どてどて、と、あえて足裏に体重をのせるような歩き方で室に入ってきたリユは、ぽんと俺の膝の上に乗っかった。…軽い。奔放な毛先を指の先でつまむ。
「どうしたお嬢ちゃん」
「お化粧ひとつ、おねがいしまーす」
「…そろそろ自分で覚えろよ、な?」
「してくれなきゃラムダさんのお膝の上からどきませんよ」
「……まじか」
「はい、お化粧ポーチ」
しぶしぶ、化粧ポーチを受けとると、リユは嬉々として新しいイスを引きずって俺と向かい合うように座った。
ポケットにいれていたのかヘアピンで前髪を止めるリユを横目に化粧ポーチの中から使いそうな道具を物色する。諸々の道具の中身は前回やってやったときと比べてほとんど、というよりまったく減っている気がしない。ほんとにすこしも自分でやってないのか。
「だって片目つぶってなんてムリ、ぜっっったいムリです」
「ウィンクもできないのか」
「…見ます?」
頼んでもないのにえいっとかけ声とともにウィンクを試みるリユ。ただのまばたきだった。
「笑わないでラムダさん!」
「ハイハイ悪かった」
「ラムダさんはウィンクできるんですか!」
「やってみせるとでも思ってんのか」
普段から化粧をしないせいか、ロケット団の構成員として不規則な生活をしているわりにはきれいな肌にあれこれほどこしていく。膨れっ面は指の腹で触れると柔らかかった。
「それで? 今日のお嬢ちゃんの任務は?」
「繁華街で頭の悪そうなおにーさんをカモにちょろまかしてきます」
「殺し文句は?」
「オニーサンカッコイイデスネ」
「逆ナンパってやつか」
「逆ナンです」
ラムダさんにお化粧してもらった日は成功率上がるんですー。両目を瞑らせたリユは事実なのかただのご機嫌とりなのか判然としないことを言う。そもそもすっぴんだって悪かねえのに。
どういうかんじがいいのかと訊ねれば「とびきり可愛く!」と返ってくる。…訊いたところで、まあ、女の化粧は専門ではないから、女の部下や顔見知りの女をなんとなく思い出しながらの作業になるのだが。アイラインをひこうとしたとき、緊張しているのか頬がぴくぴく動くのに内心笑いながら、あれこれしてやった。
「ほらよ」
「…わぁ! 可愛い!」
「…自分で言うのかお嬢ちゃん」
「ほんとうに可愛いものに可愛いって言って悪いはずがないでしょ、ラムダさん」
ハンドミラーを両手で持って、回転するイスをぐるぐるまわして喜ぶ。…そんなに良かったか? とっても! やっぱりラムダさん、変装の名人だけあってこういうのほんとに上手ですね。それほどでもあるけどよ。
いつまでたっても足をバタつかせるリユはきらきら輝かせた目に俺を映す。…まあ、たしかに、可愛い。可愛い部下がさらに可愛くなった。さすが俺様。
「それじゃあ行ってきますねー。ノルマの5万円分くらいちゃっちゃと盗んで、今日の最優秀賞なんかも取っちゃって、ラムダさんにあげちゃう」
「そりゃどうも」
「けっこう本気にしてていいんですよ?」
「わかったわかった」
立ち上がったリユのひらたい背中をおして、俺の室のドアのところまで連れていってやる。わぁとかおぉ? だとか言いつつ素直に俺に押されていたリユが、ドアまであと3歩、のところでくるりと振り返った。手がのばされる。腕が俺の腰のところに幼気にまわされた。ぎゅう。
「ラムダさん、かっこいいですね」
「…逆ナンかよ、お嬢ちゃん」
「…いちにのさん、はい?」
「…リユちゃんも、カワイイデスネ?」
「もー。ラムダさんそんなのじゃノルマ達成できませんよ」
にこにこ笑ってぱっぱと腕を離すリユは、どこまでも無害な少女に見える。…まあ、ところがどっこい、中身はポケモンマフィアの中でも指折りの手癖の悪すぎる構成員なんだが。身内であるならいつまでも無害な可愛い少女だろう。
「…引っ掛けたのがヤバい輩だったときはちゃんと俺を呼べよ」
「はーい、頼りにしてますラムダさん」
それじゃあねー、行ってきますねー! ぱたぱたと軽い足取りで夜の街に繰り出していくリユを見送った。頭の悪そうな男から盗んだカバンの中を物色しながら、化粧ポーチを置きっぱなしにしたことに気づいて苦笑するのは、たぶんもうすこし後。
∴Little My Fairlady
後日、化粧ポーチを取りにきたリユは本当にその日の最優秀賞を取っていて、その旨を書いたちゃちい紙を手に誇らしげににこにこしていた。
150617