赤色攻防戦



プライベートもへったくれもねェ、こんな落ち着かねェ船の上で、何もする気はねェつもりだったが…ちょっとした出来心が覗くことだってある。

さっきまで、おれの隣で笑いながら大した内容もねェ世間話に花を咲かせていたナナシが、今は耳まで真っ赤にし視線をぐるぐると巡らせている。


「まったく落ち着かねェ奴だな」

「お、落ち着けっていう方が…無理な話です!い、いきなり、なんなんですかっ!?」

「なんでもねェが…さて、これからどうするか」


ジリジリとソファの端に追い詰めてから押し倒した。

毎度病気なんじゃねェかと思わずにはいられねェ、みるみるうちに赤くなっていくこいつの顔も、今となっては見慣れたもんだ。

しかし見慣れているのは、どうやらおれだけのようで張本人のナナシは、本気でこういった状況に焦っているようだ。


「だ、誰か来たらどうするんですか!」

「誰も来やァしねェよ」

「なっ!なんで言い切れるんですか」

ちょっとした暇つぶしのつもりだったのだが、面白いほどの過剰反応を見せるナナシに悪戯心が沸く。

「マズいですよ!」

「今更マズいもクソもねェよ」

「いや、あの、なくないですから!」


身体を固くしておれを見上げる瞳の色は恐怖とは違うもんかもしれねェが、普段警戒心の欠片もねェナナシが警戒心を剥き出しにして、おれを見つめている。

右手でそっと頬に触れればビクリと肩を震わせた。

こいつはいつもこうだ。
一体いつまでこうなのか?
いつかは変わるのか?

おれを見上げるナナシの潤んだ瞳に、普段ならば煽られるべきはずなのに、なぜかざわめくような苛立ちを覚える自分がいた。



「おい、――」


クロコダイルが何か言いかけようとしたその瞬間、これ以上にないほどのタイミングで、部屋の扉が無遠慮に開いた。

「ナナシ!そろそろ次の島に着くわよー!」

笑顔で扉を開けたナミの表情が、みるみるうちにしかめっ面に変わっていく。

「ちょっと…!?クロコダイル!!あんたナナシに何してんのよ」

ナミの甲高い声が部屋に響く。

「…まだ、何もしちゃいねェよ」

クロコダイルは短く舌打ちをすると、ゆっくりと身体を起こした。

「それで何もしてないって言える訳ないでしょうが!!」

航海士の女は迷いなく真っ直ぐ近付いて来ると、おれの下で固まっていたナナシの腕を掴み、見事なまでの素早さでおれから引き離した。


「まったく!ナナシに用事があるから来てみれば、何してんのよほんとに・・・!」

「ナ、ナミさん・・・」

「もう、こんな男の傍に置いてらんない!行くわよナナシ!」


ナナシはおれと航海士の女を交互に見て、何か言おうと口を開くが、物を言う暇も与えられず、半ば引きずられる様に連れられていった。
去り際に振り返ったナナシは泣き出しそうなひでェ表情だった。





「大体ナナシも嫌なら嫌ってハッキリ言ってやりなさいよ」

怒りの表れだろうか、歩くペースを落とさずにナミがナナシを引っ張っていく。

「ごめんなさい…」

「船の中はパブリックスペースしかないんだから、あんなことされちゃ迷惑だわ」

ナミの言うことはもっともで、ナナシは恥ずかしさと申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「…まぁ、ナナシだけが悪いって訳じゃないけど…ていうか、どちらかと言うとクロコダイルが悪いとは思うわよ」

ナミは足を止め短く息をつき、くるりとナナシに向き直った。

「でもね、なされるがままになっちゃダメよ。上手いことあしらわないと!
そもそもクロコダイルに言うこと聞かせられんのはナナシだけなんだから」

「あしらうって…そんな…出来ないよ」

ナミの言うことは高度なテクニックすぎて出来る気がしない。
そもそもクロコダイルに言うことを聞かせられている気すらしないのだから。





***





一時間もしないうちに島の対岸が見えてきた。
次の島はどう やら随分と街が栄えているようで、港には大きな船が沢山停泊しているのが見える。

船内は停泊準備のため一気に騒がしくなる。
船員たちは皆それぞれの持ち場で慌ただしく準備を進める。

そんな中クロコダイルはひとり、なにをするでもなく船内を歩き回っていた。



普段だったら甲板で、航海士の女の指示に従って停泊準備を手伝っているはずのナナシの姿が全く見えねェ。

どこへ行くのにもくっついてくるような奴が、どこにも居ないなんてことがある訳がねェ。
…これは、あからさまにおれを避けていやがる。

その事実がおれを苛立たせた。

なかば意地になって船内を探し歩いていると、ようやくナナシの姿を妙な場所で見つけた。

まさかこんな所にいる訳がねェと思いつつも、その扉を開ければムワッとした空気に包まれた。



「え!?…クロコダイルさん!」


大浴場の浴室には服を着たまま突っ立っているナナシの姿があった。
浴槽には並々と湯が溜められており、見る限り掃除をしている風でもねェ。


「どうしてここに…」

「その言葉、そっくりお前に返す」

浴室内に足を踏み入れる。

「クロコダイルさんっ、く、靴!!」

勿論制止の言葉など無視して歩み寄れば、ナナシはおれの顔を見つめたまま、じりじりと後退し、しまいにゃ浴槽の中へバシャバシャと入っていく。


「おい!てめェ、どういうつもりだ!」

浴槽の手前で止まりナナシを睨み付ける。

「…だって!クロコダイルさんが変なことするから」

「変なことだと?」

こいつの言っていることは、さっき航海士の女が来た時の事だろうと想像はつくが、ここまでして避けられる道理はねェ。

「あーゆーことは公序良俗に反してるって、ナミさんに言われて…私、恥ずかしいです」

「それで急におれを避けてるわけか」

「だって、どうしたらいいか分からなくて…」

「まさか、ここに隠れていたつもりか?」

「…隠れていたというか…ここならクロコダイルさん嫌がって来ないかなって…」


あからさまに避けられている時点で良い気はしねェというのに、おれの能力の弱点を踏まえた上でここに逃げ込んだとハッキリ答えたナナシにふつふつと怒りがこみ上げてきた。


「ほお…わざわざおれが嫌がるだろうと思って、か」

「あっ!いや!…だって!そもそもクロコダイルさんが!」

「おれが?」

ナナシは、うーっと呻き顔を覆う。

「ク、クロコダイルさんの馬鹿ー!」

叫び声と共に盛大に湯をかぶせられ、ブチンと血管の切れる音がした。

「てめェ…いい加減にしろよ」


一歩踏み出し浴槽の淵に足を掛ければ、ナナシがぎょっとした表情でおれを見つめた。
濡れることなど構いもせずに、浴槽の隅で目を丸くして固まっているナナシに詰め寄る。

「そもそもてめェの態度が悪いんだ!いつまでたっても生娘みてェな反応をしやがって!」

八つ当たりにも似た感情を吐き出せば、ナナシの顔にカッと朱が走る。


「いい加減に慣れろ!そして分かれ!」


ナナシは無言のまま、湯を両手で掬いこれでもかという勢いでおれにかけると、さっと身を翻して浴室の扉目掛けて駆け出した。


「一体何を分かれって言うの…!分かりたくない!クロコダイルさんの馬鹿!」

ナナシはキッとおれを睨み付けると裸足のまま浴室を飛び出し走り去っていった。
その後を追う事も叶わず一人残された浴室の浴槽内で、おれはしばらく動けそうになかった。




***




クロコダイルとナナシが大浴場の攻防戦を繰り広げていた頃、サニー号は無事に島の港内に停泊を済ませた。




「本当に行かないの?」

ベッドにうずくまるナナシにナミが問いかける。

「うん。なんか…ちょっと疲れちゃったかも」

「大丈夫?」

「休めば大丈夫だから、ナミさんは気にしないで出かけてきて」

「そう?それじゃあ私は行くけど無理しないようにね」

ナミは布団にくるまり視線を合わせようとしないナナシを心配に思いつつも部屋を後にした。




大量の湯を含み重さを増したコート纏い、ほぼ全身ずぶ濡れ状態のままクロコダイルは船内を歩いていた。

咥えていた葉巻も濡れてしまい火が消えており、クロコダイルは忌々しげに舌打ちをする。

苛立ちを隠せないままに早足で歩いていると、アクアリウムバーにさしかかった曲がり角で、ロビンと出くわした。


「あら?」

「ニコ・ロビン…」

「水遊びでもしたのかしら?ヒドイ格好ね、サー」

ロビンの言葉にクロコダイルは眉間の皺を一層深くして立ち止まった。

「おいたが過ぎてナナシに反撃されたのかしら?」

「なんでそこであの女の名前が出てくる」

「そうね、サーがそんなことになるなんてナナシが関わってるとしか思えないから」

ロビンはクスクスと笑う。

「あまりあの子を困らせないでちょうだい。好きな子をいじめるなんて子供みたいよ」

「何を言ってやがる…」

「あら?サーがいじめたから泣いてしまったのかと思ったのだけど…。私たちが島に上陸している間に仲直りすることね」


そう言い残すとロビンは涼しい顔でクロコダイルの脇を通り過ぎていく。

事情を知っての発言なのか、はたまた謀られたのかどちらともつかず、クロコダイルは苦々しい思いでロビンの後ろ姿を睨みつけながら、うっとおしく額にかかる前髪をかき上げた。



幸いロビン以外には、どの船員にも遭遇することなく男部屋に戻ることができた。
男部屋には誰もおらず、クロコダイルは安堵の息を漏らす。

こんな姿を見られたあかつきには、何があったのかと大騒ぎされるのが目に見えている。

クロコダイルは深くため息を吐くと、着替えも終わらぬうちに新しい葉巻に火を点け、しばらくそれを吸っていた。



小一時間ほど経ったころ、着替えを済ましたクロコダイルは男部屋を後にし甲板へ出た。

他の船員達は島に出かけたのか、船内は普段とは比べものにならないほどに静かだった。

分かりたくないと言ったナナシを思い出す。

それは幼い子どもが、方程式が理解できないが故に、目の前の計算が分からず癇癪を起こす姿を彷彿させた。

なぜあそこまで過敏な反応を見せるのか、確かに他人に見られたことが恥ずかしいというのは理解が出来る。
しかし二人きりの時でも、いつでも、いつまでも、ナナシが初めての様な反応をすることがなんだか不思議に思えてならない。
今までにそんな女が居ただろうか。

兎にも角にも、このままあんな態度を取られ続けるのは癪だと思い、クロコダイルはナナシが居るであろう女部屋に向かった。




***




ドアをノックしたものの返事はなくドアノブに手を掛ければ、鍵のされていない扉はいとも簡単に開いた。

凝った家具に統一された内装、男部屋のそれらとは一線を画す女部屋の出来に、奴らの顔が思い浮かび胸糞が悪くなる。

扉を静かに閉めベッドに近づく。

三つ並んだベッドの真ん中がナナシのものだろうか。
あきらかに他とは違い、布団がこんもりと盛り上がっている。



「おい」


呼び掛けにも返事はない。
更に数歩近づきベッドを覗き込んだものの、ナナシの顔は髪の毛に隠れて見えない。

身をかがめ手を伸ばし、顔を隠していた髪の毛を耳に掛けてやる。

頬には涙の後が見えた。

指先でその跡を辿る。
まだ完全に乾いていないその頬は、指先を微かに濡らした。

ベッドの淵に腰掛ければ、軋みを感じ取ったのかナナシが薄ぼんやりと瞼を上げた。



「お目覚めか?」

眠たげな瞼は勢いよく離れ、まばたきを数回繰り返した。

「…え?ク、クロコダイルさん!?」

ナナシはおれの姿を確認した瞬間あたふたと布団に潜り込もうとしやがるから、そうはさせねェと布団をひっぺがせば、ジタバタとうつ伏せになり身を丸める。
・・・なんとも往生際が悪い。

「なにをそんなに隠れる必要がある」

奪い取った布団を放り投げればナナシは身を丸めたまま、おれが座る位置の反対側の隅へともぞもぞと逃げようとした。
足首を掴みそのままひっぱり寄せれば、情けねェ悲鳴を上げた。


「おい、飽きもせず、まだ逃げるつもりか?」

ようやく捕まえることが出来たナナシを仰向けにし、覆いかぶさるようにして退路を塞げば、ぎこちない表情でおれを見上げた。

「そんな態度ばかり取られるおれの気持ちを考えたことがあるか?」


ナナシが、あっと小さく声を漏らし眉を寄せた。

「…クロコダイルさん」

眉毛を下げて困ったような顔をしておれの名を呼ぶ。

「言わなきゃ分かんねェぜ。一体てめェはどう思ってんだ?何を考えてんだ?」

「そ、そんなこと言われても…分かんないです」

ナナシの頬を手のひらで包めば、ゆっくりと触れたところから熱が集まっていく。

おれはナナシがそれ以上何も言わないのを良いことに、もうこれでもかと言うくらい直球に、遠慮なく、


「おれはてめェを抱きてェ。てめェが恥ずかしがろうが嫌がろうが何だろうがな」


そう言えばナナシは息を呑み、数秒の沈黙の後、ようやく口を開いた。


「私…クロコダイルさんに触られると・・・足の裏やお腹がちりちり熱くなる様な、そんな感じがして…」

怖いんです、と消えいるような声で呟いた。

「っ――・・・てめェ」

口元を手で覆いクロコダイルは言いかけた言葉を寸でのところで飲み込んだ。

「まったく・・・てめェにゃ呆れるぜ」

クロコダイルは身を起こし、あからさまにため息をついた。

「なんでそうなるかなんて、答えは分かり切ってんだろうが」

ナナシは恥ずかしそうに顔を伏せ、ふるふると頭を左右に揺らした。

「本当に分かんねェって言うなら教えてやる。だから、やめろとか恥ずかしいとかごちゃごちゃぬかすな」

分からないとか知らないとか抜かすなら、分かるまで知らしめてやるまでだ。

「おれにしか、てめェをそうはできねェ…。てめェはおれにだけ感じてろ」

そう耳元で囁き、これ以上ねェ程に赤くなって絶句してるナナシに口付けた。

「あっ!ク、ロコダイルさ―――!」

軽いキスを繰り返しながら、服越しにゆっくりと太ももから脇腹の辺りを撫でるように触れれば、嫌だとかやめろとか言わねェ代わりにナナシはおれの名前を呼ぶ。

おれの名前を唱えるその唇を塞ぐように長く口付ければ、観念したのかナナシの腕が弱々しくもおれを抱きしめた。

どうやらおれも存外、単純な人間だったらしい。
数時間前には苛立ちの元凶だった女が、自分を受け入れるとなった途端、苛立ちなどどこかへ消えちまった。

「分からねェなら、分かるまで、な」

顔を赤くして恥じらう女に苛立ちを覚えていた自分がなんだか酷く馬鹿らしく思えてきた。

それでもこいつは、これからもいちいち顔を赤くするんだろう。
そして、それがこいつなのだ、と。




「クロコダイルさん…だめっ」

なかば条件反射みてェにナナシが、おれを呼ぶ。


まだ、お預けにできる程度の余裕はあんだろう。
ナナシにか、はたまた自分自身にかは分からねェが心の中で問いかける。

このままどうにかしてやりてェのは山々だが、もう二度と同じ失敗をするつもりはねェ。
そもそも、あの時に航海士の女がやって来なければこんなに話がこじれはしなかったはずだ。

おれは名残惜しさを振り払い身体を起こす。



「ナナシ!上陸するぞ。さっさと準備しやがれ」

ベッドに埋もれていたナナシを引っ張り起こせば、おれの変わり身の早さについてこれねェのか、呆気に取られた表情でおれを見上げている。


「今度は邪魔されたくねェんだよ」

ナナシは目を丸くして、え?とおれの言葉を聞き返す。

「1から10まで言わないとわかんねェのか?」

…本当に正攻法しか通じねェ女だ。
上陸して宿屋に連れ込む、なんて言わせるつもりじゃねェだろうな。


「おい、行くぞ」

「ちょっと、クロコダイルさん!?え!?…うわっ!」


ナナシを肩に担ぎあげ部屋を出る。

おれの背中を叩きながらナナシがごちゃごちゃと何かを言っているが聞こえねェふりをした。


船の見張りだ?
ンなこと知ったことか。
自分で歩ける?
ちょこまかと逃げようとするてめェを連れて行くにはこの方が早ェだろ。


分からないふり(例え本当にわからないとしても)には、聞こえないふりだな。

稚拙な仕返しをしてる自分に気づいちまえば、それはどうしようもなく下らなくて、思わず笑えた。


「てめェが恥ずかしかろうが何だろうが、もう離すつもりはねェよ」


そろそろ分かれよ。

おれがいつだってお前に合わせてやってるってことを。






翌日の正午過ぎてから船に戻れば、うるさい航海士の女に船を空けていたことについて、ぎゃーぎゃー騒がれたことは言うまでもない。


「あんた達しか、船に残ってなかったの分かってたでしょう!」

「さァな。分からなかった」

「そんなことある!?」

おれがとぼけると、航海士が憤慨した様子で言う。

「本当に分からなかったとしても、ちゃんと確認しなさいよ!分からないとか知らないとかで済ませられちゃあ困るわよ!何もなかったから良かったものの…」

「…なかなか良いことを言うな。確かにその通りだ」

「は?何言ってんのよ!?」

「分からないなんて言って知ろうとしないことは罪深いことだ、なァ?」

身に覚えがあるであろうナナシに、そう話を振ればドギマギした様子で口を開いた。

「ナミさん!わ、私もちゃんと確認しなかったから!ク、クロコダイルさんだけが悪いわけじゃなくて…!」

「ちょっとナナシ!またクロコダイルを庇う気?」

「いや!そういう訳じゃなくて…!あっ!クロコダイルさん!」


急に弁解を始めるナナシをほおって歩き出せば、背後で助けを求める声が響いた。

アタフタと無駄に焦って顔を赤くしてるであろうナナシの姿は想像に容易く、思わず緩んだ口元を、おれは葉巻を噛み締めることで誤魔化した。





2020.1.22


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