「ギーマさん。ちょっとお話しても良い?」
「……ああ。会話にはならないかもしれないが」
「相槌がなくても勝手に喋らせてもらうから。それじゃあお隣、失礼しますねー」
声と共にソファが一人の少女を受け入れて沈んだ。ひたひたと迫る眠気に特別抗おうともせず、俯き目を閉じているわたしの腕をぎゅっと抱き込んで、特別な関係でなければ踏み込めない間合いをしなやかに侵す。
なにか考え込むようにじっと黙っていたリユは、その後わたしの腕を自分の首のうしろを通して肩を抱かせるように動かした。可愛いことをする。眠たいながらもその手を動かして彼女の耳などに触れてやると、嬉しそうに笑い声をあげた。
「…ねえ、愛しています。どんな宝石よりも気高いひと。私のいのちよりも大切なあなた。あなたの眼差しだけが私の心を熱く焦がしてやまないの。あなたの傍にいる私、世界で一番幸せなのよ」
そっと告げられた熱烈な愛の言葉に、眠気が愉快なほどに失せたのが分かった。普段はこんなことを言うような子じゃない。耳のあたりから発熱して、首を伝って体全体が火照るのを感じて頭を抱えたくなった。今のわたしにできることは、過度な醜態を曝すことのないよう努めて落ち着いた恋人を装うことだ。
崩れかけた矜恃を叱咤して、ゆっくりと瞼をひらいた。傍らのリユを見る。愛する恋人の薄く色づいた桃色の唇は、野暮な本に隠されてしまっていた。…本?
視線を上に動かす。顔の半分を隠す開かれた本の端からきらきらとこちらを窺う双眸には、喜色に紛れてどこか挑発的な色が浮かんでいた。ああそうかい、きみらしくないと思っていたとも。
「…リユ」
「うふふー。リユちゃんの全身全霊をかけた朗読はどうだった? さすがのギーマさんでもときめいた? ドキドキ、しちゃった? …って、ああ!」
「し…ろ……白の書? …まあいい。勝負師の女神が小悪魔。ああ、大歓迎だとも」
識字に支障が出るほどの飾り文字で記された題名に一瞥くれてやってから、リユの手の届かないサイドテーブルに本を置いた。大衆のために紡がれた既製品の愛の言葉でも、まあいいだろう。けらけら笑ってさっそく逃げようとしたいじらしい恋人の肩にはわたしの手が回っている。
「おかげで睡魔も恥じらってどこかに消えたようだ。さあ、お相手を願えるかな?」
「…ん? シキミ、その白の書とやらは流行っているのか?」
「え? …ああ、これ中身はすべて白紙なんですよ。装丁の豪華なメモ帳というか、自由帳です。あ、もしかしてリユさんも使ってくれてるんですか? 嬉しい」
「ああ、きみがくれたものだったのか」
「ギーマさんもご入用なら差し上げますよ」
「……いただこうかな」
わざわざ隠すことはなかったのに。二冊の「白の書」を並べて言ってやるとリユは赤くなったり青くなったりしながら「せっかくそれっぽいのを考えたのに!」と半べそをかいた。リユの白の書には添削のあとがありありと残るあの愛の言葉。
「トリックを暴かれた犯人ってこんな気持ちなのかな…」
「その凝り性なところは好ましいぜ。今回はわたしの負けだ。すっかり騙されたのだから」
頬杖をついて、多くを書き込んでよごれてしまった見開きを怖々と眺めたり、閉じたりしていたリユは、敗北宣言を聞いて途端にいつもの調子を取り戻した。明るい笑顔を茶目っ気たっぷりに振りまく。
「ねえねえギーマさん、ときめいちゃった? あなたのための言葉じゃないと思って、がっかりした?」
「ああ、見事にきみの手のひらの上で踊らされた。あれほど情熱的な言葉は初めてだったさ。狂おしいほどきみが愛しいとも」
「お上手! …私の言葉であなたの心を熱くできたのなら、とっても嬉しい。私、やっぱり世界で一番幸せよ」
∴桃色にリラ
210213