「リユ」

 手招きしながら呼ばれた名前はまぎれもなくリユのものだったのに、駆け寄ろうとした足が止まったのはなぜだろう。今まで何度も呼ばれてきたはずのそれは信じられないほど甘かった。背骨がむずむずと疼いて、くらくらと目眩がしそうだった。

 好きだと言われたこと。それに「はい」と返事したこと。どちらも昨日の出来事だ。たったそれだけのことで、世界はこんなに変わってしまうのか。

「リユ?」

 縮められなかった数歩をダンデが軽々と詰めた。甘い声が、さっきより近くで響いて、リユは逃げたくなるほど恥ずかしくて両目がじわりと滲みそうだった。「なんでもないです」。そう返すだけで精一杯だった。

 他のバトルタワーの職員たちは気づいていないだろうか。ダンデに伴われて歩くなんていつものことだったのに、とても難しくてぎこちない。それなのにダンデとの距離が変わらない。ダンデの右手から優しくて熱い予感が伝わってくる。触れたいといってくれている。
 エレベーターを待つ間、心臓がばくばくと鳴るのに合わせるようにリユの指先は震えていた。なにが起きるか分かっていた。エレベーターに二人、すべりこんだらきっと。

「リユ」
「…はい」
「…ははっ、緊張しているのか?」

 声が出せなくて頷くことしかできなくなったリユを慰めるみたいに「なにもしないぜ」とダンデは言った。胸がいっぱいで苦しくて、ほんとうに涙がこぼれてしまいそうで、リユはあわてて俯いた。恥ずかしいのと幸せなのとくやしいのとでどうにかなってしまいそうだった。夢をみているみたい。だってずっと、好きだったのはリユの方だったのに。リユを待つダンデの手ほど愛おしくて胸が苦しくなるものを、見たことがない。

「……ねえダンデさん」
「うん?」
「小指…だけ」
「小指?」
「小指だけ、なら、」

 エレベーターが上昇する音に淡い欲がかき消されないように、小指をそっと動かした。びっくりした顔がゆるゆるとゆるんで微笑む気配がする。

「小指だけなら緊張しない、恥ずかしくないって?」
「は、恥ずかしいです、けど」
「…うん。繋ごう、リユ」

 薬指との狭い隙間に現れた小指の熱に驚いてリユの唇からは小さい息がもれた。照れたように笑いながら、ダンデの小指がリユの細い小指にからむ。指の腹で数回、慈しむようにすりすりと撫でられて、心臓が壊れそうなほど高鳴った。

「…これは、手を繋ぐより恥ずかしいな」
「えっ。ご、ごめんなさい」

 ぱっと顔を上げるのときゅっと小指を握られるのが同時だった。口元を覆う手のひらの上から覗くダンデの両目が、見たことがないほどとろとろしている。とくとくと甘いなにがが溢れでているようなそれは、リユの眼差しに気づいて、幸せそうに細くはにかんだ。



∴いまはまだちいさな愛




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