階なのをいいことに面倒がって窓を施錠しない癖があったのが幸いした。カカシはなまえを抱えたまま窓を開けると、桟になまえを降ろした。
「二、三日分の用意しておいで」
 背中を向けたまま、なまえはこくりと頷いた。
「ここで待ってるから。別に急がなくてもいいよ」
 もう一度頷くとなまえは部屋の中へ入っていった。
 カカシは壁に背を預けてしゃがむと、真っ暗な里の景色を睨んだ。数分経った所で、なまえが窓から顔を出した。
「用意できた?」
 また、無言でなまえは頷いた。
「うん、じゃあ行こうか」
 窓からなまえが出てくると、カカシはなまえの隣に並んだ。不安そうな顔を向けられて、カカシはにっこり笑った。
「だーいじょうぶ。火影様の家に行くだけだよ」
 なまえが頷くと、カカシは下へ飛び降りた。見上げると、なまえもカカシの隣に飛び降りてきたが、よた、と不安定な足元に身体が傾きそうになっていた。
 修行と称した非道な行為でチャクラを殆ど使い果たしてしまったのだろう。
 思い出してしまったのか、なまえが俯いた。
「走れる?」
 なまえの顔が曇った。カカシは顎に手を当てて少し考えると、なまえが持っていた大きめの鞄を取り上げた。
「ちょっと遠いからね、また抱えるけどいい?」
 ぎょっとしたなまえがカカシを見て固まった。
「走れないでしょ? 歩いても結構かかるから。火影様待ってるし」
 差し出されたカカシの両手を見て、口を半開きにしたままなまえは固まった。今度は純粋に驚いているだけのようだ。
「……っ!!」
 軽々と持ち上げられて、なまえはバランスを崩した。
「首に掴まって。走りにくいから」
 カカシがすぐ走る体制を取ったので、なまえは急いでカカシの首にしがみついた。さっきと違って速い。
 数分走ると、目的地に着いた。うっすらと見覚えがある場所だった。
「火影様。連れてきました」
「ご苦労じゃったの、カカシ」
 三代目は二人を外で待っていた。カカシは三代目の前に立つと、そっとなまえを降ろした。
「なまえ、ここで会うのは久しいの。お前の母親が亡くなった時以来か」
 こくりとなまえが頷くと、三代目はにこっと笑った。
「今日は我が家の一室を用意してある。安心して過ごすがいい。こっちへ」
「じゃあ、ひとまずオレはこれで……」
 カカシはなまえを三代目に預けて立ち去ろうとした。が、なまえの手がカカシの袖をしっかり握ったまま離さない。
「……」
 三代目とカカシは顔を見合わせた。
「お前も来い」
「……はい」
 三代目が家へと入っていく。歩き出そうとしたが、袖を引っ張られているせいで動けなかった。ちらりと見やると、とても不安そうななまえがカカシを見ている。
「オレも行くから」
 なまえは頷いた。カカシが三代目のあとをついていくと、なまえもカカシの袖を引いたままついてきた。
 犬を連れているような感覚に陥りそうになったカカシは、ポリポリと頬を掻いた。
*前表紙次#

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