シロヒルユメ


熱と光がジリジリと雷蔵の肌を焼いた。夏の酷暑は厳しく、外に出るだけでHPを削られる。閑静な住宅地を歩く雷蔵のシャツは、汗で肌に張り付いていた。蝉の声が暑さを助長させ、白く高い積乱雲が湿気を振り撒いている。目的地の三郎の家はまだ近いとは言えない。学校の無い今日は三郎の家に行く約束をしていたのだ。溢れる汗をタオルで拭い、できるだけ日陰を歩いた。しかし真昼の太陽はほぼ頂点にあり雷蔵を太陽から守る陰など頼りないものしかなかった。暑い。とにかく暑い。覚束なくなる足元。朦朧としてくる意識。三郎の家まで着いてしまえば涼しい部屋で甲斐甲斐しく世話をしてもらえるだろう一心で歩いていた。
幼い頃から通い慣れた道は何も考えなくても迷う事はない。働かない頭はインプットされた道を辿っているはずだった。ぼんやりする頭でフラフラ進んでいたが、気付いた時には見知らぬ場所にいた。立ち止まりキョロキョロと見回してみるが、見た事の無い住宅が並んでいるばかりだ。どこかで道を間違えたのだろうか、と来た道を戻ってみる。歩けど歩けど知った風景は現れなかった。むしろ事態は悪化していた。徐々に家は減り田畑が増え空が広くなっている。有り得なかった。雷蔵や三郎が産まれ育ったこの地に田畑など存在していなかったのだ。雷蔵の全身が固まり異常なまでの汗が流れる。呼吸は汗と比例して荒くなった。大きな目は零れそうな程に見開かれた。これ以上はまずい。進んではいけない。一見人っ子一人いない長閑な田園風景のはずなのだが、雷蔵にはそうは見えなかった。動け、動け、と固まった全身に命令をし、チリチリと痛む体を無理矢理反転させた。しかしそこには雷蔵が望んだ風景は無かった。ただただ田畑が広がり暑さで世界が揺れているだけだった。泣きながらどんなに走ってもどんなに進んでも馴染みの町に出る事はなく、見知らぬ森を抜け見知
らぬ丘を下り見知らぬ川沿いに進むだけだ。恐怖、焦り、絶望、それらが渦巻きいつの間にか涙すら流れなくなっていた。やがて雷蔵は進む事を止め太陽の熱で熱くなった地面に座り込んだ。どんなに足掻いても町には着かない、いつまで経っても太陽は角度を変えない。もうここから逃げられない。鬱陶しく鳴く蝉の声と厭味な程青く抜けた空が嘲笑っている様だった。
雷蔵は肩に提げていた鞄からペットボトルの炭酸水を引っ張り出す。どんなに走っても喉は渇かない。空腹も感じない。しかし何でもいいから人間らしい何かがしたかった。良く知る味を口腔に流し込む。馴れた味や喉越しが余計に虚しさを助長させ、雷蔵を落ち込ませた。俯いて手を地に付いた瞬間である。雷蔵は勢いよく飛び退き鞄の中身をぶちまけた。目当ての物を見付けるとそれ飛び付き大切そうに手に握った。携帯電話だった。今の今まで完全に存在を忘れていたのだ。携帯電話を開き発信履歴から鉢屋三郎を見付け通話ボタンに指を乗せたが押すのを一瞬躊躇った。こういうのは繋がらないのが定石なのではないだろうか。もし繋がらなかったら自分が余計に辛くなるだけなのではないか。一瞬のうちに様々な不安が駆け巡った。だが雷蔵は指に力を込めた。電波は完全に立っていたのだ。呼出し音が耳元で鳴り続けた。一秒が一分にも一時間にも感じられる。期待と希望が雷蔵を蝕んでいた。何コールも聞いた電子音が現実を突き付ける。解っていた事なだけに、潰えた希望の重さは半端ではなかった。繋がらないと解っていても自分から切る事はできなかった。ただただ虚し
く響く呼出し音。それすら遠く感じた時だった。呼出し音が止み待ち望んだ声が応答したのだ。

「もしもし雷蔵?どうかしたかい?」

涸れたはずの涙が再び塞きを切った。いきなり声を上げて泣き始めた雷蔵に、三郎は驚き慌てふためいた。

「え、え、何、どうしたの雷蔵、ちょっと、え、どうした?」
「三郎、三郎、お前の声が聞きたかったよ。助けて、知らない所から出られないんだ。会いたいよ三郎、会いたいよお…!」
「え?雷蔵、君今どこにいるの?」
「知らないよ!なんかド田舎の畦道にいるし!ちょっと向こうにひまわり畑とか、鳥居とか…。見たことないよこんな所…」

しゃくりあげながらも促されるまま状況を説明した。三郎の家に向かっていた事、気付いたら知らない場所にいた事、太陽の位置が変わらない事、道を戻っても進んでも知っている場所に出る事はなかった事。信じてもらえるとは思っていなかった。こんな作り話みたいな話、一蹴されて終わると思っていた。

「いいかい雷蔵、落ち着いて。私が君を助けるから。君はそこにいるんだよ。絶対にひまわり畑に近付いてはいけないよ。そこから動かないで」
「三郎、迎えに来てくれるのかい?」
「ああ、勿論だ。絶対君を食わせはしない」
「僕食べられるかもしれないの?」
「いいや。必ず私が迎えに行くよ。だから君はそこで目を閉じて待っていて」
「うん、わかった。待ってる」

今から行くからね、後でね。そう言って通話は切られた。
三郎の落ち着いた声に、雷蔵も落ち着きを取り戻した。三郎が迎えに来てくれる。こんな非日常的過ぎる場面であってもそれだけで酷く安心できた。雷蔵は三郎の言った通り目を閉じた。作物が風に揺られる音が嫌に大きく聞こえた気がした。

…ぃぞう、雷蔵、おーい、雷蔵ってば!

三郎の呼び掛ける声にビクリと体が跳ねた。

「あれ、」
「あれじゃないよ。どうしたんだいぼーっとして」

雷蔵が佇んでいたのは良く知る住宅地だった。空には積乱雲が浮かび辺りは住宅が密集していた。

「さっきから私君を呼んでいたのに」
「三郎、助けてくれたの?」
「え?」
「ありがとう、ありがとうっ、怖かった、会いたかった、」

雷蔵は三郎の胸に飛び込んだ。よろけた三郎は、なんだどうした、と雷蔵の背中を摩る。

「もう二度と出れないのかと思った」
「だから何がだい?」
「え…、三郎が僕をあのド田舎から助けてくれただろ?」
「ド田舎?知らないぞ?暑さにやられて夢でも見てたんじゃないか?」

雷蔵はしょうがないなあ。三郎はそう言いながら雷蔵の頭を撫でた。雷蔵は困惑した。そんなはずないのだ。忘れられないあの恐怖。踏み締めた砂利道。鬱陶しい蝉の声。あんなにもリアルな夢があるのだろうか。

「夢だよ雷蔵、夢。白昼夢なんてのはそんなもんさ」
「白昼夢…」
「ああ。目が覚めなければ、神隠しにあってしまうらしいよ」
「それは、食べられてしまうの?」
「さあ、どうだろうね」

三郎は困惑混じりの雷蔵の問いに笑いながら応えた。雷蔵の喉には炭酸を飲み下した感触が残ってる様な気がした。ジワジワと蝉が泣き、光と熱がジリジリと肌を焼いていた。

next


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -