溺れて死にゆく | ナノ
溺れて死にゆく



柿本×六道



暗い闇に似た部屋に僕はいる。
明るい部屋は嫌いだ。それに自分に似つかわしくない。

不意に扉が叩かれた。ささやかな音。

「…千種ですか、」

「はい」

扉越しに千種の声が聞こえる。物静かな彼の声はとても落ち着く。

「入って下さい」

きいっと小さく音を立てて千種が部屋に入る。
相変わらずの白いニット帽。それに猫背。

「犬はもう寝ましたか、」

「はい」

僕は椅子から立ち上がって千種の傍に立った。

「部屋にいるんですし、これ脱いだらどうです、」

白いニット帽を指差して言う。
千種は素直にそれを取った。漆黒のさらさらとした髪が僕は好きで、そっと撫でた。

「僕の前だけ、取っていて欲しいですね、」

「骸様がそう仰るなら…、」

「そうして下さい。…そういえば、千種は僕よりも背が高いんですね。いつも猫背だから、気付きませんでした」

千種は僕を見る。見下ろす。

「そう、ですね」

千種の目を見つめた。瞳の先に何が有るのか分からない。虚ろな瞳。

「眼鏡も、」

千種は眼鏡を外して胸ポケットにしまう。

「この身長差だと少しですが背伸びをしなくてはいけませんね、」

僕は期待出来ない彼に期待をした。無意味な事を…。

「…そんな必要はありませんよ、」

予想に反した答えに僕は驚いた。次の瞬間唇を塞がれた。
彼から何かをされる事が無かったから、僕は無性に…嬉しかった。

「…ごめんなさい…、」

千種は謝った。

謝る必要等無いのに。

「いえ…、嬉しいですよ、」

「…え、」

「いつも千種は僕を見るばかりで、触れてはくれないから」

「ごめんなさい」

千種は再び謝る。悪い事は何もしていないのに。

「また触れてくれますか、」

「…いつでも」

千種の長い腕が僕の躯を捕らえる。

知りもしなかった人の温かみがあった。

その温かみに僕は溺死してしまいそうだった。



end





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