「エキシビションみたいなものでしょう」。見送りの言葉を期待したミクリにそう言い放ったのは紛れもなく私だ。彼は今海を隔てた彼方にいて、私はちっぽけな家のリビングのソファに正座をしていた。喉の奥の方からなにかが競り上がってきそうな気になって片手で口を塞いでいる。膝の上に傾けて置いたのは最近遂に手を出してしまったタブレットで、大きな画面いっぱいに彼の地のコンテスト会場の華々しさと溌溂たる熱気が目に痛いくらいに映っていた。

 見送りの言葉が間違っていたことはわかるけれど、いったいなんと言えば正解だったのかさっぱりわからない。彼の覚悟にまるで沿わないことを言ってしまったことをとにかく詫びたい気持ちに駆られて、でもそんな自己満足のために彼の集中を削ぐようなことをしていいものか、などとうだうだ悩んでいるうちに今に至る。この期に及んでどう悔いても時機を逸したのは明らかであり、私はただ液晶越しのミクリの姿を待ちわびるしかないのだった。

 夜も深いこちらとはちがってまだ明るいあちら側にはコンテストの高揚にあてられたたくさんの観客が詰めていた。ホームではないにも関わらずミクリを応援するファンが多いと感じてしまうのは贔屓のせいではないはずである。こんなにも彼を応援する人がいるなら私一人なにを言ったところで…。再びどう転じても救いにならないことを考え始めてしまいそうになる心を蹴飛ばす。どこまでも誠意が足りない自分が嫌いだ。ああもう、はやく始まって、それで終わってほしい。

 そのとき、傍らに投げ捨ててあった機械が着信を告げた。肩が外れるんじゃないかと思うくらい勢いよく跳ねる。タブレットに視線をやってもそこにはなにやら話しているリポーターと騒がしい観客席しか映っていない。
 胸の内で心臓が転げまわっているんじゃないかと思うほどドッドッドッと大きく騒いで痛かった。うまく動かない指先で一生懸命それを手繰り寄せて、耳元に宛がう。

「…ミクリ?」
『起こしてしまったかな? …おや、見てくれているのかい?』

 タイミング悪く、音量を下げていなかったタブレットの向こうでリポーターが熱の入った前座の解説を始めたのがミクリにも聞こえたらしい。小さなミクリの笑い声が耳にくすぐったくて、私はぎゅっと手を握りしめた。あんな見送りしかしなかったくせに、とか。彼にどう思われてしまっただろうか。

「…あなたのファンがいっぱいね」
『ああ。光栄なことだね』
「うん。…あの、用事がないなら切るね。もう始まるでしょう」

 またなにか、ミクリが求めているものと違う言葉を選んでしまうことを恐れて早口で別れの挨拶まで駆け抜けた。どうして掛けてきたのとか気になることはあるのに、すっかり臆病になっている私にはそこまでまわす手がない。もうなにも、彼の意に沿わないかもしれないことはしたくなかった。

『リユ。ただひとり、きみのためだけに今日のパフォーマンスを捧げよう。見届けてくれるだろう?』

 優しい声で告げられたそれが、私が彼に与えたものに見合っていない気がして、喉の奥で空気がくっと詰まった。こんなに情けない私に、返せる気持ちってなんなのだろう。

「がんばってね。ここから応援しているし、ミクリだけ見ているから」

 たったそれだけを言っただけで口の中がからからに渇いた。頬が熱い。
 それでも、ミクリがやわらかい表情をしたのがわかった。

『ありがとう。誰よりも愛しいきみの応援だけが、どうしても欲しかった。一瞬たりともわたしから目を離さないでくれ。いいね? ……それじゃあ、また』

 まるで夢だったみたいにミクリの声が途切れて、でも私の口内は渇いていて、もうなにも深く考えられないまま水を飲み干した。ソファの上で正座をして始まりのときを待つ。ミクリのパフォーマンスを期待する観衆の眼差し。彼を応援する人はこんなにたくさんいるのに。

 完璧なパフォーマンスの最後、カメラ目線で送ってきたあの火傷しそうなくらいの熱を孕んだ視線は、本当に私だけに注がれている気がした。



∴とりこ




201210
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