ジムリーダーになったら良いトコに住むんだろうなあ。そんな私のぼんやりは的を外した。デンジは今も学生みたいなアパートに住んでいる。

 シンオウの外じゃもう夏日なんかがあるらしい。ナギサシティは遅い春のなかにあって、曖昧な色をした夜空にまだ白い三日月がくっきり浮かんでいる。一番星を飾った東の空から馴染みの窓辺に瞳を向けると、目的の部屋にはまだ明かりが点いていなかった。

「デンジぃー」

 一応、鉄筋の階段を上がって呼びかけたけどやはり返事はない。近頃デンジはナギサタワーとかいうでっかいのを作るのに夢中だ。
 私は左手に提げてきた二重のビニール袋を覗き込んで、その中にいれたカップアイスを紙の器越しに押してみた。わんさか氷を詰めてきたおかげで、アイスクリームは思ったより溶けていないようだった。冷えてしまった指先をあたためてくれる人がいないので、冷たいまま自分の頬に添わせる。

 もし、アイスクリームが溶ける前にデンジに会えたら。
 …会えたら、どうしよう。



「おまえ……気をつけろよ」
「…え。あ、デンジ」

 夕闇のなかからぬるりと、怒ったような困ったような顔をしてデンジはあっさり帰ってきた。長期戦のつもりでドアの前に居座り暇潰しを決め込んでいた私が、一瞬気づかないくらいあっさりと。

「不審者は暖かくなると出てくるっていうけどさ」
「そんな治安の悪すぎる季語いやだ…」
「じゃあ他人の家の前で蹲ってんな」
「通報した?」
「…ん? ああ…。してない。けど気づかずに蹴飛ばしそうにはなった」
「良かった。ね、デンジ」
「ん」
「おかえり」
「…ただいま」

 アイスクリーム買ってきたからどっかで食べよう。デンジの手を借りて立ち上がるとビニールから溢れた氷が落ちてガラゴロ鳴って滑っていった。
 「なんでこんな冷たい手をしてるんだよ」。デンジはいろんなことに飽きれ果てて降参とばかりに笑うと、家からジャケットを取ってきて、私の手を取って海岸線に合流するように歩き始めた。

「さっきの話、おまえが不審者ってことじゃなくてさ。おまえが不審者に、ってことでさ…」
「…あー!」
「ほんとおまえって…やっぱり自覚が…ふふ…」



 ようやくデンジはあのアパートから引っ越すらしい。

 だから外が良かったのだ。防波堤に二人で座って、紙のスプーンでアイスを掬って食べる。遠くでシルベの灯台の明かりがくるくるまわっている。潮騒に紛れてしまわないように、触れる肩の体温を感じていた。

 たしかに今のデンジにあの場所はもう似合わないと思っていたけれど、あそこを離れずにいてくれる彼にそのままでいてほしいと内心祈るような気分でいたことも嘘ではない。ソファに立ち上がって昔のナンバーを歌い合ったり、足を踏みながらお皿を洗ったり、そんなばかで情けなくて愛おしい日々を受け入れられるのはあの小さなアパートしかない。そんなふうに、ちょっと本気で考えている。これ以上あの場所に思い出を埋葬できない。耐えられない。

「来るなら連絡寄越せば良かったのに」
「運試し。私が知ってるデンジを信じてたの。…帰ってこなくてもべしょべしょになる前に食べたよ」
「どうだか。オレの知ってるリユなら『ほんとに溶けるんだー』って、結局一人じゃ食べられずに立ち尽くしてる」
「変な信頼…」

 ゆっくり喋るデンジにつられて、私は私の目の前についに訪れなかった可能性に思いを馳せた。「会えなかったら」はたくさん思い浮かんでいた。デンジはもう私のデンジではなくなってしまったから、あのアパートと一緒に彼の人生から退場しようと。「もし会えたら」はそこから始まる反対でしかなかった。
 でもデンジは間に合ってしまった。胸の内には敗北の安堵と画策の後ろめたさが波のように交互に押し寄せ綯い交ぜになって在る。

 デンジが半分中身の残ったカップを地面に置いた。よいしょと小さく声をもらして、携えてきたジャケットを私の右肩から彼の左肩に掛ける。突然の温もりに、舌の上でとろとろに溶けていたバニラの味はこくんと喉を落ちていった。

「二人で羽織るには無理があるんじゃないかな」
「オレが無理じゃないと思ってるからいいんだ。ちょうどいいくらいだろ」
「もうちょっとひっつかなきゃ厳しいでしょ」
「おまえの左腕が邪魔だからこっちに寄越しなよ」
「そうしたらアイスクリーム食べられない」
「食べさせてやるからいいだろ」

 ヘリクツみたいに言い連ねてずいずいと紙のスプーンが唇に押しつけられた。口紅で汚れるのに。デンジのアイスも私が食べているのと変わらない。ただ冷たくてただ甘い。だけどキスをするとどうしてだかもっと甘く感じた。

「ナギサタワーが完成したら、私にも案内してくれる?」
「当然だろ」

 デンジはなんでもないことのようにアイスクリームを飲み干した。そうして「次の休みに家具を見に行こうぜ」とらしくないことを言って、私の肩をしばらく抱いて放そうとしなかった。



∴ I SCREAM, MELTED.




220515
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -