ひとつ返事





「ねー」

「ん」

「帰りに寄りたいところがあるんだけど」

「ん」

「……帰らないの?」

「ん」


その簡素な一言はもはや返事にもなっていない。聞いているのかも分からない。意志の疎通が出来ていない。
でも珍しいことじゃない。
むしろ、いつもこんな感じ。


「今日、晴れたね」

「んー」

「雨っていってたのに」


せっかく傘持ってきたのに、そう言って彼を見つめるけれど、その視線は遥か彼方の雲の向こう側。
いつものように「ん」と一言返事をした。



つまらない。
当たり前だ。
それでも俺は彼が好きだから。

理由なんて分からない。自分で分かってないんだから他人が分かる訳がない。
いつも一人、窓の外を見つめている。誰とも話そうとしない、社交性がないにもほどがあるこの男子を、おれはなぜか好きになってしまった。



空を見つめるその瞳は恋い焦がれるようなきらめいたものでもなく、怒りに狂う憎悪の念も見えなければ、悲しみに暮れる痛々しいものでもない。

その謎は俺には到底解き明かせないんだ。



「……俺、いなくてもいいのかな、もしかして」

「……」



いつもの返事がこない。
俺はいつもこう言って彼を試す。
彼が俺の告白に是と答えた真意を知るべく、そして俺の存在の価値を知るべく。



ずっと空を見つめていた彼が動き、鞄を肩にかけた。


「行こ」

「………え」

「日が暮れる」


そう言って彼はするりと俺の問いを躱してゆく。
彼はなにも教えてくれない。


「なんで?もういいの?」

そんなことを本当に聞きたい訳じゃなくて。
どうして逃げるんだ。
その言葉は俺の机に押し込めておく。

俺の大好きな想い人は、コミュニケーション能力はない。
にもかかわらず、俺をがっちりと掴んで離さない世渡り上手。


「寄りたいとこ、あるんだろう」


そう一言言い放ち、動かない俺の左手を握って教室から出る。

廊下にでるとパ、と手を離してしまう。
いつも俺はその瞬間、今日は絶対手を洗わないと決意する。
でももしかしたら明日も彼が俺の手をとるかもしれない。そう思うと石鹸で綺麗に手を洗った後にハンドクリームなんてものまで塗りたくる始末。


「…ついて来てくれるんだ」

「ん」


さっきまで嫌だと思っていたその一言も、今はにやけるくらい嬉しい。

俺は単純だ。
顔を綻ばせ、彼の横に並ぶ。
彼は俺を見ることはないけれど、きっと俺から出ている嬉しいオーラに気づいているに違いない。


「自転車、後ろ乗る?」

「ん」


二人乗り、後ろで俺の上着をギュッと掴むだろうその仕種を思い浮かべて、俺はまた彼のとなりで笑顔を浮かべるのだ。



END
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