特別なぬくもり [ 10/13 ]


「亮、おはよ」
「お、う。…はよ」


朝目が覚めると、リビングには既に明かりが灯っていて、扉を開けるとエプロンをつけた奈々香の後ろ姿が真っ先に目に飛び込んできた。たったそれだけのことなのに。見慣れたはずのお袋のエプロンをつけた奈々香の周りを優しい空気が纏っているような気がして思わず立ち止まった。

奈々香がこちらに気付いて声をかけてくれてようやく意識が戻った。…挨拶どもるとか、激ダサ。

意識を戻して部屋を見渡すと、自分の家なのに今まで感じたことのないくらいの美味そうな香りが鼻をくすぐった。


「…うまそ」
「洋食にするか迷ったんだけど、朝練もあるんならパンじゃもたないかなって。一応和食にしたけど、希望があったら言ってね?」
「いや、任せる。奈々香の料理だったら何でもいいや」
「あはは、ありがとう」
「よし、いただきます!」


奈々香の料理はほんとに美味すぎて、ついつい食いすぎる。気が付くと奈々香は微笑みながらこっちを見ていた。


(くそ、なんか恥ずいな…)


俺だけに纏う微妙な空気をごまかすように用意された食事を食べ続けた。


「亮、そろそろ時間じゃない?」
「あ、やべ。昨日もギリギリだったんだよな」


遅刻したわけじゃないのにぐちぐちと文句を言ってきた跡部や面白がってきた岳人達を思い出した。


「ふふ。あ、これお弁当」
「え…?」
「あ、いらなかった?私の学校お弁当だったから何も考えずに作っちゃったんだけど」
「っいる!やべぇ、弁当まで作ってもらえるとか思わなかった!すっげえ嬉しいぜ、サンキューなっ!」
「っ、…あはは、喜んでもらえてよかった。行ってらっしゃい」
「…行ってきます」


昨日も思ったけど、奈々香にこうやって送り出されるのがなんだか心地良い。お袋から怒鳴られながら家を出てるから普段と違うこの状態が落ち着くだけ…なんだろうか?

それだけじゃない心地よさがあるような疑問をぼんやり抱きながら、奈々香から受け取った弁当を大事に鞄に入れて家を出た。




「2日連続で遅刻ギリギリとはいい度胸じゃねえの、あーん?」
「うるせえな、間に合ったんだからいいだろ」
「宍戸さんが遅刻なんて珍しいですね」
「だあから!遅刻なんてしてねえっつってんだろ、長太郎!」


学校について部室へ向かうと、着替え終わって部室を出る跡部と長太郎とばったり会った。

くそっ、うるせえな。遅刻してねえんだからいいだろ。…奈々香といると居心地よすぎて時間の感覚なくなるんだよな。


「なんや、また遅刻したんか」
「宍戸だっせえ!」
「だからしてねえ!大体普段遅刻の多い岳人に言われたくねえよ!」
「うるせえな。宍戸、さっさと着替えろ。練習始めるぞ」
「わかってるよ」


もう誰もいない部室に入って急いで着替え外に出ると、長太郎がラリーに誘ってきた。断る理由もなく打ち合っていると、「調子いいっすね」と満面の笑みで言われて調子が狂った。いつも通りやってるつもりだったんだが、もしそれに理由があるとしたら恐らく奈々香のおかげだ。

午前中の授業を聞き流しながら、奈々香の作る料理や一緒に過ごす心地よい空気を思い浮かべて、早く帰りたいなんて小学生みたいなことを考えていた。


「宍戸ー、飯行こうぜ」
「おう、…おいジロー!飯行くぞ!」
「んー…連れってってー?」
「おいおい」


起きる気のないジローに呆れ、引きずりながら部室へ向かう。いつもなら屋上で食うところだが、冬の間だけは部室へと集合場所を変えた。


「遅かったですね?」
「ジローのせいでな」


長太郎の隣に腰を下ろすと、背中にくっついていたジローが逆隣に座った。すでに食べ始めている他の連中を見渡して、俺も自分の弁当を取り出すために鞄の中へ手を伸ばした。


「…なんか、宍戸の弁当いい匂いするCー…」
「あ?…そか?」


眠そうな目をこすりながら絡んでくるジローの言葉を適当に受け流し、弁当の蓋へと手をかけた。楽しみで口元が緩みそうなのを抑え一呼吸置いてから蓋を開けた。

そして、弁当の中を見て目を見開き、一拍置いてから蓋を閉じた。
…そんな行動も、俺の弁当を気にしていたらしいジローによって全て無駄になったけどよ。


「す…っ、すっげええええ!何、何これ!すげえええ!」
「ちょ、おいジロー!」
「超うまそうじゃん!なにこれ、こんな豪華な弁当、俺見たことないC!」


俺が弁当の蓋を閉じた理由は、別に変な物が入っていたからじゃない、むしろ逆だ。普段はお袋の超庶民的な弁当か、購買のパンで済ましている俺にとってこの弁当はただただ衝撃以外の何物でもなかった。


「宍戸さん…、お金持ちの彼女でもできたんですか…?」
「かっ、の…!?」


これはそんじょそこらの弁当なんかじゃなくて。料理なんて詳しくない俺にだってわかるくらい、これが計算されつくされたバランスの良い弁当だ。きっと、高級料亭とかの弁当なんかよりずっと豪華だ。…そんなもん、食ったことねえけど。

男子中学生が求めているのなんて、上品な味付けとか見た目なんかじゃない。ボリュームだ。そんなことも理解されているのであろうこの弁当は、充分満足できるだけの料理が所せましと並んでいて、ただ量が多いだけでは汚くなりがちな見た目だって彩り鮮やかで綺麗に飾られている。正直、跡部が持ってくる弁当にだって引けを取らないと思う。

だから、長太郎の言葉だってわからないわけじゃない。


「ちげえよ、そんなんじゃねえ」


雑に言い放った後、箸を伸ばして口にしたそれは、家で食った食事のように出来立ての温かさはないが、冷めていても充分新鮮で美味く食べられる調理が施されていた。

「…うま」
「クソクソッ!自慢かよ!」
「宍戸ー!一口ちょうだい!」
「誰がやるかよ…ってジロー!勝手に食うな!」
「やっべー!!!何これ、超美味いCー!!」
「宍戸、俺には!?」
「だからやらねえ!岳人はジローの指でも舐めてろ!」
「ふざけんなよ!!」


弁当を巡った攻防戦を巡らせ、なんとか守り切って弁当を食べ終わる頃には既に午後の授業が始まるチャイムが鳴り終わった後だった。


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